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ボロ屋
不思議だなぁ~と思うことは多い


うん?これは不遜な考え方かもしれない


本来、知らない不思議なものの方が圧倒的に多い


筈である。。。


しかし、不思議だなぁ~と率直に感じることがある。


私は大体3ヶ月に一度のペースで散髪屋に行くのであるが
、散髪屋に行くたびに不思議に感じることがあるのである。


こうかくと不思議な散髪屋や散髪屋の不思議のような
書き出しになってしまうが、実は散髪屋はまったく
関係ない・・


いつも行く散髪屋の隣の空き家が不思議の対象なの
である。

いつごろから空き家になったのか、私が空き家として
認識したのがこの2,3年前だったと思うが、実際には
もっと以前から空き家だったと思う。


なにが不思議なのか?と言えば・・

空き家って

なんでこんなにボロボロになるのか?という事である。


よく、家は住んでないと傷むと言われるが、、、、


外観までもが、その謂れの対象なの?と改めて考え込んで
しまうほどこの空き家はボロボロなのである・・・・


我が家も中古で購入した家屋であり、築年数は30年を越えた。


この数年前から外壁にヒビや割れ、ひどい箇所になれば壁が
浮き上がったりしている部分までもがある。


しかし、この散髪屋のとなりの空き家、おそらく築年数は
我が家とそう変わりないと思うのであるが、明らかにその
崩壊の様は尋常ではない。。


我が家も買ってから一切手を入れた箇所はない。
空き家も人が住んでいないワケであるから当然手入れなど
はしていない。


そう考えると、家の中は別として、外壁等の外観は同じ
条件の筈なのであるが明らかにその痛み具合と進行スピード
が違うのである・・・・


なぜここまで傷んでいくのか?


これが実に不思議でしかたがない。


確かに人が住まないと・・・というのは一般論として
頭にはあったが


改めてこの空き家を見るたびに感じるのは


家って・・


生き物なんや!という事である


そしてそこに住む人々の息遣いや生命が家というものの

命の栄養となっているのかなぁ?なんて考えてしまう。。
幸福なんて人それぞれであり、目に見えないもので、
抽象的な感覚なのだが


この空き家を見ていると、、、


本来なら我が家も年数と同じ風雨を浴びて同様の条件に
さらされているのはずなのに、明らかに我が家は、まだ
まだ力強く人が住む家としての“顔”をもっている・・・


この空き家を見てつくづく


感じる

人の魂というものが


我々の想像及ばないところで


発するエネルギーの凄さを・・


BAMI gallery・・・

家ではないけど、、、


一年半前、、自らホームセンターで板を買い、、
ペンキを塗り、作った手作りギャラリー・・・・・・












はっきり言って



ボロだけど・・・・



取りあえず

色んな”魂”の威力だけで

頑張ってる・・・・・・・・・・

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日本の芸術家の視線
初めて直島に行ったのは今から3年近く前だった
ように記憶する。


それ以来昨年の瀬戸内国際芸術祭まで幾度となく
・・・と言えば大層だが、都合5回以上は伺った。。。



瀬戸内国際芸術祭を含めこれまで見た作品は
優れたものが多かったが、中でも私が最初から、、


あぁ、、これは・・・・と驚嘆した作品がある。



柳幸典の「ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム1990」
である。




ご存じの方も多いのであえて作品自体の様態・構造を
私が語ることは極力避けたいのだが、、、、


あえて、、


僅かな厚みを持つアクリルのケースに砂を入れ、
様々な砂の色を使うことにより各国の国旗を
作る。






それら各国の国旗を管でつないだ状態にして
壁面に万国旗を展示、、しかし各国の国旗の中
には蟻が存在する・・・・






万国旗の中を動き回る”蟻”、、、それらが国旗という
象徴化されたデザインを破壊し、自らの行動のための
進路と巣を作り出している・・・・即ち蟻側から言えば
生息圏の拡大である・・・





時間と共に、、万国旗自体は、時間経過に関係なく
その物理的存在は変化しないのであるが、、、


違いは、、、蟻の徘徊によって崩壊した国旗のデザイン
である。時間が経てば立つほど、、、この象徴的デザイン
は崩壊し、、蟻たちの生息圏は拡大していく・・・・・・・・・



