May 13,2015
いよいよ来週19日から開催となります個展『女子高生物』
今回は、
前回に引き続き出品作品の紹介と、テーマである“女子高生”について少し触れておきたいと思います。
(※長文になりますのでご注意ください)
「海亀女子 (Sea turtle girl)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×220mm
まず初めに、私が今回この“女子高生”というテーマをなぜ選んだのかという理由について述べるために、
私なりに女子高生という存在をどのように捉えているかをお話しさせていただきます。
女子高生というのはそもそも、ある一定期間における女性の状態を指す言葉でしかありません。
それは具体的な対象を継続的に指し示すというわけではなく、同じ条件下にあるものの常に流動的な存在を指しています。
女子小学生や女子中学生もそうです。
しかし、私はとりわけこの女子高生という言葉が持つ印象が他の同様の言葉と比べて少し特異なものであるという印象を受けます。
生物的には立派な大人であるにも関わらず、社会的には子供というカテゴライズをされる彼女達は、
そのどちらにも属さない不安定な状態であるからこそ、生じる印象が多様であるように感じます。
私がこの個展タイトルを発表したところ、早々に各所から今までに無いほどの反応(ツッコミ)をいただいたのもその印象あっての事だと思います。
「鹿女子 (Deer girl)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×220mm
個人的な事になりますが、私は工業高校出身です。
ほとんど男子校に近い学校で高校時代を過ごした私は本来接するはずの期間に同年代の異性とほとんど接することなく過ごしました。
そのせいもあって大学に進学した際には、異性の印象が中学生止まりだった私は同級生とのコミュニケーションが苦手でした。
そういった理由から私にとって“女子高生”は全く未知の存在となりました。
人は未知のものを恐れると言います。
私も女子高生が怖いです。
こう言うと大概は笑われてしまいますが、結構本気だったりします。
個人として接することが出来るので、相手が1人ならまだ大丈夫です。
しかし、これが集団になると大変です。
同じ車両で遭遇した場合は高確率で隣の車両に逃げたりします。
女子高で教員をしている男性を心から尊敬します…
…
さて、私が女子高生に対して感じている印象はこのくらいにして、
次になぜその女子高生というモチーフを選んだのかという事についてもお話しさせていただきます。
「鎧鼠女子 (Armadillo girl)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×220mm
今回の作品は人の姿をした動物達を描いています。
この表現は色々なところで結構頻繁に目にするもので、私も学生時代から好んで描いてきました。
ライオンを描くとどこか勇猛な印象になったり、ブタを描くとどこか間抜けに見えたりと、
動物の持つイメージを人間に投影することで、人間をより人間らしく、動物をより動物らしく見せることが出来ます。
更に、今回制作するにあたってまず初めに考えたのは、
せっかく個展として展覧するなら会場内の動物達に共通点を持たせたい、つまり会場内を1つの“群れ”として描いてみたいということでした。
今までも擬人化した動物達を多く描いてきましたが、それはただ漠然と服を着た動物を描いているだけでした。
動物の選択にはこだわりを持っていたものの、人間側の選択ということに関してはほとんど無関心でした。
そこで、今回は“人間”側のモチーフにもこだわり、群れを表現するのに適した集団性を備えた対象を探しました。
そのような経緯からかなり早い段階で“女子高生”という候補に絞り込めました。
更に、
自分にとって未知の存在であるという部分が制作する上でも大きなモチベーションになるだろうと考えこのテーマに統一することを決定しました。
「三猿女子 (Three wise monkey girls)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×410mm
個展用文章でも述べていますが、
多くの動物は“群れ”を形成することを好みます。
様々な環境で生きる動物たちはその活動を潤滑にする為に群れを用います。
それは文明社会を築き自然との距離を置いた人類も例外ではありません。
小学生、中学生、高校生、大学生はもちろん、社会人、主婦、高齢者。
更に括りを広げると人種、そして宗教など、私たちは様々な“群れ”を形成して生きています。
繰り返しますが、この群れはそれぞれの生活を潤滑にするために作られているものです。
しかし、だからこそ生じるものもあります。
群れを形成する動物は、他の群れを嫌います。
群れを形成するが故に“争い”が生じるのも事実です。
私にとって未知の存在である“女子高生”はまさに“他の群れ”です。
そして世間的に見てもこの“女子高生”という存在は少し特異な存在として捉えられていると感じています。
その特異な存在だからこそ、動物達を投影した時に生じるものがあるのではないかと考えました。
その生態を自分なりの方法で解き明かしてみたいという思いから、今回“彼女達”を描きました。
結果どのような“群れ”がギャラリー内に現れたのか、是非皆様の目でご覧になってみて下さい。
そして、彼女達“女子高生物”が繰り広げる縄張りを実際にその肌で感じ取って欲しいと思います。
長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき有り難うございました。
