May 25,2009
少し寄り道してしまったが
最後の準備、ライセンス取得のための根回し
という事だが、正直この部分が一番大変であった。
大儀、技術的な部分というのはある意味こちらの構想
の中で動かせる部分であり、どのような方法論をとっても
失敗というのは実際のプレゼンの結果となる。しかし、この
三つ目の仕事として準備調整しておかなければならない
ライセンス取得に関しては、“駄目”という結論が出た場合、
即時全ての計画が中止となる。そして“これこれこういう事情”
で上手くいきませんでしたとレポートを纏めそれで終了となる。
だから集約すればこの部分が整っていなければプレゼンそのもの
が成り立たない。これまで書いてきた部分など即、雲散霧消と
化す。。
ある意味でこの部分が最初で最大の関門となるのであった。
大儀など極端にはライセンス取得可能という芽が見えた時点
でいか様にでも変化させればいいことであった。。
詳しくこのライセンス取得の構造は語れないのであるが、
要約すると、この光琳紅白梅図屏風に関してのライセンスは
最終的な決定機関は美術館であるのだが、その窓口は別に
存在する。
ある商社がその窓口の付託を受けている。この窓口で精査され
たのち美術館に上げられ、そこで商社と美術館(実際には美術館
関係者と言った方が正確であろう・・)が折衝し、最終的には
そののちに結果が出る。という事は内容もさることながら、
時間がかかるのであった。そしてこれはギリギリでお話するが
インサイダー情報として最重要なのは、この窓口商社とは
基本的には営利企業である。この企業にとって体面的にその
内容が保たれ、尚且つ営利的なメリットが無ければ、当然
動くことはない。ここが案外難しいのであった。
この計画、といってもプレゼン準備段階でしかないのであるが
正確にいつから始まったかというのは漠然としているのであるが
通信販売企画のバイヤーから私が電話を受けたという時点を始点
としたならば、技術的な目処が起つまでに約4ヶ月位の時間を
要した。
実は、この三つ目の課題はその後からスタートさせた?という
訳ではなく、実際にはバイヤーからの電話の後に直ぐ動き出していた。
先ずは本当にその可能性があるのかどうか?かるく内部的な感触
を即時探りに動き出していたのであった。
これはあくまで偶然なのであるが、この光琳へという項を書き始めた
部分で少し触れたが、私自身が15年近く前この窓口商社と仕事の関係
があった。この窓口商社は、私が勤める会社にとって大事なお得意先で
あり、過去にも大きな事案をこなしてきた間柄であった。しかし立場で
言えば私どもが供給者であり先方はお客様である。決してネゴシエーシ
ョンできる立場ではなかったのであるが、この数年前、少し先方に義理を
かける事柄があった。その事は別段トラブルではないのであるが、ある
事案において我々がその案件から勇退した。そのことによってその事案は
成立するという結果に繋がった出来事であった。
詳しくその当時の内容をここでは書けないが、我々としては何も遺恨を残す
ものはないのであるが、とにかくその時の事に対して先方幹部は今もって気
にかけて下さっていたのであった。
これはイヤラシイ考え方かもしれないが、今回の案件にとってはまたとない
好機であった。そしてプラスの好材料は、私が若い時分(20代後半)に出入
りしていた関係もあって先方の社内的、そして関係先(美術館及び関係組織)
との関係などの情報を結構密に持っていた。
また何よりその当時懇意にしていた同じくらいの年の若い担当が今、中堅に
なっていたのもその後の仕事を円滑に運ぶ要素として存在していた。
これらの諸条件が他のライセンス取得を願望する会社に比べて格段に整ってい
たのは間違いないし、大儀を立てる部分で書いた、美術館の運営岐路というのか、
集客激減の悩みは具体的にここ数年耳にしていた事情であった。
好機である!それは間違いなかった。
しかし、ここで私が即時昔の縁を頼りに動いても駄目である。
貫目が足りない。先ずは、社長に動いてもらい、先方の幹部と
接触し、このプランのグランドデザインを伝えてもらう、そこから
具体的なライセンス取得の可能性を美術館側に根回ししてもらう
