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コミットメント
新たにギャラリーをオープンさせて一ヶ月が過ぎま
した。


これまでお世話になった方々、又この新しい場への
移転に際してお世話になった方々、そして有難い
ことにこの移転を取材し伝えていただいたメディア
の方々、その報道を見て興味を持ってお越しいただいた
方々、正直、身の丈を越える関心を寄せていただき
沢山の方にお越しいただきました。


様々なご意見も併せていただきました。


こういう取り組みについて私が考えている事と
外に向かって発信するものが合致しない
中々イメージできないという事も理解できました。


まだ一ヶ月ではないか?そんな程度で??
という事もあるでしょう、どれほどの事を今まで
してきてその上でという事もなしに、、、確かに
短慮であるかもしれません。


しかし、、、


ある程度、この新しい地に来る前に仮初にも約6年
同じ京都という街でギャラリー活動してきたので想像は
してきましたが、、、、


やはり、この街、京都という場所のギャラリーという
呼称及びイメージは”貸しギャラリー”であり、それが
この街のギャラリー文化なのだなと改めて強烈に感じて
います。


メディアの取材は大変有難い事で、取材をしていた
だいた私などが意見をいう事は憚られるのですが、、
しかし、ある意味冷静に判断すれば、それはタウン
情報だと言う事で、ギャラリーの外側を取り巻く
環境を取材していただいているという事に他なりま
せん。


つまり、ある種の取材ソースとしての韻を踏んでいる、
古い歴史ある街、そこの古民家を改装、そして現代美術
という古い歴史と新しい表現というギャップ=コント
ラスト又、それを若者が中心になって始動させた等々、、、、


この部分に興味の対象が向いているというのは理解
しています。


しかし私が追求すべき本質はその中身でありソフト、
コンテンツ=つまり作家・作品に興味が向かないと
ギャラリー、特に私が志向するプライマリーギャラリー
としては失格です。


現状で冷静に判断を下せばそうなるでしょう。
又、目に見える私の今後の大きな課題でしょう。


建物の特異性であったり、街とその建物の風景における
関係性であったりというものは、さほど鮮度あるニュース
ではありません。それは二義的要素であり、ソフト、コン
テンツの鮮度を支えるベースであってこそ活きてくるもの
だと考えます。


例えば、当方の作家に興味を持った方がお越しくださる
という事が一義的な事であり、その場所が古民家で
現代美術を伝える特異な存在だというのが本来的であろう
と考えます。これが逆の場合どうか?


古民家で現代美術を伝えるという事のみの関心であった
場合、一度見れば十分な訳です。。。そうなると、、
言わずもがな、、作家作品という部分は置き去りに
なることは必定ではないでしょうか?お越しいただき
理解いただきという手間を軽んじている訳ではありません。
お越しいただいてこそ全てが始まる。その為に、、、


あくまでも私はその優れた作家の作品を訴求する
事こそが重要であり、それに一意専心すべきなのだ
と強く感じています。


その意味で端から分かっていた事とは言え、改めて
覚悟しなくてはならないと感じています。


生意気な事を書き連ねていますが、、、


色々な方から取材やご意見、感想を頂いて、、


正直不思議に感じている事が二つあります。


約5、6年前


私のこの場所と同じ街区、下京区に小山登美雄と
タカイシイという日本のコンテンポラリーギャラリー
としてはトップクラスのプライマリーギャラリーが
出店しました。


その事は、実はこの業界にいるものからすると
かなり大きなニュースだったのですが、現実は
地元メディアも大して取り上げていなかった、、、、


それどころか、、この二つのギャラリーの事績を
相対化、つまりこの街のギャラリーとは全く異質
であり、時代を背負っているというような切り口
は全く見受けられなかった事にも当時相当な違和感
を感じていました。


なぜかな??不思議でした、、、


この街にとってマイナスではない、又、徐々にその
事が浸透するのかな?などと考えていましたが、、、


しかし、数年前(1、2年前かな??)にその活動を
休止し退去しています。


この二店が、、大変失礼な言い方ですが、、経営的
な問題があってそうなったか?と言えば、決して
そうではないという事は理解できます。


この二店は現在東京はもちろんシンガポールにも
出店している又、所属・取り扱い作家のインターナ
ショナル性を考えても磐石であると判断できます。


では何故?京都の街を去ったのか?


ここが全く理解されていない事が不思議なのです。


もう今ではあった事すらが、、、語られることも
ない・・・・・・・・


私が理解するギャラリーという商売を俯瞰して見たとき、
この状況は何を物語っているのか?そこを全く抜きにして
今、私のやろうとしている事の意味とそれが成立するのか?
と考えれば、又違った見方、人口+文化に比しての
この街の特異なマーケット性が理解できるのではな
いかと考えています。


つまり、この街は生産(作家、作品、大学)の街であり、
それに対しての需要があまりにも脆弱、もしくは他地域で
需要されているのだという事であり、その背景に、日本を
代表するコンテンポラリーギャラリーでも手に負えない
環境があるという事だと私は感じています。


これは何が起因しているのか?


