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光琳へ 9
最初の懸案であった


1、 大儀
2、 技術
3、 ライセンス(美術館認証)取得の根回し


という3つの課題の調整がつき


いよいよ本丸である美術館との接触までこぎつけた。
約半年間、振り返ると大した内容があるわけではないが
やはり時間を要した。自分で言うのもなんだが、不思議な
ことに取り掛かり始めてから一度も虚脱感に襲われたことは
なかった。全開で前向きになっていた。回りを見ても
それは同じであり、改めて光琳というものの大きさを
感じざるを得なかった…


さて1ヶ月待ったのち、ようやく美術館への挨拶に伺う事
となった。出向いたメンバーは私、私の部下の鳥居、そして
屏風製作A社のT君、印刷会社からはNさんHさん、ライセンス
担当商社のKさん合計6名に伺った。


美術館は副館長、学芸課長、そして美術館運営の事業部の方と
3名であった。合計9名の会合である。


今回は本当に挨拶であり、それぞれの会社の自己紹介と制作の
方向性を説明したのであった。


少し話が逸れるが、この時通された部屋があるのであるが、事前に
校正はどの部屋でやるかの確認とその部屋を最終まで固定する約束を
取り付けてくださいと印刷会社のNさんから釘をさされていた。


その部屋の光彩の特徴を掴んで帰ることは勿論なのだが校正をする場合、
部屋が変わると、全てが違うように見え、再校正の可能性が一気に高ま
るらしいのである。家庭用のインクジェットプリントと訳が違う。
最高のオペレーターが紙の色とスクリーン上の色彩とを、勘を頼りに
色つくりを行うのである。再校正という指示が出た場合、それを再構築
するのであるから相当な時間を要することになる。再校正のため再度
伺った際というのは時間の経過という厄介な要素が絡むこととなり、
人間の曖昧な印象を引き戻すのには大変な苦労がいる。その上に前回と
環境が違うとなると、これはまったく別物を見せてしまうというような
ことになりかねないのである。


だから校正は終始一貫した部屋の同じ場所で行わないといけないらしい。
これも過去の苦い経験から積み重ねたテクニックである…・校正は一回
増えるごとに印刷会社の利益が飛んでいく、、、、
大抵3回までは覚悟なのであるが、今回はものがものだけに相当回数
は覚悟なのだが、それにして最小のリスクで抑えるためのヘッジなので
あった。。。


この点をはじめてとして、、、今後何度も彼らには救われる。。。



このブログシリーズの初期にも書いたが、やはりそれぞれの
技術的な担当会社の選択は間違っていなかった。


私どもは少なからず美術館側にも過去の様々な仕事の関連で名前を
覚えていてもらったのだが、他の印刷と屏風表具の会社に関しては
今回初めての紹介となるので、ある意味少し緊張した。


しかし、やはり名前はモノを言う。


それぞれの会社を美術館側はご存知であった。そして嬉しい限りな
のであるが良い会社の連携で良い物が出来そうですね!という言葉
まで貰ったのである。


さすがに良くご存知であった。それぞれの会社の過去の
実績について渡した資料以外の事跡を知っておられたのである。
これは嬉しいことではあったのであるが、少し薄ら寒い感覚が襲って
きた。やはり細心の注意が必要だと改めて感じたのであった。。。

それぞれが技術的な部分を説明し、想定される課題に対しての対処
を説明する。ここで一番の難関である金彩について、ブロンジの
サンプルを広げ説明。どのような反応がでるか少し不安であったが
、関心をもっていただき期待もしてただけた。
万事和やかな会話の中、すべて上手く運んでいた。

