August 25,2015
8月15日。
その日は私にとって忘れられない1日になりました。
8月15日から17日までの3日間、母方の故郷である和歌山県に帰郷しておりました。
目的はお墓参りですが、
今年は20数年ぶり(!)に盆踊りにも参加するため日程を調整しました。
母方の故郷は和歌山の山奥にある小さな村で、
コンビニやスーパーは勿論、自販機や信号も1つ無い、山や川に囲まれた自然豊かな場所です。
私は0歳から毎年のように母や祖父母に連れられ訪れていました。
川に遊びに行けば鹿に遭遇し山に遊びに行けば猿に石を投げられるようなその場所は、大阪の工業地帯に住む釜少年にとってまさにパラダイスでした…
成人する前くらいから帰郷する機会が遠退いていたのですが、娘が産まれた事をきっかけに再び帰郷するようになりました。
今年も母と姉家族と共に帰郷しました。
甥っ子達と一緒に着いた当日から早速川遊びを満喫。
夜は皆でバーベキュー。
そしていよいよ久しぶりの盆踊り。
ほとんど薄れてしまっていた記憶が甦るような懐かしく不思議な時間でした。
あの頃の自分と同じように娘が過ごしている姿を見てなんとも感慨深い気持ちになりました。
更に今年はなかなかタイミングが合わなかった祖父母とも一緒に参加でき、4世代揃っての盆踊りでした。
自分が父になり30代を迎えたと自覚させられる貴重な機会になりました…
さて…
いよいよここからです。
冒頭にもお伝えした通り、
この後ある忘れられない衝撃的な出来事に遭遇することになりました…
盆踊りが終わり家に戻ってきたその時でした。
田舎特有の深い夜闇の中何気なく歩いていると、ちょうど家の軒下辺りにカエルの置物を見つけました。
「良く出来たカエルの置物だなぁ」
なんてボーッと考えながら、軽く見過ごしてしまいそうになったその瞬間、私はハッ!と我に返りました。
「か!?カエルの置物!?」
ついさっきまでカエルの置物なんてその場所にありませんでした。
というか、私の記憶では和歌山の家にカエルの置物なんてあった覚えがありません。
「ももももしかして…」
暗闇の中、目を凝らしてカエルの置物(?)を見ました。
そして、
私は驚愕しました…
そうです。
なんと本物でした。
本物のヒキガエルです。
生まれて初めて見る野生のヒキガエル。
しかも信楽焼の置物級の巨大サイズ。
「あぁ~!!〃=×÷#%♂!!」
と、訳のわからない奇声を上げながらヒキガエルに突進。
普段なんちゃって動物博士を気取って「ヒキガエルって実は毒があるんですよ。だから素手で触るなんてダメですね。」
なんて言っていたくせに思いっきり素手でヒキガエルを捕獲。
慌てて部屋の中に駆けていき、改めて明るい場所でそのお姿を拝見すると…
強烈に感動しました…
実際に見た事のある人ならなんて事の無い事かもしれません。
(私の母もよく見掛けていたようです)
実は私も過去にヒキガエルを飼育した経験があります。
ただ、
目の前のヒキガエルは野生で生き抜いてきた風格と山に育まれた巨躯で実際の大きさよりとてつもなく大きく感じ、過去に飼育したヒキガエルとは全く違う生き物のように感じました…
『掌からはみ出る大きさ』
更にヒキガエルを持つ手から伝わってくる重量感と冷たく分厚い皮膚の質感。
大袈裟かもしれませんが、私はそのヒキガエルを通して、
私が小さな頃から幾度となく駆け回った故郷の山そのものの存在を感じたような気がしました。
その喜びとも畏れともいえる感情に私はただただ感激し、
そしてなぜか救われたような気持ちになりました。
かつてこの地に住み、小さな生物を求め野山を駆け回り“天狗”と呼ばれた偉人、南方熊楠。
彼が初めて唱えた“生態系”という概念。
「全ての生物は繋がっていて、どれかが欠けてしまうとその他の生物に影響を及ぼす。
例えそれがほんの小さな生物であったとしても。」
沢山の命を育み、そして時には奪う自然の営みを改めて実感する事でその一端に触れる事が出来た気がした本当に貴重な機会でした。
ヒキガエルを山に返す時、
夜空よりも深い山の闇の中へと消えて行くその後ろ姿はのそのそとゆっくりしていて可愛らしいものでしたが、
私にはとても逞しく、そして羨ましく感じました。
相容れなくなってしまった人と自然との境界線に立っているようで、少し寂しく思いました。
心に残る忘れられない1日になりました。
『親族からの冷たい視線を浴びながら、ヒキガエルに興奮する坊主画家(30歳)の図』
