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『アニマル盆栽』
前回のブログで、
帰郷した際に遭遇したヒキガエルのお話をさせていただきました。

今回は、あの衝撃的な出来事が発端となって制作した作品をご紹介します




それが、現在開催中の4人展。







第2回『4展-Shiten-』

at BAMI gallery



に出品させていただいている、


『アニマル盆栽』


という作品です。










『アニマル盆栽(Animal BONSAI)』

2015/273×220(mm)F3号/パネルに麻布・アクリル絵の具




4展とは、

BAMI gallery2階にスタジオを構える4人の作家がテーマに沿って制作した完全新作4点による展覧会です。

第2回となる今回のテーマは、
『種(たね/しゅ)』です。



ここで、会場にも設置してある作品紹介文を掲載させていただきます。




↓↓↓↓↓↓↓


『種 (たね/しゅ)』と聞いてすぐに頭に浮かんだのは冬虫夏草でした。

その姿はまさしく種(たね)であり種(しゅ)とも捉える事が出来るからです。


冬虫夏草とは、蛾やセミ等の昆虫に寄生する菌類を指します。
冬の間は昆虫の姿をして過ごし、夏になると宿主を養分にして草を生やす姿からそう呼ばれます。
寄生というと少し怖い言葉に感じますが、広義に“共生”という言葉で表す事が出来ます。

私が今回描いたのはセミタケという冬虫夏草です。
セミの幼虫から生えた植物がやがて大樹となり、そこに沢山の生命が繋がっていく様子を盆栽に例えて、小さな生態系を描きました。



釜 匠


↑↑↑↑↑↑↑




このように、
今回は冬虫夏草から繋がっていく生態系を盆栽に見立てて描きました。


実は盆栽を描きたいと思い付いたのは、もうずいぶん前になります。




従来の鉢植えが植物の栽培を目的としているのに対し、
盆栽というのは外の自然を切り取って小さな鉢に表現する事を目的としています。

その為、小さな松の枝を巨木に見せるためにわざと曲げたり、小さな石を岩と見せるために加工したり、松の根元に小さな動物を配したりします。

また、生きた植物を使った表現のため、完成という概念が無いのも特徴です。



私はこの盆栽の、
“小さな器に生態系を表現する”という感覚にとても惹かれます。

自然というとてつもなく大きな存在を簡略化及び視覚化する事によって、自分なりに自然を理解しようとしているように感じるからです。

それは自然と距離を置いた人類が、手元に小さな自然を配する事で自然との関わりをなんとか繋ぎ留めようとしているかのようにも感じます。




今回のテーマで冬虫夏草を連想した時に過去に考えていた盆栽の構想と重なったので、ようやく作品として形にする事に決めました。









これが下絵(というか殴り書き)です。

お気付きかもしれませんが、上の完成作品と比べるとヒキガエルが居ない事がわかります。

実は当初ヒキガエルを描く予定はありませんでした。


発案当初に描くと決めていた動物は、

・セミタケ
・ヤドカリ
・カクレクマノミ
・ミツバチ

でした。


これらに共通して言えるのは、どの種も他の別の種に依存して生きている生物という事です。

ヤドカリは貝殻が無ければ生きていけません。
カクレクマノミはイソギンチャクに隠れて他の天敵から身を守ってもらいます。
ミツバチも花と密接に関わっています。



盆栽の上で生態系を描く上で、よりその環(わ)が強く見えるような生物をモチーフに選びました。

その環(わ)こそが私が考える“生態系”だと考えていたからです。






しかし、実はこの時点では筆を進める事にまだ若干の迷いがありました。

他の作品案との変更も視野に入れて制作準備を進めていました。




ではなぜギリギリになって突然ヒキガエルが登場する事になったかと言いますと、

それが前回のブログでの出来事に繋がります。



ヒキガエルを見た時に私が一番感じた感情は自然に対する“畏怖”です。
私は普段からこの自然に対する“畏怖”であったり“羨望”というような感情により作品を制作する事が多いです。

