May 11,2009
「じゃ、よろしくたのみます。」
「い、いやっ、絶対に無理です、、」
「まぁまぁ、、そう言わずに、一度検討してください。。」
こういうディレクターは基本的に常時20本近くの
企画を進行させている。その内具体性が強くなった
ものから社内プレゼンにかける。
だから、常に50%以下の可能性のものでも
大きく様々な網を張っておくのである…
だから私も真剣に向き合いはしたが、、
無理だろうなぁ~という諦めを隠しながら
「あ、、、はい。。」
と、その電話は切った。。
そうは言っても無下にほったらかしには出来ない。
出来ないなりのレポートも必要となる…・
頭を抱えた。
光琳の複製が難しく無理なことは、実は充分承知していた。
この数年前、世間に広く喧伝されたわけではないので、ほぼ
知った人はいないのであるが、国宝、仁清の藤壺1/1スケール
複製という、最終的に数億円という規模のプロジェクトがあった。
そこに私が勤める会社が参画しており、私もほんの少しこの
プロジェクトを垣間見た。やはり約2年近くかかっていたと思う。
もてる技術の全てを吐きだし、最終的には利益が出るか出ないか
というギリギリまで追い詰められて出来上がるものであり、
生半可な“儲かる”なんて想像はことごとく木っ端微塵にされた。
この時の労苦を知っているだけに、とても無理だ!と
依頼されたとき即時頭を過ぎった。
国宝・光琳「紅白梅図」の複製品制作において難しいという
点は大きく3つあると思う。
もともと“国宝”というのは、大半誤解があると思うが、
国という行政の宝というのではない。基本的な概念は
“国民の宝”なのである。
公立私立に様々に収蔵されてはいるが、認定されれば、それは
最終的には国民の宝となる。だからこれもあまり一般に知られて
いないが原則年間40日間以上必ず国民の前に展示しなくてはいけ
ない。最低40日という捉え方の方が正しいかもしれないが。
こういう公益を100%帯びた物品を、私的な美術館が保有していた場合
それを材料に複製品を作り、利益を生み出すというのは、基本的に
“大儀”が必要とされる。
なんのために?という事である。ただ単に儲けたい!などというのは
国民全体の宝を私的流用しているに過ぎないと非難されてもしようが
ない。それを回避するためには、広義においての大儀が必要となる。
これが一つである。
二つ目は複製技術の問題である。
ご存知の方も多いと思うが。
2004年静岡県熱海市のMOA美術館のシンポジウムで東文研
(東京文化財研究所)が行った発表が、美術史界に衝撃を与えた。
それまで同美術館所蔵の紅白梅図屏風の金地部分には“金箔”が、
流水部分には“銀箔”が貼られているとされていた。
だが、東文研による高精細デジタル画像撮影、エックス線透過撮影、
蛍光エックス線分析などの科学調査の結果は、金箔銀箔説に強い
疑念を示すものだった。
こういう調査結果を発表した。
これをNHKがドキュメンタリーとして放映。
光琳の金箔は金ではなかった!というものだ。
私も見たのであるが、おそらく美術界の関係者の多数も見たと思う。
実に科学的で面白い内容であった。これが、面白いが故に一般の方
も多数ご覧になられ、その時分大いに話題となった。
後で語ることになるが、版画を含め特に印刷技術において、今現在
表現が不可能とされる部分が存在する。
それは“金”と“白”の表現である。
実は印刷のインクに白と金は存在しないのである。
白色を出す場合、基本は“紙の色”を使用する。また金の場合、
これは色ではないのである。物質が薄く平滑になったものを平面
に貼り付けられているだけである。
もう少し踏み込んで分かり安く言えば、金箔の場合、光を当てれば、
見る角度によって様々な光を放つと思う。これをインクで表現する
などと言うことは不可能なのである。現実的には実際の“金箔を使用し”
複製を作るというのが、技術的にも商品のクオリティーからしても
妥当な手段となる。
しかし、特に今回の場合、金というのが重要なテーマとなるので
あるが、ここまで世の中が光琳の“金”というのに注目している中、
複製品を作り、尚且つ“美術館に認証”させるとなると、その研究
結果に適うクオリティーが求められるのは間違いない。
一般に販売する商品の製作程度のコストで果たしてそこまでの
ハイクオリティーなものが作り出せるのであろうか??普通考えれば
無理である。
三つ目であるが
これがプランナーとして一番肝となる部分であるが、ライセンスを
どういう形で取得するのか?という事である。過去の事例では美術館
の正面から“ごめんください”と訪ね、ことごとく門前払いにあって
来ている。これは大儀、技術、以外の営業的側面、所謂“根回し”が
足りないという事である。
ここで詳しくは語れないが、美術館にはそれぞれの性格が存在する。
特に私立美術館の場合、それは特に際立ったものが存在する。
公的行政の予算で運営されている訳ではないので、それなりのルート
というものがある。これにコミットしなくては、前述の通り門前払い
となる。
これも後に語ることとなるが、取り掛かり始めてわかった事であるが、
私の想像を超える数の会社が過去依頼を申し込んでいた。そしてそれ
らがことごとく門前払いであったのだ。。
以上三つが大まかではあるが難しい事由であった。
(細かい部分は無数にあるが割愛させてもらう)
これを一つ一つ“つぶして”いかなくては
作るというスタートラインには到底到達しないのであった。。。。
