RECENT POSTS
大好きな写真
今、NHKの大河ドラマは



龍馬伝だ。



毎年の事であるが



NHKの大河ドラマに取り上げられた
偉人は、その年、書籍や観光やその他諸々
ブームになる。いや正確にはそういうプロ
モーションを仕掛けるのであるが・・



しかしながら別段悪い事とは思わない、改め
てこの国の偉人をそういう形で掘り下げるのも
良いような気がする。



かく言う私も実は龍馬好きであり、、
今年様々な形で取り上げられている事
には少し満足するものがある。



私が龍馬という人物を知ったのは
例にもれず司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』
を読んでのことであった。14,5歳のころ
であったと記憶するが、単純な私はたちまち
魅了されそれ以来自分なりに竜馬像というも
のを様々な書籍で調べるという程ではないが
垣間見てきた。。



そして15歳の時、伏見の寺田屋に行き



一枚の大きなポスターを購入した。




誰もが知っている




例の立ち姿でブーツを履いている写真だ。






かなり長い時間自分の部屋に飾っていたと
思う。おそらく結婚し家を出るあたりまで
飾っていたような・・・




龍馬は幕末維新の志士としては肖像写真が
図抜けて多い。



色々なポーズ



様々な場所



そういう意味では



実像と想像の交信ができそうな端緒が残っている
彼の写真はなんともありがたいのであるが、、、



なかでも




私が一番好きな写真がある




海援隊の仲間と写っている集合写真だ。










実はこの写真が私は龍馬の肖像の
中で一番好きなのだ・・




この写真が撮られた時期は、間違いなく
江戸時代である。


この時代、侍が写っている湿板写真をご存じ
の方ならお分かりでしょうが、侍がこのような
人数で写った場合、必ず中心に”偉い人”が
ドンと位置づく。。そして順に後方に行く毎に
階級が下がる。



まぁ外人が撮った風俗写真は例外としても
大抵がそういったポジショニングである。


しかしどうであろうか?



この海援隊の連中の写り方は・・



一体誰がリーダーなんか?




龍馬は?と言えば前列の連中の間から
顔を覗かせているし、その隣で頬杖をつき
恰好を付けているのは若輩の陸奥宗光だ・・




何と言うのか



平明にいえば



不良集団・・・



しかしながら




この写真はこの時代の画期的な群像
だと思うのと同時に、、




私は



この写真に江戸時代という萎縮しきった
旧体制から新しい日本が生まれ出る息吹
が凝縮しているように感じて止まないの
である。。




実に自由で




くだらない身分制度に反抗するような
彼らの気概を感じるのだ。






この龍馬像こそは



私の



憧れの




一枚である。。

▲TOP
松本君との出会い
松本くんと最初に出会ったのは


今から一年半近く前に行った釜君の
BAMIgalleryでの初個展の時であった。


初個展ということもあってかなり多くの釜君
の知り合いが来廊してくれたのであるが、


松本君もその中の一人であった。


その時、京都精華大学の同期で自画像
ばかり描き続けているということを初めて
聞いた。



正直、自画像??と大した興味も無かったし
携えてきた小品を一点拝見させてもらったが、



ハッチングで描かれた横向きの自画像は
確かに良く描けてはいたが、やはり興味を
そそるものでは無かった・・・


へぇ~という程度であった事を今も覚えている。


しかし、気になる事もあった。


一つはこれからも自画像を描き続けるのか?
そのことに画家としての展望をどう考えている
のか?

もう一つは、霞を食べていけるわけでなし、、

当然、年齢的にも大学を卒業している訳で
丁度彼が来てくれた3月は節目の時期、この
子はこれからどうゆう進路を歩むのか?


聞くと、丁度就職が決まった所で、次月から
BAMIgallery近くの老舗の饅頭屋に勤める
という事であった。。


働きながら絵を描く。


これは別段特異なケースではない、どちらかというと
当たり前の状況であり、COMBINEの作家たちの
ほとんどもそう言った環境で頑張っている。。


が、、彼の場合、自画像ぉ???