ヒキガエルを通して、私は故郷の山そのものの存在を強く感じました。

掌に伝わる重みはヒキガエルだけのものではなく、大自然の他の多くの生物の重みまで内包しているようでした。








そして、
私は自分が作中の盆栽の中で表現しようとしていた生態系に欠けていた重要な要素に気付かされました。



楽しく横並びで皆が手を繋いでいるような様子を生態系として表現したかったのではなく、
時に他の生物をも蹂躙する怖さや強さを内包したものを“生態系”として表現したかったんだと気付きました。

だからこそ、他種に寄生して生きる冬虫夏草というモチーフに惹かれたんだと再認識出来ました。




そこで早速、下書きで描いた生態系を巨木なヒキガエルが蹂躙するように、
でも一方で自然に抱かれ育まれているようにヒキガエルを配置しました。








そこからは凄い勢いでした。

気付けば作品が出来ていた、という勢いで作品が仕上がりました。

悩んで生まれたというよりも、ドバッと“出てしまった”という感覚に近いです。









そんなこんなで出来た作品がこの『アニマル盆栽』です。


私は普段、細かい作品説明は極力控えるようにしています。
(聞かれれば堰を切ったように喋りだしますが…汗)
それは、見る人それぞれの物語の紡ぎを邪魔したくないからです。



しかし今回の作品は少し変わった経緯で生まれた作品であった事と、
その出来事がこれからの私にとってとても重要であるに違いないといった思いから、
このブログに書き記して残しておこうと思いました。




“ヒキガエルを見つけた”

たったそれだけの事ですが、人によっては人生を左右する出来事になり得るのだと思います。

ましてや動物や生態系をテーマに描いている私にとっては、とてつもなく大きな出来事でした。



「ただ動物を道具のようにモチーフとして使っているだけではダメだ」



と、
ヒキガエルに頭をどつかれた気がしています。

作家としてこれからも生きていく上で、

外に出てこのような生の体験を肌で感じる事が出来た事を非常に有り難く感じています。









ヒキガエル。

カメレオンに次ぐ大好きな生き物になりました。

間違いなくこれから作品に頻繁に登場すると思いますが、
どうか暖かく見守っていただけると幸いです。







そして『アニマル盆栽』が絶賛展示中の「4展」!

好評開催中ですので、皆様是非御覧くださいませ!



では、

長々と失礼致しました!

