光琳へ 5
May 13,2009
屏風製作の会社の選定。
これは決めていた。
表具と一概に言っても、美術品の表装から建築の内装
果ては一般家屋の襖までその仕事は幅広い。
その中で屏風は特別である。
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※特別なのは理由もあった。
消費税が施行される前、実は日本には”物品税”なるものが
存在した。これは所謂高級品に課税される税金で、屏風は
その対象とされていた。。
だから結果として同じ美術品でも取り扱う業者がかなり
限られていた。。
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これが大事なのであるが
“コストを抑え時間的制約の中でクオリティーを保ち
“数”を作れるという条件がある。
あまり知られていないが、実は数を作るだけであれば
案外多く存在する。また安く作るのも相当数存在する。
これらの存在を支えているのが、人形(雛武者・雑貨の類)の背景
に立てる小さな屏風を作る職人達である。
しかしこれらには問題がある。
クオリティーが“美術品”のレベルではないという事であった。
それは材料もそうであるし、技術においても同じであった。
また、それらは全て小さな存在であり、個人的なレベルで動いている
点でしかなかった。
あくまで美術複製品を制作するというレベルと美術館の校正に
耐えうる仕事ができる、及び複製品として販売する場合の安定的
な供給を支えられる存在と言う条件が必要となる。
そういう様々な職人が存在する世界で、こちらが求めるものを
形に変えるという事ができる存在を考えれば、
屏風を製作できる“会社”である必要があった。
あくまで株式会社が必要なのだ。これは先のブログで書いた
通り、実際の技術の前に、インテグレーション力を如何に
発揮できるかという事が最優先される問題であった。
要するに、少し管理コストが上がっても、優れた技術者、職人を
束ねられる力が必要であり、それらを管理し交渉できる立場を取れ
る“会社”が必要なのであった。
私一人が職人間を飛びまわり管理交渉しても、所詮門外漢であり
ネゴシエーションも出来ない。それらを一つの窓口で一手に背負って
くれる存在が必要なのであった。そしてベストなのは過去の仕事に
おいて比類のない実績を持っている会社これが最良であった。
そんな存在があるのか?となるが。
存在した。この存在は実は以前から知っていた。
それは名古屋にあった。
京都ではないの?と疑問を持つ方も多いかもしれないが、一点一点の
レベルではそうかもしれない。しかし今回の条件に適う存在は京都には
無かった。というか、、これも“蛇の道は蛇”なのであるが、結局、京都で
発注しても、材料からなにからコスト面を握るのは名古屋なのである。。
その上に“高いブランド料”が乗っかる…
A社。
安政年間創業。およそ150年の歴史を持つ。その仕事は宮内庁、及び
世界の150カ国以上の日本大使館・総領事館で使用される屏風を納品。
外務省の規格基準を持っている老舗である。
名古屋に出向き説明した。
今の段階はまだプレゼンテーション前であり、実際に動くかどうかも
分からないという事を前提に話をした。金額も納期も当然数量も、大まかな
私の想像世界の話でしかない。しかし、屏風に関することで出来ないことは
何もない。こんな仕事が出来るならば協力しましょう。
と快い返事を頂いた。
そして一人の若者・F君が担当者として動いてくれることになった。
…というか、、、この会社に蹴られれば、後がなかった。。。。
それほどこの会社の内容は優れているのはもちろんの事
今回の仕事に適任はいなかったのである。選択の余地がない。
これで技術面の屏風という部分はおさえることが出来た。
次に印刷面である。
印刷会社の選定を行う。
といっても、私一人が情報をまとめて交渉するだけ
なのであるが…
世の中に印刷会社など無数にある。
しかし、“蛇の道は蛇”である。
こういう仕事ができる会社は100も200もない。