基本的に絵画という流通を考えた場合、自画像
というのは商品価値的にどうか?と単純に突き当たる。



もちろん様々なケースがあるから一概には断定できない
現代美術の中には自分をモチーフとした表現も数多く
存在し人気を博しているものもある・・・



しかし、彼と想像上の彼の作品を客観的に考えた場合、
そう言った現代美術という風景よりも、、精華の油画を
卒業した自画像画家・・・となると、一般的には東京芸
大の卒業制作の作品のような印象を持って当たり前で、
その内容が果たして、、、、、しかも無名の若者の顔を描
いたモノを一体誰が評価し買うにいたるのか?そう考える
と前途はあまり明るいものが単純に見えないような気がし
たのである・・・



再度聞くと、、、
それでも彼は自画像でしか考えてない・・という返事。



ふーん。。。興味はなかったが、この決断というのか
決意にはもの凄く興味をひいた・・・・・・・・・・・・・・。。



別れ際、私は冗談で



”饅頭屋が絵を描いているのか、、
絵描きが仕方なく饅頭屋で働いているのか?”


さぁどっちになるか楽しみや!


と彼に浴びせかけた。。



それから数ヶ月、その間、、何故かミョーに気になる存在?



釜君と会うたびに、彼どうしてる?と聞き続けていた。
特にあってどうこうという事を考えていた訳ではないが


続けているのだろうか?絵?



それから数ヶ月、、フッと何気なく、釜君に



遊びにこいって言うといてくれん?と頼んだ。。



何というのかこのときも特に要件があるわけでは
無かったのだが、、何故か気になるのである・・



そんなお願いをしたことをすっかり忘れたある時
釜くんを通じて遊びに来たいという申し出があった。




そしてこれは釜君からの依頼でもあった・・(と、、私は
解釈している。。)



大学時代からお互いの実力を認め合った者同士
同じ道を走っている釜君が、マラソンに例えると
集団から遅れを取り出した松本君を気にかけて
の提案でもあったのだ・・と私は思った。。。。。



この遅れとは何か、、、


------------------------------------------------

饅頭屋が絵を描いているのか、、
絵描きが仕方なく饅頭屋で働いているのか?

------------------------------------------------



あの一言であった。やはり働きながらしかも
朝早くから夕方まで肉体労働でくたくた・・


ペースが掴めない事もさることながら、モチベーション
の維持が困難になりかかっていたのである・・・・


当然、自画像などというものを扱う業者など
そうそういるわけではない、そうすると団体展か
個人で貸しギャラリーを借りての展覧等、、
限られたチャンスを自分で作らなくてはならない。


当然覚悟の上と言えばそうなのだが、しかし
伴走者もなく一人でペースを掴むのはかなり
難しい事は、絵を描かない私でも容易に想像
できた。。


選んだ仕事も、、選んだモチーフも全てデメリット
の方が大きいものばかり、、、、、、、


なんと鈍臭いというのか?不器用というのか?


だから最初に出会った時、どうするの?
という疑問が先立ったのである・・・




しかしいずれにしても、意地悪ながら、それ見たことか?
的に会おうと、、、思った。。



数日後、釜君と一緒に現れた彼、確か仕事の話を
幾ばくかした後、、座っていた彼の脇を見るとポート
フォリオのファイルらしきものが・・・・



ちょっと見せて、、と取り上げた。。。



ページをめくった瞬間



しまったぁ!!と思った。。。。



なんで先入観だけで、この子の絵を丹念に見なかったのか・・
反省した。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


と、同時に


なんであんな小さな自画像然としたものを前回見せて
肝心なこのポートフォリオを持ってこなかったのか!


あほぉ!と怒りとも笑いともつかない妙な感覚を
持って彼を見つめると、はにかんだように笑っていた。。



重ね重ね、、、不器用というのか、、



確かに大学に入った時分の自画像は、お世辞にも
良いとは言えない代物でとても色んな意味で芽が
あるとは思えなかったが、、卒業を起点に遡る2,
3年の作品は優れていた・・・・・



中でも話には聞いていたが、108人の自画像の展覧
画像は圧巻であった・・・・・よくまぁこんなも
のを・・・



冷静に考えれば、、10メートルもの作品を描いた
学生が、この何年かの間に何人いるか?そう考え
れば単純ではあるが、それだけもすでに人より
数倍抜きんでている!



