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妖怪人間と日本社会
昔「妖怪人間ベム」というアニメが
あった。

普段は人間の容貌だが事情により
妖怪に変身する。人間の容貌時に
唯一妖怪的な要素は指が三本と
いう点だ。


妖怪だがあくまで正義の味方という設定
で何とも言えない寂寥感漂う雰囲気が
あった。


昔のアニメのダイジェスト版特集がよくテレ
ビの1時間半企画であり、妖怪人間ベム
もたまに出てくるが、大抵のコメンテイター
役のタレントが触れることが無い。


しかし私たち世代にはキョーレツなインパ
クトがあり、私などは“名作”だと今でも思
っている。


世の中のブームになった訳ではないが、
確実に私たち世代の脳裏には残ってい
るはずだ。


しかし友達同士の懐かしい会話のテー
マになることは希なアニメでもある。


ジャズテーストのビートにのった主題歌、
“早く人間になりたい”という分かりやすい
台詞、どこかヨーロッパの陰鬱な風景、
全く明るさのない、そして明日に向かって
の活力を感じないテーマどれをとっても
ビターな大人テイストであった。


子供がおおっぴらにファンというのが憚ら
れるタイプのアニメであった。しかし確実
に子供向けアニメであり、制作側の
アバンギャルドな感性に感動する。


そしてこの手のファンによるインターネット
のサイトを見ると間違いなく“おどろおど
ろしい”雰囲気が漂っている。


私は小さい頃よくアニメを見たが、どうも
ディティールに異常にこだわりを示す子
供であった。


この妖怪人間もそうだが、科学者に
よって造られた妖怪がいろんな事件
を解決していくのが大筋であるが、
私の興味は別にあった。


大抵ストーリーの展開はベム・ベラ・
べロの待ち合わせからスタートする
のだが、かならずベロが待ち合わせ
場所に早くつき待っている間に事件
に巻き込まれる。


なぜか、巻き込まれる・・



昔のアニメにはありがちなのだが


ストーリー展開に大抵強引なとこ
ろがあり、、


妖怪・・人間の格好をした・・
者達が、、待ち合わせという
ことは、常にフラフラと、、、


そう考えると


私は“こいつらは一体待ち合わせまで
どこで何をしているのだろう?


とか、働きもせずどうやって飯食っ
てるんだろう?とか決まって事件に
巻き込まれるベロをどうして単独行
動させるのか、一緒にいればいいの
にとか”とにかくストーリーと違う
部分に異常な興味があった。


それは他のアニメでもそういう見方を
毎回していた。デビルマンが変身する
とき服がビリビリに破れるのだが、毎回
同じ服を着ているのは同じところで買
うんだろうか?


その場合毎回買うのにどういう理由
を言っているんだろう?


店の人は不思議がらないんだろうか?


そして地球を守るために変身し服を
破るのだがその経費は自腹なんだなぁー
とかどうでも良いことをとにかくキョーミを
持って見ていた。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



妖怪人間の制作側の意図は、差別
や偏見そして社会に対して報われない
奉仕というような事がコンセプトにあっ
たみたいだ。


たしかに毎回人間の知らないところで
事件を解決し報われていなかった。


いつの日か人間になるために偏見や
差別から身を守り、黙々と社会のた
めに正義を貫くというストーリーであり、


確かに崇高なコンセプトが見えるのだが、、、


あまりのキャラクターの特異性が・・・
そのコンセプトを曇らせ、少し負けてい
るきらいもあった。


・・・・・・・・・・・・


しかし最終回は涙涙の展開で、よう
やく人間になる術を見つけるのだが、
その方法は人間の魂を自分たちと入
れ替えるという一人の人間を殺してし
まわなければ達成出来ない方法であ
った。


その時、リーダーのベムは人間になること
を諦める。


そして自分たちがいなくなった時、世の
中の正義は誰が守るのかを考え妖怪
人間でいることを決断するのである。


しかし人間にその存在を知られた彼
らは、隠れていた屋敷ごと焼かれて
しまう。


焼かれた屋敷跡にはベロの靴とベムの
帽子が残っていて死んだのか生きている
のか分からないエンディングだった。



私は子供心に“うーん最後まで報わ
れていない!


誰も救わない?


冤罪じゃないのか?


なんともやるせない・・


という勧善懲悪ではないエンディング
に何故か感動した・・・



、、、、、、、、、、




今の日本で



こういうアニメというのは



どういう捉え方になるのか?



おそらく



こんな視点からは



決して作らないだろうナァ


と、、、




なんとなく今改めて




フッと思ったのでした・・・

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