そして今回どうしてもクリアしなければいけない問題について話を
切り出した。


データーの件である。


「美術館のポジフィルムをお貸し願えないか?」



いいですよ。


あっけに取られるくらい簡単なものだった。。


が故に、、少し不安になったのか?過去の経験からの勘なのか
印刷会社のNさんが咄嗟に質問を続けた。。。


「因みに、、NHKで放送されていた、東京文化財研究所のデーター
は借りられるのでしょうか?」


これは私も事前の打ち合わせで聞いたなかった事柄だったので
瞬間なにを聞いているのか分からなかった。。


美術館の答えは


「それは分かりませんね、、、どうですかね?我々から貸し出すことが出来ない
ことは明白です。」


「では、あちらに問い合わせするのは?良いでしょうか?
今回の件に使用するという目的も明示してですが。」


「それは良いんじゃないですか。」


と言う会話の後、散会となった。


帰りの新幹線を待つ間、皆で喫茶店に入り次の作業の打ち合わせを行った。

その時、先ほどの打ち合わせに出た新たなデーターの件について
印刷会社のNさんに確認した。。。

すると、なんとなく勘が働いたとのことであった。


ふーん…・という程度で終わったのであるが、、

その数日後、私のもとに届いたポジを見て愕然とした。。。


小さい…


急ぎNさんに連絡しポジを送った。


返って来た答は、


「これでは無理です…このポジから単純に計算しても実物の1/2
スケールを出力するのには700%アップの拡大が必要で、、
とても画像が持たない。。。。。とんでもない粗悪なものしかで
きません…」


折り返し商社担当に確認の連絡を入れたが、、


元来、複製などつくる前提がないから、せいぜいポスターに使用できる程度
のものしかないらしいのであった…


愕然とした、、


Nさんの勘が当たったのであった・・




この仕事は、、




ここで終わりなのか…・・







つづく。。

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光琳へ 8
さて、社長に動いてもらうという事まで


前回お話させてもらいましたが、この時社長から一つの指示が
ありました。企画書を作れ、ワンシートで・・ということでした。


A4のワンシート。


簡単なようですが意外と難しいものです。
しかし、当然そなのだろうとも思いました。


忙しい上層部の人間に企画を伝える場合、長々と色んなことを書き連ねても
絶対まともには読んではくれない。大体時間をもらって打ち合わせに出向いた
場合、MAX1時間しかない。その間で重要な事を内容濃く伝えるとなると
それなりの集約したものを準備しなくてはいけないのは当然のことである。
ゆったりとした時間の中で、仮に興味を持っていただいたとしても
要点を説明せよ!となるに決まっている。


だからこういう場合はワンシート、しかも図説であるべきなのである。


急ぎ作った。


結論は意外なほどあっさりOKであった。

大阪で会った商社の担当がかなり綿密に根回ししていてくた事、及び
前回のブログで書いた、以前の義理に対する事、そして何よりも、大儀の
部分がこれまでは複雑な歯車で決して合致しなかったものが、今回寸分
違わず合致したのである。想像していた通り、美術館もなんらかの形で
もっとオープンに外部との接触を図らなければならない分水嶺の時期では
ないかと危機感を持ち始めていたのであった。。


すべてにおいてタイミングが良かったこと、何よりも特殊法人の運営について
関する国の考え方が変わるタイミングとも合致していたのが追い風となり
大きかった。


ただOKというのはあくまで窓口商社側が美術館側への折衝に動きますということで、
完全にOKという事ではない。美術館がOKするかどうか、これには二つ関門がある
一つは認証を前提に校正させてもらいますということである。もう一つは実際に
認証するかどうかであった。

しかし、いずれにしても窓口商社が動くということは第一段階の認証を前提としての
校正に関しては勝算がつかめている証左であると私は踏んだ。


ここから先、窓口商社に対する具体的なプレゼンに取り掛かるという
事が始まります。それをもって具体的な説得に動く訳である。


そのために私が再度数回に渡り窓口商社に伺い、詳細な説明を商社側に
行いました。制作手順、販売方法、ライセンス契約に関する構想、制作会社
の来歴、等々。。。

そこで出た課題として、商社側が美術館に紙資料をもって趣意及び販売に至る計画
は当然伝えるが、具体物を準備してくれないかという要望が出たのでした。

この内容が出た瞬間、これは間違いなく“複製品を作れ”という指示に他ならないと
感じました。端から断る考えで、わざわざ具体物の準備まで美術館は求める筈が無い!