これが作品自体の様態であるが、、、



コンセプトとして浮かび上がってくるのは、


----------------------------------------------


○万国旗が象徴する国という枠組

○国旗=国という枠組みと蟻の存在

○蟻が国旗=国家間を徘徊する時間と共
 に最後は国旗のデザインが消滅し=国がなくなる

○蟻からは国旗間の管=国境はもとより、国旗の
 デザインは決して見ることはできない

○国旗という一つの制約的範囲は時間経過
 により無くなるが、、全体の万国旗という枠
 からは決して出られない

○蟻は死んでも物理的存在の万国旗=国旗=国家
 そのものは消滅しない・・・しかしそれぞれの範囲を
 区分けしていたデザインは崩壊しなくなる・・・・・・

--------------------------------------------------



多少被る解釈の部分もあるが


大まかにはこういった所だろうか・・・


この作品がとんでもなく優れているのは
確かに作家が意図するところと、鑑賞者である
私の感覚が全て合致するとは思わないが、、、



少なからず上記コンセプト部分は明確に
合致できる。その上でだが、そこから鑑賞者
それぞれが増幅させる感情の大きさ、もしく
は作品を触媒と見立てた場合の出力倍率
が並外れている事に驚かされる。


なぜあえて私がこの作品をここでことさらに
書くのかと言えば、この作品を構成している
構造がひじょうに優れていると同時に、ここに
いきついたアーティストの視線という所に注目
したのである。


安直に言えば


単純な作品とその作品が持つメッセージでは
ある。また材料として選択しているものも
特別なものでもない。正直国旗にしても蟻に
しても誰しもが分かるであろうモノである。


しかし何度も言うが、それらが持っている要素
メタファーを組み合わせて生み出したメタファー
が誰もが持つ、もしくはずっと持ち続けている
問題意識にストレートに直結していて、ある意味
人種国境を越えた”人間”の普遍的テーマを
抉っている点、この点を私は刮目したのである。


アートに答えは用意されているわけではない。
しかし各個人がある種の答えを感じたり、又
逆の疑問をもったりという事はあり得る。


しかしそれら鑑賞者の感情を生み出すために
はアートとしての精度がかなり求められるのは
容易に想像できる。又その精度が指し示す
部分、これが現代美術と呼ばれるものは、
かなり正確な現状把握と分かりやすい風景
の提示というモノが確実に求められる。


そういう意味において、この作品は相当精度が
高く優れていると私は感じたのであった。



そして私なりのもう二つの解釈がある。


一つは、これはどの国に行っても”言葉”文章
言説を必要としない、〈世界語〉的作品である
と言うことと、、、、、、、、、、、、、、、、、、



もう一つ



これは私の独断と偏見かもしれないが、、



この作品は



日本人でないと作れない、日本人のエッセンスが
詰まった作品だと感じている。




国旗を象徴とする国家
↑↓
蟻を象徴とする人間



この相克関係とでも言うのか・・・・・・・・・・・



蟻というものの目線


即ち先述の


蟻からは国旗間の管=国境はもとより、国旗の
デザインは決して見ることはできない・・・・・・・


というコンセプトが実はこの作品の中では大きな
ウェートを占めており、、、、、、、、、


国旗=国家からこの作品が生まれたというよりも
蟻という存在からここまで拡大解釈を重ねたの
では???と私は感じた・・・・・・


この感受性とは



大きなものも小さなものも同一次元でその本質を
見る。もしくはその魂の所在を同一化するという


日本人の独特の思想性・感受性に強烈に通じ、、、、、、、


【一寸の虫にも五分の魂】

【魂の量化はない】


国という漠然とした巨像を、現実的な生き物で
一番些末な存在として比喩される生き物との
対比でそれらの感覚を示しているという、この
感性自体が私は日本人しか生み出せないの
では?



