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誠にありがとうございました。
現代美術のカッティングエッジ
京 都・瀬戸内のゴンベッサたち


昨日無事終了いたしました。


年末のお忙しい中、足をお運びいただき
ました皆様、誠にありがとうございました。

又、開催にあたりご協力いただきました
関係者の皆様、この場を借りて御礼申し
上げます。

誠にありがとうございました。

9名という多勢で挙行したグループ展
でしたが、正直様々な課題が浮き彫り
になった展覧会でした。

結果としては率直に計画に対して厳し
かったという事も正直に報告させてい
ただきます。

しかし、今後において具体的宿題
をいただけたことも併せて報告させて
いただきます。

この宿題をこなして初めて計画に到達
するという今展ならでは?かなと思える
継続感は実にありがたく幸いな事だと
感じています。

来年度は、まずこの宿題をこなし

そしてより具体的な活動を展開したいと
考えております。

ゴンベッサというオペレーションは
もちろんですが、各作家においても
より具体的な進捗を図れるよう計画
していきたいと考えております。


時代が大きく変わる


そういった事が様々なことで感じられる
本年でした。


この時代に何が求められるのか?


我々は何をすべきなのか?


真摯に向き合いたいと考えております。


又、自分たちの出来ることに奮励努力
いたす所存であります。



来年も、より一層皆様方の




厳しいご指導ご鞭撻を変わらず賜りますよう
心よりお願い申し上げます。




本年は誠にありがとうございました。



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ギャラリートーク!現代美術のカッティングエッジ 京都・瀬戸内のゴンベッサたち
12月21日から開催しております

現代美術のカッティングエッジ
京 都・瀬戸内のゴンベッサたち


2011 年 2月21日(水)~12月 30日(金)
高松天満屋 5階美術画廊(入場無料)
午 前10時~ 午後7時30分 ※ 最 終日は午後4時閉場


昨日25日(日)にて半分終了いたしました。

そして当初の告知通り、一昨日、昨日、ギャラリー
トークを開催いたしました。


お忙しい中お越しいただきました皆様
誠にありがとうございました。

又開催にあたりご尽力いただきました
関係者の方々にも御礼申し上げます。


堅苦しいものではなく、又、ふざけたもので
もない、それぞれの良さが気をてらう事なく
自然に出る、そんなギャラリートークを望ん
でいました。


9名それぞれが自身の作品について、それぞれ
の飾らない言葉で内容濃く語れたのではないか?
と自負しております。


残念ながらギャラリートークは終了いた
しましたが、会期はまだ半分残っており
ますので、皆様のご来廊を心よりお待ち
申し上げております。












































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本日(2011年12月21日)よりスタートいたしました。
本日(2011年12月21日)より


現代美術のカッティングエッジ
京 都・瀬戸内のゴンベッサたち

2011 年 2月21日(水)~12月 30日(金)
高松天満屋 5階美術画廊(入場無料)
午 前10時~ 午後7時30分 ※ 最 終日は午後4時閉場


スタートいたしました!


12月24日25日には、

9 名 の若きアーティストによる ギャラリートークを開催
いたします!

12 月24日(土)午後3時~6時
お客様の質疑応答を交え、各アーティスト達の作品に
かける情熱と今後の抱負等を語ってもらいます。
12月25日(日)午後1時~3時


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スタート早々、四国新聞社様、日経新聞社様、RSK(TV)
の支社長様がお越し下さり、又日々、色々な形でご支援い
ただいているお客様もお忙しい中、仕事の調整をしていた
だきお越し下さいました。


本当に、本当に、ありがとうございます。
作家共々この場を借りて御礼申し上げます。


心より、

感謝いたいしております。


誠にありがとうございました。



本日は高松さん炭田さん、小橋君が画廊で接客・接遇に
励んでくれました。


正直、思っていた以上に良いご批評を賜ったと自負する
所です。

長丁場ですが、精一杯頑張りますので、是非皆様お越し下
さい。

心よりお持ち申し上げております!





























