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屏風製作の会社の選定。


これは決めていた。


表具と一概に言っても、美術品の表装から建築の内装
果ては一般家屋の襖までその仕事は幅広い。


その中で屏風は特別である。



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※特別なのは理由もあった。
消費税が施行される前、実は日本には”物品税”なるものが
存在した。これは所謂高級品に課税される税金で、屏風は
その対象とされていた。。
だから結果として同じ美術品でも取り扱う業者がかなり
限られていた。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




これが大事なのであるが
“コストを抑え時間的制約の中でクオリティーを保ち
“数”を作れるという条件がある。


あまり知られていないが、実は数を作るだけであれば
案外多く存在する。また安く作るのも相当数存在する。


これらの存在を支えているのが、人形(雛武者・雑貨の類)の背景
に立てる小さな屏風を作る職人達である。


しかしこれらには問題がある。


クオリティーが“美術品”のレベルではないという事であった。
それは材料もそうであるし、技術においても同じであった。
また、それらは全て小さな存在であり、個人的なレベルで動いている
点でしかなかった。


あくまで美術複製品を制作するというレベルと美術館の校正に
耐えうる仕事ができる、及び複製品として販売する場合の安定的
な供給を支えられる存在と言う条件が必要となる。


そういう様々な職人が存在する世界で、こちらが求めるものを
形に変えるという事ができる存在を考えれば、


屏風を製作できる“会社”である必要があった。
あくまで株式会社が必要なのだ。これは先のブログで書いた
通り、実際の技術の前に、インテグレーション力を如何に
発揮できるかという事が最優先される問題であった。


要するに、少し管理コストが上がっても、優れた技術者、職人を
束ねられる力が必要であり、それらを管理し交渉できる立場を取れ
る“会社”が必要なのであった。


私一人が職人間を飛びまわり管理交渉しても、所詮門外漢であり
ネゴシエーションも出来ない。それらを一つの窓口で一手に背負って
くれる存在が必要なのであった。そしてベストなのは過去の仕事に
おいて比類のない実績を持っている会社これが最良であった。


そんな存在があるのか?となるが。


存在した。この存在は実は以前から知っていた。


それは名古屋にあった。
京都ではないの?と疑問を持つ方も多いかもしれないが、一点一点の
レベルではそうかもしれない。しかし今回の条件に適う存在は京都には
無かった。というか、、これも“蛇の道は蛇”なのであるが、結局、京都で
発注しても、材料からなにからコスト面を握るのは名古屋なのである。。
その上に“高いブランド料”が乗っかる…


A社。


安政年間創業。およそ150年の歴史を持つ。その仕事は宮内庁、及び
世界の150カ国以上の日本大使館・総領事館で使用される屏風を納品。
外務省の規格基準を持っている老舗である。


名古屋に出向き説明した。
今の段階はまだプレゼンテーション前であり、実際に動くかどうかも
分からないという事を前提に話をした。金額も納期も当然数量も、大まかな
私の想像世界の話でしかない。しかし、屏風に関することで出来ないことは
何もない。こんな仕事が出来るならば協力しましょう。


と快い返事を頂いた。
そして一人の若者・F君が担当者として動いてくれることになった。


…というか、、、この会社に蹴られれば、後がなかった。。。。
それほどこの会社の内容は優れているのはもちろんの事
今回の仕事に適任はいなかったのである。選択の余地がない。


これで技術面の屏風という部分はおさえることが出来た。
次に印刷面である。


印刷会社の選定を行う。


といっても、私一人が情報をまとめて交渉するだけ
なのであるが…


世の中に印刷会社など無数にある。


しかし、“蛇の道は蛇”である。


こういう仕事ができる会社は100も200もない。


過去、自分の仕事の中で得た情報と前回のブログで書いた
通り、ブランドを誇示できる実績等を勘案して選定すれば
5本の指で足りる程度に集約できる。


当然、DやTというような日本を代表する会社に仕事を
持ち込めばどのような手段を用いても出来るのであるが、
そうなると、私など一気に吹っ飛んでしまう。必要なくなる。
そして、仮に出来てもべら棒な金額を請求されるのは目に
見えている。


だから最大手でなく弱小でもない、その中間でクライアント
の指示に正確にしたがうことができるための過去の実績と
ノウハウの蓄積がある会社という事に集約できる。


そういった条件から4社選び問い合わせてみた。


その内1社は完全に眼がね違いであった。商業印刷の技術力
しかなかった。


ここで少し注釈を加えさせてもらうが、印刷といっても所謂一般が
イメージする印刷というものとは次元が違う。ポスター、リーフレット
DM、パンフレット等の商業部分の技術力だけではない。芸術的な版画
という技術を含む美術印刷技術の力のことであり、それらを商業ベースに
転嫁できる技術力の事を指す。版画家の技術という印刷義技術の一部を完全
に網羅し尚且つ商業印刷の工業力を有する実力である。複製ということの
全域を網羅した最高の技術力である。


残り2社までは“笑われた”。取り合ってもらえなかった。
概算の見積もりを見ても到底商品化できる値段ではなかった。最初に
最終的な小売価格の想定を話していたにも関わらず。という事は、真剣に
取り合ってもらえなかったと判断してもおかしくない。
理由は最初の問い合わせで既に判明していた。それぞれ過去アタックして
おり、物の見事に粉砕してきたからであった。


君が?できると思ってるの?


