May 21,2009
少し間があいたので
これまでを整理すると
国宝光琳紅白梅図屏風複製品制作に関しては
問題点が大きく3つ存在し、これをクリアしな
ければ具体的プレゼンテーションを行えないとい
事であった。
一つは“大儀”
二つ目は“技術”
三つ目は“ライセンス取得に関する根回し”
であった。
前回はこの二つ目の技術に関してまでなんとか
目処がたったという事まで書かせてもらった。
で、、今回は三つ目という事なのであるが、その前に
前回詳しく書かなかった部分で重要なことがあるので
その部分をまず書くことにする。
印刷の技術部分で
………………………・・………………………・・
「実はこのテーマの金にうって
つけの技術があるんですよ!」
「えっ?それは実際の金箔を使用するような?」
「違います。ずっと昔にあった技術です。」
確かこの数日前、大手印刷会社が金箔を使う新技術を発表
していた。私はその技術のアレンジ版かなにかか?と思ったの
であった。。
「昔の技術?」
「そうです。」
と、席を外しなにやらサンプルピースを取りにいかれた。
戻ってくると両脇には大きく巻かれた和紙があった。
話をしていたテーブルの上にその和紙を広げると
そこには“円山応挙”の襖絵の一部があった。。。
うん?金箔??あれっ??
アー—------!なにこれっ?これ印刷なんかぁ?
見事に箔を使わずに箔の雰囲気を再現していた!!
光彩によって箔と同じように輝く…
こ、、これは使える!
…・・………………………・・………………………・・
という下手くそな落語のようなカタチで書かせてもらった
部分であるが、、この技術を少し説明させてもらいたい。
何度か書いたと思うが、印刷の限界として白と金という
インクは存在しない。
特に金に関しては精度の高い複製を行う場合、実際の金箔もしくは
金箔状のものを貼付することにより金を再現する。それは実際の
箔押しであったり、シルク版を利用して行ったりという事なのである。
これは実質的には印刷という技術のフィールドではない。
では、昔あった技術とはいかなるものか?
この技術名を“ブロンジ”と呼ぶ。
これは真鍮で出来た金粉を高密度で金を再現する部分に塗布する。
ということであれば技術的には前述と変わりなにのでは?と思う
所であるが、しかしこの技術はあくまで金粉をインクとして使用し
刷る作業を行う。
実際にその機械を見学で見たのであるが、大きな工場の片隅
小さな小屋のような一室で職人が一枚一枚手刷りでこのブロンジを
使用し金を印刷していた。しかも防塵マスクをつけ金粉がそこかしこに
舞い散るなか細かい作業を繰り返していたのであった。
この技術、お気づきの方もおられるかもしれないが、昔の賞状の四辺に
施されていた金のモール状の柄に使用していた技術であった。
思い出してもらえば分かるはずであるが、当時の賞状四辺の柄は触ると
少しザラザラしており、金粉でその模様が作られていた筈である。
まさしくあの技術を活用し、高精度の複製を作り出していたのであった。
当時、一般に普及した技術であるから、そう珍しいものでないのでは?と
思い質問したのであるが、
今となっては国内に機械が1台ないしは2台あるかないか?