必要があった。先ずは社長が動く、その為の根回しを行う必要があった。
当然、そこまでに具体的な技術力の担保とその裏付けは必要であり
その為に同時進行で動いていた。技術力の担保が無ければ根回しは
動けないが、技術力の担保だけで根回しが動かなければ何も始まらない。
微妙なのだが、これを同時進行させながら、通販企画のバイヤーにも
大まかな進捗状況を報告し始めていた。。
通販企画側への進捗報告は結論的具体性の有無以前に、もし可能性が
あれば、タイムスケジュールの構築にラフでも取り掛からなければならない
と言う事情があった。
そのもっとも重要な要素とは“予算立案”である。この背景がなければ
具体的に出来るとなっても、販売実行に移せない。またタイミングも大事
な要素であった。
紅白梅図であるということと、国宝展示は2月、この季節柄的内容を
包括し販売実績のピークを考えれば、年末~年初が販売のポイントとなる。
これを直近で実行するには実は無理があった。実はこの時点ですでに9月。
のこり数ヶ月で販売まで実行するなどというのは不可能であった。しかし
あえて無理ですとは言わなかった。そんなタイミングのズレでこの大物の
販売を取りやめるという事はないと私は個人的に踏んでいた。おそらく
来年というのが現実的な線だと想定した。しかし企画者、プランナーなどは
そういう労苦をあまり考慮して物を考えない。この部分が最終段階まで
喧嘩が絶えなかった部分なのであるが…
だからまともにもう少し時間の猶予を!などと懇願などしては面倒くさい介入を
招き、損にしかならない。具体性が曖昧なときは適当にあしらう方が、、、、
反って事が上手く運んだりする。事実、身を乗り出して交渉に参加したい旨を
何度も突付かれた…
通常はこちらが弱い立場なのであるが、
今回は、光琳、国宝というのが強烈な“印籠”にはなっていた。。
こう書くと実に仕事が出来るように見えるが、実際は技術側、通販企画側
などに対して話す内容は嘘50%の話で、それぞれをさも具体性が濃い
というような雰囲気で進捗させていたのが実情であった。ダブルスタンダード
であり、たまに頭の中がゴチャゴチャになったりしていた…
狼少年にもなりそうでもあった・・
さぁそこで根回し開始であるが、、、
若い時分から懇意にしてきた窓口商社の中堅社員へ電話を入れ
どこかで会いたいという旨を伝えた。彼は、ポジション、人柄、そして
我々との関係密度、全てにおいて抜群の人材であった。先方商社の
幹部に対してもある程度の確率をもってプランを上書できる立場であった。
どういう内容かと当然聞かれたのであるが、会って話したいという事
だけを押し通して伝えた。聞くと数週間後に大阪に来るという用件が
あるのでその時会う約束をしたのであった。
数週間後、大阪のある商業施設の地下喫茶店で会う。
久しぶりということで昔話に花を咲かせたいような所であったが
先方も、直接あって話すという内容が気がかりであったのか、
単刀直入に今回の懸案事項の話に突入した。
「光琳の屏風の複製を作りたいのですが・・」
そしてそれらの販売方法、制作方法等のプラン
を伝えた。(販売方法に関してはかなり複雑な流通を計画し商社にも
営利的な儲けがでる仕組みを伝えた・・)
終始黙って聞いていた彼が、話終了と同時に質問してきた。
「話の内容はわかりました。そこで私はなにをすれば良いのですか?」
これも単刀直入に依頼した。
会社の中を懐柔していただき、このプランを実行できるように根回し
をしてもらいたい。。。。
「分かりました。話はしてみましょう。しかし難しいですよ光琳は、、
他の鑑蔵品であれば条件が整っていれば、現状さほど難しいことは
無くなっていますが、、、さすがに光琳は…しかしまったく無理
ではないと思いますが。。。。」
「よろしくお願いいたします。」
と分かれた。
その数週間後電話が入る。
一度来てもらえないか?という事であった。
OKでもなければペケでもなかった…
あくまで再度来て詳しく説明して欲しいという事であった。
芽がある!と私は感じた。
そして幸運にも時期を同じくして技術的な担保が取れており、
全てが時系列的に整合した。
しかし、現実はどのような答えがまっているか分からなかった・・
とにかく社長に動いてもらうことにした。。。
