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春が来る!
今、BAMI galleryの企画を組んでいる。



プレ・オープンから2ヶ月が経過し、この2ヶ月は
合間に百貨店の企画を二つ挟み正直慌しかった。。



もっと有体に言えば、、12月1日から改装を始め、、
追い掛け回されるように落ち着きなくバタバタして、、、
振り回されていたように感じる。



今週に入り暖かくなった、まだこの先寒い日もある
と聞くが、それでも改装を始めたころから今に至る
までの寒さからすればしれているだろう。



春になる。



入り口や窓から暖かい風が入ってくる。今まで長い間
ビルの中で仕事をしてきた者からすると、この新しい
古民家ギャラリーは季節の声が聴こえる!



暖かくなるだけで何か嬉しい。



2階に若い作家達が順に引越ししてきている。



ウィンドーなんて洒落たものはないが、春になれば
入り口の戸を思いっきり空けて道行く人に展覧を外
に向かって訴えかけようと思う。



当面、4月1日からスタートさせる
ギャラリー2階スタジオ開設記念展【4展 shiten】
からゴールデンウィーク終了の5月6日まで一日も
閉廊しないことに決めた!




▲TOP
全天球形式 八木展
ある方から八木君の個展を全天球形式で撮影していただいた
画像をいただきました。





たまにチラッとそういったものを見かけた事は
あったのですが、、実際見ると実に面白い!


こういったテクノロジーがグングン進んでいるのは
面白い限りです!



以下URLよりTHETAというソフト(フリー)を
ダウンロードしていただき、今回UPした画像を
ドラッグ&ドロップしていただくとギャラリー
の360度風景がお楽しみいただけます!


RICOH THETA

https://theta360.com/ja/support/download/

▲TOP
コミットメント
新たにギャラリーをオープンさせて一ヶ月が過ぎま
した。


これまでお世話になった方々、又この新しい場への
移転に際してお世話になった方々、そして有難い
ことにこの移転を取材し伝えていただいたメディア
の方々、その報道を見て興味を持ってお越しいただいた
方々、正直、身の丈を越える関心を寄せていただき
沢山の方にお越しいただきました。


様々なご意見も併せていただきました。


こういう取り組みについて私が考えている事と
外に向かって発信するものが合致しない
中々イメージできないという事も理解できました。


まだ一ヶ月ではないか?そんな程度で??
という事もあるでしょう、どれほどの事を今まで
してきてその上でという事もなしに、、、確かに
短慮であるかもしれません。


しかし、、、


ある程度、この新しい地に来る前に仮初にも約6年
同じ京都という街でギャラリー活動してきたので想像は
してきましたが、、、、


やはり、この街、京都という場所のギャラリーという
呼称及びイメージは”貸しギャラリー”であり、それが
この街のギャラリー文化なのだなと改めて強烈に感じて
います。


メディアの取材は大変有難い事で、取材をしていた
だいた私などが意見をいう事は憚られるのですが、、
しかし、ある意味冷静に判断すれば、それはタウン
情報だと言う事で、ギャラリーの外側を取り巻く
環境を取材していただいているという事に他なりま
せん。


つまり、ある種の取材ソースとしての韻を踏んでいる、
古い歴史ある街、そこの古民家を改装、そして現代美術
という古い歴史と新しい表現というギャップ=コント
ラスト又、それを若者が中心になって始動させた等々、、、、


この部分に興味の対象が向いているというのは理解
しています。


しかし私が追求すべき本質はその中身でありソフト、
コンテンツ=つまり作家・作品に興味が向かないと
ギャラリー、特に私が志向するプライマリーギャラリー
としては失格です。


現状で冷静に判断を下せばそうなるでしょう。
又、目に見える私の今後の大きな課題でしょう。


建物の特異性であったり、街とその建物の風景における
関係性であったりというものは、さほど鮮度あるニュース
ではありません。それは二義的要素であり、ソフト、コン
テンツの鮮度を支えるベースであってこそ活きてくるもの
だと考えます。


例えば、当方の作家に興味を持った方がお越しくださる
という事が一義的な事であり、その場所が古民家で
現代美術を伝える特異な存在だというのが本来的であろう
と考えます。これが逆の場合どうか?