具体物とは、こういう形で作りたいですという、精度は低くとも目に見える
ものの容積や雰囲気を伝えるツールの事であり、今回の企画は実物の1/2
スケールで作る計画であった。織物やミュージアムグッズ程度の過去作った
ものに対する認識はあったが、屏風を完全な複製として美術館が承認すると
いうレベルでの仕事ははじめてであったためその必要性が求められた。


それと、やはり具体的な強い意志、美術館に認証を求めたいという内容
を示すためにもそれは必要とされたのであった。


という事で帰社後、早速印刷会社と屏風製作会社を召集し会議を行った。
おおよそ認証を受けられる段階まで進行していくだろうという旨の内容を
伝え、今回の課題である具体的サンプルの制作について話を進めた。


そこで今後具体的に問題になるだろうなぁという制作上の根幹部分に
突き当たった。

それは印刷会社からの質問で

データーは?という事であった。

そうなのである、当然と言えば当然なのであるが、現物を複製するデーターが
必要なのであった。今回のサンプルについては、安直であるが、私は一般的に
流通している画像をスキャンし拡大するという事で考えていたが、先々実際に
複製し、それを認証してもらうとなると、相当精度の高い画像データーが必要
となる。当然、これを手に入れる場合、撮影というのが一番良い手段なのであるが
年に一度、厳重に管理され40日しか公開しないものを民間のしかも“これから
作りたいんですけど?“というような業者にそんなに簡単に撮影許可が降りる
筈はなかった…そうなると、美術館で管理している画像データーを借り受ける
という事になるが、、これを簡単に貸し出してくれるのだろうか??という疑問
に突き当たった…・

この問題に関しては、この会議で結論が出ないので、私が預かることとした。
が、、、、急ぎ商社窓口の担当に電話を入れ、その可能性を確認したが、それは
認証をする方向で作っても良いという結論を得る段階で話を持ち込まなければ
答えは出ないという事であった。当然である。しかしながらレベルの高いものを
作る意思を先方に伝えるわけであり、その必要性は理解してくれると思うとの事で
あった。。

まぁ中途半端な話では在るが、とにかくサンプルを作りその話の流れの中で
動くこととした。。。が、、、これが後々大問題に発展するのであるが…この時点では
実に気楽に考えていた。。。。。

そして、、


サンプルが出来上がった。

おみやげ物のミニ屏風から画像をスキャンし拡大したものにしては
かなり精度の高いものとなった。

この間、印刷会社では刷り出す紙の選別と、その紙が屏風の表具に
向くか否かのテストを繰り返し行ってもらっていた。紙の伸縮率であったり
裏打ちしたのち表面インクの色の出具合であったり、実に細かいテスト
が必要であった。とにかくその辺りの作業と平行してサンプルは仕上がった。

サンプルを窓口商社に持ち込み、最終的な説明をして預けた。
この時点でほぼ認証を前提とした校正を受けてもらう関門を突破する臭いは
プンプンしていた。。。間違いなく進んでいける!

数日後正式にOKのサインが出たという連絡が入った。
この時点で最初の通販企画側から電話を受けて半年が経過していた…


この段階を整理すると、複製品を作ります、その複製品を美術館として
認証していいいかどうか検討しましょう、よって出来たら見せなさい。。
しかしながら認証できないかもしれませんよ!というだけの段階である。。。。

その為に半年かかったのであった。と、、ため息がでるが、、、
まぁいずれにしても前進である。

そこで制作関係者で挨拶に伺う段取りを組む事とし、窓口商社を通じ
美術館にアポイントを取ってもらったのだが、美術館側のスケジュール
が立ちこみ約一ヵ月後のアポイントとなってしまう。

と、、言うことは美術館へは11月という事となってしまい、当然その年
の販売など到底無理、もともと先のブログの内容の時点でその年は無理
だったのである。もちろん通販側も無理なのは承知していたであろうと
勝手に想像していた。何度か問い合わせの電話もあったが毎回はぐらかして
いた。

この間の進捗を通販企画側に伝えたのである。

そこから社内的な調整を図るという事であったが、正直スケジュール的
には来年末でしか無理なのは明白であった。実際この時点で私は
この会社でなくても、とにかくこの国宝の複製は作ってやろうと腹を
くくっていた。相手側がどんな結論でどんな要望を出そうが、もうこちらの
出来ることに沿わなければ断ろうと決心したのであった。
通常の販売物のようなスケジューリングや販促や制作など、この国宝
には到底通用しない。先ずは美術館側のスケジュールありきであり、挨拶一つ
にしても1ヶ月かかるのである。こんな進捗スピードで考えれば数ヶ月
でなんとかなど無理に決まっていた。実際この後丸一年でもカツカツのスケ
ジュールであった。