見たいな感じで軽くあしらわれた…・
当然かもしれない。この時点では雲を掴むような話であり、何の根拠も
示せていなかったのである・・


最後の一社。


大阪に本社があった。


部下を連れて伺った。


これを“けられる”と辛いなあぁ~と心の中で呟いていた。。


二人担当の方が応対に出てきてくれた。


NさんとHさん。
Nさんは50前後。Hさんは失礼だが定年前後にお見受けした。
いずれにしても大ベテランの風格があった。。


また、、駄目かな?と思いつつ、概要を説明した。


黙って聞いていた二人が、話を聞き終えて直ぐ。


“おもしろい!”と眼を輝かせて答えてくれた。


完全に駄目かな?と思いつつ話していた私は“えっ?”と
拍子抜けしたような…ホンマ??のってくれてるの?この人たち?


初めてであった真剣にとりあってもらったのは。。


「上山さんこれはどうなるか分からんけど、協力しますよ!
だってホラ、NHKの!あれで、、見ました?」


「えぇ、、見ました。金でしょ?これがあるから美術館との交渉は
確実に難航しますし、まぁまずその前に取り掛かれるかどうか?
本来作って校正にもっていくという手もありますけど、ほとんど
の会社が頓挫したモチーフですから、やっぱり根回しして動かないと
…ということで、、まだ出来るかどうかわかりませんし、、、、、、」


「まぁ、そうでしょうね!これは印刷屋にとっては、相手にとって
不足どころか最高の強敵ですよ!でも実はこのテーマの金にうって
つけの技術があるんですよ!」


「えっ?それは実際の金箔を使用するような?」


「違います。ずっと昔にあった技術です。」


確かこの数日前、大手印刷会社が金箔を使う新技術を発表
していた。私はその技術のアレンジ版かなにかか?と思ったの
であった。。


「昔の技術?」


「そうです。」


と、席を外しなにやらサンプルピースを取りにいかれた。
戻ってくると両脇には大きく巻かれた和紙があった。


話をしていたテーブルの上にその和紙を広げると
そこには“円山応挙”の襖絵の一部があった。。。


うん?金箔??あれっ??


アー—------!なにこれっ?これ印刷なんかぁ?


見事に箔を使わずに箔の雰囲気を再現していた!!
光彩によって箔と同じように輝く…


こ、、これは使える!


「どうですか?これならいけるのではないですか?」


「い、いけます。たぶん。。。しかし、、」


Nさん、、朗らかに!


「やってみましょうよ、金額のことも分かりました。なんとか
商品化できるよう頑張りましょう!なによりも国宝でしょ!
こら、我々にとってもありがたい試練ですよ、ね!」


と、隣のHさんを見ると


にっこり、笑われていた。。。







このとき私は始めて重要なことに気づいた。


こういう仕事に本当に大事なのは


やるんだ!


という情熱。


自分の仕事のプライドをかけて立ち向かう


情熱だ!


この情熱が結集しなければ、とても完遂することは出来ない
その大事な要素を、屏風と印刷の会社と打ち合わせして気づいた
のであった。。。。




つづく。

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前回のブログで光琳・紅白梅図の複製品を作る

において3つの難点をまとめたのであるが、まず

大儀。

まぁこのように書くと大層なのであるが、これは
所謂現在NHK大河ドラマで連呼されている“義”という
ものほどの事ではない。

肝要なのは、近江商人が伝える“三方よし”という考え方
だと思う。

売り手よし、買い手よし、世間よし

そういう調和が取れているか?もしくはこの場合“取れるか?”

という点である。

この線から考えれば、問題は売り手という分類の中に複数の
関係者の関連が存在し、最終的にそれらを束ね美術館が納得
する状況を作り出す必要性であった。またそこで、美術館自体
が大儀をもてるだけの解釈を必要としていた。


私は運が良かった。

この数年前、、いや10年以上前では、絶対に美術館は“うん”とは
言わなかった。そんな必要性は美術館には、まったくなかった。


しかし、ここ数年、事情が激変していた。


入館者の激減。


これは全国どこの美術館も同様の悩みを抱えている。
基本的には公共の益であり、採算というものを後回し
に考えて運営されている場合が普通であった。


それは母体、国や地方自治体(税金)、企業や個人などがその
運営資金を捻出し、公共の益として存在させていたのであるが


その母体の経済的な弱体化がこれまでの採算を後回しにしても
という事情を覆しはじめていたのであった。


平明に言えば、、もうちょっと儲かるもしくは集客を上げなければ
公的な存在意義が無くなるという建前と支えきれないという本音

…と言うことであった。


この事情が実はものすごい追い風となった。
その中心的考えはリピーターよりも新たな客の開拓にあった。
そうなると一般に対しより接近した宣伝が必要となる。


複製品とは、本物の雰囲気を個人の手にという部分が本質
であるから一般に対するロイヤリティーは非常に高い。


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複製品を作る=儲けるではなく

複製品を作る=歴史上の逸品を個人でも楽しんでもらい

歴史上の逸品を個人でも楽しんでもらい=本物を見たい

本物を見たい=複製品が欲しかった


(ファンになる)