中でも一際、私の目を引いたのは”三人の男”
という作品であった。。。。









他の作品に比べ色がポップで綺麗だった事も一因
だが、その構成に引きつけられた。。。


一つは現代風俗、特にこの時代の空気を吸っている
若者像が的確に捉えられている点、、、


そして少し稚拙かもしれないが、その若者達に、左甚五郎
的な見ざる”言わざる聞かざるの”三ざるを演じさせてい
て、そのシチュエーションが電車の中、そして窓にその三
人を冷徹に眺める人間を映し込んだ構成はよく考えられて
いた。。。


正直、構成の要素をつなぎ止める接着剤が弱いのは否め
ないが、、しかし自画像というぶっとい縦軸と様々な要素の
横軸を上手く織り込んでおり、自画像という固定観念の範疇
からは心地よく飛び越える伸びやかさが感じられた。。。。



電車というシチュエーションを良く選択できたなぁ、、
と感心した。


電車という高速で移動する利器は、時間の経過を象徴
する。しかし、この絵の場合、どこから見る人の視線を想
定しているか?と考えれば、併走している電車?と考えら
れなくもない、、、、、、


ここが面白いのだが、アインシュタインの相対性理論では
ないが、併走する電車を見れば、停まって見えるという
事がある。これは松本君の自画像というよりも我々の
本性を明示していなくもない・・・・・・・



電車は目的地が必ずある。それまで閉じこめられる空間
でもある。しかし目的地に着けばその瞬間的な集団性は
解除され、また新たな集団形成となる。


仮にこの間この空間で反社会的な行為があったとして、
それを見ざる言わざる聞かざるという事で乗り越えても、
その反社会的なものは残りまた新たな集団にその対応は
引き継がれる。


しかし誰かがそれをいつか対応してくれるだろうという
のは、皆心の奥底の風景として持っているが、これを仮
に極端にも併走する電車に自分の視線を設定した場合そ
の三人の客観的な姿はどうなのだろうか?


その前に、窓に映る人間の像は何を案じしているのか?


他人でもあるが、三人の気持ちを集約した自画像と
いう捉え方も出来なくはない。。。


これらの車内の風景を包括して



併走する電車から見ている自分という事を考えれば
この社会の中での日々の自分の自画像に重なり合う
ような感覚の瞬間にたどり着く・・・・


もっと大きな捉え方として、、


電車、車内そのものを社会の変遷という例え方でもこの絵は
整合する。。。


時代の流れの中で、見ざる言わざる聞かざる・・・・・


それら全てを力強く表現?とまでは行かないが、その芽は
完璧に感じ取れる絵であったし、、、、



この絵を見たとき



ひょっとして・・・この子は、、、と私は感じたのと同時に


頑なで、鈍臭く、人に遅れを取りがち・・・


決してスマートじゃなく泥臭い・・・


なんとなく、これまで仕事をしてきた自分の姿が重なるような
気もし、、、、、、



その日から



彼との付き合いが始まったのでした。。。。

▲TOP
先輩
先日のブログでも書いたが、、


ここ最近は上海のこともあり情報や、いろいろな海外
の事情について教えていただこうと積極的に人に会う
事に決めた。


特に今までほとんど考えもしなかったが、出来るだけ
公的な立場で仕事をしている人にお会いしようと思った。


で、昨日は京都商工会議所に伺ったのであるが、
ここに関しては実は学生時代よく伺っていたのである。


私より一回り上の大学の先輩が勤められており、
2年ほどアルバイトをさせていただいていた。。。。


まぁ、、お恥ずかしい話なのだが、、初めて申し上げるが、、
私は大学の美術部という所に在籍し、実はその部の先輩
の紹介で会議所の会報誌の挿絵を描かせていただいていた。


因みに大学は龍谷大学です。。


先輩は一回りも上なので私が学生時分にはとうに卒業されて
いたのだが、、後輩をいつも心配しておられる先輩は機会があ
る毎に大学に来られ我々を指導してくださっていた。


今も大学のOB会(大学全体)の世話役をされておられる。


全然年の離れた後輩の私なのだが、何故か分からないが
可愛がっていただきアルバイトを斡旋していただいたのを
きっかけに今も気にかけていただいている。


が、、ここ数年は年賀状のやり取りだけだったので
久しぶりに伺おうと思い昨日電話して時間を頂戴したので
あった。


先輩は実にパワフル


最後にお会いしたときもかなりの役職だったような気が
したが、如何せんそれから数年たって現状どの部署で
働いておられるのかも分からなかったのであるが、とにかく
2階にこい!というご指示だったのでそこへ伺った。



2階の指定されたオフィスを覗くと広い部屋にかなりの
人数の人が働いており、受付カウンターで名前を言おうと
したとき正面の偉い人机に先輩の顔を発見!