通販側の反応は…

社長の鶴の一声で


大事に進めなさい。という事であったらしい。。。


つづく。



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光琳へ 7
少し寄り道してしまったが

最後の準備、ライセンス取得のための根回し

という事だが、正直この部分が一番大変であった。

大儀、技術的な部分というのはある意味こちらの構想
の中で動かせる部分であり、どのような方法論をとっても
失敗というのは実際のプレゼンの結果となる。しかし、この
三つ目の仕事として準備調整しておかなければならない
ライセンス取得に関しては、“駄目”という結論が出た場合、
即時全ての計画が中止となる。そして“これこれこういう事情”
で上手くいきませんでしたとレポートを纏めそれで終了となる。
だから集約すればこの部分が整っていなければプレゼンそのもの
が成り立たない。これまで書いてきた部分など即、雲散霧消と
化す。。


ある意味でこの部分が最初で最大の関門となるのであった。
大儀など極端にはライセンス取得可能という芽が見えた時点
でいか様にでも変化させればいいことであった。。


詳しくこのライセンス取得の構造は語れないのであるが、
要約すると、この光琳紅白梅図屏風に関してのライセンスは
最終的な決定機関は美術館であるのだが、その窓口は別に
存在する。


ある商社がその窓口の付託を受けている。この窓口で精査され
たのち美術館に上げられ、そこで商社と美術館(実際には美術館
関係者と言った方が正確であろう・・)が折衝し、最終的には
そののちに結果が出る。という事は内容もさることながら、
時間がかかるのであった。そしてこれはギリギリでお話するが
インサイダー情報として最重要なのは、この窓口商社とは
基本的には営利企業である。この企業にとって体面的にその
内容が保たれ、尚且つ営利的なメリットが無ければ、当然
動くことはない。ここが案外難しいのであった。


この計画、といってもプレゼン準備段階でしかないのであるが
正確にいつから始まったかというのは漠然としているのであるが
通信販売企画のバイヤーから私が電話を受けたという時点を始点
としたならば、技術的な目処が起つまでに約4ヶ月位の時間を
要した。


実は、この三つ目の課題はその後からスタートさせた?という
訳ではなく、実際にはバイヤーからの電話の後に直ぐ動き出していた。


先ずは本当にその可能性があるのかどうか?かるく内部的な感触
を即時探りに動き出していたのであった。


これはあくまで偶然なのであるが、この光琳へという項を書き始めた
部分で少し触れたが、私自身が15年近く前この窓口商社と仕事の関係
があった。この窓口商社は、私が勤める会社にとって大事なお得意先で
あり、過去にも大きな事案をこなしてきた間柄であった。しかし立場で
言えば私どもが供給者であり先方はお客様である。決してネゴシエーシ
ョンできる立場ではなかったのであるが、この数年前、少し先方に義理を
かける事柄があった。その事は別段トラブルではないのであるが、ある
事案において我々がその案件から勇退した。そのことによってその事案は
成立するという結果に繋がった出来事であった。


詳しくその当時の内容をここでは書けないが、我々としては何も遺恨を残す
ものはないのであるが、とにかくその時の事に対して先方幹部は今もって気
にかけて下さっていたのであった。


これはイヤラシイ考え方かもしれないが、今回の案件にとってはまたとない
好機であった。そしてプラスの好材料は、私が若い時分(20代後半)に出入
りしていた関係もあって先方の社内的、そして関係先(美術館及び関係組織)
との関係などの情報を結構密に持っていた。


また何よりその当時懇意にしていた同じくらいの年の若い担当が今、中堅に
なっていたのもその後の仕事を円滑に運ぶ要素として存在していた。


これらの諸条件が他のライセンス取得を願望する会社に比べて格段に整ってい
たのは間違いないし、大儀を立てる部分で書いた、美術館の運営岐路というのか、
集客激減の悩みは具体的にここ数年耳にしていた事情であった。