古民家で現代美術を伝えるという事のみの関心であった
場合、一度見れば十分な訳です。。。そうなると、、
言わずもがな、、作家作品という部分は置き去りに
なることは必定ではないでしょうか?お越しいただき
理解いただきという手間を軽んじている訳ではありません。
お越しいただいてこそ全てが始まる。その為に、、、


あくまでも私はその優れた作家の作品を訴求する
事こそが重要であり、それに一意専心すべきなのだ
と強く感じています。


その意味で端から分かっていた事とは言え、改めて
覚悟しなくてはならないと感じています。


生意気な事を書き連ねていますが、、、


色々な方から取材やご意見、感想を頂いて、、


正直不思議に感じている事が二つあります。


約5、6年前


私のこの場所と同じ街区、下京区に小山登美雄と
タカイシイという日本のコンテンポラリーギャラリー
としてはトップクラスのプライマリーギャラリーが
出店しました。


その事は、実はこの業界にいるものからすると
かなり大きなニュースだったのですが、現実は
地元メディアも大して取り上げていなかった、、、、


それどころか、、この二つのギャラリーの事績を
相対化、つまりこの街のギャラリーとは全く異質
であり、時代を背負っているというような切り口
は全く見受けられなかった事にも当時相当な違和感
を感じていました。


なぜかな??不思議でした、、、


この街にとってマイナスではない、又、徐々にその
事が浸透するのかな?などと考えていましたが、、、


しかし、数年前(1、2年前かな??)にその活動を
休止し退去しています。


この二店が、、大変失礼な言い方ですが、、経営的
な問題があってそうなったか?と言えば、決して
そうではないという事は理解できます。


この二店は現在東京はもちろんシンガポールにも
出店している又、所属・取り扱い作家のインターナ
ショナル性を考えても磐石であると判断できます。


では何故?京都の街を去ったのか?


ここが全く理解されていない事が不思議なのです。


もう今ではあった事すらが、、、語られることも
ない・・・・・・・・


私が理解するギャラリーという商売を俯瞰して見たとき、
この状況は何を物語っているのか?そこを全く抜きにして
今、私のやろうとしている事の意味とそれが成立するのか?
と考えれば、又違った見方、人口+文化に比しての
この街の特異なマーケット性が理解できるのではな
いかと考えています。


つまり、この街は生産(作家、作品、大学)の街であり、
それに対しての需要があまりにも脆弱、もしくは他地域で
需要されているのだという事であり、その背景に、日本を
代表するコンテンポラリーギャラリーでも手に負えない
環境があるという事だと私は感じています。


これは何が起因しているのか?


突き詰めれば東京を除く他地域でも同じだと私は思いますが、
しかしこの街の特異性は、他地域に比べ、需要メニューを
歴史的にも多く生み出しているという点が確実に大きな
違いがあると考えます。選択できるという他地域にはない
優位性が在るにもかかわらず・・・・又それは決して次元の
低いものではないという現実があって・・・・


つまりドメスティックな環境下(京都)のみで考えれば需給
のギャップ及び足元の需給循環が不全だという事だと考えま
す。


結論は作家を成り立たせるその基本構造とそれを培う文化が
欠落しているという事だと考えます。つまりギャラリーとい
う仲介文化も存在しないということだと思います。


過去のある意味確定した価値観に対してのある程度の需給は
あるでしょう、、



しかし、、まだ価値の未確定な新しいものへの需給バランスが、、、、

生産地としては全く大きなギャップを生み出して
いる事に深刻な問題があり、、一千年の歴史と文化という
誇りに比べ”廉恥”だと私は考えています。



この事を前提に、、


二つ目の大きな疑問は


若者を育てるという言葉です。


この言葉は相当数聴き聴かされましたが、、


私に対してのものは全て否定しました。


果たして若者を育てるという言葉は何を意味するのか?