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というモチベーションを販売促進の核に据えたのであった。



これをあくまで集客導引の有効な手段であることを強調し、
パンフレット等に美術館の内容を広く喧伝し、再度興味を
もってもらう宣伝広告策の一貫である!ということを中核に据え
たのである。

本来、商品の優れたスペックを中心に謳うはずのものを、
優れた美術館と、日本美術史上比類のない優れた逸品を収蔵する
美術館という部分を厚く謳うようにコンセプトを組んだのである。


そんな単純な?と思われるかもしれないが、実は微妙なタイミング
が絡むのであるが、案外この方向性は有効であり、結果的には最後
まで崩れることはなかった。


あくまでタイミングがある。


実際我々の大儀の部分から考えても、本物と乖離したところでは
販売促進はできない。


やはりあくまで本物が如何に優れているか?それが年に一度
しか実物は見られない。しかし、それが本物ではないにしても、
その何分の1かの雰囲気をより多くの方に毎日楽しんでいただく。


こういうことの全ての根幹は美術館が心血注いで収蔵物を維持
しているからであり、その絶対的価値観の根幹である美術館が
複製品として認定してくれているという価値感のサイクルを生み
出さなくては高い次元の完成品とはならない。


本物=美術館=複製品という流れである。本物=複製品と直結
させる。


光琳が優れているだけでは弱いのであった。
これでは売り手よしということだけでしかない。


先ず大儀部分は以上のようなことを準備した。


次に技術部門であるが。

制作には大きく分けると二部門必要となる。

① 印刷
② 屏風製作(表具)

である。

この二つをコーディネートしなければならない。
しかもかなり高い技術水準を持ち、信用にたる
所でなければならない。


実は、私は過去の経験から高い技術という前に
信用=実績=ネームバリューというのがカギになると
睨んでいた。すべてのプレゼンテーションはある意味
相手の想像に頼る部分が存在する。極端に言えば印刷
も表具も正直、言葉でその優位性を謳ってもなかなか
理解できるものではない。それはやはり実際の仕事
を見て判断するしかないのである。この場合、


“じゃサンプル”


というものを用意したところで、想像に合致するサンプル
などはありえないから、結局用をなさない。実物見ないと
ナァ!と言われるのがオチである。屏風表具はまだしも多少
可能な部分があるが、印刷に関しては仕事が始まらないと
具体的技術水準は計りしれない。ある意味サンプルを作ると
なると印刷のコスト面から考えれば初期費用としては仕事が
GO!と同様の金銭支出となってしまう。それほど高い
コストを派生させてしまうのである。


それは無理な事情であった。それほど資金が潤沢ではない。


印刷会社が独自にアタックする場合は自社の開発費用となるが
あくまでこれは依頼であるから、そういう金銭の絡む協力は難
しい。


屏風も実は別の深い事情がある。
表具という世界は、ブランドのヒエラルキーが明確な
世界であり、どういう仕事をしているのか?という事がその
職人及び会社の実力と見なす部分がある。


要するに技術があって価格も安くというのが普通理にかなった
選択になるのであるが、ここでそれらは二番以降の要素となる。


第一にブランドが必要であった。


こういう仕事をしてきました。
知っていますお宅の会社。
美術館のプレステージに適う社名。


これらが納得させるもっとも必要な要件なのであった。


必ず制作会社のヒヤリングを行われる。


そのとき


どこ?それ?となると…


もともとどんな意識で制作をするつもりなの?
当美術館学芸部の認証水準を舐めてるの?となってしまう。


実際これが現実だと思う。


実際の仕事をどういった方法で、何処でやるかの問題ではない。
システムインテグレーション力を何処が発揮するかの問題なの
である。そしてそのブランド力の問題であった。


以上の事情をクリアできる会社を当たることにしたのであった。





つづく。

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「じゃ、よろしくたのみます。」


「い、いやっ、絶対に無理です、、」


「まぁまぁ、、そう言わずに、一度検討してください。。」


こういうディレクターは基本的に常時20本近くの
企画を進行させている。その内具体性が強くなった
ものから社内プレゼンにかける。



だから、常に50%以下の可能性のものでも
大きく様々な網を張っておくのである…



だから私も真剣に向き合いはしたが、、
無理だろうなぁ~という諦めを隠しながら


「あ、、、はい。。」



と、その電話は切った。。




そうは言っても無下にほったらかしには出来ない。
出来ないなりのレポートも必要となる…・


頭を抱えた。


光琳の複製が難しく無理なことは、実は充分承知していた。


この数年前、世間に広く喧伝されたわけではないので、ほぼ
知った人はいないのであるが、国宝、仁清の藤壺1/1スケール
複製という、最終的に数億円という規模のプロジェクトがあった。
そこに私が勤める会社が参画しており、私もほんの少しこの
プロジェクトを垣間見た。やはり約2年近くかかっていたと思う。


もてる技術の全てを吐きだし、最終的には利益が出るか出ないか
というギリギリまで追い詰められて出来上がるものであり、
生半可な“儲かる”なんて想像はことごとく木っ端微塵にされた。