と、、、感じている。



ノーボーダー程度ではない



ある種の宗教観に近いかもしれないが、、、、、
生きとし生けるもの全てが同じ、その同じものが
創り出した境界に対してのこの作品が持つ
アプローチは我々日本人がもつ感受性に立脚
していると私は断ずる。




本当の意味で



日本


日本人


日本の芸術



と言うことをこれから考えていく
意味において、私はこの作品は
重要な意味を持つと、、、、、、、


同時に


私は私の周りにいる作家達には


伝えていこうと



初めて目撃した時から感じたのでした・・・・





















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高松明日香【フロンティア】始まりました!!
6月8日(水)より

COMBINE Gombessa proposal ep1
I am japanese.に参加してくれた
高松明日香さんの

solo exhibiton 【フロンティア】

が高松天満屋5階アートギャラリーにて
スタートいたしました!!


高松明日香さん
↓ ↓ ↓


高松明日香+青野千鶴(担当)
↓ ↓ ↓



【高松明日香】

1984年 高松市生まれ
2007年 市立尾道大学芸術文化学部美術学科
デザインコース卒業  
2009年 市立尾道大学 大学院美術研究科美術専攻 修了

現在   倉敷芸術科学大学 芸術学部 非常勤講師

活動歴個展
2010年 『ミラーズ』トーキョーワンダーサイト本郷(東京都)
2009年 『トリミング』丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 
造形スタジオ (香川県)
受賞歴      
2011年 ワンダーシード2011 入選
2009年 トーキョーワンダーウォール2009 入選
2008年 TURNER ACRYL AWARD 2008 秋山孝賞
2007年 TURNER ACRYL AWARD 2007 美術手帖賞
グループ展/Group Exihibition
2011年 Gombessa proposal ep1 Bami gallery(京都府)
2011年 Art For Tomorrowトーキョー
ワンダーサイト渋谷(東京都)
2011年 ワンダーシード2011トーキョー
ワンダーサイト渋谷(東京都)
2010年 神戸アートマルシェ2010  
神戸ポートピアホテル(兵庫県)
2009年 トーキョーワンダーウォール入賞入選作品展
東京都現代美術館(東京都)
2009年 ターナー色彩株式会社ACRYL AWARD2008入賞
2008年 ターナー色彩株式会社ACRYL AWARD2007入賞

コレクション
ターナー色彩株式会社 
香川県丸亀市


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飾り付けの途中

所用で高松にお越しだった
日本画家の斉藤和さんが立ち寄ってくださり
皆で記念撮影!!





























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高松さんとはゴンベッサ前から


何度も何度もメールのやり取りを
しました。


ほぼコンセプトについてですが・・


時には文章でお互いが感情的になる?
そういった瞬間もありました。


そんな経過を経て


今回飾り付けを終えて


率直に感じた事


それは


ピュアに画かれた、、、、

少し言葉足らずかもしれませんが

そういった絵が持つ力強さを
感じたのでした。


フロンティア=僻地


この考え方を聞き
私なりに感じたモノ


それは今日の今日
今の今、自分が知り得ない地球上のどこかで
人は生き、生活を営んでいる。。


それは今を生きるもの達が経験した事が
ない記憶の共有。


インターネット


雑誌


その他色色なメディアを通じ我々は
それらを経験を踏まえずに記憶として
共有している。


それぞれの想像と置き換えても良い


しかし現実的に交わることが無いモノ
同士が共感している、、、



それはひょっとすると



現実風景ではない


この時代のそれぞれの心の


中にある



僻地=フロンティア



なのかもしれない!!


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松本央 個展新作!!
昨日よりスタートいたしました!

松本央 solo exhibition
【Beast Attack!】
2011.06.01 (wed) - 2011.07.08 (fri)
gallery close 6/4・5・11・12・18・19・25・26・7/3
open 11:00~18:00



個展出品の最終作が開催ギリギリに仕上がり
ましたのここで紹介させていただきます。

個展全体のプロットにとってひじょうに大事な
エレメントとなる作品です。

また、ある意味での日本の特殊事情に立脚した
”メタファー”が効いた作品ともなっています。




『Fall down』 F40



『Metal Beast』 F10




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一つ事への執着
今日で無事、田村さんの個展も終了する。


会期中雨の日が多く足下が悪いにも関わらず、沢山の
方にお越しいただいたこと心より感謝いたします。


誠にありがとうございました。


田村さんとの出会いは相当前のBlogで紹介
させていただきましたので、改めてここでは割愛
させていただきますが、田村さんと一緒に仕事を
する意味?二人の中で阿吽として共感している部
分を少し紹介したいと思います。


