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光琳へ 12
東文研の最強データーを目の当たりにして


急ぎ校正の方向性を確認しようと美術館との
接触を図ったが、先方の繁忙により2か月先まで
スケジュールが延期したというところまで前回お話
したのであるが、ここで光琳について少し触れたい。


今、インターネットを叩けば“ゴマン”と情報が出てくる時
代であり、専門家でもない私が光琳について説明したところで
なんの役にも立たないが、個人的に光琳について思っている
部分を書いてみたい。


実は様々な絵画をこれまで見てきたのであるが、光琳に関しては
どの絵画よりも見ていたのじゃないかなぁ?という記憶がある。


それは確か私が中学生時分、教科書の表紙及びかなりのスペース
でこの紅白梅図が載っていたからである。僅かづつ絵画に興味を
覚えた時分、雑誌など買うこともなかった当時、絵画に触れる
唯一簡便なメディアが教科書であった。その表紙に採用されてい
た絵が紅白梅図であり、興味があるなしに関わらず毎週見ていた。


この絵が好き嫌いという感情は特になかったのであるが、妙に
気になりそれ以降も頭を離れない絵の箇所があった。それは
紅白梅図 (右隻)の紅梅が描かれている根元部分、この部分が、
人が足を踏んばっている姿に見えてしょうがなかったのである。
しかも、、なというのかサンダルというか草履のようなものを
吐いた人の足元に見えたのである。


不思議な絵だなぁ・・と、その当時から気になっていた。
もう一つの関心事は、近現代の日本の絵画を除いて見た場合、
大半がどのような革新性を踏まえていたとしても、どこか
中国からの絵画の流れを拭えないのに比べ、光琳をはじめと
する琳派の絵師は、まったくそれらとは一線を画す別物に
私は見えた。唯一無比と言って良いくらいの激的な違いを
感じとれた。


後年様々な意味がこの絵には存在するということを知った。
後年の解釈であり実際にそうなのかどうかは分からないが、
紅白の梅は人であり、男女であり、老若であり、その間に
流れる川は時の経過を暗示する。そこには戻れない時の
経過や盛者必衰の寂寥感や、生々しい人間社会のありよう
が見てとれるというものである。その当時に感じていた人
の足型という見え方が決して意味なく見えていたものでは
ないことに整合したとき、なぜかものすごく嬉しかったのを
覚えている。それと同時にこの絵とこの作者について少し
調べたような記憶があるのと同時に、実は今も断続的に調
べたりすることがある。。


今回偶然に巡り合った仕事でこの絵と関わることになった時、
妙な親近感と、自分勝手な都合による解釈ではあるが因縁を
感じたのは紛れもない私の正直な感情であった。もっと大層
に言えば、なんか絵が手招きで呼んだような気さえしていた。


それに付け加え、その数年前に研究された金箔の件、
その放映を偶然見たことも邂逅の感情をさらに増幅させたの
であった。


現在、研究結果を肯定するという流れで光琳の金は解釈され
ているが、実際は反論も多数存在する。一応は公的な研究
機関が出した結論が解釈の中心をなし、その結論からこの
屏風には金箔が使われていなかったというのが現在の解釈であ
る。


私はこの件に関して私なりに結論を持っている。
私の考えもやはり金箔ではないというものである。

東文研の研究室の壁にあった拡大接写の図版も見た、
当然現物も間じかに見たしかし結局は私などでは判別
できるものではない。また偉そうに書いているが
東文研の報告書を見ても、なにがなんやらさっぱり分
からないというのが実際でる。しかし私の金箔でない
という結論にはある一点が中心をなしているのである。


これはNHKの放映の中でも重要な要素として紹介され
ていた部分であり、独自のオリジナル解釈では決してな
いのであるが、この部分こそが金箔でないという
事の最大論拠にもなり得ると確信を持てたのであった。



戯作!


これである!