つづく。。
最後の準備、ライセンス取得のための根回し
という事だが、正直この部分が一番大変であった。
大儀、技術的な部分というのはある意味こちらの構想
の中で動かせる部分であり、どのような方法論をとっても
失敗というのは実際のプレゼンの結果となる。しかし、この
三つ目の仕事として準備調整しておかなければならない
ライセンス取得に関しては、“駄目”という結論が出た場合、
即時全ての計画が中止となる。そして“これこれこういう事情”
で上手くいきませんでしたとレポートを纏めそれで終了となる。
だから集約すればこの部分が整っていなければプレゼンそのもの
が成り立たない。これまで書いてきた部分など即、雲散霧消と
化す。。
ある意味でこの部分が最初で最大の関門となるのであった。
大儀など極端にはライセンス取得可能という芽が見えた時点
でいか様にでも変化させればいいことであった。。
詳しくこのライセンス取得の構造は語れないのであるが、
要約すると、この光琳紅白梅図屏風に関してのライセンスは
最終的な決定機関は美術館であるのだが、その窓口は別に
存在する。
ある商社がその窓口の付託を受けている。この窓口で精査され
たのち美術館に上げられ、そこで商社と美術館(実際には美術館
関係者と言った方が正確であろう・・)が折衝し、最終的には
そののちに結果が出る。という事は内容もさることながら、
時間がかかるのであった。そしてこれはギリギリでお話するが
インサイダー情報として最重要なのは、この窓口商社とは
基本的には営利企業である。この企業にとって体面的にその
内容が保たれ、尚且つ営利的なメリットが無ければ、当然
動くことはない。ここが案外難しいのであった。
この計画、といってもプレゼン準備段階でしかないのであるが
正確にいつから始まったかというのは漠然としているのであるが
通信販売企画のバイヤーから私が電話を受けたという時点を始点
としたならば、技術的な目処が起つまでに約4ヶ月位の時間を
要した。
実は、この三つ目の課題はその後からスタートさせた?という
訳ではなく、実際にはバイヤーからの電話の後に直ぐ動き出していた。
先ずは本当にその可能性があるのかどうか?かるく内部的な感触
を即時探りに動き出していたのであった。
これはあくまで偶然なのであるが、この光琳へという項を書き始めた
部分で少し触れたが、私自身が15年近く前この窓口商社と仕事の関係
があった。この窓口商社は、私が勤める会社にとって大事なお得意先で
あり、過去にも大きな事案をこなしてきた間柄であった。しかし立場で
言えば私どもが供給者であり先方はお客様である。決してネゴシエーシ
ョンできる立場ではなかったのであるが、この数年前、少し先方に義理を
かける事柄があった。その事は別段トラブルではないのであるが、ある
事案において我々がその案件から勇退した。そのことによってその事案は
成立するという結果に繋がった出来事であった。
詳しくその当時の内容をここでは書けないが、我々としては何も遺恨を残す
ものはないのであるが、とにかくその時の事に対して先方幹部は今もって気
にかけて下さっていたのであった。
これはイヤラシイ考え方かもしれないが、今回の案件にとってはまたとない
好機であった。そしてプラスの好材料は、私が若い時分(20代後半)に出入
りしていた関係もあって先方の社内的、そして関係先(美術館及び関係組織)
との関係などの情報を結構密に持っていた。
また何よりその当時懇意にしていた同じくらいの年の若い担当が今、中堅に
なっていたのもその後の仕事を円滑に運ぶ要素として存在していた。
これらの諸条件が他のライセンス取得を願望する会社に比べて格段に整ってい
たのは間違いないし、大儀を立てる部分で書いた、美術館の運営岐路というのか、
集客激減の悩みは具体的にここ数年耳にしていた事情であった。
好機である!それは間違いなかった。
しかし、ここで私が即時昔の縁を頼りに動いても駄目である。
貫目が足りない。先ずは、社長に動いてもらい、先方の幹部と
接触し、このプランのグランドデザインを伝えてもらう、そこから
具体的なライセンス取得の可能性を美術館側に根回ししてもらう
必要があった。先ずは社長が動く、その為の根回しを行う必要があった。