過去、自分の仕事の中で得た情報と前回のブログで書いた
通り、ブランドを誇示できる実績等を勘案して選定すれば
5本の指で足りる程度に集約できる。
当然、DやTというような日本を代表する会社に仕事を
持ち込めばどのような手段を用いても出来るのであるが、
そうなると、私など一気に吹っ飛んでしまう。必要なくなる。
そして、仮に出来てもべら棒な金額を請求されるのは目に
見えている。
だから最大手でなく弱小でもない、その中間でクライアント
の指示に正確にしたがうことができるための過去の実績と
ノウハウの蓄積がある会社という事に集約できる。
そういった条件から4社選び問い合わせてみた。
その内1社は完全に眼がね違いであった。商業印刷の技術力
しかなかった。
ここで少し注釈を加えさせてもらうが、印刷といっても所謂一般が
イメージする印刷というものとは次元が違う。ポスター、リーフレット
DM、パンフレット等の商業部分の技術力だけではない。芸術的な版画
という技術を含む美術印刷技術の力のことであり、それらを商業ベースに
転嫁できる技術力の事を指す。版画家の技術という印刷義技術の一部を完全
に網羅し尚且つ商業印刷の工業力を有する実力である。複製ということの
全域を網羅した最高の技術力である。
残り2社までは“笑われた”。取り合ってもらえなかった。
概算の見積もりを見ても到底商品化できる値段ではなかった。最初に
最終的な小売価格の想定を話していたにも関わらず。という事は、真剣に
取り合ってもらえなかったと判断してもおかしくない。
理由は最初の問い合わせで既に判明していた。それぞれ過去アタックして
おり、物の見事に粉砕してきたからであった。
君が?できると思ってるの?
見たいな感じで軽くあしらわれた…・
当然かもしれない。この時点では雲を掴むような話であり、何の根拠も
示せていなかったのである・・
最後の一社。
大阪に本社があった。
部下を連れて伺った。
これを“けられる”と辛いなあぁ~と心の中で呟いていた。。
二人担当の方が応対に出てきてくれた。
NさんとHさん。
Nさんは50前後。Hさんは失礼だが定年前後にお見受けした。
いずれにしても大ベテランの風格があった。。
また、、駄目かな?と思いつつ、概要を説明した。
黙って聞いていた二人が、話を聞き終えて直ぐ。
“おもしろい!”と眼を輝かせて答えてくれた。
完全に駄目かな?と思いつつ話していた私は“えっ?”と
拍子抜けしたような…ホンマ??のってくれてるの?この人たち?
初めてであった真剣にとりあってもらったのは。。
「上山さんこれはどうなるか分からんけど、協力しますよ!
だってホラ、NHKの!あれで、、見ました?」
「えぇ、、見ました。金でしょ?これがあるから美術館との交渉は
確実に難航しますし、まぁまずその前に取り掛かれるかどうか?
本来作って校正にもっていくという手もありますけど、ほとんど
の会社が頓挫したモチーフですから、やっぱり根回しして動かないと
…ということで、、まだ出来るかどうかわかりませんし、、、、、、」
「まぁ、そうでしょうね!これは印刷屋にとっては、相手にとって
不足どころか最高の強敵ですよ!でも実はこのテーマの金にうって
つけの技術があるんですよ!」
「えっ?それは実際の金箔を使用するような?」
「違います。ずっと昔にあった技術です。」
確かこの数日前、大手印刷会社が金箔を使う新技術を発表
していた。私はその技術のアレンジ版かなにかか?と思ったの
であった。。
「昔の技術?」
「そうです。」
と、席を外しなにやらサンプルピースを取りにいかれた。
戻ってくると両脇には大きく巻かれた和紙があった。
話をしていたテーブルの上にその和紙を広げると
そこには“円山応挙”の襖絵の一部があった。。。
うん?金箔??あれっ??
アー—------!なにこれっ?これ印刷なんかぁ?
見事に箔を使わずに箔の雰囲気を再現していた!!
光彩によって箔と同じように輝く…
こ、、これは使える!
「どうですか?これならいけるのではないですか?」
「い、いけます。たぶん。。。しかし、、」
Nさん、、朗らかに!