そのように見せかける、しかし種は明かさないという


“粋”と気概・・


反論の中には“なぜわざわざそんな意味のないことをする
必要があるのか?”という意見がある。実際金箔で良いで
はないかと思うのが普通であろう。


しかし、ここに光琳が歩んだ人生とその時代の社会の空気が
私は如実に見てとれるような気がしてならないのである。


逆に、金箔であるほうが“おかしい”のである。


もともと裕福な家のおぼちゃまとして生まれ、散財の限り
をつくし、人生晩年に仕方なく?絵描きになった人物。
アカデミックな流れの中で技術を磨くことなく、市井の中
に存在する洗練された瀟洒な感性を他の追随を許すことな
く具現化したした人物。この特異な人物像から考えても、
戯作という近世日本の文学演劇の中心をなす概念を、
市井の粋人として吸収し、絵描きになった後如何なく表出
していたとしても決しておかしくはないし、その方が実に
おさまりがよい。


この屏風の来歴は判然としないところが多いのであるが、
津軽伝というのが一般的である。ということは安易な想像
かもしれないが、津軽藩もしくはそれ相応の大名からの
オーダーであった可能性が実に濃い作品である。


そして二曲一双という式典や部屋の間仕切りに利用する
には小さすぎる形状を考えても、観賞用としてしか当初
から目的をもたされていない作品であったことは間違い
ないであろう。


ということは、もともと現在のような不特定多数に展覧
するために描かれたものではなく大名という富裕な個人
に向けて描かれたものであり、それを披露するとしても
大名家の縁故者程度であり、もっと現代風に考えれば、
大名家間に存在した社交界のみであったと私は想像する
のである。この限定的な想像の中で考えられるものとは
なにか?現代の社交界でも現代アートは彼らのコレク
ションの中心をなしているのであるが、そのコレクション
上の質・内容とは、やはり新進の革新的な芸術品であり、
その青田買い的な要素が彼らの射幸心を煽る。


普通のものではダメなのである!
なにか劇的に違いが存在し、他にないもの・・・


当然光琳の紅白梅図はその絵画性だけとっても革新的琳派
の内容を兼ね備えているが、それ以上ということを
クライアントに渡すとするならば、金箔に見えて金箔では
なく、すべて手書きで作りましたよ!というのは実に洒落
た発想であり、大名というコレクターからすれば当意即妙
であったことは間違いないであろう。


現代でも、なぜ村上隆なのか?という部分を考察する場合、
この部分は大変重要であることは間違いない。ニューヨーク
のサザビーズで何億という価格で落札された。これは誰が
落札するのであろうか?


富裕者であることは間違いない。もっと絞ればこういった
先進的なものを持つ意味を感じる人及びその人が形成する
集団ということになる。


同じコレクションでも既成と化した価値のトレードと、
これから価値を創造するであろうという事を中心とした
コレクションは似て非なるものであり、現代アートが
現代アートとして商品化される最大はこの進取に敏感な
コレクターの存在なくしてその価値形成が得難いのも
また事実である。。。。


そこから考えても私は光琳という人物が軽々と金箔にみせ
て戯作を施したというのは無理のない論理のような気がす
るのと同時に、彼が若年から絵師を志し大成した人物なら
そういった事をしなかったであろうという想像も持って
いる。やはり、おぼちゃまとして贅の限りをつくして遊び
呆けた人物ならではの柔軟な思考と、どこか絵に対する
客観性が彼をこのような仕事に向けたのではないか?と
考えるのであった。


実に稚拙な論理で笑われるかもしれないが、平明に言えば、
お金持ちにはお金持ちの感性が存在し、それらに向けての
その時代のマーケッティングがあったのではないか?
という事である。


この戯作・・・私は現代日本のアートにまで一直線で
繋がるDNAだと常々考えるところがある。実にこれらの
感性から無意識に意を得ていると思わざるを得ないよう
な現代アートがこの国には多く存在する。この国に
シュールレアリズムがそうは根づかなかったのも実は
この戯作という感性が存在したためではないか?
と考える部分がある。。。。


また一般に琳派と呼ばれるものがあるが、宗達も光琳も
抱一も我々は琳派だと!と自己主張した集団であったわ
けではない。後世、これらの作柄を集約したにすぎない
呼称であり、元来は市井に突如現れた革新的な芸術であり、
それまでの絵画を踏破したアバンギャルドな存在であった。
これらの出現の背景を考えても現代アートに通じる感性を
私は感じるのである・・



まぁいずれにしても、、、


これが本当に光琳快心の“戯作”であったと
したならば


何百年も経た、今の我々でも解明できない


強固な洒落であり


これこそが


光琳の光琳たるものの真骨頂であり



光琳の面目躍如の



痛快事ではなかろうか!!