好機である!それは間違いなかった。


しかし、ここで私が即時昔の縁を頼りに動いても駄目である。
貫目が足りない。先ずは、社長に動いてもらい、先方の幹部と
接触し、このプランのグランドデザインを伝えてもらう、そこから
具体的なライセンス取得の可能性を美術館側に根回ししてもらう
必要があった。先ずは社長が動く、その為の根回しを行う必要があった。


当然、そこまでに具体的な技術力の担保とその裏付けは必要であり
その為に同時進行で動いていた。技術力の担保が無ければ根回しは
動けないが、技術力の担保だけで根回しが動かなければ何も始まらない。
微妙なのだが、これを同時進行させながら、通販企画のバイヤーにも
大まかな進捗状況を報告し始めていた。。


通販企画側への進捗報告は結論的具体性の有無以前に、もし可能性が
あれば、タイムスケジュールの構築にラフでも取り掛からなければならない
と言う事情があった。

そのもっとも重要な要素とは“予算立案”である。この背景がなければ
具体的に出来るとなっても、販売実行に移せない。またタイミングも大事
な要素であった。

紅白梅図であるということと、国宝展示は2月、この季節柄的内容を
包括し販売実績のピークを考えれば、年末~年初が販売のポイントとなる。
これを直近で実行するには実は無理があった。実はこの時点ですでに9月。
のこり数ヶ月で販売まで実行するなどというのは不可能であった。しかし
あえて無理ですとは言わなかった。そんなタイミングのズレでこの大物の
販売を取りやめるという事はないと私は個人的に踏んでいた。おそらく
来年というのが現実的な線だと想定した。しかし企画者、プランナーなどは
そういう労苦をあまり考慮して物を考えない。この部分が最終段階まで
喧嘩が絶えなかった部分なのであるが…


だからまともにもう少し時間の猶予を!などと懇願などしては面倒くさい介入を
招き、損にしかならない。具体性が曖昧なときは適当にあしらう方が、、、、
反って事が上手く運んだりする。事実、身を乗り出して交渉に参加したい旨を
何度も突付かれた…


通常はこちらが弱い立場なのであるが、

今回は、光琳、国宝というのが強烈な“印籠”にはなっていた。。


こう書くと実に仕事が出来るように見えるが、実際は技術側、通販企画側
などに対して話す内容は嘘50%の話で、それぞれをさも具体性が濃い
というような雰囲気で進捗させていたのが実情であった。ダブルスタンダード
であり、たまに頭の中がゴチャゴチャになったりしていた…


狼少年にもなりそうでもあった・・


さぁそこで根回し開始であるが、、、
若い時分から懇意にしてきた窓口商社の中堅社員へ電話を入れ
どこかで会いたいという旨を伝えた。彼は、ポジション、人柄、そして
我々との関係密度、全てにおいて抜群の人材であった。先方商社の
幹部に対してもある程度の確率をもってプランを上書できる立場であった。


どういう内容かと当然聞かれたのであるが、会って話したいという事
だけを押し通して伝えた。聞くと数週間後に大阪に来るという用件が
あるのでその時会う約束をしたのであった。


数週間後、大阪のある商業施設の地下喫茶店で会う。


久しぶりということで昔話に花を咲かせたいような所であったが
先方も、直接あって話すという内容が気がかりであったのか、
単刀直入に今回の懸案事項の話に突入した。


「光琳の屏風の複製を作りたいのですが・・」


そしてそれらの販売方法、制作方法等のプラン
を伝えた。(販売方法に関してはかなり複雑な流通を計画し商社にも
      営利的な儲けがでる仕組みを伝えた・・)


終始黙って聞いていた彼が、話終了と同時に質問してきた。


「話の内容はわかりました。そこで私はなにをすれば良いのですか?」


これも単刀直入に依頼した。


会社の中を懐柔していただき、このプランを実行できるように根回し
をしてもらいたい。。。。


「分かりました。話はしてみましょう。しかし難しいですよ光琳は、、
他の鑑蔵品であれば条件が整っていれば、現状さほど難しいことは
無くなっていますが、、、さすがに光琳は…しかしまったく無理
ではないと思いますが。。。。」