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21日より開催、現代美術のカッティングエッジ 京 都・瀬戸内のゴンベッサたち
先週16日(金)で無事、

GOMBESSA proposal ep2
紫色の藝術旅団

は終了いたしました。


通常のBAMI galleryの企画に比べ
約10日間と短かったのですが、

年末の慌ただしい中、貴重な時間を
割いてお越し下さった皆様、誠に
ありがとうございました。

さて、この企画ですが、ホームページ
のギャラリースケジュールにも記載
いたしましたが、、、

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COMBINEが選抜する京都で活動する
エッジの効いたゴンベッサたちの
新作を網羅。

当企画は12月21日(水)より
高松天満屋5階美術画廊にて開催予定
”現代美術のカッティングエッジ
京都・瀬戸内のゴンベッサたち”
のプレビュー企画として京都側の作家
を展開いたします。

16日の会期終了後高松にて瀬戸内側の
ゴンベッサたちと合流する予定です。

京都で編成を整え本年最後に瀬戸内
地域のコンテンポラリーの拠点へ
進攻いたします。


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という事で


来週21日(水)からは、高松天満屋
にて瀬戸内側の4名の若きアーティスト
と合流しグループ展を開催いたします。




現代美術のカッティングエッジ
京 都・瀬戸内のゴンベッサたち




又24日(土)25日(日)には
9名によるギャラリートークも
開催いたします。


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9 名 の若きアーティストによる ギャラリートーク開催!

12 月24日(土)午後3時~6時

お客様の質疑応答を交え、各アーティスト達の作品に
かける情熱と今後の抱負等を語ってもらいます。

12月25日(日)午後1時~3時

24日と同様、お客様の質疑応答を交え、各アーティスト達
の作品にかける情熱と今後の抱負等を 語ってもらうのと
同時に、地元「塩江美術館」にて同時期開催中の

塩江アートプロ ジェクト
<高松 明日香 イメージの擬 態>
2011 12/17(土)~2012 2/5(日)
について紹介さ せてもらいます。


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2011 年 12月21日(水)~12月 30日(金)
高松天満屋 5階美術画廊(入場無料)
午 前10時~ 午後7時30分 ※ 最 終日は午後4時閉場

香川県高松市常磐町1-3-1
お問い合わせ TEL087-812-7548

こうご期待ください!!



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この企画ですが、


実は過去2年間この時期にCOMBINE作家の
solo exhibitionを開催させていただいて
きました。

2009年は釜くん
2010年はエトリケンジさん


手前みそですが、そこそこの結果を
残すことが出来ました。

故に、、、


今年の2月早々に仕事関係で京都に来た
百貨店のバイヤーから本年の計画を
聞かれたのですが、、正直、その時
明確な作家の選択とプランはありま
せんでした。


企画を行うと言う事は、過去2年の
実績からすれば、さほど難しい事
ではありません。


しかし、百貨店の画廊という所は
どこもそうですが予算というスケール
を持っています。その数字という現実
問題とそれに相応するこちらの経費負担
、また、やる意味・意義という事の総合
で考えた場合、、、、、


う-----ん。。。。


隔年というサイクルで釜くんでも
と考えましたが、彼はその後の
2012年4月に松坂屋名古屋での
個展が控えている事もあり、、、
又、彼の制作スケジュールを考え
ても無理がある・・・・・・


その時には即答を避けて、後日の
返答と言う事にいたしました。


かなりの時間、懸案としてペンディング
してきたのですが、、、、、、


ある転機がありました。



偶然にも



この春から



私は京都の大学の卒業展をくまなく回り
様々な若者と接してきました。

カッティングエッジを出来るだけ纏めて
オペレーションするGOMBESSA proposal
をスタートさせるためですが・・・・

不思議な事に時期を同じくして、COMBINEの
高松特派員の青野さんの元にも若い子達が
やってくるようになりました。

正直、それまでも地方の地元若者という
テーマは持っていたのですが、正直??
という存在としか接触できませんでした
が、今年の春から現れだした若者はモノ
が違いました。


あれっ?これは?


と直感的に感じたのは確かです。。


なんとなくそんな期間が、春から
初夏、夏、、、と続きました。。。



その頃、なんとなく、、、



こういう若者たちを一堂に介して展覧したら
面白いのでは??作品云々というよりは、、、


彼らの存在そのものを全面に押し出す!


と、、、おぼろげながら考え
るようになりました。。


数多ある数名のグループ展などというのは、私が
客観的に見ていても”つまらない”・・・・


特にテーマ性が薄ぼやけてしまいがちだ
し、何よりも魅力にかける・・・・・


そういう始めにグループという枠組み
ありきというのは如何かな???


又、、結局、作家という存在が退行せざるを得ない


物の集合・・・・


と、、、、


しかし、、、


逆に”てんこもり”にしたらどうかな?
しかも全員が現れる!


”枠”を越えて集まっているような勢い!


客観的な事象や物象が前提ではなく、


人そのものがテーマ性!


