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トーナメント戦
気づくと10日近くブログを
サボっていた・・・・


最近の事を書きたいと思うところだが


どうもダイアリー的なブログが苦手で
結局、、、10日近くサボってしまった。


近況をごく簡単に纏めると


当月中旬から輸出について各所へ見積
もりを行い作業の段取りを手配してい
たことと


当月上海へ渡航されるKFLのF氏と
最終的な打ち合わせを行い、販売の段
取りを詰めていたこと、、、


合わせて昨年と流通の形態を変更させた
事にって生じた、中国当局への提出書類の
準備等・・・・


この2週間は大まかには以上のような作業
に追われていたような感じである・・


実際にはまだまだ細かい作業が残って
おり、ツール類や第二段の輸出等、、、


5月に上海へ渡航し、そこで頂いた宿題を
6月にそれぞれ提出し、結果の出たものや
まだまだ継続審議のものなど様々な進捗
があるのだが、何をおいても基軸はアート
フェアにどれほどこれまでの計画や接触し
てきた人を集約できるか?今回はそのポイ
ントが非常に重要であり、以降の展開に
とってもその内容は大きく関わってくる
ことになるだろう。


昨年は手探りどころか、なにも分からな
いまま決行したのだが、それ以降、2度に
渡り上海へ行き、プラスKFLがその間を
縫って上海入りをし、得た様々な情報を
元に今回を迎えている。


短期的な計画(即売)だけを運用するわ
けではないのだが中長期計画を視野にい
れた今回のフェアは正直昨年とは全く違
うコンセプトで迎えるつもりである。


実直に言えば何かを残さなければ、次は
ないし、当然全ての計画は修正せざるを
得ない。


絵画・芸術の世界は当然沢山の人に見て
もらってこそ成り立つものであるが、
ここを少し勘違いしている人たちがいる
ように私は思うのである。


沢山見てもらっても、何も残らなければ
負けである。


次の対戦カードが組める状況を
生み出さなくてはならない。。


だから絵画芸術の世界は、どのような
環境であろうとも実際には”トーナメン
ト戦”なのである。。


なんの反応もないものを全く同じように
次年度も取り扱う人はいないという事
であり、極端に言えば、展覧を失敗す
れば即ちその場を失地するということ
になる。


だから毎回勝たなければ次の場所へは
当然ながら縄張りは拡大しないのであ
る。


様々なイベントが京都は今年多く取り上げ
られているが、実際”何が残るのか?”
という具体性が見えないものが多いように
感じる。当然即売実績ということが主要な
要素になるのだが、果たして満足のいく
もしくは客観的に驚嘆するようなものが
残せたのだろうか??


それ以外の効果についても同様に感じる
情緒的なニュースのみ終わるのであるなら
ば、、、、


参画者の熱い思いだけがその場に残る・・



しかし、こんなものはすぐに冷め、、忘却
の彼方というのが本質だろう・・



もっと言えば、回を重ねるごとに規模や
内容が増幅する可能性があるのか?どうか?



その次、行わなければならない必然性が
不明瞭では何もが続くとは思えないので
ある。


少し僻みや誹謗のように聞こえるかも
しれないが、実際のところそうなので
はないだろうか?


