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田村博文 STONE+SABI 原風景からの切り貼り、スタート致しました
昨日にてGombessa proposal ep1
I am japanese.は終了いたしました。


お越しいただきました皆様、誠にありがとう
ございました。


この企画は今後も続けていく予定です。
様々な切り口=アプリケーション=アーティスト
にて行います。当面は秋に二回目エピソード2
を考えておりますのでご期待ください。


さて、本日より約一年半ぶりに田村さんの
個展を開催いたします。


2009年12月にBAMIgalleryにて初個展を開催した
ときは、地元KBS京都様、大阪のABC朝日放送様
はじめ各メディアの方々にも広く取り上げて
いただき好評を博しました。



今回は前回のテーマから一歩、、いや相当踏み
込んでの新【STONE】シリーズのお披露目にな
ります。


一年半の雌伏の時を経て


樹から石を削りだすという前回のコンセプトを
踏襲しその上に新しい表現の軸として”錆”(SABI)
という要素を加えられました。


樹から石を削りだし、その石が錆びる・・・


という現実自然界では起こりえない現象を
あえて作り出した田村作品が語るものとは??


樹、石、鉄、錆び


それぞれ違う時間軸の中で存在する物体・
現象の融和とは????


不思議でPOP、尚且つ粘菌状の”KAWAII”石たちを
ぜひご覧ください。


田村さんの石に占領されたBAMI galleryは今!
不思議な物体の”栽培所”プランテーションの
ようになっております!!!




展示の一部分及び設営の様子をおさめた動画
         +
今回の展覧会に向けてのインタビュー動画

を、ご紹介させていただきます。















































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【スキゾ / パラノ】
先日、ある雑誌を見ていたら・・


と、、言ってもかなり前だが・・

巻末に“あれっ?うん?”という文章があり目に
とまった。

「エイティーズ!!80s」

モードの世界で、たびたびキーワードとして登
場するのが

「エイティーズ」。


【ファッションテーマとして話題に事欠かない活気
溢れる時代でした。映画、音楽、アートなど、
影響力を持ったカルチャーがたくさん出現した時
代でもあります。新鮮なインパクトを受つづけた
この時代に対し、多くのクリエーターがオマージュ
を捧げています…・・】




へぇ~?エイティーズ???




誰しも自らが青春(なぜか気恥ずかしいこの言葉・・)
時代を過ごした一番ディープな部分、その時、自分を
取り囲んでいた時代の熱い息吹と、その強烈な洗礼
が、その後の自らのある種のスタイルを物語ったり、
今もってそのスピリットを貫きとおしていたり、と言
うのがあるはずだ。


例えば我々が過去見たもので言えば、50sやアイビー、
安保闘争、ヒッピー等々に象徴されるような時代など、
とてつもなく強烈なムーブメントであり、その時代に
青春時代を過ごした人間は、未だに自らの中心線に
それらを据えている人も少なくない。


これら時代の息吹は基本的に普遍性をもったメインカ
ルチャーではなく、どちらかと言うとサブカルチャー
なのだが、人によっては自らの人生におけるメインカ
ルチャーやスタイルとして今尚大事にし、マイノリテ
ィーではあるが確実に存在している。。


それから考えると、私は間違いなく“80s”である。


私の時間軸においては80年代のカルチャーはかなり大
きなものがある。


これは選んだものではない。生まれたタイミングがそ
うなのである。


私は1966年生まれで1980年突入時は14歳の中学2
年生である。仮に80sの修了を1989年とした場合私
はその時、23歳であり、きしくも働き出し社会に出た時
と合致する。


私の人生の時系列だけで言うと、間違いなく“80sBOY”
であった!!!