結論から考えれば育ったという事はどうなったら
そうなのか?という事がないまま、取り掛かりの
状況の絵図らからのみ結論付けてしまって発せられてい
るとしか思えないからです。



つまり結果を何もイメージできていない。。。。
そうなるとこの言葉はあまりにも軽いのではないで
しょうか?



正直、この取り組みを客観的に眺めれば、


そういう風景である事は否めないでしょう。
しかし、当事者である私に正直、そう言った感覚は
皆無であるという事です。


実際私ごときが他人様のご子息を育てられる人間か
否かなど、、ある程度横着な自身を差引いても、、
そうでない事ぐらいは自覚しているつもりです。



もっと言えば、、自らの子供を育てるのにも精一杯
であり、、増して自らの成長ですら怪しい自分を
見つめれば、、この言葉に乗るほど不遜ではないと
抵抗する次第なのです・・・・



話が逸れましたが、、、


結論、私が関わっている若者は、芸術家を志向する
者達です。その若者が育つという事は、芸術家になる
という事です。


では芸術家になるというのは?どうなればそうなった
のでしょう?


又、その姿が成り立つ要件とは何か?


私の取り組みは


恐らく、若者を育てるという言葉の表裏に存在する


若者を利用して自己実現しているという方が実は実情
に合致しています。


敢えて誤解を恐れず言えば、私が成り立たなければ
この取り組みは雲散霧消です。


私は私が成り立つためにやっています。


その中、もしくは彼ら個人の生活の中で、彼らも彼ら
が成り立つためにやっています。


これは取引です。


それは経済的な事を置き去りにして語れるものでは
ありません。


結果その事がやり続けられ、その先に過去を振り
返れば育てたという事を誰かが言ってくれる日が
あるかもしれません。


しかし今それは微塵も無いでしょう。


これから先もこと私に関しては”育てる”という感覚は
ないと思います。


ただ、、私にあるとすれば


先述の街のギャラリー文化の話に戻しますが、、


この街の現時点のギャラリー文化に対して
ほんの小さな声かもしれませんが、、、、


一石を投じたいという強い思いはあります。


真に若い才能が作家として成り立つギャラリーの存在


そういうものが一千年を越える歴史と文化を誇る
街に存在する・・・・・・・・


東京からやって来たトップギャラリーでも成しえな
かったこの街で・・・・・


だから、、、


この若者を育てるという言葉をやたらと気軽に皆使う
事に正直違和感を感じています。


芸術家が成立する要件を著しく満たしていない
又そう言った文化が存在しないこの街の現状から
鑑みて、、、


誰がそれをどのようにして、どうするのか?という
事が全く語られることもなく、この見目麗しい言葉の
みが一人歩きしている事に皆現実から逃避?もしくは
どうでも良いように感じてならないのです。

確かにどうでもよいことでしょう・・


現実の一個人にとってそれが生活の中でいかほどの
意味をもつのか?


しかし、では真の文化とは何か?


今、時を経て残っている文化とはなんなのか?


その文化によって成り立たせているもの


特に京都は先人が他地域に比べようも無いものを
残してくれています。これは現代の生活者の努力
ではないものが殆どです。まったく努力がないか
といえば維持管理という大変な部分も勿論あります。


しかし、進取の部分は?


行政がアートで街をという取り組みに対してフンダンに
血税を注ぐ、””ファンタジー””又、実は注ぎやすさ
も存在し、その中で若い作家を育てるなどという要素を
盛り込めば尚の事であるというのは、各地のアートイベ
ントの多さを考えれば簡単に理解できると思います。