実際使用しているとなるとこの一台ではないか・・という事であった。
そうなると機械を動かせる人間・職人は?となると、やはり今目の前にいる
職人一人というようなレベルの技術であった。。
廃っていった要因は幾つもあるのであるが、大きくは効率が悪いというのが
最大であった。そして機械の金粉を噴霧する部分が直ぐに詰まりメンテナンス
が大変であるということもあった。なんにしても小さな部屋のなかで一日仕事
をし終えてその部屋を出てくると、職人の顔体は金粉まみれになるといった
具合であり、どう考えても手工業の域をでない技術だったのであった。
なんとなぁ!と感心した。
もう無くなる、忘れ去られたような技術が、実は最新鋭の技術をいとも簡単に
凌駕する可能性を秘めていたのである。
金は色ではない。物質である。
物質であるという事は二次元世界の産物ではなく三次元的な捉え方を
しなければならない。この特徴を金で説明するならば、金箔に光を当て、
様々な角度から見れば一番分かる筈である。見る角度によって光彩が
まったく違い、色という感覚もバラバラに感じるのである。
これを印刷でクリアーにするにはやはり前述の通り、実際の物質
(金箔ないしは金箔状のもの)を活用するのが現代のセオリーであった。
しかしこのブロンジに関して言えば、真鍮の粉という物質を高密度で
埋めることにより物質的な三次元構成が可能になり、極細粒な粉である
がためにインクのような作業を施すことも出来るのである。
そしてこれは私の個人的な感想なのであるが、、
国宝などの古い歴史を踏んだ作品は必ず経年劣化による時代性が作品の色
として出ている。平たく言えば“くすみ”が出ているのである。
その雰囲気が実はこのブロンジという技術は如何なく再現できているので
ある。新しい金箔ないしは金箔状のものを加工し経年劣化の雰囲気をだす
よりも、金粉というまだらな状態のものが実際の金よりも光彩が鈍く、それ
が実は経年劣化の雰囲気をより見事に再現していたのであった。
技術の説明を聞き
職人さんの顔を見ると、自信に満ち溢れた誇り高い表情をされておられた。
「俺がこの技術を守っている!」
最新鋭の技術、コンピューターによる高次元の技術
最先端ばかりに可能性を見出しがちだが
実は、捨て去れら、忘れ去れたものの中には
最先端では絶対に適わない
凄みがあり、本当はそういった消えてなくなるものの積み重ねが
新たな技術を作り出してきた。。
新たな技術とは過去の技術と壮絶な闘いの結果である。
進化させたのは人間であり、より高みを目指す志がそれを可能と
してきたのである。しかし真の最先端を考えるならば過去の
技術者の艱難辛苦を知らないで、今あるもの、目の前の事だけで
無理!と片付けてしまうのは如何なものか?
と改めて考えさせられた。
必ずそこには積み重ねたエキスが
入っている筈なのだから。。
万事もっともっとよく考えなければならない。
金粉まみれの顔で
感心する我々を
誇らしげな笑顔で見ておられた
職人さんの顔が
今でも忘れられない。。
つづく。。
これまでを整理すると
国宝光琳紅白梅図屏風複製品制作に関しては
問題点が大きく3つ存在し、これをクリアしな
ければ具体的プレゼンテーションを行えないとい
事であった。
一つは“大儀”
二つ目は“技術”
三つ目は“ライセンス取得に関する根回し”
であった。
前回はこの二つ目の技術に関してまでなんとか
目処がたったという事まで書かせてもらった。
で、、今回は三つ目という事なのであるが、その前に
前回詳しく書かなかった部分で重要なことがあるので
その部分をまず書くことにする。
印刷の技術部分で
………………………・・………………………・・
「実はこのテーマの金にうって
つけの技術があるんですよ!」
「えっ?それは実際の金箔を使用するような?」
「違います。ずっと昔にあった技術です。」
確かこの数日前、大手印刷会社が金箔を使う新技術を発表
していた。私はその技術のアレンジ版かなにかか?と思ったの
であった。。
「昔の技術?」
「そうです。」
と、席を外しなにやらサンプルピースを取りにいかれた。
戻ってくると両脇には大きく巻かれた和紙があった。
話をしていたテーブルの上にその和紙を広げると
そこには“円山応挙”の襖絵の一部があった。。。
うん?金箔??あれっ??
アー—------!なにこれっ?これ印刷なんかぁ?
見事に箔を使わずに箔の雰囲気を再現していた!!
光彩によって箔と同じように輝く…
こ、、これは使える!
…・・………………………・・………………………・・
という下手くそな落語のようなカタチで書かせてもらった
部分であるが、、この技術を少し説明させてもらいたい。
何度か書いたと思うが、印刷の限界として白と金という
インクは存在しない。
特に金に関しては精度の高い複製を行う場合、実際の金箔もしくは
金箔状のものを貼付することにより金を再現する。それは実際の
箔押しであったり、シルク版を利用して行ったりという事なのである。
これは実質的には印刷という技術のフィールドではない。
では、昔あった技術とはいかなるものか?