COMBINEをスタートさせるとき、私の中には
マトリックスがありました。


何のマトリックスかと言えば、作家の枠組みとして
当然表現が偏らないようにという思いはあったの
ですが、年齢のマトリックスというものも大きな
割合として持っていました。


若い人だけでは駄目、私と同世代だけでも駄目
若い人+私と同世代、これでも駄目でした。


そこには私の上の世代、このジェネレーションが
必要に感じていたのです。


何故か?


それは一つ事に執着しコツコツと周りの騒音と
無関係に自分を見つめる、これが出来る人、
また実践している、そんな人が欲しかったので
した。



何の為にそれをやっているのか?





私は現代美術という”タグ”が付いた商品を扱っている
訳ではない。



同時代に生きる鋭い視線を持つ作家
アーティストを自らが選択して紹介している
のであり、そこには表現の材料も年齢も
性別も国籍もまったく要素としては関係が
ない。



表現=生きるために生きる=等価



ギャラリーという機能を運営していると、様々な
事が起こります。



思いも寄らずメディアに取り上ていただき、華やか
な紹介をしていただく事もあれば、色んな方が起こし
くださり購入していただく、又次の展開のお誘いなど


しかし、逆もあります、何の反応もない、お客様の
入りも悪い・・・等々


実際には後者の方が多いのであるが、僅かな良い
事柄が全てを帳消しにしてしまう・・・・



が、、常にこれの繰り返しの現実に変わりはない。。



しかし、基本はなんなのか?



私達の基本は選んだ作家・表現をじっくりご紹介し、
その優れた考えや表現、又成長を広く伝えていく、
これに尽きると考えます。


ビジネス・商売の手法はあるでしょう、しかし
根本的な本質とはこの事だと私は信じています。


当然全て思った通りにはいきません。しかし、時間差
はあると思います。その時間差は待てど結局結論が
でないものも確かに存在します。しかし全て含めてそこ
には我々が選択した、その選択根拠に対しての責務
というものが確実に存在します。


逃げられないと思うのと同時に
終わりはないのです。


一時の華やかな紹介に浮かれていては、本来の
本質的職責を見失う、そんな状況にすぐに陥って
しまうのも又確かな事です。


また先述のように


まったく無反応という逆の状況も同様に
拗ねた虚脱感を無責任に抱く、まさしく
客観性なく自らの立場を見失うのです。


いずれにしても、いつも軸が揺らいでいる・・


そんな時、田村さんのアトリエに伺うと、初期の
思い、本質的な責務がひしひしと沸いてくるのです。


山小屋で一人作品を作る決して若くない、そして
失礼だが無名の田村さん・・・・・・


ただ一点を見つめ


作品を作り続ける。


そんな姿を見ると、、、


自分が選択した仕事の意味を改めて感じるのです。


いつも最初の時と同じ距離でいてくれる・・


そんな田村さんの存在が


私の勝手な思いですが、、、


羅針盤のような・・・



・・・・・



作家もそうであるように


我々も同じだと感じる、ある一点があります。



一つ事を追求する。


それは、、


水に書いた文字のようなものかも
しれません。


ずっと書き続けていなくては
ならないような、実感を得たかと
思うと消え、また書く・・・・


それを続ける


続けるに値するものを見つめないと
いけない。



我々は我々が選択した作家の成長・進化と同じように
我々も成長・進化し、お互いが共感しそこから発生する
大いなる遠心力の渦を生み出す、それこそが幅広く様々
な方へ、その生き方の姿や考え方をご呈示できるように
なれる唯一の方法だと信じています。そしてこの一事へ
の執着が全てのような気がいたします。




田村さんにはいつも多くのことを教えていただきます。



今回は本当にお疲れさまでした。










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