改めて自分が“80s”??などと考えると不思議な気分
になる。


そうかぁ!俺は80sかぁ!などと単純な私は、妙に興奮
したりするのである・・


そして、あえて言うがこの80sのど真ん中の世代が、戦後
教育で初めて先生を“ぶん殴った”世代である。


いろんな意味で今の日本を見る上で、大きな部分を背負
っているのかも?しれない。。


断わっておくが、これは定義づけられたものでは当然ない。
私が感じるだけで、実際、80Sなどという定義・定型は
具体的な形としてはない!


しかし、案外、私の考え方の基準?判断材料を担ってい
ることも否定できない。


今の時代のものも極力素直にかつ自然に受け入れるよう
にと思っているが、なにか相反する時必ずこの時代に培
った情報・美意識が一つの線を引いているのも間違いない。


不思議な時代であった。


私が18歳を向えた時、時代は1984年である。


まさしく80年代のど真ん中だった。


今では考えられないが、若者は皆“スーツ”であった。
正直、Gパンをはいている人物を探す方が困難なくらい
皆DCブランドのスーツで決めていた!!



今からこのような風景を想像できるだろうか??


音楽ではニューロマンティックスなどというアンドロギュ
ニュス的な美意識が支配し、男性が堂々と化粧をし始めた。


間違いなく“バブル夜明け前”であり、狂乱的な飽食時代に
突入する機運がムクムクと台頭してきていた…


今から思うと、これも信じがたいが、皆社会は途切れる事
無く発展するものだという確たる信念によって夢想していた
のではなく、ただなんとなく・・・・・


“うわぁー”


というような濁流の中で嬌声を上げていたような雰囲気だ
った。。


ある意味、こののちバブルが崩壊し、バランス感覚を10年以
上、いや現在もまだその後遺症に悩んでいるのかもしれない
が取り戻しにかかっているのだが、この時代の最大の功罪で
いう功の部分は、豊満な資金によって、かなりの実験的な事
象が体現できたことではなかったかと思う。


実際、現在、バブル期で出来たものに敵うものはそうたやす
くは作り出せない…


これ以外にもこの時代の象徴的な現象はあるのだが、私が一
番この時代の特徴なんじゃないかなぁ?と思うのは、若者に
ファッションの一部として“哲学”が流行ったことでは無い
かと思う。


まぁ実際には本質を理解したのか?というとかなり疑問であ
るが、とにかくこの時代浅田彰という京大の助教授か助手か
というような若者(確か当時26歳だったと思うが・・)が逃
走論なるものを執筆し、一躍時の人になった。哲学書として
は異例の10万部という部数を売上、突如世の中に哲学ブーム
を巻き起こした。


この時代これ以外にも多数、現在で言う“文化人なるメディ
アキャラクターが登場し、それら学者や哲学者、とくに浅田
彰を中心とする考え方、ポストモダンに近い指向性の哲学者
や学者の枠組み集団を“ニューアカデミズム”などと呼んで
もてはやした!!!


正直、少しダダイズムの匂いが立ち込めていた、それは総じ
て他人事であったのだろう・・


ある意味デカダンスのみが持てる巨大な許容の時代だったの
かもしれない・・


その中でも浅田彰、彼の理論は哲学を数式的?構造的に解説
し、人間の行動原理を、、、、


【スキゾ / パラノ 】



と二極化し、より分かりやすく論じた事が、爆発的に受け入
れられる要因となった。


従ってこの時代の若者の流行語として、この、スキゾ / 
パラノというのはそれまでの、瞬間的な感覚の言葉や、世相
を表したりというものとは一種違う感覚で持てはやされた。。


我々”馬鹿”は、この言葉を言う事によって少しブランドの
“紙袋”をぶら下げて見せびらかしているのと同様の感覚に
浸ったのは間違いない。


あー!そう言えばこの時代、ロゴの時代でもあった。


BIGIなんていうロゴが入ってさえいれば皆ありがたく着込ん
でいたが、よくよく考えると、皆して金払って、メーカーの
サンドウィッチマンしてたにすぎないんだけど・・


アホやなぁ・・


うーん??


