佐野 曉 URUSHI exhibition
Hello ♡ Kumasan
2011.11.01 (tue)
- 2011.11.30 (wed)
gallery close 11/3・5・6・12・13・20・27
open 12:00~18:00
現在、この展覧会は終了しています。
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はるか縄文の時代から現代まで日本人を貫き通す天恵の素材「うるし;漆」。
未完なもの、未熟なものを肯定的にとらえ、愛でる日本人の美意識、古くから存在し、今世紀に入って一躍注目を浴びる「かわいい」。
万物にカミを見出す日本人の自然観に立戻った時、一見関わりあうことの無い二つの軸は静かに交わりあう。漆という名の魂を身に宿し、キャラクターたちは毅然と、そして「かわいく」立ち現れる。
1981年滋賀県生まれ
2011年京都市立芸術大学大学院後期博士 課程 漆工研究領域修了学位 博士(美術)取得
個展
2011「くまさん 於 祇をん小西」2009「森の魂」(ギャラリーはねうさぎ京都)
2006「神代に奏でる天音滴」(ギャラリーはねうさぎ 京都)
2005「ほしみちるあまのかみやど」(ギャラリーはねうさぎ 京都)
グループ展
2011「会津 漆の芸術祭2011 東北へのエール」(会津若松市、喜多方市)
「漆展 -新しい漆のかたち-」(伊丹市立工芸センター 兵庫)
「FLAWLESS: ContemporaryJapanese lacquer」( Cavin-MorrisGallery,ニューヨーク アメリカ)
「Gombessa. proposal ep 1 I am Japanese.」(BAMI gallery 京都)
「漆芸の未来を拓く -生新の時2011-」(輪島漆芸美術館 石川)
2010「京都市立芸術大学大学院美術研究科
後期博士課程展 第1期」@kcuagallery 京都)
2009「漆ミーティング2009」(ギャラリーマロニエ 京都)
「 Comtenporary Japanese lacquer」( KEIKOGallery ボストン アメリカ)
2008「MVInspirietJapan-Kuehlungsborn」(キュールングスボルン美術館ドイツ)
「Gallerism2008」(大阪府立現代美術センター大阪)
「ゆうゆう展」(西応寺 滋賀)09’10’
「ニョッキニョッキ 佐野曉 公庄直樹 二人展」(恵文社 京都)
2007 「THEROSTOCK-KYOTOART RAINBOW PROJECT」 (ロストック美術館ドイツ)
「皐月の荘厳」(京都芸術センター 京都) 「芽吹 佐野曉 公庄直樹 二人展」(石田大成社ホール 京都)
2006 「日中交流展」(北京中央美術学院 中国)「京都発漆粘土の可能性」(ギャラリーにしかわ京都)「京の職人仕事いろいろ展」(京都クラフトセンター 京都) 「ART UNIV 2006」(コンソーシアム京都 京都)
2005「漆工展in清水」(京都美術工芸ギャラリー 京都)
2004「六つの月」(クラフトギャラリー集 京都)
2003 「俺タチ脳ミソ漆ヌリ」(ギャラリー○△□京都)
公募展、受賞など
2009「京展 」入選(同10')
2007〜2008ドイツにて滞在制作
2007「THE ROSTOCK-KYOTOART RAINBOW PROJECT」 大賞受賞
2006「京都市立芸術大学作品展」 同窓会賞受賞
「音の彫刻コンクール2006」 入選
2004「第22回朝日現代クラフト展」 入選 (同09’)
2003「京都市立芸術大学作品展」平館賞受賞
2001「佐藤太晴公募美術展」特選受賞
コレクション
京都銀行(京都)
ロストック美術館(ドイツ)
HotelAMWESTSTRAND(ドイツ)
ホテル オークラ (マカオ)
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エトリケンジ solo exhibition
pico(ピコ)
2011.09.29 (thu)
- 2011.10.24 (mon)
gallery close 10/3・8・9・10・14・15・16・23
open 12:00~18:00
現在、この展覧会は終了しています。
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ピコ(pico, 記号:p)とは国際単位系(SI)における、小ささを表わす単位の倍量・分量
であり、漢字文化圏においては【漠(ばく)】と表記される単位である。
その単位は現代社会の中で頻繁に現れる分子や原子を扱う際の主な単位・ナノ(nano)
よりも小さく現代社会では認識外にある単位であるとも考えられる。又漢字文化圏に
おいて【漠(ばく)】という文字をこの単位に相当させているが、漠と言う字自体が
現在持つ意味とは「果てし無く広々としている様」「取り留めがなくはっきりしない
様」ということであると考えられます。極小な単位を表現するはずの文字が広大無辺
な様を意味として持つ。そこには大小同義の仏教的な思想を読む事もできます。
エトリケンジが【pico】という字に込めて表現する、小さなバニシングフィギュアーとは
極小の世界が持つ人間の知覚・認識外にある広大無辺な感覚を表現すると同時に、科学技
術が運動する現代社会の象徴的極小単位【nano】を少し超えた所にあるまだ見ぬ新たな
世界観=現代を前進させる何かを象徴しているとも言えます。(director 上山潤)
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植田崇裕
Video Art 【テリトリーの変化と浸食】
2011.08.29 (mon)
- 2011.09.20 (tue)
gallery close 9/4・10・11・17・18
open 11:00~18:00
現在、この展覧会は終了しています。
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【展覧会ステートメント】
私達の周りは絶えず変化と浸食に蝕まれている。
それは時に自己を汚し、自分のテリトリー(領域)を浸食していく。
それでも私達の本能は変化という新たな自分に魅せられ、それを期待していく。
人は形成されるものを破壊することを好む。 それは破壊する瞬間に美を感じ、恍惚感を得て、欲望を満たす。
しかし、その果てにある感情高ぶるモノを本能の赴くままに追求していくこと、
それが人間本来の欲望なのではないか?