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ヒキガエル
8月15日。

その日は私にとって忘れられない1日になりました。








8月15日から17日までの3日間、母方の故郷である和歌山県に帰郷しておりました。

目的はお墓参りですが、
今年は20数年ぶり(!)に盆踊りにも参加するため日程を調整しました。






母方の故郷は和歌山の山奥にある小さな村で、
コンビニやスーパーは勿論、自販機や信号も1つ無い、山や川に囲まれた自然豊かな場所です。

私は0歳から毎年のように母や祖父母に連れられ訪れていました。

川に遊びに行けば鹿に遭遇し山に遊びに行けば猿に石を投げられるようなその場所は、大阪の工業地帯に住む釜少年にとってまさにパラダイスでした…






成人する前くらいから帰郷する機会が遠退いていたのですが、娘が産まれた事をきっかけに再び帰郷するようになりました。






今年も母と姉家族と共に帰郷しました。
甥っ子達と一緒に着いた当日から早速川遊びを満喫。
夜は皆でバーベキュー。


そしていよいよ久しぶりの盆踊り。






ほとんど薄れてしまっていた記憶が甦るような懐かしく不思議な時間でした。
あの頃の自分と同じように娘が過ごしている姿を見てなんとも感慨深い気持ちになりました。






更に今年はなかなかタイミングが合わなかった祖父母とも一緒に参加でき、4世代揃っての盆踊りでした。

自分が父になり30代を迎えたと自覚させられる貴重な機会になりました…









さて…

いよいよここからです。

冒頭にもお伝えした通り、
この後ある忘れられない衝撃的な出来事に遭遇することになりました…





盆踊りが終わり家に戻ってきたその時でした。
田舎特有の深い夜闇の中何気なく歩いていると、ちょうど家の軒下辺りにカエルの置物を見つけました。






「良く出来たカエルの置物だなぁ」


なんてボーッと考えながら、軽く見過ごしてしまいそうになったその瞬間、私はハッ!と我に返りました。


「か!?カエルの置物!?」


ついさっきまでカエルの置物なんてその場所にありませんでした。
というか、私の記憶では和歌山の家にカエルの置物なんてあった覚えがありません。






「ももももしかして…」


暗闇の中、目を凝らしてカエルの置物(?)を見ました。






そして、

私は驚愕しました…




そうです。


なんと本物でした。


本物のヒキガエルです。

生まれて初めて見る野生のヒキガエル。

しかも信楽焼の置物級の巨大サイズ。



「あぁ~!!〃=×÷#%♂!!」



と、訳のわからない奇声を上げながらヒキガエルに突進。

普段なんちゃって動物博士を気取って「ヒキガエルって実は毒があるんですよ。だから素手で触るなんてダメですね。」
なんて言っていたくせに思いっきり素手でヒキガエルを捕獲。

慌てて部屋の中に駆けていき、改めて明るい場所でそのお姿を拝見すると…






強烈に感動しました…


実際に見た事のある人ならなんて事の無い事かもしれません。
(私の母もよく見掛けていたようです)
実は私も過去にヒキガエルを飼育した経験があります。

ただ、
目の前のヒキガエルは野生で生き抜いてきた風格と山に育まれた巨躯で実際の大きさよりとてつもなく大きく感じ、過去に飼育したヒキガエルとは全く違う生き物のように感じました…





『掌からはみ出る大きさ』


更にヒキガエルを持つ手から伝わってくる重量感と冷たく分厚い皮膚の質感。

大袈裟かもしれませんが、私はそのヒキガエルを通して、
私が小さな頃から幾度となく駆け回った故郷の山そのものの存在を感じたような気がしました。

その喜びとも畏れともいえる感情に私はただただ感激し、
そしてなぜか救われたような気持ちになりました。






かつてこの地に住み、小さな生物を求め野山を駆け回り“天狗”と呼ばれた偉人、南方熊楠。


彼が初めて唱えた“生態系”という概念。


「全ての生物は繋がっていて、どれかが欠けてしまうとその他の生物に影響を及ぼす。
例えそれがほんの小さな生物であったとしても。」


沢山の命を育み、そして時には奪う自然の営みを改めて実感する事でその一端に触れる事が出来た気がした本当に貴重な機会でした。





ヒキガエルを山に返す時、

夜空よりも深い山の闇の中へと消えて行くその後ろ姿はのそのそとゆっくりしていて可愛らしいものでしたが、
私にはとても逞しく、そして羨ましく感じました。



相容れなくなってしまった人と自然との境界線に立っているようで、少し寂しく思いました。





心に残る忘れられない1日になりました。














『親族からの冷たい視線を浴びながら、ヒキガエルに興奮する坊主画家(30歳)の図』

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「女子高生物」終了致しました。
釜 匠 個展 「女子高生物」










昨日5月31日をもちまして無事会期終了致しました。

御越し下さった方々、遠方より応援して下さった方々、ギャラリーの方々に心より御礼申し上げます。


有り難うございました。


おかげさまで大変ご好評いただき、沢山の方々とお会いする機会に恵まれました。
また、テーマの影響もありSNS等のインターネットを通しての反響も大きく、
初めてお会いする方や遠方から駆け付けて下さる方がおられたのも大変印象的でした。










全て鉛筆画による構成という自身としては初めての試みであった今展覧会ですが、
結果として得るものが多く、これからの制作に大きな変革をもたらしてくれるものになりました。
ただ、それと同時に取り組むべき課題が明確に表れた展覧会となったのも事実なので、
引き続き精進しながら制作に励んで参りたいと思います。







今回の展覧会を開催するにあたって最も印象に残っている事があります。
それは“初心”という物を今まで以上に意識させられたという事です。

いつも初心を忘れないように心掛けてきた自覚はあるのですが、
しかし、具体的にその“初心”というのは一体“いつ”の心の状態を指しているのかまでは明確に自覚せずにいました。