個展期間中は金曜日と日曜日以外は前日在廊予定ですので、お越しの際は是非一声お掛け下さい。
釜 匠
今回は、
前回に引き続き出品作品の紹介と、テーマである“女子高生”について少し触れておきたいと思います。
(※長文になりますのでご注意ください)
「海亀女子 (Sea turtle girl)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×220mm
まず初めに、私が今回この“女子高生”というテーマをなぜ選んだのかという理由について述べるために、
私なりに女子高生という存在をどのように捉えているかをお話しさせていただきます。
女子高生というのはそもそも、ある一定期間における女性の状態を指す言葉でしかありません。
それは具体的な対象を継続的に指し示すというわけではなく、同じ条件下にあるものの常に流動的な存在を指しています。
女子小学生や女子中学生もそうです。
しかし、私はとりわけこの女子高生という言葉が持つ印象が他の同様の言葉と比べて少し特異なものであるという印象を受けます。
生物的には立派な大人であるにも関わらず、社会的には子供というカテゴライズをされる彼女達は、
そのどちらにも属さない不安定な状態であるからこそ、生じる印象が多様であるように感じます。
私がこの個展タイトルを発表したところ、早々に各所から今までに無いほどの反応(ツッコミ)をいただいたのもその印象あっての事だと思います。
「鹿女子 (Deer girl)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×220mm
個人的な事になりますが、私は工業高校出身です。
ほとんど男子校に近い学校で高校時代を過ごした私は本来接するはずの期間に同年代の異性とほとんど接することなく過ごしました。
そのせいもあって大学に進学した際には、異性の印象が中学生止まりだった私は同級生とのコミュニケーションが苦手でした。
そういった理由から私にとって“女子高生”は全く未知の存在となりました。
人は未知のものを恐れると言います。
私も女子高生が怖いです。
こう言うと大概は笑われてしまいますが、結構本気だったりします。
個人として接することが出来るので、相手が1人ならまだ大丈夫です。
しかし、これが集団になると大変です。
同じ車両で遭遇した場合は高確率で隣の車両に逃げたりします。
女子高で教員をしている男性を心から尊敬します…
…
さて、私が女子高生に対して感じている印象はこのくらいにして、
次になぜその女子高生というモチーフを選んだのかという事についてもお話しさせていただきます。
「鎧鼠女子 (Armadillo girl)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×220mm
今回の作品は人の姿をした動物達を描いています。
この表現は色々なところで結構頻繁に目にするもので、私も学生時代から好んで描いてきました。
ライオンを描くとどこか勇猛な印象になったり、ブタを描くとどこか間抜けに見えたりと、
動物の持つイメージを人間に投影することで、人間をより人間らしく、動物をより動物らしく見せることが出来ます。
更に、今回制作するにあたってまず初めに考えたのは、
せっかく個展として展覧するなら会場内の動物達に共通点を持たせたい、つまり会場内を1つの“群れ”として描いてみたいということでした。
今までも擬人化した動物達を多く描いてきましたが、それはただ漠然と服を着た動物を描いているだけでした。
動物の選択にはこだわりを持っていたものの、人間側の選択ということに関してはほとんど無関心でした。
そこで、今回は“人間”側のモチーフにもこだわり、群れを表現するのに適した集団性を備えた対象を探しました。
そのような経緯からかなり早い段階で“女子高生”という候補に絞り込めました。
更に、
自分にとって未知の存在であるという部分が制作する上でも大きなモチベーションになるだろうと考えこのテーマに統一することを決定しました。
「三猿女子 (Three wise monkey girls)」
2015/パネルに紙・鉛筆(pencil on panel)/273×410mm
個展用文章でも述べていますが、
多くの動物は“群れ”を形成することを好みます。
様々な環境で生きる動物たちはその活動を潤滑にする為に群れを用います。
それは文明社会を築き自然との距離を置いた人類も例外ではありません。
小学生、中学生、高校生、大学生はもちろん、社会人、主婦、高齢者。
更に括りを広げると人種、そして宗教など、私たちは様々な“群れ”を形成して生きています。
繰り返しますが、この群れはそれぞれの生活を潤滑にするために作られているものです。
しかし、だからこそ生じるものもあります。
群れを形成する動物は、他の群れを嫌います。
群れを形成するが故に“争い”が生じるのも事実です。
私にとって未知の存在である“女子高生”はまさに“他の群れ”です。
そして世間的に見てもこの“女子高生”という存在は少し特異な存在として捉えられていると感じています。
その特異な存在だからこそ、動物達を投影した時に生じるものがあるのではないかと考えました。
その生態を自分なりの方法で解き明かしてみたいという思いから、今回“彼女達”を描きました。
結果どのような“群れ”がギャラリー内に現れたのか、是非皆様の目でご覧になってみて下さい。
そして、彼女達“女子高生物”が繰り広げる縄張りを実際にその肌で感じ取って欲しいと思います。
長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき有り難うございました。
個展期間中は金曜日と日曜日以外は前日在廊予定ですので、お越しの際は是非一声お掛け下さい。
釜 匠