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自己とモチーフ
いよいよ明日から

高松天満屋にて

松本央洋画展はじまります!

お近くにお立ち寄りの際には

ぜひご高覧下さい!




「黄色のパプリカ」 oil on canvas 2013



ということで、

前回のつづきです。







「自己とモチーフ」



「WWW」 2012




実際2012年の二紀展出品作の「WWW」から

2013年に二紀展出品用に描いた「夢想」

というタイトルの自画像を再び描くまで一年の間は、

自画像を描かずに、いろんなものに目を向け

本当に自分が納得できる作品を描くべく制作していた。


ほぼ自分ばかり描いていた私にとっては、

何か解放された気分でもあり、

描くものに新たな発見があり新鮮であった。

逆に何を描くべきなのかモチーフの選択を迷うぐらいであったが、

これまでの個展で打ち出してきたコンセプトなり

テーマからは大きく外れないようにしてきたつもりである。

自分を描くという縛り、制約の中ではできなかったこと

をするというのを一つの課題として制作してきた。


この間制作した作品群はモチーフに自分を登場させないだけで

今までの作品の延長線上にある。



「Rebirth」2013 個展「極楽」より




だが、2013年に発表した「Rebirth」を描いた後ぐらいから

前回の個展「Best Attacks!!2」で感じたような

苦しい状況に陥いり、2013年度の二紀展出品用に描き始めた

100号の大作「invade」で再びピークを迎えてしまった。

この作品は完成させたものの、

非常に時間がかかり難産であった割に

自分でも納得できる仕上がりにはならなかった。


一体何が原因なのかこのときはわからなかったが、

私はこのままの方法で制作し続けることはできないと判断した。



「Invade」 2013



一方この頃、2012年度から母校でもある

京都精華大学で洋画コースにてお世話になった先生を介して、

ニメーション学科の先生から非常勤講師としてデッサンを

教えてくれないか、との依頼を受け約70人の生徒にデッサン

を教えることとなった。

そこで生徒が課題で描いている野菜や石膏像などを見ているうちに

自分もこれらのものが描きたくなったというのも、

静物を描きだした原因の一つではある。


生徒に描かす以上、講師として当然描けないといけないので

練習もかねて果物などを買いデッサンで描くうちに、

すぐに夢中になってしまった。何も考えずにただ対象を観察し、

描く喜び。

絵を描くことで得られる原初的な感動が再びよみがえってきたのである。



「鯵」2013


そして決定的だったのが、

ヌードデッサンの授業。

普通、教える側なので描きはしないのだが

モデルさんがポーズをとり、生徒が描いている間、

教えることもできず暇なので、

スケッチブックで軽くスケッチでもと思ったのだが、

気が付けば真剣にデッサンを描いてしまっていたのである。



何故こんなにも夢中になってしまったのか。

ここに今回の個展の作品にも通じる一つの重要な気づきがあった。

普通、絵描きであればデッサンをすることは学生時代あるいは、

大学受験のために嫌になるほど描いて誰もが一度は通過する点であり、

今更モチーフを目の前にして描くこの方法に

目新しさなどを感じるわけなどはない。


しかし、私が実際に目の前に置かれたモチーフを描くことで

得られたものの中には、私が今まで忘れていた

重要な事柄が含まれていた。



「桃」2012



それは、モチーフつまり描く対象に対し、

描き手である私が本当に心の底から感動するという点であり、

自分が感動したもの以外は描いてはいけないのだ。


また、モチーフから受ける様々な情報、

光が作り出す陰影や、物の構造、形体、

人体の肉体に対する驚きや畏敬などを、

「美」としてとらえ心の中で絵を描くための

エネルギーとして常に燃やし描き続けていかなければならない

ということでもある。



前にも書いたが、不思議なもので、

作品を観る人には様々なものが伝わる。

もちろんテーマや作品に込めた意味なども当てはまるが、

それ以外にも作者の感情や、作者が作品に込めた熱量、

また作者が思いもよらないことなどが伝わってしまうこともある。


作品を上手く見せようとか、

もういいだろうといったような甘えや温さ、

付け焼刃で策を弄したとしても、

それは全て見抜かれてしまうのだ。

そのようなことをここ数年肌で実感する

貴重な機会を与えていただいたと感じている。



ここで話を戻すと、100号の大作を描いて

このままではいけないと考えた私は、

一度何も考えず自分が美しいと思う「絵」を描こうと決意し、

一年ぶりに自画像を描いた。



「夢想」2013


「夢想」というタイトルのただ自分が座っているだけの作品なのだが、

描き上げるまで非常にすっきりした感覚があったし、

このやり方が直観的に今の自分には一番あっているように感じた。


その時に誰が何と言おうとも自分の審美眼を信じるしかないと決断し、

今に至る。



たしかに、今回の個展で発表する作品は

今までの作品に比べれば非常に地味な作品ではある。

技術的にも、絵画作品としてもまだまだ未熟で至らない点は大いにある。


しかしその静けさの中に今までより高い純度で

私の思いは込められたと感じている。