『お---------------!』



という大きな声と共に



『ひさしぶり---------!元気にしてたかぁ!』



と以前となんら変わらない先輩がおられた。


・・・・・・・・・・



確か以前にもこんなシーンがあり、、、



『おーーー!お前、、、うーん、、そうそう、、ナントか”じゅん”!』



ナントか”じゅん”と呼ばれた事がよみがえった(笑い。。)



喫茶店に誘っていただきそこで今やっている仕事と
今日伺った理由を説明させていただいた。



全部聞き終わるとおもむろに携帯を取りだされ
該当部署の担当者を紹介していただいた。



途中で来客があったので先輩は離席されたのであるが、、
担当の方とは色々な話をお伺いできて実に有意義であった。



今すぐどうこうという事はないかもしれないが、それでも中国
についてはかなり意識をもっておられ今後様々な情報交換を
させていただけるような話し合いが出来た。



帰り際先輩にお礼を申し上げようと再度先ほどの部屋へ
伺った。




『いつでも遠慮せんと来いよ!仕事頑張れよ!』




と先輩。。。




先輩、昨日は誠にありがとうございました。





また、必ず伺わせていただきます!

▲TOP
大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん
甘粕正彦の名前を初めて聞いたのは何時だろう?


多分、中学生時代だったような気がする。。
しかし、このときはその名前よりも、彼が起こした事件
について当時の社会科の先生が語っているだけで、
その主犯であった甘粕には触れていなかったと思う。。


彼の名前が世に顔を出したのは、関東大震災時の
アナーキスト大杉栄・伊藤野枝、その甥の橘宗一を
殺害した事件が最初である。


この事件について中学のとき習ったのは、残虐な軍人
(正確には憲兵)非民主主義下の軍国主義国家
の象徴的事件という印象を先生は残しただけであった。。


次に私の前に彼の名前が現れたのは、映画ラスト
エンペラーでの坂本龍一が演じ、それが話題になった
頃である。


そのインタビューで坂本龍一が『学生時代の友達に
甘粕役をやると言ったら、『皆が批判すると。。』
と冗談めかして語っていたのが、深い印象として残った。。



坂本龍一が学生時分はまだ左翼学生がハバを効かせている
風潮が残っており、軍国主義の化身のような人物を演じるの
には少し抵抗感があるという比喩なのだろう…・



大半の甘粕イメージは悪逆非道、軍国主義、謀略に謀略を重ね、
満州帝国建国の暗部に関与し影の支配者というダーティーさが
現在も一般的だろう。。



当時は今のようにインターネットもなく、私もそれ以上の
知識を得るに至らなかった。



しかし私はこのようなアウトローに非常に興味があり、どこか
で頭の隅に残っていたのであろう。。最近の国際情勢を垣間見
ると所謂、物事には表面の事象とは別に裏で画策される様々な
事情が存在し、それらの憶測までも含めて論評されているのを
見ていて、、、、、



突如、、唐突なのであるが“アマカス”というキーワードが頭
をかすめ、そう言えば、甘粕という人間もつまるところよくわ
からない部分があるなぁ??


思わずインターネットで検索した。



するとどうであろう??
あのときの印象に残ったままになっていたのだが
なんか違う人物像が出てくる。。。



うーん??