正直昨年のアートフェア参加は失敗では
ないが決して成功とも言えない、ただ
成果として”首の皮一枚残して”本年に
つながったという事でしかない。。


しかし本当は順次色々な計画が拡大して
いかなければならない、これは先述の
次回を迎える必然性と全体計画の中での
必要性ということになる。


実に痴がましい限りではあるが


私の今回のアートフェア参加コンセプト
とは正しくこれが主題である。

▲TOP
龍馬考
今年、NHK大河ドラマは龍馬伝
であるが、ここで私なりの坂本龍馬
の年表を作ってみた。



※大凡のまとめなので細部で曖昧な
 部分、個人的な想像の部分がある
 事は、予め申し上げておきます。



-----------------------------


坂本龍馬


1835年11月15日高知城下で誕生


1853年剣術修行、千葉定吉道場入門

      ↓

    親の金で修業


1853年佐久間象山、砲術熟入門

      ↓
 
    親の金で入門


1858年再度剣術修行再び江戸行き

      ↓

   親の金で再度修行


1862年長州城下で久坂玄瑞と会談

      ↓

  土佐勤皇党の党務であるら
  党費にての旅費


1862年 沢村惣之丞と脱藩

      ↓

    実家よりそれなりの餞別


1862年 勝海舟に入門

1863年 勝海舟の尽力により脱藩赦免
    海軍塾塾頭になる。       

      ↓ 

    おそらく勝塾の食客であり
    生活費は勝からの流れ


※海軍塾は幕府、各藩首脳に必ずしも理解され
 設立された訳ではない。その大いなるパトロン
 は越前藩の松平春嶽候であり設立資金五千両
 の拠出を得ている。幕府資金3千両。計8000両
 貨幣価値換算5億円前後



1864年 神戸海軍操練所設立
    龍馬”お龍”と出会う

      ↓

  神戸海軍操練所は幕府機関経費
  は幕府より拠出、その費用によ
  り海軍士官としての諸々を学び、
  生活を成り立たせる。

    
    勝海舟失脚、薩摩藩を頼る

      ↓

    薩摩より資金援助



1865年 神戸海軍操練所廃止
    西郷に伴われ薩摩入り
    大宰府で公家・三条実美拝謁
    
    亀山社中結成    

      ↓

    長崎の豪商・小曾根乾堂
    より活動の協力を得る。
    薩摩藩より資金援助
    毎月一人3両2分支給
    現在の貨幣価値20万~28万円
    総額約60両(400~600万円)
    年間720両貨幣価値換算2400万円~
    5000万円

    ※当然、大浦 慶よりの
    援助もあったと思われる。

               

    薩長同盟下交渉に関わり
    薩摩藩名義で大量の武器
    軍艦購入       

      ↓

    9万2千両の商取引を成功
    毛利候より200両の謝礼
    貨幣価値換算1200~1600万円
    ※ユニオン号入手。(下関
     開戦使用)



    薩摩藩援助によりワイル・ウルフ号購入

      ↓

    薩摩資金拠出

 
    ワイル・ウルフ号五島沖にて
    遭難殉死12名      

     ↓

    多大なる損害



1866年 お龍、小曾根家に預ける。
    社中経営行き詰る。
    長崎豪商小曾根邸を常宿
    とする。小曾根英四郎
    保障人となり大極丸購入

     ↓


    全て小曾根家資金拠出



1867年 土佐藩参政・後藤象二郎と会談
    土佐藩の援助を得て土佐藩の
    外郭団体として海援隊結成。

     ↓

    土佐藩より一人5両の資金援助
    を受ける。総額約100両(毎月)
    現在の貨幣価値600~900万円
    年間1200両貨幣価値換算7000万円
    ~1億2千万円の契約。



    伊予大洲藩籍いろは丸、
    鞆の浦沖にて紀州藩
    明光丸と衝突沈没。
    ※一航海500両にて借入
   (現在の貨幣価値300~450万円) 

     ↓ 

    初航海にて沈没。
    多大なる損害を発生




    いろは丸談判に勝利

     ↓

    紀州藩より7万両を賠償金として
    (貨幣価値換算42億円~60億円)
    支払わせる。



    薩土盟約締結。
    海援隊士英国水夫殺害
    嫌疑をかけられるが不
    問にて決着。 
        
     ↓

    解決に土佐藩助力




    龍馬名義で小銃1300挺購入契約

     ↓

    土佐藩へ納入





    11月15日暗殺。
    
    
    