「やってみましょうよ、金額のことも分かりました。なんとか
商品化できるよう頑張りましょう!なによりも国宝でしょ!
こら、我々にとってもありがたい試練ですよ、ね!」
と、隣のHさんを見ると
にっこり、笑われていた。。。
このとき私は始めて重要なことに気づいた。
こういう仕事に本当に大事なのは
やるんだ!
という情熱。
自分の仕事のプライドをかけて立ち向かう
情熱だ!
この情熱が結集しなければ、とても完遂することは出来ない
その大事な要素を、屏風と印刷の会社と打ち合わせして気づいた
のであった。。。。
つづく。
光琳へ 4
May 12,2009
前回のブログで光琳・紅白梅図の複製品を作る
において3つの難点をまとめたのであるが、まず
大儀。
まぁこのように書くと大層なのであるが、これは
所謂現在NHK大河ドラマで連呼されている“義”という
ものほどの事ではない。
肝要なのは、近江商人が伝える“三方よし”という考え方
だと思う。
売り手よし、買い手よし、世間よし
そういう調和が取れているか?もしくはこの場合“取れるか?”
という点である。
この線から考えれば、問題は売り手という分類の中に複数の
関係者の関連が存在し、最終的にそれらを束ね美術館が納得
する状況を作り出す必要性であった。またそこで、美術館自体
が大儀をもてるだけの解釈を必要としていた。
私は運が良かった。
この数年前、、いや10年以上前では、絶対に美術館は“うん”とは
言わなかった。そんな必要性は美術館には、まったくなかった。
しかし、ここ数年、事情が激変していた。
入館者の激減。
これは全国どこの美術館も同様の悩みを抱えている。
基本的には公共の益であり、採算というものを後回し
に考えて運営されている場合が普通であった。
それは母体、国や地方自治体(税金)、企業や個人などがその
運営資金を捻出し、公共の益として存在させていたのであるが
その母体の経済的な弱体化がこれまでの採算を後回しにしても
という事情を覆しはじめていたのであった。
平明に言えば、、もうちょっと儲かるもしくは集客を上げなければ
公的な存在意義が無くなるという建前と支えきれないという本音
…と言うことであった。
この事情が実はものすごい追い風となった。
その中心的考えはリピーターよりも新たな客の開拓にあった。
そうなると一般に対しより接近した宣伝が必要となる。
複製品とは、本物の雰囲気を個人の手にという部分が本質
であるから一般に対するロイヤリティーは非常に高い。
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複製品を作る=儲けるではなく
複製品を作る=歴史上の逸品を個人でも楽しんでもらい
歴史上の逸品を個人でも楽しんでもらい=本物を見たい
本物を見たい=複製品が欲しかった
(ファンになる)
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というモチベーションを販売促進の核に据えたのであった。
これをあくまで集客導引の有効な手段であることを強調し、
パンフレット等に美術館の内容を広く喧伝し、再度興味を
もってもらう宣伝広告策の一貫である!ということを中核に据え
たのである。
本来、商品の優れたスペックを中心に謳うはずのものを、
優れた美術館と、日本美術史上比類のない優れた逸品を収蔵する
美術館という部分を厚く謳うようにコンセプトを組んだのである。
そんな単純な?と思われるかもしれないが、実は微妙なタイミング
が絡むのであるが、案外この方向性は有効であり、結果的には最後
まで崩れることはなかった。
あくまでタイミングがある。
実際我々の大儀の部分から考えても、本物と乖離したところでは
販売促進はできない。
やはりあくまで本物が如何に優れているか?それが年に一度
しか実物は見られない。しかし、それが本物ではないにしても、
その何分の1かの雰囲気をより多くの方に毎日楽しんでいただく。
こういうことの全ての根幹は美術館が心血注いで収蔵物を維持
しているからであり、その絶対的価値観の根幹である美術館が