その日は私にとって忘れられない1日になりました。
8月15日から17日までの3日間、母方の故郷である和歌山県に帰郷しておりました。
目的はお墓参りですが、
今年は20数年ぶり(!)に盆踊りにも参加するため日程を調整しました。
母方の故郷は和歌山の山奥にある小さな村で、
コンビニやスーパーは勿論、自販機や信号も1つ無い、山や川に囲まれた自然豊かな場所です。
私は0歳から毎年のように母や祖父母に連れられ訪れていました。
川に遊びに行けば鹿に遭遇し山に遊びに行けば猿に石を投げられるようなその場所は、大阪の工業地帯に住む釜少年にとってまさにパラダイスでした…
成人する前くらいから帰郷する機会が遠退いていたのですが、娘が産まれた事をきっかけに再び帰郷するようになりました。
今年も母と姉家族と共に帰郷しました。
甥っ子達と一緒に着いた当日から早速川遊びを満喫。
夜は皆でバーベキュー。
そしていよいよ久しぶりの盆踊り。
ほとんど薄れてしまっていた記憶が甦るような懐かしく不思議な時間でした。
あの頃の自分と同じように娘が過ごしている姿を見てなんとも感慨深い気持ちになりました。
更に今年はなかなかタイミングが合わなかった祖父母とも一緒に参加でき、4世代揃っての盆踊りでした。
自分が父になり30代を迎えたと自覚させられる貴重な機会になりました…
さて…
いよいよここからです。
冒頭にもお伝えした通り、
この後ある忘れられない衝撃的な出来事に遭遇することになりました…
盆踊りが終わり家に戻ってきたその時でした。
田舎特有の深い夜闇の中何気なく歩いていると、ちょうど家の軒下辺りにカエルの置物を見つけました。
「良く出来たカエルの置物だなぁ」
なんてボーッと考えながら、軽く見過ごしてしまいそうになったその瞬間、私はハッ!と我に返りました。
「か!?カエルの置物!?」
ついさっきまでカエルの置物なんてその場所にありませんでした。
というか、私の記憶では和歌山の家にカエルの置物なんてあった覚えがありません。
「ももももしかして…」
暗闇の中、目を凝らしてカエルの置物(?)を見ました。
そして、
私は驚愕しました…
そうです。
なんと本物でした。
本物のヒキガエルです。
生まれて初めて見る野生のヒキガエル。
しかも信楽焼の置物級の巨大サイズ。
「あぁ~!!〃=×÷#%♂!!」
と、訳のわからない奇声を上げながらヒキガエルに突進。
普段なんちゃって動物博士を気取って「ヒキガエルって実は毒があるんですよ。だから素手で触るなんてダメですね。」
なんて言っていたくせに思いっきり素手でヒキガエルを捕獲。
慌てて部屋の中に駆けていき、改めて明るい場所でそのお姿を拝見すると…
強烈に感動しました…
実際に見た事のある人ならなんて事の無い事かもしれません。
(私の母もよく見掛けていたようです)
実は私も過去にヒキガエルを飼育した経験があります。
ただ、
目の前のヒキガエルは野生で生き抜いてきた風格と山に育まれた巨躯で実際の大きさよりとてつもなく大きく感じ、過去に飼育したヒキガエルとは全く違う生き物のように感じました…
『掌からはみ出る大きさ』
更にヒキガエルを持つ手から伝わってくる重量感と冷たく分厚い皮膚の質感。
大袈裟かもしれませんが、私はそのヒキガエルを通して、
私が小さな頃から幾度となく駆け回った故郷の山そのものの存在を感じたような気がしました。
その喜びとも畏れともいえる感情に私はただただ感激し、
そしてなぜか救われたような気持ちになりました。
かつてこの地に住み、小さな生物を求め野山を駆け回り“天狗”と呼ばれた偉人、南方熊楠。
彼が初めて唱えた“生態系”という概念。
「全ての生物は繋がっていて、どれかが欠けてしまうとその他の生物に影響を及ぼす。
例えそれがほんの小さな生物であったとしても。」
沢山の命を育み、そして時には奪う自然の営みを改めて実感する事でその一端に触れる事が出来た気がした本当に貴重な機会でした。
ヒキガエルを山に返す時、
夜空よりも深い山の闇の中へと消えて行くその後ろ姿はのそのそとゆっくりしていて可愛らしいものでしたが、
私にはとても逞しく、そして羨ましく感じました。
相容れなくなってしまった人と自然との境界線に立っているようで、少し寂しく思いました。
心に残る忘れられない1日になりました。
『親族からの冷たい視線を浴びながら、ヒキガエルに興奮する坊主画家(30歳)の図』