(植田崇祐)
今春、京都嵯峨芸術大学を卒業した植田崇祐による
Video Art【テリトリーの変化と浸食】を開催いたします。
BAMI galleryにとっても初めてとなるVideo Artの展覧です。
なにか得体のしれない時代と言う魔物が動きだした現代日本社会。
その魔物は劇的な変化を促し、そして望むと望まないに関わらず
従来の感覚を通り越したスピードで我々を浸食していく。
そんな時代の空気を身体一杯吸い込み噴出させたような表現で挑む
植田崇祐のビデオアートを是非ご覧下さい。
(director 上山潤)
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COMBINE SELECTION
2011.08.03 (wed)
- 2011.08.24 (wed)
gallery close 8/6・7・9・10・11・13~18・20・21
open 11:00~18:00
現在、この展覧会は終了しています。
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COMBINEアーティストたちの作品をセレクトして展示いたします。
・阿部瑞樹
・奥野正人
・kappachicken
・釜 匠
・田村博文
・永吉友紀
・松本 央
・エトリケンジ
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松本央 solo exhibition
【Beast Attack!】
2011.06.01 (wed)
- 2011.07.29 (fri)
gallery close 6/4・5・11・12・18・19・21・25・26・7/3・9・10・15~21・24
open 11:00~18:00
現在、この展覧会は終了しています。
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【展覧会ステートメント】
科学技術やITなどのテクノロジーの進歩によって、高度に発展を遂げた情報化社会を築いた現代。我々はその成果として物質的に豊かで快適な生活を送り、個人の権利と自由を手に入れた。
だが、それは同時に個人の欲望を解放し、拡大させることにも繋がった。
資本主義、市場原理主義にのっとった自由競争による経済発展は、少数の富裕層と多数の貧困層からなる格差社会を生み出した。
人々は再び、自然淘汰、適者生存による弱肉強食のサバイバル世界を自らの手で作り出したのだ。
我々は、この肥大した経済システムを維持すべく、メディアを通して大量の情報を流し、人々の欲望を刺激し、人々に消費を推奨する。
また快適、簡便さを追求した現代社会では人々が欲望を満たすまでの時間も短縮され、肉体的な負荷も少なく手軽に満たすことが可能となった。
その進行は都市の発展、日々のテクノロジーの進歩の速度に比例し加速の一途をたどっている。
その結果、欲望を満していくことが常態化し、欲望の肥大化とその制御についての感覚が麻痺し、反射的に自らの欲望を満たし続けている。
自らの欲望をむき出しにし、それを貪る様は、さながら野獣そのものである。
自己の欲望の無条件の肯定、その行き着く先には一体何が見えるのだろうか。(松本央)
【作品コンセプト】
-人間の欲望の果て、あるいは生命体の本質-
人間を始めとした生物本来の持つ、利己主義的側面や、自らの欲求のままに欲望を満たしている姿を強調、あるいは誇張し、過剰に描きだす。
その描き出された人物郡は、弱肉強食の世界に生きる獣のように自己の欲望を満たすことをためらわない。しかも、その肥大していく欲望により自然環境を破壊し、他の生物と共存することも難しいという意味において野生の獣以下である。
もはや我々の知る人間ではなく新しい種類の生物であるという意味でBeast(野獣)と呼ぶ。
ただ、欲望を満たすことを悪として片づけるのではなく、生物の生存本能として利己的な部分や欲求を満たすため手段を選ばないことがあることも理解し納得したうえで、自らの欲望を追求していくことや、追及していった末に何が残るのか、生きるということとはどういうことなのか、一生命体としての人間の姿に迫っていきたいと考えている。(
松本央)
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