つづく。
「い、いやっ、絶対に無理です、、」
「まぁまぁ、、そう言わずに、一度検討してください。。」
こういうディレクターは基本的に常時20本近くの
企画を進行させている。その内具体性が強くなった
ものから社内プレゼンにかける。
だから、常に50%以下の可能性のものでも
大きく様々な網を張っておくのである…
だから私も真剣に向き合いはしたが、、
無理だろうなぁ~という諦めを隠しながら
「あ、、、はい。。」
と、その電話は切った。。
そうは言っても無下にほったらかしには出来ない。
出来ないなりのレポートも必要となる…・
頭を抱えた。
光琳の複製が難しく無理なことは、実は充分承知していた。
この数年前、世間に広く喧伝されたわけではないので、ほぼ
知った人はいないのであるが、国宝、仁清の藤壺1/1スケール
複製という、最終的に数億円という規模のプロジェクトがあった。
そこに私が勤める会社が参画しており、私もほんの少しこの
プロジェクトを垣間見た。やはり約2年近くかかっていたと思う。
もてる技術の全てを吐きだし、最終的には利益が出るか出ないか
というギリギリまで追い詰められて出来上がるものであり、
生半可な“儲かる”なんて想像はことごとく木っ端微塵にされた。
この時の労苦を知っているだけに、とても無理だ!と
依頼されたとき即時頭を過ぎった。
国宝・光琳「紅白梅図」の複製品制作において難しいという
点は大きく3つあると思う。
もともと“国宝”というのは、大半誤解があると思うが、
国という行政の宝というのではない。基本的な概念は
“国民の宝”なのである。
公立私立に様々に収蔵されてはいるが、認定されれば、それは
最終的には国民の宝となる。だからこれもあまり一般に知られて
いないが原則年間40日間以上必ず国民の前に展示しなくてはいけ
ない。最低40日という捉え方の方が正しいかもしれないが。
こういう公益を100%帯びた物品を、私的な美術館が保有していた場合
それを材料に複製品を作り、利益を生み出すというのは、基本的に
“大儀”が必要とされる。
なんのために?という事である。ただ単に儲けたい!などというのは
国民全体の宝を私的流用しているに過ぎないと非難されてもしようが
ない。それを回避するためには、広義においての大儀が必要となる。
これが一つである。
二つ目は複製技術の問題である。
ご存知の方も多いと思うが。
2004年静岡県熱海市のMOA美術館のシンポジウムで東文研
(東京文化財研究所)が行った発表が、美術史界に衝撃を与えた。
それまで同美術館所蔵の紅白梅図屏風の金地部分には“金箔”が、
流水部分には“銀箔”が貼られているとされていた。
だが、東文研による高精細デジタル画像撮影、エックス線透過撮影、
蛍光エックス線分析などの科学調査の結果は、金箔銀箔説に強い
疑念を示すものだった。
こういう調査結果を発表した。
これをNHKがドキュメンタリーとして放映。
光琳の金箔は金ではなかった!というものだ。
私も見たのであるが、おそらく美術界の関係者の多数も見たと思う。
実に科学的で面白い内容であった。これが、面白いが故に一般の方
も多数ご覧になられ、その時分大いに話題となった。
後で語ることになるが、版画を含め特に印刷技術において、今現在
表現が不可能とされる部分が存在する。
それは“金”と“白”の表現である。
実は印刷のインクに白と金は存在しないのである。
白色を出す場合、基本は“紙の色”を使用する。また金の場合、
これは色ではないのである。物質が薄く平滑になったものを平面
に貼り付けられているだけである。
もう少し踏み込んで分かり安く言えば、金箔の場合、光を当てれば、
見る角度によって様々な光を放つと思う。これをインクで表現する
などと言うことは不可能なのである。現実的には実際の“金箔を使用し”
複製を作るというのが、技術的にも商品のクオリティーからしても
妥当な手段となる。
しかし、特に今回の場合、金というのが重要なテーマとなるので
あるが、ここまで世の中が光琳の“金”というのに注目している中、
複製品を作り、尚且つ“美術館に認証”させるとなると、その研究
結果に適うクオリティーが求められるのは間違いない。
一般に販売する商品の製作程度のコストで果たしてそこまでの
ハイクオリティーなものが作り出せるのであろうか??普通考えれば
無理である。
三つ目であるが
これがプランナーとして一番肝となる部分であるが、ライセンスを
どういう形で取得するのか?という事である。過去の事例では美術館
の正面から“ごめんください”と訪ね、ことごとく門前払いにあって
来ている。これは大儀、技術、以外の営業的側面、所謂“根回し”が
足りないという事である。
ここで詳しくは語れないが、美術館にはそれぞれの性格が存在する。
特に私立美術館の場合、それは特に際立ったものが存在する。
公的行政の予算で運営されている訳ではないので、それなりのルート
というものがある。これにコミットしなくては、前述の通り門前払い
となる。
これも後に語ることとなるが、取り掛かり始めてわかった事であるが、
私の想像を超える数の会社が過去依頼を申し込んでいた。そしてそれ
らがことごとく門前払いであったのだ。。
以上三つが大まかではあるが難しい事由であった。
(細かい部分は無数にあるが割愛させてもらう)
これを一つ一つ“つぶして”いかなくては
作るというスタートラインには到底到達しないのであった。。。。
つづく。