つづく。。

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光琳へ 11
なかなかブログが書けない、、、、


先月の終わりからありがたいことに少し忙しく
させてもらっている。。まぁ正直これまでなにも
なかったことからすれば…という程度であるが。。


でも、実際驚くようなキャリアの方や、驚くような
会社から問い合わせを頂いたりと、まだ問い合わせ
だけなのでなにも具体性があるわけでなし、大言壮語
できるものではないのですが、それでも僅かながらも
興味を持っていただけるということは、実にありがた
いことです。。


ここに来てホームページのアクセス数も“グッ”と
上がってきたのも事実です。月間訪問者数が一万人
と、、言っても述べ人数なので、実質的な人数は何十分
の一、いやそれ以上かもしれないのでしょうが、それで
も確実に増えている手ごたえを感じる今日この頃です。


さてブログですが…・


かなり間があいたので、自分でもなんだったかなぁ?と
以前のエントリーを確認しなくてはいけないような状態です。


本来ならもう終わってるハズが…いまだダラダラと、、、、


もし、慈悲深くご覧になって頂いている奇特な方がおられまし
たらもう少しだけお付き合いください。。。スイマセン。。。。


さて


印刷会社のNさんから入った電話


データーの精度が凄すぎて問題があるという内容


やってこられたNさんが広げた出力を見て


一同息を飲んだ。。。。


“なんじゃこりゃ”


これが紅白梅図の実物なのか??


ボロボロではないか……


そうなのであった、全てを忠実にスキャニングしたデーターは、
通常我々が書籍やポスターで見る印象とはまるで違うものであった、、、


このデーターの凄さは実物の7倍に画像を引き伸ばしても、その精度
が落ちないと言う最強のデーターであるから、細部のいたるところまで
それこそ実物を触るほどの内容で再現されていたのであった。。


実際の紅白梅図は屏風の屈曲部分がボロボロになった落剥箇所がかな
りの面積をしめており、欠損部分が想像以上であったのである。


聞くところによると、、


戦中、現在の美術館に館蔵される前、N美術館で空襲による延焼を防
ぐため、信じられないことなのだが水をかけたらしい…しかもその
後特別なメンテナンスも施されず、そのまま今に至っているとのこと
であった。


書籍・ポスター類の大半は、実際にはかなり修正し美観を上げており、
また例年2月の実物の展観においても、見られた方はお気づきだとおも
うが、薄暗い部屋で展示しており、微妙なライティングでその辺りが
隠れていたのであった。。


これは…・


Nさんが


「これは上山さん、まず美術館に見せて、キチッと方向性の確認をして
おかないととんでもない所に校正作業が漂流しかねませんよ…」


確かに。。。


実際、忠実に再現するのを良しとするのか、インテリア的、所謂現行
のポスター等における美観を追求するのか、それによって作業は大き
く変わる。絶対的な美術館の主観のなかでこれから出力したものを
一色一色確認していくのである。その根本的な制作の方向性を、こち
らで勝手に解釈したのでは何時まで経っても完成を向かえることはな
いだろう…・


急ぎ窓口商社を通じ美術館との接触を依頼したのであるが、間の悪い
事に、年末年始にかけて行事が山積、とても時間が取れない状況で
あり、結局最短で会えたとしても1月後半という事であった。。


なんとここから2ヶ月も・・この問題のことだけではなく時間的な
ロスが生まれるとは・・と改めて進捗の遅さに愕然とした。。


しかし考え直すと、いずれにしてもやはりどこかで現物を見て仕事を
進めなくてはいけず一月の後半まで待てば年一回の展示には時間的
に合致する。このタイミングに一気に進めた方が案外得策なのでは?
と考え直した。


