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2024.02.29 八木佑介「非・景観保全地域」
COMBINE/BAMI galleryの作家たち
証展/起展
2021.06.18 (fri) - 2021.06.28 (mon)
OPEN 12:00~18:00
※最終日午後4時閉廊

CLOSE 6/20 6/27
現在、この展覧会は終了しています。
COMBINE/BAMI galleryの平面作家による証展、立体作家による起展、この2展の合同展を約一年半ぶりに開催いたします。 証展も起展も、展覧会が目指すものは同じです。 展覧会の主旨は一作品集中です。その1作品とは、各作家の現時点における最高出力というのがルールになっています。 実験的且つ挑戦的な作品であることが展覧要件を満たす重要なポイントとなります。個展にて発表する作品群とは異なり、各作家の今そして今後を鮮明に現す展覧会です。
Webショップページ連動個展
岡部賢亮 「妖精の瞬き」
2021.06.04 (fri) - 2021.06.11 (fri)
OPEN 12:00~18:00
※最終日午後4時閉廊

■オンラインショップページ
https://combine-art.stores.jp/news/60b5aade50a48a4c217cc6c3
現在、この展覧会は終了しています。
晴れているのに降る雨も、雨雲に轟く稲妻も、荒れ狂う突風も、雨上がりの一枚の葉に降りた露も、そんな瞬間にはきっと目には見えない妖精たちがいてそれらを引き起こしているのだと思う。 ただ妖精たちはいつもそこにいるとは限らない。私たち人間の都合なんてお構いなしに勝手気ままに現れてはまばたきする間さえなく消えていなくなり、忘れたころにまた現れる。 妖精たちは瞬いているのだ。 彼らはときに気付かないほど小さく、ときに大勢を巻き込むほど巨大な存在となってこの世界に現れては瞬き始める。 今この瞬間にもすぐ近くに現れては瑣末なことに振り回される私たちを見て嘲笑っているのかもしれない。 そんな妖精たちは別に誰かのためにそこにいるわけではない。ましてや自分たちのためにそこにいるわけでもない。些細なことで一喜一憂する私たち人間とは似ても似つかない、右も左も上も下もない彼らは何物にも頓着せず、ただそこにあって瞬いているだけなのだ。 なんとも羨ましい存在である。 そんなふうでありたいと思えば思うほどそうなれないと悟ってしまう。 そう思いながらああでもないこうでもないと手を動かしていると、妖精たちが形になって現れるような瞬間がある。 私はそんな瞬間を求めて制作をしているのかもしれない。 ただそんなこととはつゆ知らず妖精たちは今日も好き勝手に瞬いているのだろう。

松本央 「綴られる世界」
2021.05.14 (fri) - 2021.05.24 (mon)
OPEN 12:00~18:00
※最終日午後4時閉廊
現在、この展覧会は終了しています。
今回は私が最近力を入れているレースをモチーフにした作品を発表いたします。

私は、はじめレースを自分の絵を構成する要素、モチーフの一つとしてしか見ていませんでした。

しかし、何作かレースをモチーフにした作品を描いたときに、なぜこのモチーフに自分は惹かれたのか、その意味を考えるようになりました。

そして、レースの成り立ちや作り方を調べたり、教えていただいたりする中で、私がレースをモチーフに描くべき理由が見つかったような気がしました。

その理由は大きく2つあります。

1つ目の理由は、レースを油絵で描くことで遠い過去の存在である昔の画家たちと私が精神的なつながりを持てたように思えたことです。

レースは私が憧れている17世紀の西洋絵画の中にもよく登場します。王侯貴族の襟や衣服の装飾としてもよく使われ、その緻密な模様は絵に華やかな印象を与えています。その反面、レースは描くのに非常に手間がかかるのだろうなぁと私は描くことは敬遠していました。

以前に私の憧れの画家であるレンブラントの肖像画を摸写する機会がありました。

その肖像画にはしっかりとレースが描かれていましたので私も描かざるを得ない状況になり、試行錯誤し何とかそのレースの部分を描きあげました。

その時にレンブラントと同じことができたという絵描きとしての自信と喜び、何とも言えない達成感を得ることができました。

それと同時に、彼らが絵画で綴ってきた世界の一端を受け取ったようにも感じました。

2つ目の理由は、手編みのレースの制作方法を知った時にあります。

レース編みは一本の糸で編まれていること、はじめは糸で小さな輪(円)を作るところから始めるところ、どこまでも広げていくことが可能なこと、ほどけば元の一本の糸に戻すことができること、を知りました。

このレース編みの構造や制作過程を知ったとき私はすごく感動しました。

それはレース編みの構造が、私が日頃から考えていたこととよく似ていると思えたからです。

人や物事の出会いやつながりによって私が社会の中で存在でき、そのつながり(目に見えるものだけでなく見えないものも含めた)によって私という人間が形作られている。

始まりは小さなきっかけや出会い(縁)にすぎないかもしれないがその積み重ねで現在の自分がある。 この考えとレース編みの構造が結びついたときに、私の中でレースをモチーフとして選択する意味が大きくなったように思います。 糸によって綴られ、緻密な模様を表現するレースは、その上に置かれたものや周りを明るく華やかに引き立てるだけでなく、ふと眺めたときにその裏側にある構造についても少し考えさせられる。レースは私にとってそのようなモチーフあり、今回の発表する私の作品が皆様にとってもそうであれば幸いです。

釜匠 作品展
2021.04.27 (tue) - 2021.05.03 (mon)
OPEN 12:00~18:00
※最終日午後4時閉廊
現在、この展覧会は終了しています。
釜匠 ”箱舟の湯シリーズ” 「大箱舟の湯」と「大鯨の湯」新作ジクレー版画をご紹介いたします。

八木佑介 「進路」
2021.04.12 (mon) - 2021.04.25 (sun)
OPEN 12:00~18:00
※最終日午後4時閉廊

CLOSE 4月17日(土)4月18日(日)4月24日(土)
現在、この展覧会は終了しています。
地中に隠されていく電線。景観を害するとされているが、それを我々は何故見たくないのか。

かつて電線は近代化の象徴として多く絵にも描かれていた。文明とは衣食住が必要な人の生存本能によるものであり、急速な電力化と通信の普及によって景色の中に電線の密度が上がり、その姿は毛細血管や絡み合う蔦を連想させる。今、目の前のスマートフォン等々、様々な文明のもたらしてくれる便利なもの達は、その内面に我々の強烈な生存本能があることを覆い隠すように、デザインによってカッコいいものだとパッケージされる。 ならば電線というものはデザインが施されず外部に露出した都市の内部構造であり、その密に絡み合う姿にはそのまま人の持つ生への欲望が現れている。我々は何故電線を地中に隠そうとするのか。私達は私達を見たくないのだ。

明らかに科学は進歩し、人工知能による合理的社会へと進む。だが人は変わらない。迷い、悩み、欲望を押さえきれず過ちを犯す。そのような人間性が文明からは排されていく。人は一方では合理性を理想とし、一方では個々に感情や欲望を持つ。その合理性の外にある、複雑で矛盾を持つ混沌とした人間的な思考宇宙から文化は育つ。人が生んだ文明と文化。文明が巨大な力で世界を変えるならば、対して文化はそこで何をすべきか。絵描きという社会のはみ出し者ができること(はみ出し者だからこそ見えるがあるのではないか)について。それは、人間という不条理で複雑で臆病で欲深い存在を認め、表すことではないか。気付けば30才になっていたが、自問自答を続けながら、このような道に進もうと思う。