全て違うわけではない。史実上起こったことについて関与が
はっきりしている部分の状況は間違いではない。しかしどの
ような人物が?という点については印象が少し違うのである。



あまりにも彼の起こした事件や彼の特異な行為の印象が強く、
そこから来る想像がかなり肥大している感じが無きしもあら
ずで、なにより彼が周りを含め、それらの一切を否定してい
ない事が、彼のキャラクターを決定した。



そして謀略という国家暗部に深く関わっていた事も大きな要因
であろう。


そして何より敗戦からアメリカ民主主義へ向かう途上、過去の
忌まわしい集団のコアという事実が彼を全否定へ向かわせ現在
のキャラクターを確率させたのであろう。


いろいろ読むと実に興味深い人物であり、案外当時回りにいた
人間の印象は好いものが多い。。


甘粕事件は現在も謎が多く当時の世論の高まりも相当厳しいも
のがあり軍部も苦慮し、判決は甘粕一人に全責任を負わせた形
だが、どうも真実は違うような感じが濃い。


裁判中、揺れ動く彼の心情が残されている。が判決には結果的
に反映はされていなかった。。


大杉という人物の真実が近年明らかに成りつつあるが、どうも、
いかがわしさを背景に持っていたいたようで、アナーキストか
らの転向も画策していたようである。なにより近年検死結果が
発見されたらしいが、リンチに近い状態の死であり、当時の
裁判結果とはかなり乖離しているようである。そうなると甘粕
事件の真相とは…・



明らかに甘粕は黙して語らずを貫き通した感が強いし、どの
くらい関与したのかも謎だ。事実、求刑10年だったものが恩
赦にて3年で釈放、その後、軍の費用でパリに渡航している。
しかも妻帯で。。これは意外な感覚が残る。。


その後パリで画家のレオナルド藤田などの人物と関わり謀略
工作に没入し、クライマックスは満州国建国になる。その間、
傀儡政権の正当性を保つためラストエンペラー溥儀を引っ張
り出す事にも深く関与していく。最後のポジションは満州映
画協会理事長。なんか不思議な感じだ。



満州国は昼は関東軍、夜は甘粕が支配する。。。



なんで映画会社の理事が満州国の夜の支配者なのか??


最初から不思議な人物で、そういう意味では憲兵大尉という
本来闇の部分の番人が、突如歴史に現れ、最後映画会社の理
事。そして本来歴史の闇に葬られるベキ謀略活動家のはずが、
何故ここまで明るみに出てくるのか??



これが、ひょっとすると彼が持っていた本質なのかもしれ
ない。後世、不気味な人物として描かれているが、悪事を
働く輩の如き奥の浅さではなかったのではないだろうか??
そこには徹頭徹尾の哲学、良いか悪いか別にして持っていた
のではないだろうか??高潔なものを。。。



鉄の様に立ちはだかる人物で、突き通せない強固さがあっ
たんじゃないだろうか??



そうでなければ、恐れられない・・



とにかく謎だらけで不思議な人物である。



しかし、現在の戦争史観からすると甘粕などは最悪の人物と
して表現される事が多いが、当時の甘粕が、自分の謀略を含
む行動についてどういう印象をもっていたのであろうか?



間違い無く国家に対する忠誠という表層があったであろうが、
裏面の深層では何か、何か疑問を常にもっていたんじゃない
だろうか?



ある時まで国家、国体という呪縛の中で行動し、かなり汚い
部分も国家国体という正義を根拠にこなしてきたのだろうが、
満州国が建国された時よりなにか自分のこれまでの国家観に
対する限界と疑問を持ち始めたのではないかなぁ??



それは満州国などという、もともと存在する民に対し、嘘を
強要するとんでもないものを創り出した事に対する悔恨があっ
たんではないだろうか?そしてせめてその考えが間違いである
様、支配層である軍部(関東軍)という似非愛国精神の反逆者
を仮想し、改めての原則論を強固に持ったんではないだろうか?



国家あっての民、民あっての国家ではない!!



しかし私は、どうも終局は確実に自身が間違っていた事に気
づき、満州国の持つ非整合性の認識を持っていたような気が
する。。



だから、関東軍と対極の位置を保て、支配者というよりも対立
軸となりえたのではないだろうか…それが逆説的に彼が気づい
た事の結果だったような気がする。



関東軍に対して単純な原則論者であっただけではないと思う。



【私はもと軍人でしたから、日本刀で切腹をするべきですが、
不忠不尽の者であまりしてそれに価しませぬゆえ別の方法で
しぬことにしました】



この言葉は、甘粕事件やその他を指すのではなく、虚飾に満ち
た満州国に荷担し、嘘をついた愛国者が、真の自身の哲学との
相違である溝に気づいた結果から発したのではないだろうか?
?しかしそこから反発脱出できなかったのも甘粕ではないだろ
うか??