その年の販売時期を9月から10月ないしは11月初旬と想定した
場合、残り作業時間が約8、9ヶ月…果たして間に合うのだろうか?
到底2年越年することは許されない、、が



とにかく、2ヶ月待つこととしたのであった。



つづく。。

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走馬灯
人が死に際に体験するといわれる(臨死体験をした人が「見た」
と語っている)一生の記憶のリピート現象の表現として用いら
れている(走馬灯現象または走馬灯体験)。



臨死体験(りんしたいけん)とは、人間が事故や病気などが原因
で一度死亡したと医師に診断された後、回復した際に体験した
と証言したものである。エリザベス・キューブラー・ロスが、
約200人の臨死患者に聞き取りし、『死ぬ瞬間』(1965年)に
まとめたものから由来。後に臨死体験のことを、死亡する際に
人間が体験するものであると理解されることが多くなった。



体験者が意識を回復して蘇生した際の証言に基づき、光の
トンネル、三途の川やお花畑、死者、キリスト、仏陀との対峙
などの「死後の世界」と思われるようなものを見たり、一生の
記憶のリピート現象(走馬灯)、体外離脱と呼ばれる体験をし
たなどの一定のパターンが存在するという説が唱えられている。
死後に見る光景や対峙する対象は人種や国によって異なり、
日本人の場合は三途の川や釈迦などが多く、欧米人の場合は
キリストや光のトンネルが圧倒的に多い。



臨死体験の解釈を巡り、幻覚などの脳内現象であるとする説、
現実体験であるとする説などがある。
Wikipedia転載


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


まぁいずれにしても以下のムービーにある走馬灯


これを我々東洋人が見た場合、どのように感じるのだろうか?



なにか表現の違いを感じはしないだろうか?一生が一瞬である
これは同じであるがなにか、どこか儚さが違うような気がする
のである。。



何億年も生きる地球、人が約80年の生涯、蝉は一週間の生涯。
このマクロコスモスとミクロコスモスの相同感覚が東洋人の
場合研ぎ澄まされており、なにかある個人の一生のみを切り
取ってその一層だけで、時間を計るという表現はしないよう
な気が私はするのだ・・・





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光琳へ 10
画像データーがない。。。


これは致命的であった。


色々な調整をこれまで図ってきたが、肝心要が抜け
落ちていた…・


安直に考えていたのであった。。


間抜けもいいところである、これまで大層に様々な根回し
をしてきたにも関わらず、根幹が抜け落ちている…・
まぁお恥ずかしい話であるが、、、私の仕事ぶりの特徴的な
部分なのかもしれない…


そうはいっても、簡単に


「あきまへんでしたわぁ~!」で、、


すまない。。。


「ええかげんにしなさい!」


チャンチャン♪と下手くそな漫才のオチのようにはいかない。。


頭を抱え込んだのだが、答えは見つからない。


と、そんな時、印刷会社のNさんから電話が入る。


「上山さん、東文研に頼みましょ」と単刀直入に切り出された。
正直少し身構えた、、、あのデーターを?簡単に貸し出ししてくれのか?


しかし考え直してもそれしか道がなかった。


「わかりました、そうしましょう」


「東文研には私のほうからアポとります、仕事の関係でまったく
知らないわけではないので、上山さんは美術館と商社窓口の
調整をしてもらえますか?」


「わかりました。」


という事で早速に動いた。先の会合でやんわりとその可能性を
聞いていたことが役に立つ。東文研にデーター借り出しの依頼を出し
たいと申し出ると、必要書類が送られてきてスムーズに申請の手続き
が出来た。後はNさんからの連絡待ちであったのだが、時を一にして
彼からもアポが取れたという朗報がもたらされる。


と…・このように簡単にしかここでは書けない事をご了承いただき
たい。


実際には様々な問題の山があり、そう簡単ではなかった。実際この
データー自体の取得には約一ヶ月程だったのであるが、様々な権利
関係の調整が処理でき完璧に借り受けられたのはこれから3ヶ月先
のことであった。。