当然、そこまでに具体的な技術力の担保とその裏付けは必要であり
その為に同時進行で動いていた。技術力の担保が無ければ根回しは
動けないが、技術力の担保だけで根回しが動かなければ何も始まらない。
微妙なのだが、これを同時進行させながら、通販企画のバイヤーにも
大まかな進捗状況を報告し始めていた。。
通販企画側への進捗報告は結論的具体性の有無以前に、もし可能性が
あれば、タイムスケジュールの構築にラフでも取り掛からなければならない
と言う事情があった。
そのもっとも重要な要素とは“予算立案”である。この背景がなければ
具体的に出来るとなっても、販売実行に移せない。またタイミングも大事
な要素であった。
紅白梅図であるということと、国宝展示は2月、この季節柄的内容を
包括し販売実績のピークを考えれば、年末~年初が販売のポイントとなる。
これを直近で実行するには実は無理があった。実はこの時点ですでに9月。
のこり数ヶ月で販売まで実行するなどというのは不可能であった。しかし
あえて無理ですとは言わなかった。そんなタイミングのズレでこの大物の
販売を取りやめるという事はないと私は個人的に踏んでいた。おそらく
来年というのが現実的な線だと想定した。しかし企画者、プランナーなどは
そういう労苦をあまり考慮して物を考えない。この部分が最終段階まで
喧嘩が絶えなかった部分なのであるが…
だからまともにもう少し時間の猶予を!などと懇願などしては面倒くさい介入を
招き、損にしかならない。具体性が曖昧なときは適当にあしらう方が、、、、
反って事が上手く運んだりする。事実、身を乗り出して交渉に参加したい旨を
何度も突付かれた…
通常はこちらが弱い立場なのであるが、
今回は、光琳、国宝というのが強烈な“印籠”にはなっていた。。
こう書くと実に仕事が出来るように見えるが、実際は技術側、通販企画側
などに対して話す内容は嘘50%の話で、それぞれをさも具体性が濃い
というような雰囲気で進捗させていたのが実情であった。ダブルスタンダード
であり、たまに頭の中がゴチャゴチャになったりしていた…
狼少年にもなりそうでもあった・・
さぁそこで根回し開始であるが、、、
若い時分から懇意にしてきた窓口商社の中堅社員へ電話を入れ
どこかで会いたいという旨を伝えた。彼は、ポジション、人柄、そして
我々との関係密度、全てにおいて抜群の人材であった。先方商社の
幹部に対してもある程度の確率をもってプランを上書できる立場であった。
どういう内容かと当然聞かれたのであるが、会って話したいという事
だけを押し通して伝えた。聞くと数週間後に大阪に来るという用件が
あるのでその時会う約束をしたのであった。
数週間後、大阪のある商業施設の地下喫茶店で会う。
久しぶりということで昔話に花を咲かせたいような所であったが
先方も、直接あって話すという内容が気がかりであったのか、
単刀直入に今回の懸案事項の話に突入した。
「光琳の屏風の複製を作りたいのですが・・」
そしてそれらの販売方法、制作方法等のプラン
を伝えた。(販売方法に関してはかなり複雑な流通を計画し商社にも
営利的な儲けがでる仕組みを伝えた・・)
終始黙って聞いていた彼が、話終了と同時に質問してきた。
「話の内容はわかりました。そこで私はなにをすれば良いのですか?」
これも単刀直入に依頼した。
会社の中を懐柔していただき、このプランを実行できるように根回し
をしてもらいたい。。。。
「分かりました。話はしてみましょう。しかし難しいですよ光琳は、、
他の鑑蔵品であれば条件が整っていれば、現状さほど難しいことは
無くなっていますが、、、さすがに光琳は…しかしまったく無理
ではないと思いますが。。。。」
「よろしくお願いいたします。」
と分かれた。
その数週間後電話が入る。
一度来てもらえないか?という事であった。
OKでもなければペケでもなかった…
あくまで再度来て詳しく説明して欲しいという事であった。
芽がある!と私は感じた。
そして幸運にも時期を同じくして技術的な担保が取れており、
全てが時系列的に整合した。
しかし、現実はどのような答えがまっているか分からなかった・・
とにかく社長に動いてもらうことにした。。。
つづく。。