しかし、現実、そう言ったものが血税を支出する納税者
に対して目に見える形で何か残せたのか?と考えれば、
泡沫的なお祭りに、血税をジャブジャブ使って、、、、



それを問題視する意見も聞いたことがない。



そのコミットメントを初期においても結果においても
求めていないという異常な状態が見えてくると思います。



・・・・・・



あまりにも偉そうな事を書き連ねて


お前は何様だ!というお叱り


不快な印象を与えたかもしれません・・・・


しかし、、


この新しい地に引越しするに当たり


ある一人の大事なお客様から


手紙を頂きました。


そこには、、、、




************



世の中の


人は何とも云えばいへ


わがなすことは

われのみぞ知る


龍馬



***********



私が龍馬などということは勿論
ありません・・・


私がしようとしている事を詳しく
説明した事もありません、、、



しかし、この大事なお客様から見れば、、


涙が出ました。。。



今、仕事をする机の前に
飾らせてもらって毎日眺めています。




この不遜なブログは


一ヶ月経過した


自分への


改めての



コミットメントなのです。。。。

▲TOP
エレガントに生きる
ある夜、食事をしたあと寝て、、



数時間後



目が覚めると、、



一日が終わっている。




TVをつけて見ると


とある番組の再放送をしてた・・・


ぼぉ~と眺めていたが、、、


ハッと


目が覚めた!



「世界一服にお金をかける男たち」







あのポール・スミスも刺激を受け、コレクションに
反映させたというコンゴの紳士たち。


土煙舞う道端を、色鮮やかなスーツに身を包みかっ歩する。






彼らはサプールと呼ばれ、ひとたび現れると、人々が家々
から飛び出し、喝采を送る街のヒーローだ。


しかし、その正体は平均所得月2万5千円の一般の人たち。
給料の半分以上を衣服につぎ込む、その情熱の正体とは!?






アフリカ コンゴ共和国の首都ブラザビルのスラム街。


街並みとは対照的なカラフルな色のスーツを着こなし
ているこの男性達、『sapeurs(サプール)』は、


SAPE(サップ)


Société des Ambianceurs et des Personnes Élégantes
(エレガントな人々の集団)- というコンゴ発祥の
ファッション美学を実践している人々のことで、
SAPEは1922年にAndre Bernard Matsouaが、
フレンチファッションを華麗に着こなし、パリから
帰国したことに由来。






「服装の色は3色まで」というのがサプールの美学。


そしてもう1つの重要な要素は「モラルを重んじること」。
服装も精神もエレガントであろうという彼らの美学。



この極端なライフスタイル、しかし彼らの服に対しての
思いは、ただ単なるお洒落ではなく、自らを律し、主張し、
生き方そのもの。


故に尊敬も集める。



「世界一服にお金をかける男たち」という言葉の側面から
だけを窺うと、ただの生活における経済観念の欠落した
浪費家としか映らないが、しかし彼らはその苦しい現実の
中から美学を構築している。



この姿に若者が憧れ、先輩たちがサップとはなにかの本質
をお洒落を通して教えていく。







番組の最後に先輩サップと弟子?というのか先輩に憧れる
若者の姿を追いかけるのだが、その先輩が若者に四万円以上
するスーツをプレゼントする。平均月収の約2倍・・・・






その先輩が語る言葉にはサップと呼ばれる
男の凄みがあった!



そこからこの国の将来が生まれると思うんだよ。
この国には若者が必要なんだよ!




なにか??なんだろう??



そう、薩摩の郷中教育に近い匂いを感じた。



そして、、、




今の私はもの凄く”刺激”を受けた!





*********



どうせすぐに消去されるが、、、、
以下がその番組。



▲TOP
八木佑介 日本画展 松坂屋名古屋店 無事終了いたしました。
昨日10/21日(火)無事、八木佑介 日本画展 松坂屋名古屋店
終了いたしました。


沢山の方にご高覧いただき感謝しております。


誠にありがとうございました。







まだ23歳の大学院生、本当に大きな挑戦の機会をいただ
きました。


このような機会を頂いた松坂屋様にも深く感謝しており
ます。



昨年12月、閉店が決まった高松天満屋にて、色々な調整
はありましたが、ナンとか初個展を開催。


12年間お世話になった私にとっても高松天満屋画廊にて
は最後の企画となりましたが、それから一年、、、


今回は以前にもまして作品の精度を上げ臨みました。




正直、不安はありました。




一体どのような反応が生まれるのだろうか??