【スキゾ / パラノ】 


現在、この言葉を知っているものはもちろんだが、使う人
間がいるのだろうか??


あれほど、流行ったのに?・哲学も流行なのか??と今と
なっては考えさせられる。。。。


なんだったんだ??


この時代のこの、【スキゾ / パラノ】 は、今でも面
白い論理の展開だと思う。



かなり不完全で今は少し違和感があるかもしれないが・・




人間はパラノ型とスキゾ型に分けることができ、パラノ型
は言うまでもなくパラノイア(偏執狂)ですなわち、結婚
し家を建て子供を生産しその子供がまた同じように結婚し
家を建て子供を生産していくという「パラノドライブ」に
よって「やめられない、とまらない」とばかりに走り続け
るもので、人類は主にそうやって発展してきた。



対してスキゾ方はこれも同じように心理学で言うスキゾフ
レニー(分裂症)ですなわち、一定の考え方によらず従来
の価値観からとにかく逃げるというもので、浅田彰はパラ
ノ型からスキゾ型への転換を進めておりその理由は「その
ほうが面白いから」というものであった。



確かに、この、スキゾ / パラノ を自分に当てはめる
と、一体どっちの人間なのか?



それがいいのか悪いのかは別にして、この2極分化は意外
と自分自身を深く掘り下げ考えさせられる効力を発揮する。
そして程度の問題であるが、結局どちらも本質的には持ちえ
ているのだろうが、この割合、どちらが大きく、また、それ
を許される環境か否かという自分を取り巻く集合体にまで考
えが及んで行くところに面白さが潜んでいる。。


いろいろ考えるのだが、結局、パラノドライブしかしてない
んだけど・・


少数のスキゾが変革をもたらし、大多数のパラノが安定性
を求める。この綱引きにより、人類は安定しながらより良
い変革を遂げていく。というのが簡単だが論旨だったんじ
ゃないだろうか?(違うかもしれないが・・)



しかし、バブルの波が大きくうねりを上げて日本という国
家を飲み込み、本来スキゾだったはずの考え方・行為や事
象がパラノ化し、みなして破滅に突き進んだのと同時に、
この、【スキゾ / パラノ】は雲散霧消した。


そして80sは何のなごりもなく消えてなくなり、この20
年近く、誰も何も言わなくなってしまった。。。


そんな時、雑誌の巻末をみて


へぇーと感心したのだが、よくよく考えると、確かになぁ!
あれから20年近い。。。


もう、現代のスピードから言うとかなりの過去のカルチャ
ーと捉えられてもおかしくない。。


私が感じてきたものと、現代のオマージュは別物かもしれ
ない。。。


うーん!!

そうだなぁ!!

80s、90sなんてそんな小さな区切りでないかも…
もっと大きなスパンの区切りがある…


今、平成22年で21世紀!!


そう、平成時代に入って生まれた子が二二歳になる。
そして21世紀に入って生まれた子は、とうに小学校
に通っている。。


我々は、昭和世代であり

20世紀BOYである。。

そして私は80Sなのだ…


誰も興味なんてないけど…



だけど私は、今の“ガキンチョ”に我々の時代を




「あー!80s?結構いいじゃん!」




などと言われると、ぶん殴りたくなる!!!


あえて勇気を振り絞り宣言するならば!


俺たちゃ


カルトな時代のポップな存在で、あきらめの悪い
おっさんなんや!!!!



テメェラに分るかい!!



俺たちゃ


いや



俺はいまだに“スキゾ・ドライブ”を諦めきれない



おっさんや・・・・・・・・・



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田村さんの個展行います!