「よろしくお願いいたします。」


と分かれた。


その数週間後電話が入る。


一度来てもらえないか?という事であった。
OKでもなければペケでもなかった…
あくまで再度来て詳しく説明して欲しいという事であった。


芽がある!と私は感じた。


そして幸運にも時期を同じくして技術的な担保が取れており、
全てが時系列的に整合した。


しかし、現実はどのような答えがまっているか分からなかった・・
とにかく社長に動いてもらうことにした。。。






つづく。。

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光琳へ 6
少し間があいたので

これまでを整理すると


国宝光琳紅白梅図屏風複製品制作に関しては
問題点が大きく3つ存在し、これをクリアしな
ければ具体的プレゼンテーションを行えないとい
事であった。

一つは“大儀”
二つ目は“技術”
三つ目は“ライセンス取得に関する根回し”

であった。

前回はこの二つ目の技術に関してまでなんとか
目処がたったという事まで書かせてもらった。

で、、今回は三つ目という事なのであるが、その前に
前回詳しく書かなかった部分で重要なことがあるので
その部分をまず書くことにする。

印刷の技術部分で



………………………・・………………………・・

「実はこのテーマの金にうって
つけの技術があるんですよ!」

「えっ?それは実際の金箔を使用するような?」

「違います。ずっと昔にあった技術です。」

確かこの数日前、大手印刷会社が金箔を使う新技術を発表
していた。私はその技術のアレンジ版かなにかか?と思ったの
であった。。

「昔の技術?」

「そうです。」

と、席を外しなにやらサンプルピースを取りにいかれた。
戻ってくると両脇には大きく巻かれた和紙があった。

話をしていたテーブルの上にその和紙を広げると
そこには“円山応挙”の襖絵の一部があった。。。


うん?金箔??あれっ??


アー—------!なにこれっ?これ印刷なんかぁ?


見事に箔を使わずに箔の雰囲気を再現していた!!
光彩によって箔と同じように輝く…


こ、、これは使える!


…・・………………………・・………………………・・




という下手くそな落語のようなカタチで書かせてもらった
部分であるが、、この技術を少し説明させてもらいたい。


何度か書いたと思うが、印刷の限界として白と金という
インクは存在しない。

特に金に関しては精度の高い複製を行う場合、実際の金箔もしくは
金箔状のものを貼付することにより金を再現する。それは実際の
箔押しであったり、シルク版を利用して行ったりという事なのである。


これは実質的には印刷という技術のフィールドではない。


では、昔あった技術とはいかなるものか?


この技術名を“ブロンジ”と呼ぶ。


これは真鍮で出来た金粉を高密度で金を再現する部分に塗布する。
ということであれば技術的には前述と変わりなにのでは?と思う
所であるが、しかしこの技術はあくまで金粉をインクとして使用し
刷る作業を行う。


実際にその機械を見学で見たのであるが、大きな工場の片隅
小さな小屋のような一室で職人が一枚一枚手刷りでこのブロンジを
使用し金を印刷していた。しかも防塵マスクをつけ金粉がそこかしこに
舞い散るなか細かい作業を繰り返していたのであった。


この技術、お気づきの方もおられるかもしれないが、昔の賞状の四辺に
施されていた金のモール状の柄に使用していた技術であった。
思い出してもらえば分かるはずであるが、当時の賞状四辺の柄は触ると
少しザラザラしており、金粉でその模様が作られていた筈である。


まさしくあの技術を活用し、高精度の複製を作り出していたのであった。


当時、一般に普及した技術であるから、そう珍しいものでないのでは?と
思い質問したのであるが、


今となっては国内に機械が1台ないしは2台あるかないか?
実際使用しているとなるとこの一台ではないか・・という事であった。


そうなると機械を動かせる人間・職人は?となると、やはり今目の前にいる
職人一人というようなレベルの技術であった。。


廃っていった要因は幾つもあるのであるが、大きくは効率が悪いというのが
最大であった。そして機械の金粉を噴霧する部分が直ぐに詰まりメンテナンス
が大変であるということもあった。なんにしても小さな部屋のなかで一日仕事
をし終えてその部屋を出てくると、職人の顔体は金粉まみれになるといった
具合であり、どう考えても手工業の域をでない技術だったのであった。