無視されないだろうか??





飾り付けの時、


箱から出す瞬間の周りの反応を観察していると

スタッフの結構な驚き具合



画廊の壁一面に



ストイックな黒い作品がマシンガンのように並ぶ様は、、


従来のこの場ではない


独特のスタイリシュさ及び”挑戦的”だと確信しました。



やはり普通では駄目だ!




八木君の若さをより引っ張り出すには危険だがコンテンツ
は分かりやすく一点に集約した方が良いと考えたのは成功
でした。



余談ですが、、今回二人で話し合い


敢えてサブタイトルを外しました。


八木佑介 日本画展


これのみです。


「えっ?これ日本画??」



という声がどれほど多かったか、、


つまり敢えて逆張りをしました。



オーソドックスなものが多く流通し、固定観念が確立して
いる場所だからこそ、敢えて順目にして、こちらが逆らう
のではなく、お客様に錯綜感覚を味わってもらおうと考え
ました。



だから実際の展示もそれに従う事とし



セッティング時、画廊として許容される極限の光量を提案


通常使用する蛍光灯を消し、スポットとダウンスポットのみ
の薄暗い空間を作り出しました。








ある意味非常識な感覚です。



初日、開店早々から驚かされる

どこで情報をキャッチされたのか?



最終的には私のブログに辿り着き、確信を持ってお越しい
ただいた方は、なんと新潟から夜行バスに乗って・・・・



あまりの遠方とその期待値に恐縮・・・



又、昨年の高松の個展で彼と彼の作品に惚れていただいた
コレクターの方も車を飛ばして四国から朝一駆けつけていた
だいたのには本当に嬉しかったです。。。



会期一週間



途切れることなく多くのお客様に来廊いただき

そのスタイリシュ+アーバン+斬新+若い

このような評価をいただき、皆様一様に興味を持って、



概ね好意的にご覧頂けたことにホッと胸を撫で下ろしま
した。





ただ良い事ばかりではありません。


やはりまだまだ未熟な部分もあります。


辛らつなご意見を頂戴することも数多くありました。


しかし、それらは私にとっても彼・八木君にとっても
誠にありがたい今後の糧と成す貴重なご意見でもあり
ました。



最終日一日前

COMBINEで同じく仕事をしてくれている

釜くんと松本くんが来てくれました。







八木君にとっては先輩です。


しかし、


これは学校の先輩後輩ではなく



同じく絵画という世界で志を立て戦う先輩後輩


私としても非常に嬉しい交流となりました。


因みに



釜君は今年5月に同場所にて個展を開催
2年後には第二画廊というより高いステージへ
ステップアップ


松本君は来年2月、25日~3月3日の間、同場所
松坂屋名古屋店第三画廊にて初個展を開催します。


そのため、松坂屋のスタッフの方々への挨拶も
し、制作内容と発表時の構想等の打ち合わせも
行いました。


ある意味、それぞれが同じ経験をし戦う者同士


お互いに様々な意見交換をし、現場でしかできない
感覚を共有できた事は実に有意義であったと私は
確信しています。


又、それぞれが次の課題へのより強い覚悟も
生まれたのではないか?と密かに観察していました。


さて、今回の個展は概ね成功であったと思いますが
次回は??


八木君は現在京都造形の院2生、来春卒業ということで
ここから暫くは卒業制作展へ向けて大作の制作にかかり
ます。


学部卒業時の大作はありがたいことに佐川美術館様に
コレクションしていただきましたが、今回は??



約4ヶ月その制作に没入いたしますが、



それが終了した段階で次の個展を開催するべく現在
調整中です。



次回は関西にてと考えております。


詳細が決まり次第



改めてホームページ及び当ブログにて紹介をさせて
いただきます。


こうご期待ください!!







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