田村博文 solo exhibition
STONE+SABI 原風景からの切り貼り
2011.04.27 (wed) - 2011.05.31 (tue)
gallery close 4/29・30・5/1・3・4・5・8・14・15・22・29
open 11:00~18:00


【個展ステートメント】

広い河原。

辺り一面を占める石・石・石。

時を忘れて無心で遊ぶ。

積み上げたり、崩したり、並べたり並び変えたり。

すべりそうな石があれば助けてやる。

お気に入りの小石は大切にポケットへ。

先人は樹・石・金属と時をかけて、その利用すべき術を手に入れた。


私はまだ樹で石を削り出し続けている。


樹は削り出すことでその樹が所有した時間を 剥き出しにされる。

有機物としての樹、それと対峙する側にある 石や金属


私はまだ樹で石を削り出し続けている。


樹で石をつくり、その石にメタリックな表皮を装着する。

時と共にSABIがで出る。

原風景に存在するか否か不確かな時間。

樹が所有した時間。

そして今、樹から磨き出した石に施したメタリックなフィルターと

それから発生するSABIと時間を共有する。


私はまだ樹で石を削り出し続けている。





-------------------------------






私は何度も何度も作家と話をする。
否、そう自分に言い聞かせている・・



それは彼らが創作した作品を見る時間
など及びもつかない位である。



作品から受けた直感が惹きつける
彼らの考え方に対する興味、、



その面白さ・・・
可能性・・・・・



今はまだ作品に現れていないが、、、
その兆しを感じ取りたい、自分の直感
を何度も何度も検証するように彼らと
様々な話をする・・・・



そして開花するために自分は
何ができるのか?


ほとんど何もできていないのであるが
それでも同じ事を繰り返す。



私の職業柄



これは不必要な度合いと大いに遠回り
となる事は理解しているつもりである。。



既に価値形成がなされたものを
右から左に動かす日本の特殊事情
に立脚する完全セカンダリーの市場に
身を置いた方が経済的な展望は
遥かに広がる。



分かりやすくて流通上の価格・価値感が
仮想上担保されている客観的な”商材”、、、



しかし私が扱うのは



感じやすさを追求し、流通上の価格・価値感
が全く担保されていない”作品”である。



この選択は、理解されないことや誤解、誹
り嘲り、場合によっては愚にもつかないと
批判され痛罵される事もしばしばである。



それと同時に、、



何のアカデミックな背景も、その実績も
ないものの意見などは老若問わずものの見事
に無視され小馬鹿にされることも、、、、



理解できている・・



しかし、、、、、



私が選択したのは



そういった障壁に真っ向からぶつかる



広範な面積の中の【先端】である。



先端を志す者が他人に阿るような理解を
求めてはいけない。そして、おそらく理解
されないであろうという気概を人一倍
強靭に必要としなくてはいけない。



田村さんの



STONE+SABI 原風景からの切り貼り



の展覧は、その私の考えの一端でもある。。




木で石を削り出すという行為から
見える、自然界の時間軸の交差。

自然界の生命体としての木、石。
消滅に至る時間がが異なる二つの
生命体をまったく相違する時間軸に
生きる人間が創作という行為で
生み出す。


ここに時間の位相関係が生まれる。


そこから感じる人間個人の生き物
としての瑣末としか言いようのない
か細い生命感。

時計の針とは人間の時間を削り取る
道具でしかない。また指し示す時間
とはあくまで人間が作った時空でしか
ない。

自然界の時間軸はそれらとは大いに
相違する時空を有する。


木から削り出した石には、そういう
時間軸の交差を濃縮した意味を私は
感じた。。。



今回はそこに”錆”という要素を
加えた・・・


錆びるとは



高炉で鉄鉱石にエネルギーを与えると、
炭素は鉄鉱石を鉄に還元する。こうし
て「鉄」が産み出される。放置してお
くと、やがて鉄は酸化してエネルギー
を失って、酸化鉄に復って行く。つま
り、錆は、還元された鉄が酸化して安
定な状態へとかえろうとする過程に生
じる結果である。