この時の労苦を知っているだけに、とても無理だ!と
依頼されたとき即時頭を過ぎった。


国宝・光琳「紅白梅図」の複製品制作において難しいという
点は大きく3つあると思う。


もともと“国宝”というのは、大半誤解があると思うが、
国という行政の宝というのではない。基本的な概念は


“国民の宝”なのである。


公立私立に様々に収蔵されてはいるが、認定されれば、それは
最終的には国民の宝となる。だからこれもあまり一般に知られて
いないが原則年間40日間以上必ず国民の前に展示しなくてはいけ
ない。最低40日という捉え方の方が正しいかもしれないが。


こういう公益を100%帯びた物品を、私的な美術館が保有していた場合
それを材料に複製品を作り、利益を生み出すというのは、基本的に


“大儀”が必要とされる。


なんのために?という事である。ただ単に儲けたい!などというのは
国民全体の宝を私的流用しているに過ぎないと非難されてもしようが
ない。それを回避するためには、広義においての大儀が必要となる。


これが一つである。


二つ目は複製技術の問題である。

ご存知の方も多いと思うが。


2004年静岡県熱海市のMOA美術館のシンポジウムで東文研
(東京文化財研究所)が行った発表が、美術史界に衝撃を与えた。
それまで同美術館所蔵の紅白梅図屏風の金地部分には“金箔”が、
流水部分には“銀箔”が貼られているとされていた。
だが、東文研による高精細デジタル画像撮影、エックス線透過撮影、
蛍光エックス線分析などの科学調査の結果は、金箔銀箔説に強い
疑念を示すものだった。


こういう調査結果を発表した。
これをNHKがドキュメンタリーとして放映。


光琳の金箔は金ではなかった!というものだ。


私も見たのであるが、おそらく美術界の関係者の多数も見たと思う。
実に科学的で面白い内容であった。これが、面白いが故に一般の方
も多数ご覧になられ、その時分大いに話題となった。

後で語ることになるが、版画を含め特に印刷技術において、今現在
表現が不可能とされる部分が存在する。


それは“金”と“白”の表現である。


実は印刷のインクに白と金は存在しないのである。
白色を出す場合、基本は“紙の色”を使用する。また金の場合、
これは色ではないのである。物質が薄く平滑になったものを平面
に貼り付けられているだけである。
もう少し踏み込んで分かり安く言えば、金箔の場合、光を当てれば、
見る角度によって様々な光を放つと思う。これをインクで表現する
などと言うことは不可能なのである。現実的には実際の“金箔を使用し”
複製を作るというのが、技術的にも商品のクオリティーからしても
妥当な手段となる。


しかし、特に今回の場合、金というのが重要なテーマとなるので
あるが、ここまで世の中が光琳の“金”というのに注目している中、
複製品を作り、尚且つ“美術館に認証”させるとなると、その研究
結果に適うクオリティーが求められるのは間違いない。
一般に販売する商品の製作程度のコストで果たしてそこまでの
ハイクオリティーなものが作り出せるのであろうか??普通考えれば
無理である。


三つ目であるが


これがプランナーとして一番肝となる部分であるが、ライセンスを
どういう形で取得するのか?という事である。過去の事例では美術館
の正面から“ごめんください”と訪ね、ことごとく門前払いにあって
来ている。これは大儀、技術、以外の営業的側面、所謂“根回し”が
足りないという事である。


ここで詳しくは語れないが、美術館にはそれぞれの性格が存在する。
特に私立美術館の場合、それは特に際立ったものが存在する。
公的行政の予算で運営されている訳ではないので、それなりのルート
というものがある。これにコミットしなくては、前述の通り門前払い
となる。


これも後に語ることとなるが、取り掛かり始めてわかった事であるが、
私の想像を超える数の会社が過去依頼を申し込んでいた。そしてそれ
らがことごとく門前払いであったのだ。。



以上三つが大まかではあるが難しい事由であった。
(細かい部分は無数にあるが割愛させてもらう)


これを一つ一つ“つぶして”いかなくては


作るというスタートラインには到底到達しないのであった。。。。




つづく。


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国宝を複製品として作る?


という事を聞けば、普通それは国の許可や
関係各位の調整や、第一民間企業がそんなものを
作っていいのか?という様々な疑問が生れても不思議はない。。


しかし、宗達の風神雷神図や光琳の紅白梅図はなんとなく
書籍類やおみやげ物的なグッズやその他意匠としてよく目に
する…


この場合、これには許可がいるのか?許可を取っているのか?
という疑問が上記疑問とあわせて生れない。。。


それはすでに商品化されているからであろうか?
それにしてはかなりの数と種類が存在する・・・
そうなると、案外簡単に権利を入手できるのか?


と、なる筈なのであるが、美術館に入っている作品という
事になると”そりゃ無理だろう!”となってしまう。。。


これは何からくるギャップなのだろうか??