何より自分の進むべき方向性が見えてきたのが、

何よりの収穫であった。

私にとって今回の開催していただく

個展は、新しい方向性を示すその第一弾なのである。





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個展のお知らせ
 
この度、2014年1月22より2月5日まで

高松天満屋5Fアートギャラリーにて

個展をさせていただく運びとなりました。

FaceBookなどではすでに発表させていただいていたのですが、 

こちらでもご報告させていただきます。

また、高松天満屋が三月いっぱいで閉店するということで

高松天満屋での最後の展示となります。

お近くにお越しの際にはぜひお立ち寄りください



今回の個展では上のような静物画が中心となります。

私がなぜ静物を描き始めたのかその理由を少しずつ

当ブログでも発表していければと思います。

以下で紹介させていただきます。







「私の絵画変遷」



「108人の自画像」2007



 ご存知の方も多いかと思うが、

私は大学在学中よりこれまで自分をモチーフにして

絵画作品を発表してきた。

しかしながら一昨年の「Beast attacks!!2」頃より、

画中に私の像が登場しない作品も描き始めた。

そしてその後の高松天満屋アートギャラリーでの展開

「欲望の怪物」では画面上から完全に私は姿を消した。

昨年の個展「極楽」において発表した作品群においても同様である。


このあたり、私にどういう変化があったのか、

またこれまで私が自らの作品において追及していたものと

どのような関係にあるのか疑問に思っておられる方もいると思うので、

この機会に一度きちんと自らの作品について言及しておくべきだろう。



「最初の晩餐」2011 



まず、結論から言ってしまえば、私が過去のすべての作品から、

今回発表させていただく作品まですべて一本の糸で繋がっている。


私が描いたからという単純な意味においてではなく、

その作品を生み出す必然性と意味においてである。
 

つまり、過去の作品がなければ、

現在の作品の表現にはなり得ないということである。

当然のことであると思われるかもしれないが、

ただ何かに媚びて花や野菜、頭骨などの静物を急に描き始めた

と誤解されては困るのでここは念を押しておきたい。




「驚異の部屋」 2012 個展「欲望の怪物」より





以前、自分をモチーフに作品を制作していたころは、

あくまで自分とはモチーフの一つであり、

本当に表現したいテーマあるいはコンセプトを表すための


道具の一つ手段でしかなかった。


もちろん最初からそうだったのでは無い。


私は、2011年の「Beast attack!」において

かなりコンセプト色の強い作品群を制作し発表した。

このあたりから自分の中でよりコンセプトを重視し

作品を制作するようになっていった。

というか意識的にそうしなくてはいけない

というような感情になっていた。



「Encounter」
2011 個展「Beast attack!」より





先に展覧会のコンセプトなりテーマを考え、

それに沿う形で作品を制作していく。

というスタイルに制作方法を変えた。

会社とかの商品開発とかに近い手法をとり、

形だけでもとにかくきっちり最初から最後まで自分の神経を

行きわたらせたと言える個展がしたかったし、

そうすべきだと思っていた。


結果何とか開催までこぎつけ評判を得たものの、

自らが掲げたコンセプトに徐々に作品が

縛られていくような感覚を覚える。


それは今自分が感じ考えているものと、

個展を企画する段階で考えていた作品構想との齟齬であり温度差、

気持ちの揺らぎ。

例えば、鉄は熱いうちに打てというが、

私のそれは冷めてしまった鉄を必死で叩いて

形成しているような気持ち悪い感覚だった。


絵には作家の制作時の気持ちが反映されると私は常々考えている。

作家が楽しく描いた絵は見ている側も楽しい。

ならば、逆もしかり、負の感情も作品に反映されてしまうし、

見ている側にも伝わってしまう。



次第に、当初の意気込みや勢いは薄れ、

ただ絵を描くという作業をさせられているような感じになり

(その作業を強いているのは他の誰でもない自分なのだ。)、

描いても心から納得できない作品しかできず非常に苦しくなった。



「導カレシ者タチ」2012
個展「Beast attacks!!2」より




だが、良かったこともある。

この一連の個展では日頃の私の考えていることと

作品の制作という今まで全く合致してこなかったものが、

遂に合致したという実感を持ったし

自分の社会に対する考え方もまとめられ

私個人的には達成感があったし手ごたえも感じた。

このときの考えた展覧会コンセプトは未だに

私の中で重要な位置を占めているし、

これからも大きく変わることはないだろうと考えている。



試行錯誤の末、一端自分を描くことから離れてみることで

状況の打開を試みることにした。

そして架空の都市の風景である

「Hyper Gaulong 20XX」を描いたことを皮切りに

自画像絵画からはいったん離れることにしたのである。




つづく



「Hyper Gaulong 20XX」 2012 
個展「Beast attacks!!2」より


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