拡張される身体2
April 15,2013
私達が作り出したの身の回りにある道具の数々。
これらは身体機能を延長したものであり、身体機能の拡張といえる。
マーシャル・マクルーハンは、テクノロジーやメディアは人間の身体の「拡張」であり、自動車や自転車は足の拡張、ラジオは耳の拡張であるというように、あるテクノロジーやメディア(媒体)は身体の特定の部分を「拡張」するとの主張した。
前回の記事で私はインターネット(やそれにアクセスする為の端末)を外付けの記憶装置と言ったが、頭脳だけでなく、身体機能に関しても同様に拡張は進んでいる。
というか、むしろこちらのほうが起源が古い。
我々人類は道具を作り出し、それらを使うことで進化してきた。
その代償に他の動物達が持っている強靭な肉体、あるいは身体能力の多くを失った。
それにも関わらず、人類は今日こんなにも繁栄を迎えている。
なぜなら、他の生物が持つ能力よりもはるかに強力な、外付けの身体を手にしたからに他ならないからだ。
刃物や銃などの武器はもちろん、車や飛行機などの乗り物、人の代わりに働く巨大な工業機械やロボット、電気や水道などライフラインに至るまで、
テクノロジーよって得た私達の身体能力を拡張させた外付けの身体は、他の生物の能力を圧倒していると言えるだろう。
ただ、私達がテクノロジーによって新しい身体の拡張能力を手にしそれに依存するたびに、元の生の肉体が司っていた能力というのは退化していく。
やがて生命維持装置のように外付けされた新しい身体がなければ生きていけなくなるような気がしている。
現にライフラインが断たれればまともな生活ができない状況になってきているし、
そういったことも踏まえれば、既に私達の身体というのは、自分で認識しているよりも遥かに巨大なものになってきているように感じる。
拡張される身体1
April 13,2013
気が付けばスマートフォンをいじっている今日この頃。
別にメールも電話もしない。
ゲームにはまっているわけでもないのだが、気が付けば手にはスマートフォンがある。
特に昔だったら広辞苑なり、辞書を引いて調べる様なことでも、今ではこの小さい外部記憶装置ひとつでことたりてしまう。
スマートフォンに限らずタブレットでもノートpcでも何でもいい。
正確いえば、インターネット上に情報があるので上述したような機器は、それらにアクセスする為の端末にすぎない。
だが、私達は普段の生活の中でそれらの外部記憶装置にかなりの割合で頼っているようになってきているのではないだろうか。
私なんか、あまり手で文字を書かないので漢字が曖昧にしか思い出せないことがよくある。
何と無く形は思い出せるのだが、細かい部分が思い出せない。
何とも気持ち悪い。
で、結局確かめるためにスマートフォンで調べてしまう。
映画や漫画のあらすじも調べれば、すぐに出てくるし、細かい設定なんかも詳しく載ってたりするので、わざわざもう一度内容を実際に確かめることも無くなった。
さらには有名人などで、顔や名前が思い出せないときも、キーワードを入れればすぐに何をした人なのかわかる。
調べるとパッと答えがでてくる。
それはすごく便利で快適なことだし、現に私もそれにどっぷりと使っているのだが、何かを記憶に留めておくということが、希薄になってきているのではないか。
端末を用いインターネットにアクセスすれば、自分のもっている曖昧記憶では無く確かな情報が得られるのであれば、きっと必死に物事を覚えようとする人はいなくなる。
そうなれば、人間の記憶能力は、どんどん衰えていくだろう。
そして、衰えた能力は、また外付けの記憶装置によって補完されていくに違いない。
しかし、外付けの記憶装置によって補完されたものは、元々我々の身体の中に備わっていたもの、正しくは、日々の生活の中で能力を使っていくなかで身に付けることが可能なものであったはずだ。
そのような事を考えながら今日もやっぱり暇があればスマートフォンをいじっている。