ここで少し東文研について触れておきたい。
そして予め付け加えて説明すると、東文研は実に優れた研究機関
であるのは間違いないのであるが、今回の課題、光琳に関する
データーについては、東文研のS氏作製の高精彩データーが必要
だったのである。このS氏、文化遺産のデジタルアーカイブに関
しては国内有数の写真家であり、知らない人間がいないほどの
プロフェッショナルである。我々が普段目にする国宝・重要文化財
の画像の大半はこの人の仕事ではないか?と思えるほどの有名人
であり、重要人物であった。


以下、アートスケープ/artscape抜粋
http://www.dnp.co.jp/artscape/artreport/study/0411.html


東京国立博物館平成館の裏側に先進的な美術研究をしている
独立行政法人文化財研究所 東京文化財研究所(以下、東文研)
がある。1930年設立の歴史ある研究所は、黒田清輝の研究でも
知られる。最近では、尾形光琳筆の紅白梅図屏風の金箔を解析
した研究所といえば身近に感じるかもしれない。

 美術関係資料として、台紙貼写真や売立目録カードなど
総数約26万点を所蔵し、写真原板は、モノクロ4×5フィルム
約48,500点、カラー4×5フィルム約8,300点、四切ガラス
乾板約7,800点、各種サイズのモノクロフィルム約3,000点、
X線フィルム・赤外線フィルム約3,300点などが保管され、
74年の歴史と伝統に、先端的研究の成果が加わった美術資料
のアーカイブでもある。

東文研の専属の写真家であるS氏は、見えるものを写すだけの
写真家ではない。むしろ見えないものを撮る写真家である。
さまざまな文化財を画像情報として捉えている。最近は、
外部の仕事が多く、台湾(故宮博物院)や中国など海外からの
要請が増えたと言う。

情報調整室とは、各研究部門の要請により美術作品や文化財を
必要に応じて、あらゆる角度から調査分析するための研究画像
を形成する部署である。ある目的をもった研究の資料となる
画像情報を、できるだけ多く捉えた1枚の画像を撮る。研究者
のリクエストに応える、創意工夫されたその画像形成は、独自
の画像取得方法を生み出している。

モノクロフィルムで作られてきた従来の画像は、2001年度から
カラーに変更し、画像データベースへ登録。現在は撮影から
画像処理、画像データベース(写真管理検索システム、カラー
ポジフィルム約8,000件・モノクロフィルム〔4×5〕約10,000件)
までの画像形成のルーティンは、ほとんどアナログからデジタルに
移行したそうだ。

デジタルは色の分離再現性に優れ、コピーによるデータの劣化
が少なく、データの安定性がいいと言う。しかし、画像処理など
撮影後も作業が多くなり仕事量が増えるとも。デジタル機器や
アプリケーションなどは、市販されている汎用性のあるハード
とソフトを使っている。

源氏物語絵巻、高松塚古墳壁画、仏涅槃図(応徳涅槃図)、
紅白梅図屏風(尾形光琳筆)などを撮影し、新たな画像情報を得て、
美術史に一石を投じた。東文研の画像形成は、S氏の500以上の
蛍光サンプルデータ収集など、画像取得技術の研究・開発によって
成果を挙げている。その手法は以前からあった光学的理論やデジタル
技術を応用したものであると言う。


「肉眼では追いきれないものを明らかにして、いかに他の人に伝え
るかが今の仕事」と。。。


作品のオリジナルの色を忠実に再現するよりも、必要な情報を的確
に抽出することに重点を置く。測色計では計れない重ねの色味や
汚れなどの染み、墨の筆致やその厚みなどをグラデーションで表現
することが情報として大事と言う。時には撮影対象は0.1ミリ以下
のナノの世界に及ぶ。

絵画や彫刻や工芸品などの表面の材質は、それぞれ撮影に使用する
光源の波長に対する性質に違いがあるため、主に3種類、の光を
フィルターを通して数値ではなく視覚的に記録する。物理的に
記号や数値でその材質が何であるかを記録するのとは大きく異なる。