今回制作してわかったのは、私が捉えていた初心というものは、初めて個展をさせていただいた前後であるという事です。

つまりアクリル絵の具を用いて制作を始めた後の事を指します。







しかし、今回鉛筆画を制作したことで、それより更に遡った時点にこそ私が認識すべき初心が存在すると気付く事が出来ました。

中学・高校と鉛筆画を沢山描き、美術部では油彩の他に銅版画を制作しました。

その時点ですでに今現在に通じるテーマに出会っていました。

その後大学でアクリル画を制作し始め、今ではほとんどアクリル絵の具しか使用していません。


今回鉛筆画を描いて、初心というものを意識した時に、
画材というものはあくまで手段でしかなく、意識すべきはもっと根底にあると強く気付かされました。







油彩・アクリル・鉛筆・版画等の手段に左右されて作品を作るのではなく、自身の核となるテーマをしっかりと見つめた上で作品を作る。

そんな“当たり前”の事ですが、鉛筆画を描いた今回だからこそ気付く事が出来たのではないかと思います。

ギャラリーが移転した今年1月から偶然とは思えないような出来事が沢山起きましたが、今回の事も含め、しっかりと噛み締めて歩みを進めて行きたいと思います。



「女子高生物」

皆様、本当にありがとうございました!




釜 匠

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女子高生物始まりました。







「狼女子 (wolf girl)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×220mm





個展『女子高生物』


ついに19日から始まりました!

会期中最初の週末も無事終え、いよいよ残すところ今週日曜日31日までの展示となりました。

私も今週は金曜日以外全て在廊を予定しております。


19日から在廊しておりましたので、すでに来てくださった方々と沢山お話しする事が出来ました。

やはり皆さん思い思いの女子高生像を投影しながら作品を御覧になっているようで、その反応は作者本人の予想を越える程に多種多様です。
しかし、何より皆さん一様に笑顔で作品に見入って下さる事がとても嬉しいです。










「豚女子 (pig girl)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×220mm




今回も個展出品作品を紹介させていただくのですが、
それとは別に一つお話をさせていただきます。

内容としては今回の個展に際して実際に起きた嘘のような出来事についてなのですが、下らない話にも関わらず相変わらずの長文になってしまいますので興味のある方だけ御覧下さい。








「女子高生の写真」


今回の個展をするにあたってまず始め
に行ったのが女子高生についての情報収集でした。

その中でも特に力を入れたのが、作品資料にするための女子高生の写真収集です。

インターネット上に大量に蓄積された物の中から抜粋し、それらをファイリングするために写真印刷する事にしました。
家のプリンタでは作品に仕上げるための精細さに欠けるため、
いつものようにカメラの○タムラさんで印刷してもらう事に。

最初は数枚だけの印刷だったため時間はかからずに店内で印刷待ちをしていました。

「現像でお待ちの釜さん」

呼ばれた私はお会計を済ませようとレジへ。

そこでようやく過ちに気付きました…

(しまった…!)

レジのお姉さんが慣れた手つきで写真を取りだし、
「こちらのお写真で間違いないですか?」
と一言。

その手には女子高生の写真(複数)が…

しかし、ここで下手に慌てると怪しさが倍増なので、あくまで落ち着いて対処。

「はい。間違いありません。」


その帰路、今回の作品資料はカメラの○タムラさんでは印刷出来ないと悟った私は他の方法を考えました。

そして思い付いたのが、コンビニでの写真印刷です。
近頃のコンビニではコピー機に写真印刷機能が備わっているのです。
これだとデータも、刷り上がった写真を見られる事も無い。
我ながら良いアイデアだと思いました。

予想通りこの方法は上手くいき、幾度にも渡るコンビニでの写真印刷を経験した私は、近所のサークル○サンク○のお得意様になっていました。

そしてそんなある日悲劇が起きました。


いつものように近所のコンビニで女子高生の写真(十数枚)を印刷していると、目を疑うような文字がコピー機のディスプレイに表示されました。


「印刷用紙不足です。用紙を補充して下さい。」


私は瞬時に顔面蒼白になりました。


(まずい…)


