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走馬灯
人が死に際に体験するといわれる(臨死体験をした人が「見た」
と語っている)一生の記憶のリピート現象の表現として用いら
れている(走馬灯現象または走馬灯体験)。



臨死体験(りんしたいけん)とは、人間が事故や病気などが原因
で一度死亡したと医師に診断された後、回復した際に体験した
と証言したものである。エリザベス・キューブラー・ロスが、
約200人の臨死患者に聞き取りし、『死ぬ瞬間』(1965年)に
まとめたものから由来。後に臨死体験のことを、死亡する際に
人間が体験するものであると理解されることが多くなった。



体験者が意識を回復して蘇生した際の証言に基づき、光の
トンネル、三途の川やお花畑、死者、キリスト、仏陀との対峙
などの「死後の世界」と思われるようなものを見たり、一生の
記憶のリピート現象(走馬灯)、体外離脱と呼ばれる体験をし
たなどの一定のパターンが存在するという説が唱えられている。
死後に見る光景や対峙する対象は人種や国によって異なり、
日本人の場合は三途の川や釈迦などが多く、欧米人の場合は
キリストや光のトンネルが圧倒的に多い。



臨死体験の解釈を巡り、幻覚などの脳内現象であるとする説、
現実体験であるとする説などがある。
Wikipedia転載


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まぁいずれにしても以下のムービーにある走馬灯


これを我々東洋人が見た場合、どのように感じるのだろうか?



なにか表現の違いを感じはしないだろうか?一生が一瞬である
これは同じであるがなにか、どこか儚さが違うような気がする
のである。。



何億年も生きる地球、人が約80年の生涯、蝉は一週間の生涯。
このマクロコスモスとミクロコスモスの相同感覚が東洋人の
場合研ぎ澄まされており、なにかある個人の一生のみを切り
取ってその一層だけで、時間を計るという表現はしないよう
な気が私はするのだ・・・





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