この技術名を“ブロンジ”と呼ぶ。
これは真鍮で出来た金粉を高密度で金を再現する部分に塗布する。
ということであれば技術的には前述と変わりなにのでは?と思う
所であるが、しかしこの技術はあくまで金粉をインクとして使用し
刷る作業を行う。
実際にその機械を見学で見たのであるが、大きな工場の片隅
小さな小屋のような一室で職人が一枚一枚手刷りでこのブロンジを
使用し金を印刷していた。しかも防塵マスクをつけ金粉がそこかしこに
舞い散るなか細かい作業を繰り返していたのであった。
この技術、お気づきの方もおられるかもしれないが、昔の賞状の四辺に
施されていた金のモール状の柄に使用していた技術であった。
思い出してもらえば分かるはずであるが、当時の賞状四辺の柄は触ると
少しザラザラしており、金粉でその模様が作られていた筈である。
まさしくあの技術を活用し、高精度の複製を作り出していたのであった。
当時、一般に普及した技術であるから、そう珍しいものでないのでは?と
思い質問したのであるが、
今となっては国内に機械が1台ないしは2台あるかないか?
実際使用しているとなるとこの一台ではないか・・という事であった。
そうなると機械を動かせる人間・職人は?となると、やはり今目の前にいる
職人一人というようなレベルの技術であった。。
廃っていった要因は幾つもあるのであるが、大きくは効率が悪いというのが
最大であった。そして機械の金粉を噴霧する部分が直ぐに詰まりメンテナンス
が大変であるということもあった。なんにしても小さな部屋のなかで一日仕事
をし終えてその部屋を出てくると、職人の顔体は金粉まみれになるといった
具合であり、どう考えても手工業の域をでない技術だったのであった。
なんとなぁ!と感心した。
もう無くなる、忘れ去られたような技術が、実は最新鋭の技術をいとも簡単に
凌駕する可能性を秘めていたのである。
金は色ではない。物質である。
物質であるという事は二次元世界の産物ではなく三次元的な捉え方を
しなければならない。この特徴を金で説明するならば、金箔に光を当て、
様々な角度から見れば一番分かる筈である。見る角度によって光彩が
まったく違い、色という感覚もバラバラに感じるのである。
これを印刷でクリアーにするにはやはり前述の通り、実際の物質
(金箔ないしは金箔状のもの)を活用するのが現代のセオリーであった。
しかしこのブロンジに関して言えば、真鍮の粉という物質を高密度で
埋めることにより物質的な三次元構成が可能になり、極細粒な粉である
がためにインクのような作業を施すことも出来るのである。
そしてこれは私の個人的な感想なのであるが、、
国宝などの古い歴史を踏んだ作品は必ず経年劣化による時代性が作品の色
として出ている。平たく言えば“くすみ”が出ているのである。
その雰囲気が実はこのブロンジという技術は如何なく再現できているので
ある。新しい金箔ないしは金箔状のものを加工し経年劣化の雰囲気をだす
よりも、金粉というまだらな状態のものが実際の金よりも光彩が鈍く、それ
が実は経年劣化の雰囲気をより見事に再現していたのであった。
技術の説明を聞き
職人さんの顔を見ると、自信に満ち溢れた誇り高い表情をされておられた。
「俺がこの技術を守っている!」
最新鋭の技術、コンピューターによる高次元の技術
最先端ばかりに可能性を見出しがちだが
実は、捨て去れら、忘れ去れたものの中には
最先端では絶対に適わない
凄みがあり、本当はそういった消えてなくなるものの積み重ねが
新たな技術を作り出してきた。。
新たな技術とは過去の技術と壮絶な闘いの結果である。
進化させたのは人間であり、より高みを目指す志がそれを可能と
してきたのである。しかし真の最先端を考えるならば過去の
技術者の艱難辛苦を知らないで、今あるもの、目の前の事だけで
無理!と片付けてしまうのは如何なものか?
と改めて考えさせられた。
必ずそこには積み重ねたエキスが
入っている筈なのだから。。
万事もっともっとよく考えなければならない。
金粉まみれの顔で
感心する我々を
誇らしげな笑顔で見ておられた
職人さんの顔が
今でも忘れられない。。
つづく。。