この部分に深く関わるのが所謂“著作権”という概念なのだと
考える。


著作権、ライセンスという呼称自体は現在広く知られている。
しかしそれは何?となると一般での理解は極端に下がる。
先般中国で怪しげな遊園地に日本のドラえもんやキティーちゃん
といったキャラクターが許可無く使用されているということで
大きな問題になった。こういうことに関しては、それは盗作で
はないか?と誰もが敏感に反応できるのであるが



じゃ、どこまでを盗作と呼ぶのかという定義について考えた場合、
実は専門家においても正確に答えられるということは皆無に近い
のではないか?と思う。


実際、法的規範の解釈において厳正に判断できないものが多数
存在する。実例もある。



少し以前、村上隆が子供服メーカーの“なるみや”を訴えた。
それは自身の作品に使用するキャラクターに著しく類似している
キャラを“なるみや”が制作したということで、著作権の侵害だ
と告訴したわけだが、これは中国の遊園地であったまったく同一の
ものを盗用したというのとは違う。あくまで類似、近似という部分
で村上隆が訴えたのである。これは大変難しい問題ではある。


なるみや側からすれば、参考にしたかもしれないが、まったく
別物として制作したと言えば、ある意味オリジナルとなる。しかし
村上側からすれば自分がその雰囲気を持つキャラを最初に考案し
世の中に時間をかけて広めている。その余韻の中で貴方達は故意
にその利益を享受している。という考えとなる。どちらも間違い
とはいいきれない。


この場合、和解するとなれば、なるみやのキャラを村上が認め
るか、もしくはなるみやが現行キャラを捨てるかしかない。
こういう点から考えれば、著作権者というのはある意味非常に
強い立場に立てる。言葉は悪いが幾らでも“難癖”が付けられ
るという極論も成立しないでもない。


そしてもう一つ大きいのが、ここに莫大な金銭が絡むという
事である。キャラを村上が認めたとした場合、“村上が認めた
キャラ”となる。この時点で実は村上作品の一部となるのである。
そうなるとどうなるか?と言えば、その為に金銭を村上側に
払わなくてはいけないこととなる。何万枚制作する服なのか
分からないがその一点一点に“村上が認めた”という著作権を
支払う義務を負う訳である。また、キャラを捨てたとなれば、
これは盗作を認めたこととなり、和解を前提として考えれば、
その慰謝料を科せられることとなる。


しかし、村上が凄いのは、ただ単純にそういう争点で金銭部分
を争っているわけではない。


村上のDOBくんというキャラクターが存在する。
これをよく眺めてもらえばわかるのだが、これは


まさしく“ミッキーマウス”のパクリ以外の何ものでもない。
しかも、確信的に”パクって”いる。


じゃ村上はディズニーから訴えられたか?と言えば今もって
そういうニュースを耳にすることはない。


もう少し良く見ると・・・ミッキーのようではあるが、
ミッキーではないと、、これも明確さが微妙な作柄である。。


ある意味「一級の仕事」である。


ここが難しくも大変おかしい部分であり、村上が現代アーティスト
たる最大の所以として認識できる部分でもあるのだが、


ミッキーマウスはオリジナルとは別に“通念としてイメージ”が
公共の中にすでに広範に浸透しているのである。


どういう事か?と言えば、極端に言えば、●を三つミッキーの
ように配列すれば、一般的に“あっミッキー―”と一般に認識
出来てしまう。


これはオリジナルのミッキーではないが、一般の想像の中に
ミッキーの特徴が摺込まれているのである。この目に見えない
思考の部分から取り出したと言えば、オリジナルから盗用した
訳ではなくなるのである。


なるみやの場合、そこまで一般化していない村上の作品である
から、一般化した図象の通念からアレンジして・・という解釈
はできないのである。やはりあくまで村上の真似をしたとなっ
てしまう。


これは村上が意図して起したものかどうかは分からないが、
ある意味、現代美術の表現として、オリジナリティーの概念論争
としても大変興味深い出来事となった。


実はPOPアートの進化した概念として捉えることも出来る。
アンディーウォホルが描いたマリリンモンローもマリリン自体
ではない。通念としてのマリリンの状況を描いたわけである。
この時代ははこれで終わった訳である。


しかし、村上はそれを具体的に“裁判”という機能を活用して
芸術のオリジナリティーはなにか?社会的通念の図象とはなに
かを浮き彫りにしたのではないか?と私などは考えるのであった。
この裁判自体が、人間が著作という創作部分における盗作という
境界に対して断罪を下す危うさをものの見事に表現しているのと
同時に、ビジネスと芸術という日本ではつねにパラレルに考えて
いるものを融合させたとも見えた。



商売という個々の売買に終始しているのであれば何も問題はない。
しかし公共の理にかなうという前提を踏まえるビジネスにアート・
芸術を昇華させようとすれば、この国の中には不整備なものが満載
であり、なによりもその概念も観念も皆無である。


これは私見であるが・・


村上は案外裁判を通じて、未だ芸術ビジネスに覚醒しない国家を
嘲笑的に試した?のか?と私などは考えてしまう。。



話を戻すが、、、


そういうことで著作権といっても、特に絵画を中心とする
芸術分野ではまだその基準となる“判例すら”ほとんどない状態
であり、実際にはアヤフヤなものが多い。。


そうなると、厳然と“国の宝”などと認定しているものを
複製にするというのは…と尻込みしてもおかしくはないだろう・・



が、これは逆なのである。


明確な世界標準は無いのであるが、、著作権というものの権利
を行使できるのはオリジナル作家死後50年という線が存在する
のである。当然作家が死んで以降誰がそれを持つのかといえば
遺族であったり、関係者となり、その方々が著作権者となる。
美空ひばりの養子がそれであると言えばわかり安いだろう。。


50年を過ぎれば許可無く使用できる?