だからこそ軍人作法ではない死に方をえらんだのではないだろ
うか?それか・・




“ほっぽり”だしたかっんじゃないだろうか??




自分らしい結論をだすために。もしくは衆目に対する初めての
主体性行動として。。




関東軍の非道な行いに徹底抗議したり、支配下の中国人に対し
ての接し方など人間味溢れる部分が数多く見受けられている。。
ある意味慕われていたのである。。



俺は国家にとってどうか??と



おそらく彼は過去の行為を国家最善の為の行動であると確信し
ていたに違いないだろうし、かなりの後ろめたい事も、国体
護持のためという根拠を持ち、自ら汚れ役をやっていたのでは
ないだろうか??満州国にしても、これは推測でしかないが、
おそらく心の奥底で、不毛な国家観と虚飾欺瞞を感じていたよ
うな気がしてないらない。



彼が残した僅かな言動の隙間から、なにか虚無感というか
ニヒルな感じを受けるのは私だけではないはずだ。。。



俳優の森繁久弥は甘粕について。



「満州という新しい国に、我々若い者と一緒に情熱を傾け、
一緒に夢を見てくれた。ビルを建てようの、金を儲けよう
のというケチな夢じゃない。一つの国を立派に育て上げよ
うという、大きな夢に酔った人だった 」と証言しているし、、



又別の人物も、「甘粕は私利私欲を思わず、その上生命に対す
る執着もなかった。彼とつきあった人は、甘粕の様な生き方が
出来たら…と羨望の気持ちさえ持った。また、そこに魅せられ
た人が多かった」と述べている。



何か戦後の悪辣な印象とは違い、私利とは超然とした感じを
受ける。しかしどこか日本や天皇というより、もっと別の
広義に殉じたような気もするし、軍人と言う狭義から脱出出
来なかったような気もする。。



この時代に入り甘粕の印象は少しずつ変化してきている。
それを私は感じる。。。



他人はどう思うか知らないが、私はある種、土方歳三とダブ
って仕方が無いのだ。



彼らの生きた時代の差は僅か20年位しかない。
方や幕末、方や昭和史と別時代の人物のようだが、実際には
さほど差が無い。




甘粕が土方を知っていたかどうかはしらないし、知っていて
もどのような印象を持っていたかは現代の土方像からは想像
はできない。




しかし、私は彼らに強い共通の匂いを感じるのだ・・・




徹底した哲学を有するのだが、ある種の限界を持っていた事。
散々汚い仕事を闇の中で行い平然とその部分を自分の中で
“飼う”事が出来る点。



どこか未来に対しての発展的な考えよりも虚無感が先走るよ
うなニヒリズム。



多分、土方も明治期は悪逆非道の人物として巷では通ってい
たはずだ。現在のようなロマンチックな人物像などありえる
はずも無かったであろう。



当時の政府に敵対し、同志を虐殺した頭目としてしか評価さ
れていなかったはずだ。



明治維新に対しての新撰組の果した役割などは皆無で、盗賊
くらいの評価しかなかったはずである。。



これくらい現代の印象とは違うはずだ。



鞍馬天狗が流行った時分でも悪役の代名詞だったはずで
ある。。



それが現代ではどうであろうか?



天領に生まれ育った百姓が、武士でもないのに最後の武士
として、そして幕府に対する義に殉じたという事になって
いる。。


悪魔ののような存在が、男性だけでなく女性までもが思慕
するヒーローに変化している。



土方もあの世で苦笑している筈である。。。



そんな事になろうとは……・・




私は数十年後、いやひょっとすると数年後に甘粕は土方の
様な印象の変換が劇的に訪れるのではないかと考えている。



後世の評価は最終的には様々な不確実な印象が研磨され、
その人物のシンプルな本質が見え始めたときに現れるか
らである。。。



それは、自ら見つけた独善的な哲学の強固さが一つの煌き
を放つが、これらの人物は全て最後は肉体言語をもって自
己完結する。






良いか悪いかは自身の信義との関係であり、多数決の結果
ではない。




彼の辞世…・・
大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん

▲TOP
ハッちゃんと京やん
昨日テレビを見ていたら



土曜日


おぉ!という告知。



岡八郎と花紀京のゴールデンコンビのみを
編集したdvdが発売されるというものであった。



吉本新喜劇は今も大変な人気があるが、、
しかし私にとって、忘れられないのがやはりこの
二人が絡んで作り上げていた笑い、これに適う
新喜劇の笑いは正直今もあまり見る事がない!



