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マスクを1200度で焼きました。

"2020年ゲシュタルト崩壊するマスク"
Masaaki KOBASHI
ceramic
2020


皆様 お元気でしょうか。

新型コロナウイルス緊急事態宣言からひと月が経過しました。。
手作りのマスクがかなり浸透し、一つの文化を形成しかけているようです。
岡山の田舎でもなぜか少しづつマスクが出回るようになり、日に日に価格も落ち着いてきているようでした。
宣言は延長となったものの、
マスクの価格と呼応するかのように、(逆なのかもしれませんが)
世間は状況を注視しながらも精神的な少し落ち着きを取り戻し、これまでのことを総括したり、これからのことを考えたりしつつあるように見えます。
僕はといえば、いくつかの重要な個展が中止に追い込まれたものの、もともと平時は人の多い場所にあまり出かけない仕事。
ただただ仕事場にいました。
もう、家の中ではマスクはしません。

そう、家の中ではマスクをしません。
思えば
4月11日
松坂屋名古屋での個展中、愛知県緊急事態宣言によりお店は急遽休業。
個展が途中終了となり、岡山の自宅へ帰ったのでした。
「あなたは感染者の多い地域に何日も行っていた人」ということで、
以降2週間、自宅ハナレのアトリエにベッドを持ち込み隔離生活を送っていました。

「お父さんご飯!」という声が聞こえるとマスクをして、母屋の勝手口に食事を受け取りに行く。
息子や娘が入れ替わり食事を高いところから、僕の差し出すお盆に乗せてくれ、部屋へ持って帰る。
このような生活も数日たつと、なんだか飼われている犬のような気持ちになって来て、これはこれで悪くないかもしれないと思いながらも
作業とベッドのあまりに近い距離感にとまどい、なかなか制作は手に付かなかったのでした。
体は健康。個展は途中で終わったものの、名古屋ではみなさんによくしていただいたという思いばかりで気持ちも落ちてはいない。
食事を待ちながら、昼も夜もなく作業してはゴロン。作業してはゴロン。
作業が進まない。
そして、何度も使って、今は新しい物を使っているのにも関わらず捨てられずにいる使用後の不織布マスクを眺めていたのでした。
マスク。。。マスクってこんなんだったっけ。

・・・・・

そういえば
僕は名古屋に行く前からやっぱりマスクの事を考えていたのでした。

あーマスクがいるなあマスク。
マスクと言うものがこんなに大きい存在になったことはなかった。
マスクマスクマスクマクスマスクマスクマスク。
マスク?マスクってなんだったっけ?
いや、もしかしてマスクじゃなくてマクス?
マスクの中にマクスが入っていても気づかないくらい
世の中ではマスクが求められていた。
ホテルでも、移動中でも、会場でも、マクスしないと、マスク。
ズボンをはき忘れても恥ずかしいだけだが、マスクはダメ、入店を止められてしまう。忘れてはいけない。
そのくらい貴重なマスク。

マスクってこんな感じのものだったっけ?わからなくなってきた。
手作りのマスクも送っていただたいたり、
粉塵作業の仕事柄、マスクの備蓄はある程度ある。
それでも、何度も使って何度も洗ってケバケバのマスクが捨てられない。

もはやマスクは信仰と重なり、マスク本体は偶像のように神格化されかけている。
耳なし芳一が全身にお経を書いて怨霊の手から逃れるように、マスクをすることで、疫病の魔から逃れようとすがる私。
もはやマスクなしでは外は歩けない。
カタカナのヌを何度も書いているうちに、ヌってこんな字だったっけ?とヌのことが分からなくなってしまうように
マクスの情報が多すぎて私の中でのマスクがゲシュタルト崩壊している。

・・・・・

そして、マスクだったかマクスだったか、もうよくわからないけど何か大事な白いそれらをならべて眺めている。

AM1:00

そうだ、焼こう。
大地を生み出した高温の炎で焼き、物質としてのマクスを昇華させ、偶像としてのマスクの形象を陶に置換することで、この概念を永遠化して成仏させるのだ!

磁土の泥漿を丁寧にマスクに塗り電気窯に入れた。

1220℃で焼成。

・・・・・



どうみてもマスクなのに、まったくそうではない「それ」が目の前にある。

前にもましてさらによくわからなくなってしまった白いそれ

これは、なんだろうか、触れるとカサカサと音を立てた。

すこし力を入れるとお骨のようにパリパリと割れた。




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