仕方なく店員さんを呼ぶ事に。

やってきた店員さんがこれまた運悪くバイトの若い女性(おそらく女子高生)でした。

更に運悪く、この店員さんは今までコピー機の写真用紙を補充したことが無いようで、見るからにアタフタしていました。(内心では私の方がアタフタ)

悪い事は重なるもので、その店員さんを救おうと奥から更に店員さん(こちらもおそらく女子高生)が来てくれました。

二人で散々コピー機を弄った挙げ句、開けていいのかわからないような箇所まで開けはじめ、店長に聞かずにそんな行動に移るその姿に

「凄いなぁ…」

と感心すらしていました。


そんな時、ふと気付くと足元に置かれた補充用の写真用紙の箱に補充方法が図で記されている事に気付きました。

私はすぐさまそれを伝えました。

しかし、その図がこれまた不親切な程に解読困難なものだったので更に事態は悪化。

このままでは駄目だと思った私は意を決して、

「良かったらお手伝いさせていただいていいですか?」

困り果てた店員さん達の了解を得て私は用紙の補充を手伝いました。

店員さん達が不安そうに見つめる中、早く帰りたかった私は出来る限りの早さで作業を完了させました。

コピー機の動作音が再開する中、私は店員さん達から何度も感謝の言葉をいただきました。

(あぁ、今回の展示がきっかけで実際の女子高生に感謝されるなんて。この題材にして良かったなぁ。)

そんな事まで考えだし、ちょっとした暖かな気持ちに包まれていた、

その時!


コピー機から“カシャン!”という音が鳴り、
私達の足元に1枚の写真がスーっと流れてきました。


それは私が印刷していた写真の続き。
つまり、女子高生の写真が…


「えっ…」

と、声を上げ見るからに表情が曇った店員さん達。

そう。
先程店員さん達がコピー機のいたるところを開けてしまったせいで写真が直接地面に落ちる状態に。

彼女達の中には用紙補充を手伝ってくれたその人がそんな変態な訳がないという最後の希望があったのか、もしかしたらこれは用紙補充による動作不良かもしれないという思いからか、

「この写真はお客様の写真ですか?」

と一言。

私はもう二度とこのコンビニに訪れる事は無いだろうと覚悟を決めながら、


「はい。間違いありません。」


その後、少しの沈黙の後「ありがとうございました」と一礼をしながら早々と立ち去る店員さん達。
その間も女子高生の写真は止まる事なく私達の足元へ…



その帰路、私は大量の女子高生の写真を抱えながら、
女子高生という存在が自分にとってより一層恐ろしいものになっている事を感じました。





<終>






久しぶり(?)の下らない話にお付き合いいただき有り難うございました。

なかなかこのような出来事に遭遇する事はないのですが、また何かあれば書きたいと思います。










「変色蜥蜴女子 (chameleon girl)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×220mm




個展「女子高生物」

今週19日までとなっております。
皆様のご来場をお待ちしております。

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女子高生物にむけて
いよいよ来週19日から開催となります個展『女子高生物』



今回は、

前回に引き続き出品作品の紹介と、テーマである“女子高生”について少し触れておきたいと思います。


(※長文になりますのでご注意ください)












「海亀女子 (Sea turtle girl)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×220mm