複製品として認定してくれているという価値感のサイクルを生み
出さなくては高い次元の完成品とはならない。
本物=美術館=複製品という流れである。本物=複製品と直結
させる。
光琳が優れているだけでは弱いのであった。
これでは売り手よしということだけでしかない。
先ず大儀部分は以上のようなことを準備した。
次に技術部門であるが。
制作には大きく分けると二部門必要となる。
① 印刷
② 屏風製作(表具)
である。
この二つをコーディネートしなければならない。
しかもかなり高い技術水準を持ち、信用にたる
所でなければならない。
実は、私は過去の経験から高い技術という前に
信用=実績=ネームバリューというのがカギになると
睨んでいた。すべてのプレゼンテーションはある意味
相手の想像に頼る部分が存在する。極端に言えば印刷
も表具も正直、言葉でその優位性を謳ってもなかなか
理解できるものではない。それはやはり実際の仕事
を見て判断するしかないのである。この場合、
“じゃサンプル”
というものを用意したところで、想像に合致するサンプル
などはありえないから、結局用をなさない。実物見ないと
ナァ!と言われるのがオチである。屏風表具はまだしも多少
可能な部分があるが、印刷に関しては仕事が始まらないと
具体的技術水準は計りしれない。ある意味サンプルを作ると
なると印刷のコスト面から考えれば初期費用としては仕事が
GO!と同様の金銭支出となってしまう。それほど高い
コストを派生させてしまうのである。
それは無理な事情であった。それほど資金が潤沢ではない。
印刷会社が独自にアタックする場合は自社の開発費用となるが
あくまでこれは依頼であるから、そういう金銭の絡む協力は難
しい。
屏風も実は別の深い事情がある。
表具という世界は、ブランドのヒエラルキーが明確な
世界であり、どういう仕事をしているのか?という事がその
職人及び会社の実力と見なす部分がある。
要するに技術があって価格も安くというのが普通理にかなった
選択になるのであるが、ここでそれらは二番以降の要素となる。
第一にブランドが必要であった。
こういう仕事をしてきました。
知っていますお宅の会社。
美術館のプレステージに適う社名。
これらが納得させるもっとも必要な要件なのであった。
必ず制作会社のヒヤリングを行われる。
そのとき
どこ?それ?となると…
もともとどんな意識で制作をするつもりなの?
当美術館学芸部の認証水準を舐めてるの?となってしまう。
実際これが現実だと思う。
実際の仕事をどういった方法で、何処でやるかの問題ではない。
システムインテグレーション力を何処が発揮するかの問題なの
である。そしてそのブランド力の問題であった。
以上の事情をクリアできる会社を当たることにしたのであった。
つづく。
光琳へ 3
May 11,2009
「じゃ、よろしくたのみます。」
「い、いやっ、絶対に無理です、、」
「まぁまぁ、、そう言わずに、一度検討してください。。」
こういうディレクターは基本的に常時20本近くの
企画を進行させている。その内具体性が強くなった
ものから社内プレゼンにかける。
だから、常に50%以下の可能性のものでも
大きく様々な網を張っておくのである…
だから私も真剣に向き合いはしたが、、
無理だろうなぁ~という諦めを隠しながら
「あ、、、はい。。」
と、その電話は切った。。
そうは言っても無下にほったらかしには出来ない。
出来ないなりのレポートも必要となる…・
頭を抱えた。
光琳の複製が難しく無理なことは、実は充分承知していた。
この数年前、世間に広く喧伝されたわけではないので、ほぼ
知った人はいないのであるが、国宝、仁清の藤壺1/1スケール
複製という、最終的に数億円という規模のプロジェクトがあった。
そこに私が勤める会社が参画しており、私もほんの少しこの
プロジェクトを垣間見た。やはり約2年近くかかっていたと思う。
もてる技術の全てを吐きだし、最終的には利益が出るか出ないか
というギリギリまで追い詰められて出来上がるものであり、
生半可な“儲かる”なんて想像はことごとく木っ端微塵にされた。
この時の労苦を知っているだけに、とても無理だ!と