-------------------------------


という年表である。


まぁ見ていただければ大体理解していただけると
思うのですが、→はおおよその金の拠出と消費
に関しての流れになっています。



特に瞠目すべきは



1865~1867の3年間で動かしていた金の額である
紀州藩からの賠償額も合わせれば、私の貨幣換算
は多少高めの設定かもしれませんがその基準に沿
って考えれば、およそ出入り100億円近い金が動い
ていた事になります。


その2年前大騒動の末設立された神戸海軍操練所
が僅か5億円に過ぎない事を考えれば、このダイ
ナミズムは驚愕と言わなければならない。


しかも拠出されたこれらの金は


全て他人の金、海援隊が純然と稼ぎだした金
ではないという事である。


有体に言えば、人の褌でダイナミックに活動
していたという事が言える。


実は坂本龍馬という人の本質はこういう側面
から見た方が分かりやすいのではないか?と
思います。


藩という大会社の資金を背景に歴史に登場
してくる偉人と違い、彼は独自に出資を募り
それを運営していた事が読み取れるのです。


しかも結果的に上手く行ったという事は
正直あまりなかったように感じます。


どちらかと言うと失敗の連続・・・・


ほとんどが利殖どころか還ってきていない・・


3年間で動かした金銭も凄いが、3年間の
トラブルの多さも目を見張ります・・・



なぜこのような人物、組織に、皆動かされた
のか?



その担保というのか保障というのは?



という事を考えれば



一目瞭然として分かる筈です。




改めて



坂本龍馬のこの年表を見ると



この人は



生涯、ほとんど誰かの金で生きてきた・・
というのか、、、よくまぁ平然とこれだけの
累積した大金を消費通過させたなぁ・・・



何の後ろ盾もない人間が、、、、



と、、思う。。


一つ間違えば



大ぼら吹きどころか



稀代の詐欺師として




歴史に名を残しかねない・・




そう考えると




夢というのは



色んな色彩の金が集まるのだなぁ・・・・・




と改めて感じます。。

▲TOP
妖怪人間と日本社会
昔「妖怪人間ベム」というアニメが
あった。

普段は人間の容貌だが事情により
妖怪に変身する。人間の容貌時に
唯一妖怪的な要素は指が三本と
いう点だ。


妖怪だがあくまで正義の味方という設定
で何とも言えない寂寥感漂う雰囲気が
あった。


昔のアニメのダイジェスト版特集がよくテレ
ビの1時間半企画であり、妖怪人間ベム
もたまに出てくるが、大抵のコメンテイター
役のタレントが触れることが無い。


しかし私たち世代にはキョーレツなインパ
クトがあり、私などは“名作”だと今でも思
っている。


世の中のブームになった訳ではないが、
確実に私たち世代の脳裏には残ってい
るはずだ。


しかし友達同士の懐かしい会話のテー
マになることは希なアニメでもある。


ジャズテーストのビートにのった主題歌、
“早く人間になりたい”という分かりやすい
台詞、どこかヨーロッパの陰鬱な風景、
全く明るさのない、そして明日に向かって
の活力を感じないテーマどれをとっても
ビターな大人テイストであった。


子供がおおっぴらにファンというのが憚ら
れるタイプのアニメであった。しかし確実
に子供向けアニメであり、制作側の
アバンギャルドな感性に感動する。


そしてこの手のファンによるインターネット
のサイトを見ると間違いなく“おどろおど
ろしい”雰囲気が漂っている。


私は小さい頃よくアニメを見たが、どうも
ディティールに異常にこだわりを示す子
供であった。


この妖怪人間もそうだが、科学者に
よって造られた妖怪がいろんな事件
を解決していくのが大筋であるが、
私の興味は別にあった。


大抵ストーリーの展開はベム・ベラ・
べロの待ち合わせからスタートする
のだが、かならずベロが待ち合わせ
場所に早くつき待っている間に事件
に巻き込まれる。


なぜか、巻き込まれる・・



昔のアニメにはありがちなのだが


ストーリー展開に大抵強引なとこ
ろがあり、、


妖怪・・人間の格好をした・・
者達が、、待ち合わせという
ことは、常にフラフラと、、、


そう考えると


私は“こいつらは一体待ち合わせまで
どこで何をしているのだろう?