鉱物顔料・有機物・媒材(絵具を作るための液体)・支持体
(絹や和紙など)などの文化財の表面の材質を、カメラとレンズ
とフィルターを厳選し、光を操り、そこに写し出された画像を見る
ことで特定することができるのだ。アナログで写らないものが
デジタルだから写るというものではないと言う。サンプルデータ
の収集と研究の成果であり、ウェブ・サイトで「画像形成技術の
開発に関する研究 」の概要が公開されている。

非接触の撮影のためマルチショットタイプのデジタルBack
(Sinarback 54HR)を使用し、記録する画像サイズの算出は、
RAWデータの実画像が16bit換算でオリジナルサイズの1から
8倍程度になるよう撮影する範囲を逆算し、マルチショット
モードで分割撮影する。1点あたりの情報量は数十から
数百ギガバイトとなる。

画素数が高いだけでは情報量の多い画像とも美しい画像とも
言えない。ビジュアル・インテリジェンスと城野氏の言う
文化財や美術作品は、撮影時に保存を前提として、オリジナル
に置き換わる資料ともなりうるのか、なぜこのような画像形成
をするのかを説明できるようにしておくことが必要である、
とS氏は言う。

光を駆使し撮影することで記録するデジタルアーカイブだが、
その光で文化財を破壊しているとも言うS氏。光の性質を理解
した上で文化財の破壊を最小限にし、ライティング(主に3灯使用)
に配慮して文化財などを撮影している。


以上、アートスケープ/artscape抜粋
http://www.dnp.co.jp/artscape/artreport/study/0411.html


と、、、言う訳で、物凄いデーターに物凄い写真家であるという
事はお分かりいただけたかと思う。


実際にS氏にお会いしたのであるが、最初怖い印象を持っていた
のであるが実に気さくな方で優しく対応していただいた。


これでデーターが入手できたのである。
早速N氏は試験出力に取り掛かります!と力強く応えてくれた。。。

が、、、

数日後、N氏から電話が入る。


「上山さん、、実はそちらに伺って打ち合わせを至急したい」

「はっ?データーに問題が?」


「そ、そうなんですよ…・」


「駄目ですか…?」


「いや、、逆でして、、凄すぎるんですよ、、こんなデーター
今まで見たこと無いですよ。。。」


これ以上ない優れたデーターが、、、問題ある?
電話口で尋ねたのであるが、、実際に見せて説明しないと
分からない!ということであった。。。


なんのことか分からなかったが


N氏の来訪をまつことにした。。。




つづく。。

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パソコンなんてこんなもんだぜ!
テレビというものは



私が生まれた時にはすでにあった



カラーテレビが我が家に来たのは



小学2年の時だった。



テレビを見ない時は



なにか上等の布をかぶせていた。。



その風景は、、仏壇?と見紛うほどの



大仰な雰囲気だった・・



ガチャガチャとチャンネルというものを
回す、、しかしこのチャンねるがある日



ボロッ!と取れるのであった。。



その後はペンチでチャンねるを回す。。


ご飯を食べるときはテレビを消す。


それが我が家のルールだ。
ご飯は黙って食べるものであった。



家族みんなでテレビは見ていた・・



突然、ザーと見えなくなる、、


するとお父さんが独特の角度で


テレビに”チョップ”する!


すると頼りなげな波型の画像が浮かび上がり



テレビが動き出すのであった・・



お父さん、、すごい!



っと、、家族の尊敬を集める・・・・・・・・・・



実に簡単に父親が尊敬を集められる時代であった。



なんというのかなぁ



小さな劇場であった。。。



子供時分



テレビの中に



小さい人間がいるんちゃうかぁ?



と真剣に空冷用のちいさな穴から



覗いた経験があるのは



私だけではないはずだ!



時代が進み



ものすごい勢いでいろんな情報がパソコンを
通じて流れているが、、



実は本質は人が手を使って流しているんだよ。。



自動で流れるもんなんて



ある筈ない・・



結局、そんなもんだと思う。



難しい言葉で



バグだぁ!とか、、、



そんなもんより



お父さんの”チョップ”

それに家族が期待する

そんな方が



私は実に良いように感じる



今日この頃であった・・・




Hi from Multitouch Barcelona on Vimeo.


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