依頼されたとき即時頭を過ぎった。
国宝・光琳「紅白梅図」の複製品制作において難しいという
点は大きく3つあると思う。
もともと“国宝”というのは、大半誤解があると思うが、
国という行政の宝というのではない。基本的な概念は
“国民の宝”なのである。
公立私立に様々に収蔵されてはいるが、認定されれば、それは
最終的には国民の宝となる。だからこれもあまり一般に知られて
いないが原則年間40日間以上必ず国民の前に展示しなくてはいけ
ない。最低40日という捉え方の方が正しいかもしれないが。
こういう公益を100%帯びた物品を、私的な美術館が保有していた場合
それを材料に複製品を作り、利益を生み出すというのは、基本的に
“大儀”が必要とされる。
なんのために?という事である。ただ単に儲けたい!などというのは
国民全体の宝を私的流用しているに過ぎないと非難されてもしようが
ない。それを回避するためには、広義においての大儀が必要となる。
これが一つである。
二つ目は複製技術の問題である。
ご存知の方も多いと思うが。
2004年静岡県熱海市のMOA美術館のシンポジウムで東文研
(東京文化財研究所)が行った発表が、美術史界に衝撃を与えた。
それまで同美術館所蔵の紅白梅図屏風の金地部分には“金箔”が、
流水部分には“銀箔”が貼られているとされていた。
だが、東文研による高精細デジタル画像撮影、エックス線透過撮影、
蛍光エックス線分析などの科学調査の結果は、金箔銀箔説に強い
疑念を示すものだった。
こういう調査結果を発表した。
これをNHKがドキュメンタリーとして放映。
光琳の金箔は金ではなかった!というものだ。
私も見たのであるが、おそらく美術界の関係者の多数も見たと思う。
実に科学的で面白い内容であった。これが、面白いが故に一般の方
も多数ご覧になられ、その時分大いに話題となった。
後で語ることになるが、版画を含め特に印刷技術において、今現在
表現が不可能とされる部分が存在する。
それは“金”と“白”の表現である。
実は印刷のインクに白と金は存在しないのである。
白色を出す場合、基本は“紙の色”を使用する。また金の場合、
これは色ではないのである。物質が薄く平滑になったものを平面
に貼り付けられているだけである。
もう少し踏み込んで分かり安く言えば、金箔の場合、光を当てれば、
見る角度によって様々な光を放つと思う。これをインクで表現する
などと言うことは不可能なのである。現実的には実際の“金箔を使用し”
複製を作るというのが、技術的にも商品のクオリティーからしても
妥当な手段となる。
しかし、特に今回の場合、金というのが重要なテーマとなるので
あるが、ここまで世の中が光琳の“金”というのに注目している中、
複製品を作り、尚且つ“美術館に認証”させるとなると、その研究
結果に適うクオリティーが求められるのは間違いない。
一般に販売する商品の製作程度のコストで果たしてそこまでの
ハイクオリティーなものが作り出せるのであろうか??普通考えれば
無理である。
三つ目であるが
これがプランナーとして一番肝となる部分であるが、ライセンスを
どういう形で取得するのか?という事である。過去の事例では美術館
の正面から“ごめんください”と訪ね、ことごとく門前払いにあって
来ている。これは大儀、技術、以外の営業的側面、所謂“根回し”が
足りないという事である。
ここで詳しくは語れないが、美術館にはそれぞれの性格が存在する。
特に私立美術館の場合、それは特に際立ったものが存在する。
公的行政の予算で運営されている訳ではないので、それなりのルート
というものがある。これにコミットしなくては、前述の通り門前払い
となる。
これも後に語ることとなるが、取り掛かり始めてわかった事であるが、
私の想像を超える数の会社が過去依頼を申し込んでいた。そしてそれ
らがことごとく門前払いであったのだ。。
以上三つが大まかではあるが難しい事由であった。
(細かい部分は無数にあるが割愛させてもらう)
これを一つ一つ“つぶして”いかなくては
作るというスタートラインには到底到達しないのであった。。。。
つづく。