とか、働きもせずどうやって飯食っ
てるんだろう?とか決まって事件に
巻き込まれるベロをどうして単独行
動させるのか、一緒にいればいいの
にとか”とにかくストーリーと違う
部分に異常な興味があった。


それは他のアニメでもそういう見方を
毎回していた。デビルマンが変身する
とき服がビリビリに破れるのだが、毎回
同じ服を着ているのは同じところで買
うんだろうか?


その場合毎回買うのにどういう理由
を言っているんだろう?


店の人は不思議がらないんだろうか?


そして地球を守るために変身し服を
破るのだがその経費は自腹なんだなぁー
とかどうでも良いことをとにかくキョーミを
持って見ていた。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



妖怪人間の制作側の意図は、差別
や偏見そして社会に対して報われない
奉仕というような事がコンセプトにあっ
たみたいだ。


たしかに毎回人間の知らないところで
事件を解決し報われていなかった。


いつの日か人間になるために偏見や
差別から身を守り、黙々と社会のた
めに正義を貫くというストーリーであり、


確かに崇高なコンセプトが見えるのだが、、、


あまりのキャラクターの特異性が・・・
そのコンセプトを曇らせ、少し負けてい
るきらいもあった。


・・・・・・・・・・・・


しかし最終回は涙涙の展開で、よう
やく人間になる術を見つけるのだが、
その方法は人間の魂を自分たちと入
れ替えるという一人の人間を殺してし
まわなければ達成出来ない方法であ
った。


その時、リーダーのベムは人間になること
を諦める。


そして自分たちがいなくなった時、世の
中の正義は誰が守るのかを考え妖怪
人間でいることを決断するのである。


しかし人間にその存在を知られた彼
らは、隠れていた屋敷ごと焼かれて
しまう。


焼かれた屋敷跡にはベロの靴とベムの
帽子が残っていて死んだのか生きている
のか分からないエンディングだった。



私は子供心に“うーん最後まで報わ
れていない!


誰も救わない?


冤罪じゃないのか?


なんともやるせない・・


という勧善懲悪ではないエンディング
に何故か感動した・・・



、、、、、、、、、、




今の日本で



こういうアニメというのは



どういう捉え方になるのか?



おそらく



こんな視点からは



決して作らないだろうナァ


と、、、




なんとなく今改めて




フッと思ったのでした・・・

▲TOP
時と時を縫い合わせるモノ
鬱陶しい雨続き


梅雨だから仕方がないのだが
何が嫌かと言えば、、、、、


服が濡れること、これが一番
嫌いである。。


という今日も大雨。


京阪電車を降りて地下から地上へ
毎日見ている風景で変わることは
ないのだが、今日は少し違った。。



鴨川が”怒ってる”かのように、
恐ろしい勢いで濁流が・・・・







雨の日の鴨川は何度か見ているが
今日の鴨川のような雰囲気はあまり
見たことがない。





ご存知の方も多いと思いますが、鴨川
は両脇に石垣のようなものがあり普段
はその石垣の真ん中を静かに流れてい
て情緒あふれる風情が楽しめるのです
が、今日の鴨川はその石垣まで水が
増水し尚且つものすごい勢いで流れて
おり少し恐ろしさを感じさせていました。





私は誰に見せることもなく結構、仕事の
行き帰りに携帯のカメラで鴨川を撮って
いるのですが、今日は思わず傘で濡れ
ないよう保護しながら必死にシャッターを
切った・・・・