まず初めに、私が今回この“女子高生”というテーマをなぜ選んだのかという理由について述べるために、

私なりに女子高生という存在をどのように捉えているかをお話しさせていただきます。



女子高生というのはそもそも、ある一定期間における女性の状態を指す言葉でしかありません。

それは具体的な対象を継続的に指し示すというわけではなく、同じ条件下にあるものの常に流動的な存在を指しています。

女子小学生や女子中学生もそうです。


しかし、私はとりわけこの女子高生という言葉が持つ印象が他の同様の言葉と比べて少し特異なものであるという印象を受けます。



生物的には立派な大人であるにも関わらず、社会的には子供というカテゴライズをされる彼女達は、

そのどちらにも属さない不安定な状態であるからこそ、生じる印象が多様であるように感じます。



私がこの個展タイトルを発表したところ、早々に各所から今までに無いほどの反応(ツッコミ)をいただいたのもその印象あっての事だと思います。












「鹿女子 (Deer girl)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×220mm





個人的な事になりますが、私は工業高校出身です。


ほとんど男子校に近い学校で高校時代を過ごした私は本来接するはずの期間に同年代の異性とほとんど接することなく過ごしました。

そのせいもあって大学に進学した際には、異性の印象が中学生止まりだった私は同級生とのコミュニケーションが苦手でした。



そういった理由から私にとって“女子高生”は全く未知の存在となりました。


人は未知のものを恐れると言います。

私も女子高生が怖いです。


こう言うと大概は笑われてしまいますが、結構本気だったりします。


個人として接することが出来るので、相手が1人ならまだ大丈夫です。

しかし、これが集団になると大変です。

同じ車両で遭遇した場合は高確率で隣の車両に逃げたりします。

女子高で教員をしている男性を心から尊敬します…





さて、私が女子高生に対して感じている印象はこのくらいにして、

次になぜその女子高生というモチーフを選んだのかという事についてもお話しさせていただきます。












「鎧鼠女子 (Armadillo girl)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×220mm




今回の作品は人の姿をした動物達を描いています。


この表現は色々なところで結構頻繁に目にするもので、私も学生時代から好んで描いてきました。

ライオンを描くとどこか勇猛な印象になったり、ブタを描くとどこか間抜けに見えたりと、

動物の持つイメージを人間に投影することで、人間をより人間らしく、動物をより動物らしく見せることが出来ます。



更に、今回制作するにあたってまず初めに考えたのは、

せっかく個展として展覧するなら会場内の動物達に共通点を持たせたい、つまり会場内を1つの“群れ”として描いてみたいということでした。



今までも擬人化した動物達を多く描いてきましたが、それはただ漠然と服を着た動物を描いているだけでした。

動物の選択にはこだわりを持っていたものの、人間側の選択ということに関してはほとんど無関心でした。

そこで、今回は“人間”側のモチーフにもこだわり、群れを表現するのに適した集団性を備えた対象を探しました。

そのような経緯からかなり早い段階で“女子高生”という候補に絞り込めました。

更に、

自分にとって未知の存在であるという部分が制作する上でも大きなモチベーションになるだろうと考えこのテーマに統一することを決定しました。












「三猿女子 (Three wise monkey girls)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×410mm




個展用文章でも述べていますが、

多くの動物は“群れ”を形成することを好みます。

様々な環境で生きる動物たちはその活動を潤滑にする為に群れを用います。



それは文明社会を築き自然との距離を置いた人類も例外ではありません。



小学生、中学生、高校生、大学生はもちろん、社会人、主婦、高齢者。

更に括りを広げると人種、そして宗教など、私たちは様々な“群れ”を形成して生きています。



繰り返しますが、この群れはそれぞれの生活を潤滑にするために作られているものです。

しかし、だからこそ生じるものもあります。



群れを形成する動物は、他の群れを嫌います。


群れを形成するが故に“争い”が生じるのも事実です。






私にとって未知の存在である“女子高生”はまさに“他の群れ”です。


そして世間的に見てもこの“女子高生”という存在は少し特異な存在として捉えられていると感じています。


その特異な存在だからこそ、動物達を投影した時に生じるものがあるのではないかと考えました。

その生態を自分なりの方法で解き明かしてみたいという思いから、今回“彼女達”を描きました。



結果どのような“群れ”がギャラリー内に現れたのか、是非皆様の目でご覧になってみて下さい。

そして、彼女達“女子高生物”が繰り広げる縄張りを実際にその肌で感じ取って欲しいと思います。



長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき有り難うございました。


個展期間中は金曜日と日曜日以外は前日在廊予定ですので、お越しの際は是非一声お掛け下さい。





釜 匠









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