これだったら、この短期的な集団の性質
=私が想像する企画の軸が明確に伝わる
のではないか?


またご高覧いただくというよりも
批評を承る、、、、


即ち、挑戦をむき出す方が面白いのでは?


そんな考えを凝固して、、、


9月、正式に企画書を出すことにいたしました。


正直、未知数です。

通常想定する基礎売上などは、、
想定出来ていません。。。

よーいドンです・・

極端に尖っている訳ではないですが、、
百貨店というこれまでの商業施設と
しての性格を考えた場合、、、、、


かなり違和感がある事は間違いないでしょう。


美しいピッチで作品を見せるという
よりも、、、


俺の、私の!!ワークスを見て!


たった一人の人を基本に喰いついていく!


当然大作中心。一人3点平均でトップギアの全開出力!


100号が屏風が立体が


所狭しと画廊の中を”飛び跳ねている!”


そして一人でも共感していただければ!


そんな風景を考えました!



この企画、、


これは、この数年、特に今年の出会いが中心
となってできた企画であり、、、


挑戦です!









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おかげさまで丸3年を迎えることができました
本日12月8日(木)でCOMBINEは丸3年を迎えます。


まずは、普段から過分なるご配慮ご支援をいただいて
おります皆様方にこの場を借りて深く御礼を申し上げ
ます。

大変厳しい状況が続いておりますが、自らに与えられ
た仕事に精進し、期待に応えられますよう奮励努力
いたす所存です。


今後とも皆様方にはご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い
いたします。


さて、


12月8日という日付をスタート日とさせていただいた
理由は前年同日の当ブログにも記載させていただきまし
たが、改めて申し上げれば、私にとっては確信的に決意
した日にちでありました。


2010年12月8日Blog

↓ ↓ ↓

http://combine-art.com/html/blog/ueyama/post/blog.php?post_id=1457



実は、この日本人ならば誰しもが知る日という
12月8日の事について、私は学校教育で知る前
に知識として持っておりました。


当然、親から聞いた分けですが、


それは一般的な歴史を教えてもらうという事
とは少し違いました。


私の父は


昭和13年12月8日生まれです。


私は物心つくころから母親はもちろん祖母(私は
祖父の記憶がまったくない)から、父親が生まれた
日は特別な日であるという事を刷り込まれてきたの
でした。


昭和13年とは軍靴の響きどころか、日本がもう
ほぼ大戦を決意していた時分であり、昭和16年12月8日の
3年前という事で、出産そのものは同日ではないにし
ても、その当時の日本人、子供を産んだ母親からすれば、
3歳になる息子、又その後の日本を見るにつけ、得も言わ
れない感覚が芽生えたのは言うまでもない事でしょう。

その感覚は私が生まれ物心つく、その時においても
変わることなく、否、敗戦・復興・興隆という経験を
踏まえた上で新たな感覚が生まれ伝えてきたであろうと
想像できます。

ある意味私はその感覚を早くから吸収してきたように
思います。

そして私にとってこの特別な日というものは独特な興味
として増幅し、青年になり成人したのちの今も変わらず私
の胸のうちに存在します。



やはり起点はここじゃないのか?

と感じるのです。



そのあたりの事情、12月8日をスタートとした
経緯に関して、ほとんど無いとは思いますが・・・
もし、ご興味のある方がいらしゃいましたらお手数
ですが上記リンクURLから昨年の12月8日blogを
ご覧ください。



12月8日を起点と感じる感覚


今年の日本も起点だったように感じます。


私ごときが言うまでもないでしょうが、
あえて言えば3.11です。


この日を境にあらゆる日本人は様々な事を考えた
でしょうし、今も考えている、そして当分考え続
ける事でしょう・・・・


3.11そのものも、何故3.11が起きたか、又その後
の事。しかしどれもこれも問題の行きつく先は、
全ての起点は何か?という事だったのではないで
しょうか?


それは強引な論法かもしれませんが、喪失から
生まれた感覚であり、喪失することによって
得たと言えるかもしれません。


戦後日本の起点はなんだったのか?


未曽有の発展を遂げ、近年躓き、そのまま
凋落とまでは言わないが、鈍化、見通しが
絶たない・・・


そして追い打ちをかける様に起きた
3.11・・・・・・・


何を追い求めて来たのだろうか?と・・・・


3.11、、、


我々が見たその時の光景とは何だったのか?


国土の一部が荒廃し、人家もなく、ただただ
現代人としては決して見た事のない風景が広
がる・・


我々は何を亡くしそして悲しみと共に何を得た
のか?もしくは何を取り戻そうと今揺り戻しを
しているのか?