昔、そう明治より前、鴨川は”暴れ川”
だったと聞いたことがある。





時の為政者が護岸や川の流れなどを
改修してきたらしいのだが、それにもまして
の暴れぶり、、だったと聞き及ぶ。





確かに、鴨川から100m強ほど西側の
通りが現在”河原町”という呼び名になっ
いるが、おそらくその辺りまでが往時は
河原だったのかなぁ?などと想像する・・





今日のあの川の流れだったら当時は本当に
大変だったろうなぁ~と思いを馳せた。。





私は基本的に京都で仕事をし、京都で生活
をしているのだが、特別この街に対しての感賞
は持っていない。


しかし、鴨川だけは何故か特別な思い入れ
というのか好きなのである・・・


それには大きく二つの理由がある。


一つは街区を流れる川でこれほど四季の風情
に富んだものは他にはないという事が一点、









もう一点は、色々な史跡が京都にはあるが、
特別誰々がという固定的な強烈な縁がないにし
ても、間違いなく1000年前もこの場所を流れて
いたという歴史との交信がとり易い場所である
という事。








付け加えていうならば、ある意味川の流れが古
からの時間の流れを映し出しているようなそん
な感覚に浸れる場所だと言うことである。







今日の大雨、濁流というような風景は、意外と
歴史の彼方、、古の人たちの苦労を想像させ
かなりクリアーな交信ができる瞬間なのであった。







歴史、時の流れで言えばもう一つ付け加える
要素がある。


それはこの川の河原が昔”刑場”であり、
晒し首の場所であったという事である。


それも普通の罪人の刑場という事ではなく
歴史の戦いのなかで敗れ去ったもの達の
此岸であり、彼岸への門戸であったという
事である。この事も少なからず歴史との
交信上、この河原が媒体となる要素なので
あった。。





※これらの写真は鴨川河原ではありませんが、
幕末の資料写真です・・



様々な歴史が京都は重層的に積み重なって
日本中の方々がこの街に対し色んな浪漫を
感じてお越し下さる。



我々のギャラリーもこの街にあり、日々少しづつ
ではあるが時を重ねている・・・・





日々、鴨川の流れを見ていて感じるのは、、、



この街に流れ


時と時を縫い合わせる糸のように、



止まることのないその姿に



我々は何を縫い合わせて行こうとしているのか?







と改めて考えさせられるのであった・・・・

▲TOP
パワードスーツ
暑かったり、、そうでも無かったり・・



どうも過ごし難さが年々増しているように
感じるのは私だけであろうか・・・・



何と言うのか確実に言える事は



昔も夏は暑かった、、しかし、明らかに
今のようなオカシナ感じではなかったと
思う。



灼熱地獄という程ではないにしても



今日のニュースを見ているとニューヨーク
も北京も相当な暑さで40℃前後・・・



・・・40℃って高熱やん・・・・



この気温も年々上がっているように感じる。



地球温暖化に関しては学者によって捉え方
が様々で正確な事は分からないと聞く。。



ある学者に言わせれば温暖化などは寒冷化
に比べると何の問題もない・・・と、古今
恐竜の太古から冷害という現象による危機的
状況はあっても、温害などというものはない!


という、、なんとなくの説得力50%の説も
ある・・・・


いずれにしても年々暑くなり、過ごし難い
肉体的なストレスが堪る環境に加速度的に
突き進んでいる事だけは事実で、このまま
仮に突き進めば、数年後には夏場、外に出
られないような事になるんじゃないだろう
か????と考えてしまう・・



その時、、



そんな灼熱地獄に耐えられるように人間は
進化や突然変異していけるのか?いや、仮
に進化や突然変異が規定のDNAとしてあ
っても、この人為的な破滅現象のスピード
には到底追いつかない。。だろうなぁ・・・



と悲観的になる。。



と、ため息をついたが、実際、外は灼熱地
獄で身体を蝕み、身体の内側からはドンド
ン生活習慣による悪因で蝕まれていく。。



『もぉどするのぉ!!僕達!である。。』



人間は進化しているのか?退化しているの
か?