岡八朗と土曜日そして吉本新喜劇というワードは、
関西に育ったわれわれ世代には特別なものがある
はずです!


奥目の”ハッちゃん”は



ある種の”ヒーロー”だった。。



昔小学校は現在の様に週休二日では無かった。



しかし土曜日は4時間授業で12時過ぎに終わり、
小学校時分はこの土曜日が楽しみで待ち遠しかった。


もともと休みではないのだから半日で授業が終わる
のは少し得な気分があり、家に帰ってから友達と遊
んだり等のスケジュールが目白押しだった。


でもスケジュールは午後1時から始まる吉本新喜劇を
見てからしか始まりませんでした!



これは、みんなそうでした!だからみんなとの約束は
午後2時からなのです。


12時過ぎに学校が終わり、みんなダッシュで吉本新喜
劇のオンエアーに間に合うように家に帰り、用意して
いた昼ごはん、大抵“チキンラーメン”“昨日の残り
のカレー”とかなのだが、取りあえず食べてテレビに
噛り付き,、、、、



「えげつなー!」「くっさー!」



と毎週同じタイミングでのギャグなのではあるが、
笑っていたし、、、、、、、、、



やっていた。。。



こういう小学校時分の土曜のスケジュールは私だけの
思い出かと思うと、大学に入って別の関西地域から通学
していた友人も同じ思い出を共有しており、その状況が
まったく同じであった。



「そうや、そやねん!汗かいてダッシュで帰って見ててん!」



「俺も!俺も!」




類は友を呼ぶで集まった傾向かなーとも思いましたが、
これが実はそうではなく結構なムーブメント?いや関西人
DNA?!


当時“おはよう朝日”で岡八郎訃報のコメントを宮根誠司
アナが喋っていたが、まったく同じ思い出を語っていた。



「とにかく土曜は走って学校から帰り見てましたねー」、
彼も1963年生れでわれわれ世代だ。



吉本新喜劇の笑いは洗練された都会の笑いとは違い、
泥臭く直接的でおしゃれではない。



関東の人には受け入れがたいものが存在するんじゃないだ
ろうか、特に当時の吉本新喜劇の笑いというのは。



確かに笑いに種類が存在するのは認めるが、笑う側には
笑い方の種類はない!おしゃれな構成とか洒脱な会話と
か以上に、笑えるか笑えないかが絶対的な基準で、私は
吉本の泥臭く直接的で



“これでもか”の笑いを体いっぱいに充満させて育ち
ました。



笑わせる行為は、人間にとって一番崇高な行為ではない
かと思います。



人間以外に状況を笑う生き物は存在しますが、考えて
相手を笑わす生き物は存在しません。。



笑いの基本・根底には“差別・優越”という人間にとって
はあまり他人見せたくない欲望が存在しているのは事実
でしょう。



あこがれる・尊敬・敬愛と言うような存在を笑いの対象に
は考えないでしょう、しかし劣る・愚鈍・不運という事は
笑いの対象になり得るのです。




プロのお笑いは、笑わせるのであって“笑われる”のでは
ない。



人間の不道徳な感情をクスグリ、自らを笑わせる対象と化
す緻密な計算を企てる哲学者であります。



表面的洒脱感や泥臭さそんな違いではなく、芸人の笑いに
対する哲学の凄みが、われわれの笑いのボルテージを左右
するのと、ハッちゃんはじめ吉本の役者さんたちは、われ
われの関西人DNAをよく解剖し理解しています。



だから当時亡くなった直後の「ハッちゃん」を偲ぶコメント
で、楽屋では物静かで読書家だったというのは理解できる
し、、、、




究極は、お笑いのビートたけしから




”世界の北野”のような存在を輩出するフィールドに
”笑い”は成り得るのだと思います。

▲TOP