なんとなぁ!と感心した。



もう無くなる、忘れ去られたような技術が、実は最新鋭の技術をいとも簡単に
凌駕する可能性を秘めていたのである。


金は色ではない。物質である。


物質であるという事は二次元世界の産物ではなく三次元的な捉え方を
しなければならない。この特徴を金で説明するならば、金箔に光を当て、
様々な角度から見れば一番分かる筈である。見る角度によって光彩が
まったく違い、色という感覚もバラバラに感じるのである。


これを印刷でクリアーにするにはやはり前述の通り、実際の物質
(金箔ないしは金箔状のもの)を活用するのが現代のセオリーであった。
しかしこのブロンジに関して言えば、真鍮の粉という物質を高密度で
埋めることにより物質的な三次元構成が可能になり、極細粒な粉である
がためにインクのような作業を施すことも出来るのである。


そしてこれは私の個人的な感想なのであるが、、
国宝などの古い歴史を踏んだ作品は必ず経年劣化による時代性が作品の色
として出ている。平たく言えば“くすみ”が出ているのである。
その雰囲気が実はこのブロンジという技術は如何なく再現できているので
ある。新しい金箔ないしは金箔状のものを加工し経年劣化の雰囲気をだす
よりも、金粉というまだらな状態のものが実際の金よりも光彩が鈍く、それ
が実は経年劣化の雰囲気をより見事に再現していたのであった。


技術の説明を聞き

職人さんの顔を見ると、自信に満ち溢れた誇り高い表情をされておられた。

「俺がこの技術を守っている!」

最新鋭の技術、コンピューターによる高次元の技術
最先端ばかりに可能性を見出しがちだが


実は、捨て去れら、忘れ去れたものの中には
最先端では絶対に適わない


凄みがあり、本当はそういった消えてなくなるものの積み重ねが
新たな技術を作り出してきた。。


新たな技術とは過去の技術と壮絶な闘いの結果である。


進化させたのは人間であり、より高みを目指す志がそれを可能と
してきたのである。しかし真の最先端を考えるならば過去の
技術者の艱難辛苦を知らないで、今あるもの、目の前の事だけで


無理!と片付けてしまうのは如何なものか?
と改めて考えさせられた。


必ずそこには積み重ねたエキスが
入っている筈なのだから。。


万事もっともっとよく考えなければならない。




金粉まみれの顔で

感心する我々を

誇らしげな笑顔で見ておられた

職人さんの顔が


今でも忘れられない。。







つづく。。


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緊急報告?




バタバタとしていて少し間があいてしまったが


この間、数件のあらたなインスタレーション・プロジェクト
の打ち合わせなど面白いものが具体的になってきました、
まだ細かい調整が必要であり詳細は書けないのですが、
来月の頭には具体的に順次報告できるかと思います。

そこで、このブログも本来“光琳へ6”を書かなくてはいけ
ないのですが、、、、

本日はプロジェクトのさわりだけを緊急報告という実に大層な
まぁ誰もそう期待はしてないだろう計画概要をチョコッと報告
させていただきます…・・・



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アーティスト・プロジェクト名

Blue Bear Art Project + COMBINE
(ブルーベアーアートプロジェクト+コンバイン)


「さよなら あおぞら」



ヌイグルミのアオクマが「ココロのカタチ」を探して旅に出る!



アオクマは人間になりたかった
人間と同じく、手も足もある
眼も耳も、鼻も口だってある


でも「ココロ」がなかった。

? 「ココロ」って何?

美味しい?

見えないものは信じない。




「ココロのカタチ」を探してアオクマは旅に出た!



・・・・・・・・・・・・・・・・・



因みに、、、

アオクマ君は愛媛県の山奥の”みかん畑”から

旅に出る決心をしたわけです・・



------------------------------------------



という事で、、、



これをインスタレーションにて発表いたします。
ただこのインスタレーションは会期がありその間だけとい
う事ではなく、「ココロのカタチ」を探す旅に出かける決心を
したアオクマ君を我々COMBINEは追いつづけます・・


今回のインスタレーションとは、我々のBAMI galleryに
「ココロのカタチ」を探す旅にでた“アオクマ君”が立ち寄っ
たという事なのです。


そしてその後もアオクマ君は旅を続け、我々は追跡していきます。



そこで、、、



アオクマ君がBAMI galleryに立ち寄る日の予定ですが?




どうも、、、“祇園祭り”の観光もしたいらしいので…





その辺りになりそうです。。。。





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