以前、ニッサンのデュアリスという車の
CMを見ていて、関心した。





モチーフがパワードスーツであった。
所謂、車がロボットに変身するのであるが、
数年後、人間はこういったロボット、パワ
ードスーツを間違いなく着ることになるん
だろうなぁ?などとその時感じた。。



この灼熱地獄の環境で外を生身の皮膚を晒
しては歩けまい?そうなると必ず防護的な
服装の必要性が出てくるだろうし、ただ着
ただけではより熱くなるから、内部に冷却
装置が必ず内臓されるだろう。



その時点で完全に人間のロボット化が始る・・



今、パワードスーツとまでいかないにしても、
それに近いプロトタイプが有名メーカーから
出てきている。




例えば愛知万博でトヨタが出展したロボット
などは自らが運転し自立歩行するタイプであり、
人間の肉体の一部という意味では少し離れるか
もしれないが、それにしてもほぼパワードスー
ツの概念を兼ね備えている。







また肉体の部分的補強では松下が開発している
ものが、かなりの実用段階まで来ていると聞く。







これは肉体が衰え筋力が低下した、もしくは何
らかの事情で障害をもってしまった人の筋力や
機能を助力するパーツである。



例えば極端な話、500g程度の重さのものが
持ち上げられない人が、このパーツを身につけ
ると、軽々と持ち上げる事ができ、そして自分
の意志を伝える機能までも兼ね備えているらし
いのだ。



仮に右手につけて左手でボタンを押すなどとい
う作業はいらない。要するにほぼ自分の肉体と
して機能するのである。



これはかなり画期的であり、劇的に社会生活が
変わる兆しを感じる。







これが身体全体を覆うくらいに進化すれば、こ
れはもう間違いなくパワードスーツになり、ロ
ボットに生活を手伝わせるという概念から、ロ
ボットを着て生活を送るという概念へ変化する
んじゃないだろうか??



実際ロボットの実用性を主軸に考えた時、この
方が遥かに時間的にも合理性も現時点では整合
されているように感じる。。。



そしてなにより高度な高齢化社会が眼前に広が
っているわが国では、いずれにしても今後介護
ということを考えた場合、これらの自立支援型
の文明が必ず必要項目に上がるはずだ。



高齢化社会で老人が、以前の中国のように街中
車椅子で溢れ返るのも問題であるし、ほってお
くと、車椅子の渋滞なども起きないとも限らな
い。



なにより、介護する側も高齢化するわけで、助
ける力が絶対量として減少するのであるから、
それを具体的に補う何かが必要になるはずだ。




そして、社会の建造物全てがバリアフリー化す
るなどは現状では到底不可能であり、それらの
状況を総合すると“やっぱりパワードスーツ”
となるんじゃないかなぁ?



街じゅうにロボットを着た老人が出現するので
ある。


そして生身の若者では到底敵わない力を発揮す
るわけだ。車が道をふさいで停車などしている
と、パワードスーツを着た老人が、軽々と車を
持ち上げたりし、皆がパワードスーツを着た老
人を頼りにする!!!



工事現場の労働力の主役は若者でも外人でもなく
“年金をもらいパワードスーツを着た”老人にな
り、今まで3Kと呼ばれていた労働集約部分がパ
ワードスーツを着た老人の持ち場になり、仕事を
若者や外人からドンドン奪うのである。



しかし、むやみに市販すると具合が悪いので、あ
る一定以上の肉体的劣勢を持った人だけに限定支
給されたりし、案外、今まで社会的弱者であった
方々が、世の中の花形になったりする。。