そうなのである使用できるのである。
これは国宝であろうが重要文化財であろうが個人蔵であろうが
すべて同じである。



あまり知られていないが、横山大観も上村松園ももう切れてい
るのである。。



じゃ、今新たに流通している複製品なるものは?となるが、
遺族が承認しているものや鑑蔵美術館が監修しているものそれ
以外も存在するが、こういう部分の付加価値がついたものと、
まったく何もないものが流通している筈である。



遺族や美術館の監修認証というのは厳密に言えば作品に対して
の著作権ではない。遺族という立場である個人及び美術館とい
うプレステージのライセンスとなる。



平たく言えば、“こんな近親者やえらーい人が”この商品は


““まぁ、ええんちゃう””


ということのお墨付きを出しているだけでしかない。。。



そうなると宗達も光琳もへっちゃらで作れる!と軽々と飛び
越えられるのである。その産物が前述のおみやげもの的グッズ
という事になる。


じゃ、なにも大層にここで長々と語ることもなく簡単に
作ればいいじゃない!となるであろうが・・


果たして、、そんなどこにでもある“おみやげ物”の延長線
上のものを高い金額を出して買うだろうか?また逆になんで
そんなに高い?と不信感を生んでしまうのではないだろうか?
当然屏風を作るとなるとそれなりのコストがかかり小売価格を
設定すれば、一人前の美術品的価格となる。


ここに美術品のマジックがあるのである。


希少性!


これを作り出さなければ、購買モチベーションを上げることは
出来ない。前のブログに書いた誰もが知らないものの価値もし
くは誰もが手にすることの出来ない価値をコレクションしたい
という欲求とは、偏にこの希少性という感覚が生み出すのである。


インフレスパイラルと呼べるのかも知れない。


いくら金をつんでも、どんどん値が上がる。


この場合人は、金の価値が低減するとはあまり考えない
対象の“物の価値”が上がっていると考える。


それほど高価なのか?とても手が出ない…となる。


実はこれは市場原理である需給ギャップから生れた稀少性ではなく
わざとギャップを作り出して生ましているのである。


ライセンスが附加され他とは価値が違う、よって数に限りがある
また、ライセンスに適うスペック(内容)を有していて、他では
出来ない技術を駆使している等の稀少性をフンダンに盛り込めば
価値が増すという仕組みであり、普通のものを買うモチベーショ
ンからテンションが一段も二段もステップアップするという仕組
みでもある。


ましてや史上初となればそのボルテージがいやが上にも上がるこ
とは間違いない。。ここに広告宣伝の効果をフルに発揮すれば申
し分ない。。


誰も知らないところで“史上初”と騒いでも


原野で一人叫んでいるのと変わりない。。。


という訳で


光琳の複製屏風は誰にでも“作り売る”ことは出来るのであるが


美術複製品として売るには、そういった希少性というものの創出
というハードルが存在するのである。



このハードル、、、ライセンスを附加してもらって作るという事、
これが、過去例がないのであった。。


チャレンジしたものは数多存在するのに…・
例が無い。。。


それには理由がある筈であった。


ターゲットとしては申し分ない内容をもったものであるのは誰に
でも容易に理解できるのであるが、、、過去例がないというのは、
私なりに理解できる部分があった。。。。。。。



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ちなみに

なるみやとのその後はこちらを参照ください。


http://www.kaikaikiki.co.jp/news/list/murakamis_lawsuit/




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つづく。。

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このCOMBINEの仕事を立ち上げる前

2006年の初夏から2008年の年初までの約一年半

私は、面白い仕事、プロジェクトに関わった。

それは、“国宝”の複製品を制作販売するという内容であった。


その仕事は、一本の電話から始まった。


さる東京の通信販売会社の企画部から、過去の私の仕事の
コネを利用し、今まで誰もが手をつけなかった、というよりも
どこもが出来なかった制作企画をやってみませんか?という
問い合わせというよりも企画立案要請であった。


この前年、2005年位から私は美術品の通信販売に興味を持ち
都内各所の優良な美術通販会社に飛び込みや人づてのコネを活用し
何社か取引を開始していた。大手百貨店の通信販売事業部や有名な
通信販売会社等、それぞれ個性豊かな会社であり、数十万部のカタログ
配布、数十億の年商という規模で活動している会社たちであった。


以前から私も小規模な通信販売には企画を提出し、それなりの好成績
を残してきた。その自信というほどの事ではないが、なんとなく、
美術品ビジネスが成立する究極を俯瞰して考えた場合、単価の高い単品
を販売するか、ある程度の一般ユーザーが支出できる価格レンジで広域に
量販するか、このどちらかではないのか?とおぼろげながら考えていた。


