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日本の芸術家の視線
初めて直島に行ったのは今から3年近く前だった
ように記憶する。


それ以来昨年の瀬戸内国際芸術祭まで幾度となく
・・・と言えば大層だが、都合5回以上は伺った。。。



瀬戸内国際芸術祭を含めこれまで見た作品は
優れたものが多かったが、中でも私が最初から、、


あぁ、、これは・・・・と驚嘆した作品がある。



柳幸典の「ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム1990」
である。




ご存じの方も多いのであえて作品自体の様態・構造を
私が語ることは極力避けたいのだが、、、、


あえて、、


僅かな厚みを持つアクリルのケースに砂を入れ、
様々な砂の色を使うことにより各国の国旗を
作る。






それら各国の国旗を管でつないだ状態にして
壁面に万国旗を展示、、しかし各国の国旗の中
には蟻が存在する・・・・






万国旗の中を動き回る”蟻”、、、それらが国旗という
象徴化されたデザインを破壊し、自らの行動のための
進路と巣を作り出している・・・・即ち蟻側から言えば
生息圏の拡大である・・・





時間と共に、、万国旗自体は、時間経過に関係なく
その物理的存在は変化しないのであるが、、、


違いは、、、蟻の徘徊によって崩壊した国旗のデザイン
である。時間が経てば立つほど、、、この象徴的デザイン
は崩壊し、、蟻たちの生息圏は拡大していく・・・・・・・・・



これが作品自体の様態であるが、、、



コンセプトとして浮かび上がってくるのは、


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○万国旗が象徴する国という枠組

○国旗=国という枠組みと蟻の存在

○蟻が国旗=国家間を徘徊する時間と共
 に最後は国旗のデザインが消滅し=国がなくなる

○蟻からは国旗間の管=国境はもとより、国旗の
 デザインは決して見ることはできない

○国旗という一つの制約的範囲は時間経過
 により無くなるが、、全体の万国旗という枠
 からは決して出られない

○蟻は死んでも物理的存在の万国旗=国旗=国家
 そのものは消滅しない・・・しかしそれぞれの範囲を
 区分けしていたデザインは崩壊しなくなる・・・・・・

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多少被る解釈の部分もあるが


大まかにはこういった所だろうか・・・


この作品がとんでもなく優れているのは
確かに作家が意図するところと、鑑賞者である
私の感覚が全て合致するとは思わないが、、、



少なからず上記コンセプト部分は明確に
合致できる。その上でだが、そこから鑑賞者
それぞれが増幅させる感情の大きさ、もしく
は作品を触媒と見立てた場合の出力倍率
が並外れている事に驚かされる。


なぜあえて私がこの作品をここでことさらに
書くのかと言えば、この作品を構成している
構造がひじょうに優れていると同時に、ここに
いきついたアーティストの視線という所に注目
したのである。


安直に言えば


単純な作品とその作品が持つメッセージでは
ある。また材料として選択しているものも
特別なものでもない。正直国旗にしても蟻に
しても誰しもが分かるであろうモノである。


しかし何度も言うが、それらが持っている要素
メタファーを組み合わせて生み出したメタファー
が誰もが持つ、もしくはずっと持ち続けている
問題意識にストレートに直結していて、ある意味
人種国境を越えた”人間”の普遍的テーマを
抉っている点、この点を私は刮目したのである。


アートに答えは用意されているわけではない。
しかし各個人がある種の答えを感じたり、又
逆の疑問をもったりという事はあり得る。


しかしそれら鑑賞者の感情を生み出すために
はアートとしての精度がかなり求められるのは
容易に想像できる。又その精度が指し示す
部分、これが現代美術と呼ばれるものは、
かなり正確な現状把握と分かりやすい風景
の提示というモノが確実に求められる。


そういう意味において、この作品は相当精度が
高く優れていると私は感じたのであった。



そして私なりのもう二つの解釈がある。


一つは、これはどの国に行っても”言葉”文章
言説を必要としない、〈世界語〉的作品である
と言うことと、、、、、、、、、、、、、、、、、、



もう一つ



これは私の独断と偏見かもしれないが、、



この作品は



日本人でないと作れない、日本人のエッセンスが
詰まった作品だと感じている。




国旗を象徴とする国家
↑↓
蟻を象徴とする人間



この相克関係とでも言うのか・・・・・・・・・・・



蟻というものの目線


即ち先述の


蟻からは国旗間の管=国境はもとより、国旗の
デザインは決して見ることはできない・・・・・・・


というコンセプトが実はこの作品の中では大きな
ウェートを占めており、、、、、、、、、


国旗=国家からこの作品が生まれたというよりも
蟻という存在からここまで拡大解釈を重ねたの
では???と私は感じた・・・・・・


この感受性とは



大きなものも小さなものも同一次元でその本質を
見る。もしくはその魂の所在を同一化するという


日本人の独特の思想性・感受性に強烈に通じ、、、、、、、


【一寸の虫にも五分の魂】

【魂の量化はない】


国という漠然とした巨像を、現実的な生き物で
一番些末な存在として比喩される生き物との
対比でそれらの感覚を示しているという、この
感性自体が私は日本人しか生み出せないの
では?



と、、、感じている。



ノーボーダー程度ではない



ある種の宗教観に近いかもしれないが、、、、、
生きとし生けるもの全てが同じ、その同じものが
創り出した境界に対してのこの作品が持つ
アプローチは我々日本人がもつ感受性に立脚
していると私は断ずる。




本当の意味で



日本


日本人


日本の芸術



と言うことをこれから考えていく
意味において、私はこの作品は
重要な意味を持つと、、、、、、、


同時に


私は私の周りにいる作家達には


伝えていこうと



初めて目撃した時から感じたのでした・・・・





















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