「あぁ!おれも早くパワードスーツ老人になり
てぇ!」



みたいな憧れまで生まれたりして…



傍若無人な若者がパワードスーツを着た老人を恐
れたりする社会が出現し、パワードスーツを着た
老人の中に、不良と化す輩が現れ公序を乱しだす。



それを取り締まる警察に、より強固なパワードス
ーツが支給されたりし、突如パワードスーツを着
たもの同士の市街戦が勃発するのである。



そしてパワードスーツの密売なども横行し、パワ
ードスーツを着たギャング団が出現したり、など
と“きりが無い”くらいのくだらない未来像が浮
かんでくる。。



しかし、いずれにしてもこれらのパワードスーツ
はやがて全人口に支給対象になるような気がする。



それは肉体的劣勢の補完ということだけが主目的
にならなくなるような状況が考えられる。



最初に書いた、異常な外気温の上昇や、解明され
ない疫病が頻発したり、結局、今のエイズにして
もなにも解明されていないから、基本は予防でし
か対処できていない。



これらの予防は感染者との接触を制限することで
しか予防はありえないのだが、そうなるとこれ以
上の病気が今後ドンドン全世界を席捲した場合、
結局、スキンシップ自体を制限せざる負えなくな
る。



そこでそういった状況下でも普通の社会生活を送
る事を考えるとパワードスーツを着て生きていく
事に帰結するんじゃないだろうか???




昔、ウッディアレンの映画だったと思うが、男女
それぞれが巨大なコンドウムのようなゴムの中に
身体を入れ、安全なSEXを送るなどというもの
があったが、実際冗談ではなく、ある種の社会が
抱えた深層を表現しているような気がした。




(※当ブログエントリーの最後に映画の一部をYOUTUBE
 にて用意していますので良ければご覧ください。)
 



そしていずれそれぐらいの状況が過度ではなく普
通に存在する暗示としても受け取れた。




SEXなども快楽を中心として考えた場合、脳から
発信される快楽だけを取り上げるという本質に集約
されるような気がする。




では、どのようにそれらを具体化するかと言うと、
パワードスーツを着た物同士が頭にケーブルを挿し、
挿したケーブルの先をお気に入りの相手の頭にある
ジャックに挿すこれをお互いに差し込み、SEXに
よる快楽はケーブルを通じて伝導させるのである。



SEXによる快楽はこれで完了である。



これならばエイズなどのような病気の病原は完全に
シャットアウトできる。



しかし、ジャック口が汚れていたり、ケーブルを
伝導する快楽パワーの交信スピードが合わなかっ
たりと多少の問題もあるかもしれない。



そして風俗産業も自動販売機のようなものになり、
其々がその前に行き好みの交信の種類を選別する・・



まぁこれは現在の”好みのタイプ”という事に
なろうか、、、


そして選び販売機のジャックに自分のケーブルを
差し込むわけである。。



実に味気ないようだが、案外それで十分SEXし
たのと同じような快楽が得られるのである。



また今と違う最大のメリットは、パワードスーツ
を身につければ、基本的に容姿は関係なくなる。



ハゲているだの肥満だのという今ある問題は基本
的に関係なくなる。



まぁあるとすればパワードスーツが何処で作られ
たかというブランド志向的な差別化ぐらいじゃな
いだろうか?




いずれにしても太古から受継いできた人間本来の
部分が無くなりつつある。。



しかし、それらもやはり人間が作り出した状況の
中での変化と対応である。。



基本的に合一化・無個性化していっている。所謂、
スタートレックに登場したボーグという高度な知
能を持ったエイリアンが使う“同化”という手法
に近いし、子供のころから見てきた“宇宙人”と
呼ばれるキャラクターには“個性”などが感じら
れるものがなかった。。






弱者と強者、愛情や情、儀、それら人間社会だけ
が有するバランスを劣勢的因子と考えるのか??



うーん???





人間はどこにいくのかなぁ??





と、蒸し暑いギャラリーの中で、、





ぼぉ~と考え込んだ。。。





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※ おまけ(天才・奇才:ウディ・アレン)



『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせに
 ちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教え
 ましょう』




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