それを具体化する手法で明確な形態とは通販なのでは?と考えた訳であった。
もちろん量販とは対面販売もあるのだが、マスマーケットの商品回転とい
う概念からすれば、対面販売という部分にはどうしても“ルート”
“販路”の整備というものが必要であり、恒常的に企画品が対面状況を生
み出すというのには時間と固定費がかさみ、少し壁が高いよう
な気がしたのである。短期のハイパフォーマンスという事から考えれば
その成否はかなり確率が下がる。しかし目線を変えれば、ヘッドオフィス
で企画立案し商品製作、それをデリバリーし各販売員が販売するという
形態も実はカタログか対面販売かという部分の違いしかない。ヘッド
オフィスという立ち位置から見れば基本は通販に近似した感覚が必要な
訳である。


今もって私は美術品の商売をしているのであるから、恒常的な対面販売
ルート部分が無い訳ではない。


ワザワザ通販会社を使わず、それを利用すれば?となるが・・


2000年を過ぎたあたりから、極単に対面による“マス”の拡大販売政策
が通用しなくなってきたのである。それは想像を越える趣味嗜好の拡散化
傾向とインターネットを中心とした情報氾濫が、“どこにでもある”という
従来のマスマーケットの根幹を崩し始めたのであった。これは、それまでの、
対面販売ネットワークの得手とした手法である、一つの商品という雛型から
掛け算式に拡大させる販売ではなくなくなり、選択の幅を広げるミニマム
販売へ大きく転換したのである。


1×100から1を100用意するという図式への変革であった。特に
美術品においてマス対応する商材とは“版画”と言われるものが、その
代表格であり、この商材の性質は価格レンジが広く、付加価値が取りやすい
(高名な作家のライセンス附加や美術館認証等)点が最大の利点だったので
ある。しかし、この商品の最大の欠点とは諸刃の刃で、均質な商材が複数存在
することであった。それまでの版画も現在の版画もこの性質は同じなのである
が、大きな違いは、情報がどこでもキャッチできるというインターネットの
出現がその性質を著しく変化させた。


これはどういう事を意味するかというと、ユーザーが現物を直接確認する
必要性が薄いということであり、ということは、ワザワザ店に足を
運ばなくてもインターネットで充分安心して購入できるということであった。


そしてもう一つ大きな変化はインターネットという簡便な売買装置
の出現は、現実の流通上の中間業者を飛び越えて、メーカー直販を
生み出す。これはそれまで中間に存在していた販売側の利益部分を
消滅させることであり、よって価格が劇的に安価になるという点の
創出でもあった。


誤解があるといけないので付け加えるが、中間に存在する業者が
暴利を貪っていたわけではない。美術品という販売物の性格を一般
ユーザーの生活情報という観点から考えれば、かなりマイナーな
商品であり、販売促進上の経費も費用対効果の観点から考えてもその
市場規模は微々たるものでしかない。そういった事情を考慮すれば、
当然かなりの流通路を駆使しなければなかなかユーザーへは到達で
きない性格が存在する。基本は多数の業者を介して薄利にて多種
多様な販売網へリリースという事になる。


これを通常“卸”と呼んでいる。。


また要因としてオークションというものもあると思う。閉鎖的な
セカンダリーマーケットに一般ユーザーが容易に参画できる時代
が訪れ、流通価格以下で同様のバリューのものを手に入れることが
出来るようになった。正確には自分の考える値段で購入できる
可能性が生れたのである。これは版画、タブローの別なくである。


毎日売れるものではないのであるから、そのビジネス上のマーケット
規模は業態として統計に表れないほどの極少さであり、インターネット
出現前での情報流布とはやはり対面販売が中心であり、その状況を創出
するためには煩雑な流通路を駆使しなくてはいけなかったのである。
そうしなければユーザーの面前に商材が出る機会が稀少化してしまう。


根本的な商売構造で考えれば、仲介は会社もしくは会社に近い業態の
個人であるが、生産者側(アーティスト)は本当の個人な訳であるから、
その数のギャップは想像を絶する。。購入者と生産者の数がこれほど
大きく開いた商売はないのではないだろうか?また生産者にはまった
くの資格も必要でないし誰もがなり得るのである。狭小な購買対象に
対し膨大な生産者、これが絵画ビジネスの本質であり、その価値形成
が一般にはよくわからない、


なんか胡散臭い世界と言われる所以である。


よく考えてもらいたい、何百万何千万円もするもので購入者が
登録義務もしくは記録が明確に存在しないという資産など、そうはない。
家・家屋・土地・株券・・

(まぁこれが政治的な裏社会の資金洗浄には好都合なのであるが・・)

宝石もそうなのであるが、絶対的信用度かどうかは疑問であるが、
物質としての客観的な鑑定書というものが存在し、南アフリカ等の
シンジケートによる産出量からくる相場などの、ある意味需給マー
ケットも存在する。これは仕入れ原価が明確に存在するということ
であり、客観的な価格構造が存在するということだ。有体に言えば、
そうは”むちゃ”できないという事である。しかし、絵画の原価
という根本は?これはキャンバス、和紙、絵の具等のものでしかない。


アーティストの人生!


