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拡張される身体1


気が付けばスマートフォンをいじっている今日この頃。

別にメールも電話もしない。
ゲームにはまっているわけでもないのだが、気が付けば手にはスマートフォンがある。

特に昔だったら広辞苑なり、辞書を引いて調べる様なことでも、今ではこの小さい外部記憶装置ひとつでことたりてしまう。

スマートフォンに限らずタブレットでもノートpcでも何でもいい。

正確いえば、インターネット上に情報があるので上述したような機器は、それらにアクセスする為の端末にすぎない。

だが、私達は普段の生活の中でそれらの外部記憶装置にかなりの割合で頼っているようになってきているのではないだろうか。

私なんか、あまり手で文字を書かないので漢字が曖昧にしか思い出せないことがよくある。

何と無く形は思い出せるのだが、細かい部分が思い出せない。

何とも気持ち悪い。

で、結局確かめるためにスマートフォンで調べてしまう。

映画や漫画のあらすじも調べれば、すぐに出てくるし、細かい設定なんかも詳しく載ってたりするので、わざわざもう一度内容を実際に確かめることも無くなった。

さらには有名人などで、顔や名前が思い出せないときも、キーワードを入れればすぐに何をした人なのかわかる。

調べるとパッと答えがでてくる。

それはすごく便利で快適なことだし、現に私もそれにどっぷりと使っているのだが、何かを記憶に留めておくということが、希薄になってきているのではないか。

端末を用いインターネットにアクセスすれば、自分のもっている曖昧記憶では無く確かな情報が得られるのであれば、きっと必死に物事を覚えようとする人はいなくなる。

そうなれば、人間の記憶能力は、どんどん衰えていくだろう。

そして、衰えた能力は、また外付けの記憶装置によって補完されていくに違いない。

しかし、外付けの記憶装置によって補完されたものは、元々我々の身体の中に備わっていたもの、正しくは、日々の生活の中で能力を使っていくなかで身に付けることが可能なものであったはずだ。

そのような事を考えながら今日もやっぱり暇があればスマートフォンをいじっている。

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