突き詰めれば東京を除く他地域でも同じだと私は思いますが、
しかしこの街の特異性は、他地域に比べ、需要メニューを
歴史的にも多く生み出しているという点が確実に大きな
違いがあると考えます。選択できるという他地域にはない
優位性が在るにもかかわらず・・・・又それは決して次元の
低いものではないという現実があって・・・・


つまりドメスティックな環境下(京都)のみで考えれば需給
のギャップ及び足元の需給循環が不全だという事だと考えま
す。


結論は作家を成り立たせるその基本構造とそれを培う文化が
欠落しているという事だと考えます。つまりギャラリーとい
う仲介文化も存在しないということだと思います。


過去のある意味確定した価値観に対してのある程度の需給は
あるでしょう、、



しかし、、まだ価値の未確定な新しいものへの需給バランスが、、、、

生産地としては全く大きなギャップを生み出して
いる事に深刻な問題があり、、一千年の歴史と文化という
誇りに比べ”廉恥”だと私は考えています。



この事を前提に、、


二つ目の大きな疑問は


若者を育てるという言葉です。


この言葉は相当数聴き聴かされましたが、、


私に対してのものは全て否定しました。


果たして若者を育てるという言葉は何を意味するのか?


結論から考えれば育ったという事はどうなったら
そうなのか?という事がないまま、取り掛かりの
状況の絵図らからのみ結論付けてしまって発せられてい
るとしか思えないからです。



つまり結果を何もイメージできていない。。。。
そうなるとこの言葉はあまりにも軽いのではないで
しょうか?



正直、この取り組みを客観的に眺めれば、


そういう風景である事は否めないでしょう。
しかし、当事者である私に正直、そう言った感覚は
皆無であるという事です。


実際私ごときが他人様のご子息を育てられる人間か
否かなど、、ある程度横着な自身を差引いても、、
そうでない事ぐらいは自覚しているつもりです。



もっと言えば、、自らの子供を育てるのにも精一杯
であり、、増して自らの成長ですら怪しい自分を
見つめれば、、この言葉に乗るほど不遜ではないと
抵抗する次第なのです・・・・



話が逸れましたが、、、


結論、私が関わっている若者は、芸術家を志向する
者達です。その若者が育つという事は、芸術家になる
という事です。


では芸術家になるというのは?どうなればそうなった
のでしょう?


又、その姿が成り立つ要件とは何か?


私の取り組みは


恐らく、若者を育てるという言葉の表裏に存在する


若者を利用して自己実現しているという方が実は実情
に合致しています。


敢えて誤解を恐れず言えば、私が成り立たなければ
この取り組みは雲散霧消です。


私は私が成り立つためにやっています。


その中、もしくは彼ら個人の生活の中で、彼らも彼ら
が成り立つためにやっています。


これは取引です。


それは経済的な事を置き去りにして語れるものでは
ありません。


結果その事がやり続けられ、その先に過去を振り
返れば育てたという事を誰かが言ってくれる日が
あるかもしれません。


しかし今それは微塵も無いでしょう。


これから先もこと私に関しては”育てる”という感覚は
ないと思います。


ただ、、私にあるとすれば


先述の街のギャラリー文化の話に戻しますが、、


この街の現時点のギャラリー文化に対して
ほんの小さな声かもしれませんが、、、、


一石を投じたいという強い思いはあります。


真に若い才能が作家として成り立つギャラリーの存在


そういうものが一千年を越える歴史と文化を誇る
街に存在する・・・・・・・・


東京からやって来たトップギャラリーでも成しえな
かったこの街で・・・・・


だから、、、


この若者を育てるという言葉をやたらと気軽に皆使う
事に正直違和感を感じています。


芸術家が成立する要件を著しく満たしていない
又そう言った文化が存在しないこの街の現状から
鑑みて、、、


誰がそれをどのようにして、どうするのか?という
事が全く語られることもなく、この見目麗しい言葉の
みが一人歩きしている事に皆現実から逃避?もしくは
どうでも良いように感じてならないのです。

確かにどうでもよいことでしょう・・


現実の一個人にとってそれが生活の中でいかほどの
意味をもつのか?


しかし、では真の文化とは何か?


今、時を経て残っている文化とはなんなのか?


その文化によって成り立たせているもの


特に京都は先人が他地域に比べようも無いものを
残してくれています。これは現代の生活者の努力
ではないものが殆どです。まったく努力がないか
といえば維持管理という大変な部分も勿論あります。


しかし、進取の部分は?


行政がアートで街をという取り組みに対してフンダンに
血税を注ぐ、””ファンタジー””又、実は注ぎやすさ
も存在し、その中で若い作家を育てるなどという要素を
盛り込めば尚の事であるというのは、各地のアートイベ
ントの多さを考えれば簡単に理解できると思います。


しかし、現実、そう言ったものが血税を支出する納税者
に対して目に見える形で何か残せたのか?と考えれば、
泡沫的なお祭りに、血税をジャブジャブ使って、、、、



それを問題視する意見も聞いたことがない。



そのコミットメントを初期においても結果においても
求めていないという異常な状態が見えてくると思います。



・・・・・・



あまりにも偉そうな事を書き連ねて


お前は何様だ!というお叱り


不快な印象を与えたかもしれません・・・・


しかし、、


この新しい地に引越しするに当たり


ある一人の大事なお客様から


手紙を頂きました。


そこには、、、、




************



世の中の


人は何とも云えばいへ


わがなすことは

われのみぞ知る


龍馬



***********



私が龍馬などということは勿論
ありません・・・


私がしようとしている事を詳しく
説明した事もありません、、、



しかし、この大事なお客様から見れば、、


涙が出ました。。。



今、仕事をする机の前に
飾らせてもらって毎日眺めています。




この不遜なブログは


一ヶ月経過した


自分への


改めての



コミットメントなのです。。。。

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