などといっても経済原則から考えればあまりにも抽象的すぎるし、
売買という現実的な金銭授受の伴わないモノである。。所詮は、
物品としての価値形成の原価に相当する端緒は“言い値”である。


しかし、再度言えば、こういった煩雑な流通路や一般に踏み込めな
い商慣習や観念、一般には分かりにくい流通規範がインターネット
という平易な売買装置が出現したとたん、ユーザーへダイレクトで
情報が到達する仕組みが出来上がったのであった。


そうなると、前述の対面販売においては、版画は商品揃えのライ
ンナップから外れていくことになる。故に版画を除く対面販売に
おけるマスマーケット企画には、ある意味相当な難しさが出現し
たこととなり、全体に大きくユーザーをカバーできる商材が年々
少なくなりつつある。これら状況を商売の金高でカバーするには?
やはり安直に単価のアップしかないのであるが、果たして多様化
する趣味嗜好に対し網目のデカイもので正確に掬い取ることがで
きるのであろうか?


やはり特化したマーケットを自ら創出しそこに誘引するしか
確率を高める手段はない。。。


結論的に、これはインターネットという利器の出現がこれまでの
商売の一つの仕組みを破壊したということではない。ユーザーの
趣味嗜好、購買モチベーションに合致したという事のほうが正しい
本質だと思う。それほど多様化していくということと、既存の
価値の提案ではなく、これがこの時代の本質なのであるが、誰も
気づかなかった価値というものへの憧憬が膨らんでいるのだと考
えられる。当然誰かが持っているというものとまったく同じもの
というのは忌避されるものになってしまったのである。それまでは
誰もがもっているから、私も持ちたいというモチベーションの
支配が圧倒的であったがそれらのシェアーが劇的に変化したので
あろう。その一翼を担っているのが情報の平準化でありインター
ネットという世界だと思う。高いとか安いとか、それ以外でも、
それまで二元化して比較していた価値基準が相当に細分化され、
独自入手する大量な情報によるものから、自身の傾向を具体的に
把握でき、それに相応する具体物を探すという購入モチベーション
が勃興したのであろう。こうなると、絵画という趣味嗜好品にお
いて予めの準備(在庫として)として、それらを整合し統一化す
るなどということは不可能に近い。。。


なにを求めてくるかわからない・・


その現状でも、より安価な物品へ価格をシフトすれば、それだけ
対象マーケットは広がる訳であるから今でもマスマーケットは
完遂できなくはない。


しかし、それらにどれほどの商品寿命があるのか?それらに満足
がいくほどの販売実績を連発させられるか?そして現状のマーケ
ットはそれを可能にするほど単純であるか?仮に出来たとして、
食材や衣料品ほどの回転が望めるのか?また、そういったものと
は、万人が手にするという事を前提に制作されるわけであるから、
誰にも受け入れられるという絶対条件が必要となる。そうなると、
現在の多様化するユーザーの趣味嗜好と商品制作はマーケッティ
ングとして成立するのかという疑問が生れる。


誰もが持っているというものが果たして美術品としてこれから
存立するのか?という疑問である。利便性や多品種少ロットと
いう制作形態を取れる衣料品とは違い所詮、そこまでの回転性、
購買衝動の喚起は望めないのが現実である。唯一そういう現象
が生じる可能性があるとするならば、ボリュームを持った流行
(これも2000年を境に消滅したが・・)現世利益を謳う、所謂
霊感商法(訳の分からない占い師がテレビで根拠無く放言した等)
に近いもの位である。


今、昔と違い、歌謡曲も皆が口ずさむなどというものがない。


昔は各時代に代表的な曲が存在し、だれもが知っていた。
アイドルもそうである。よく考えれば私が中学時分“たのきんトリオ”
などというものが存在したが、全国の中学生女子がファンに近かった。

たった3人の青年男子に全国の中学生が熱い視線を送っていたのである。

こんな事は現在ではありえない。


そんな全国からの注目を集める現象は、現在よほど極悪な“犯罪者”くら
いのものである。。。


そういう状況を迎えた時、私が通信販売に興味を持ったということの
最大は、美術品という個人の趣味嗜好を“マーケティングリサーチ”し、
そのデーターを中心に販売計画立案と巧妙な媒体販売促進策を駆使し、、
それにもとづく計画生産を考察し、如何にロスなく販売につなげるかと
いう部分に特化した形態と、緻密な顧客、地域特性データーにもとづく
ダイレクトマーケットへの販売という側面に強く惹かれたのであった。


もう一つは、ライセンスという著作権を管理しプロダクト化するビジネス
にも興味があった。


そういった興味をもち介入した業界ではあったが、
現実には、それほど精緻なものでないことだけは分かった。。


案外“エイヤ”の世界も多数存在する。。


ただ企画立案の肝と宣伝広告の手法、タイミング、制作管理や経費管理
利益構造、ライセンス管理、コンプライアンス等、学ぶべき部分は多数
存在した。。


そんな事を覚え始めた頃であった。


国宝企画をやらないか?と声をかけられたのは…


電話口から指示された国宝は…・


“尾形光琳 紅白梅図屏風”であった。。



「尾形光琳をやろうと思うが・・過去数回アタックしたが
 出来ない。他社もできたことがない。美術館認証の
尾形光琳の紅白梅図屏風の複製に許可が下りたことはない。」







そんなものが果たして出来るのであろうか???







つづく。。。




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