3.11は我々全てにブレーキをかけた事は間違い
ない。そして、、、、その事により


深い闇のような中に放り込まれ、これまでに
無かった共同体としての感覚が生まれたよう
に私は感じました。

この共同体としての感覚とは一体何なのか?


やはりそれは、国家という決して触って、見て、
という物理的ではない超越した枠組み、普段様々
な物的境界によって認識している、もしくは知識と
して得ているものとはちがう、今の自分たちの中に
流れている共感の磁場そんなものではないか?
と感じます。


3.11で無くなったものは家や建物を始めとした
財産、人間、動物等の命、、その他、様々なも
のがあったと思います。


しかし我々共同体が本当に亡くしたモノとは
何か?


私が思うのは、そこで営々と生活してきた
人間達が築いた文化が亡くなってしまったと
痛感するのです。

その地域独特の言葉、お祭り、歴史を踏まえた
街の名前、通りの名前、郷土というモノが持つ
人々の拠り所、そういったモノが瞬時に喪失し
た・・・・・


我々共同体からすれば大事な大事な文化の
一部分が欠損ではなく、雲散霧消と化した
瞬間だったのではないでしょうか?



この時、その事を誰しもが拡大して想像した
事でしょう。自らの郷土が同じ事になったら
・・・・

もっと想像を拡大した場合、郷土の集合である
国家が・・・・


この時、初めて感じるのです、我々共同体が
深い闇の中から共感し合えるモノとは何か?


それは文化なのではないか?

共同体の外郭。


国境というのは文化の境目であり、その境界の
内側で熟成されたものこそ、国家そのもである。

そして、

我々はその国家で育った。


もっと言えば我々はその国家で醸成された遺伝子
を受け継ぎ、今肉体を有し、そして次世代に伝える
役割を担っている。肉体と言う搬送物を持ってして
国家の枠組みである文化を伝えているという事で
ある。


亡国とは何か?


単純に考えれば、文化が亡くなるという
事ではないか?と感じるのです。


国土は残る。世界地図から消えて亡くなる
事はないでしょう。しかしその国土はどの文化
が存在するのか?それによって国家は変わる。


占領され、言葉を取り上げられた。


その時、営々と築き上げてきた文化の歴史は
見るも無残に消滅します。


お祭り、無いでしょう。


街、違うのもになるでしょう。


何もかもが占領側の文化に上書きされていく
のは明白な事だと思います。


3.11


その喪失とは、強引に言えば、まったく見えない
相手に占領されたと言い換えても良いと思います。


その時見えないものの存在を生みだしたのは
他ならぬ我々であり、我々が自ら喪失させた
のかもしれません。


その時初めて気づく起点。



それらを考える時、我々は自らが上書き
してきたのではなく、何かに上書きされて
来てしまったのではないか?と感じる・・・・


そんな事を3.11は想起して止まないのです。


その時、芸術とは何かと改めて考えさせられま
す。


3.11時、色々な救済がありました。芸術という
領域からもチャリティー始め様々な事が企図さ
れました。


それを否定するものではありません。


しかし本質的に芸術とは?と改めて考えると
そういった悲惨な窮状に対して即時何かでき
るのか?


結論は何も出来ない、、と私は感じました。


ある意味無力です。


では芸術とは何が出来るのか?


それは悲しいかな、この現状を芸術家達が
感じそして作品としてその時の社会、人間の
情感に沿う、鏡のように冷徹に映し出すよう
なモノを残していく。

それは即物的な事ではなく、ひょっとすると
かなり先の時代からかえり見た時に感じるも
のなのかもしれません。


しかしそれこそが我々の文化そのものでは
ないかと感じます。


100年200年とその時代には決して生きていない
先人として残すもの・・・・


現状無力たるものが、実は、、、、


文化こそが国の形だと思うのと同時に、
国家の歴史そのものであり、今生きている
人間が最大限未来に対して残せる栄光なの
ではないかと思います。それは悲しい現実も
人道外れる事も様々な諸悪も含めその国家=
文化の全てではないかと感じるのです。。



それを後世に伝える者は誰か?



私はそれこそが芸術家なのではないかと
考えます。


又、文化こそが国境だと考えた場合
その防人とは芸術家なのではないか?


我々の存在を守護している本質こそが
芸術家なのだと私は思うのです。


自らの仕事




3年過ぎ4年目を迎えるにあたり
改めて我々の仕事の意味を考える次第であります。



























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