鉄の要素・鉄鉱石で言えば


木や石と変わらない自然物である。


高炉と言う人工の変換機器を通すことに
より鉄と言う物質に変化するが、素から
考えれば鉄も自然物だ。


鉄が時間を経ると


酸化し錆が発生する。


この現象は


自然に戻ろうとする鉄の自助作用と
考えれられなくもない。


鉄が錆びるとは朽ちる腐食する
という一般のイメージで言えば
劣化を意味するが、、、、


自然に戻ろうとするパワーと読み
説けば、それは又違った意味を
持つ。


人間も同様なのでは?と考えてしまう。


自然界の中で


人間と言う瑣末な生き物が時間をかけて
得ようとするものは一体なんなのだろうか?
劣化なのだろうか?


また、過去から営々と継続してきた
人間総体の追い求めるものとは一体なにか?
この永続を宿命づけられている生き物に
現れている”錆”とは何を意味している
のであろうか?


何のパワーなのか?


田村さんの木と石と錆そして人間と言う
時間の交差から考えさせられる。




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ゴンベッサの視線



Gombessa proposal ep1
I am japanese.
2011.04.13 (wed) - 2011.04.26 (tue)
gallery close 4/16・17・24
open 11:00~18:00


一昨日よりスタートいたしました。


私は、この展覧のステートメントとして、、
日本の若いアーティスト達の視線=コンセプト
をゴンベッサと位置付け、その能力の可能性を
広く問いたいと書き記しました。


芸術家の成り立ちとは一体如何なる要件に
よるものなのか?なぜ社会の生産性・合理
から外れた行動を取る人間がこの社会で生き
ていけるのか?又どういった芸術家が社会
からその使命を与えられ必要とされるのか?


今、そういう根本的な疑問があって然るべき
だと私は考えます。


芸術がなくても社会は動き、生活に支障は
来さない。


しかし芸術がないという前提で社会を見渡
したとき、その風景はいかなるものとなるの
だろうか?


ちょっとどころか大いに寂しい気がするのと
同時にその寂しさというのはどういう感情な
のだろうか?と深く考えてしまう。


2011年がスタートし先のブログにも書きま
したが2000、10年代のスタートです。


予期しませんでしたが、、、、、
過酷な時代の始まりとなりました。


この過酷な状況の社会において芸術を担
う【視線】とは?【真の芸術の力】もっと言え
ば、この国でそれらを考えた場合にどういう
モノなのか?その探求の表れがこの


Gombessa proposal


の真の意味であり、、、、


軽佻浮薄なものに対しての私の”反抗心”の
現れです!!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



ここでその考え方・視線の一端を紹介させて
いただきます。


制作に対してのステートメントであったり
絵画についての思いであったり、その内容は
様々ではありますが、言葉の端々から溢れる
彼らの鋭い視線を感じていただければ幸いで
す。


展覧ではこれらの考え方・視線をボードとして
掲示し様々なご意見を承っております。


26日(火)まで開催ですので是非皆様お立ち
寄りくださいませ。心よりお待ち申し上げて
おります。




【佐野 暁】

16世紀以降ヨーロッパでは当時流行したシノワズリ
(東洋趣味)を反映し、日本をはじめ中国、インドな
どの東洋各国から大量の漆器を輸入してきた歴史があ
ります。


その中でイギリスでは漆は一時期ながら英語で「japan」
と呼ばれました。今日「japan」と言ってもまず漆の意味
では通じないのが実際ですが、日本人の中で「漆は海外
でjapanと呼ばれている」と信じている人は少なくありま
せん。


私が試みるのはかつて「japan」と呼ばれた、日本を代表
する伝統文化である漆と、現代の「JAPAN」の象徴ともい
える「カワイイ」、そしてその代表格である「キャラクタ
ー」とを融合させる試みであり、現代的な漆作品の創出で
す。


「カワイイ」は「pretty」や「cute」といった言葉では
表しきれない幅広い領域を持った言葉であり、アニメや
ファッションなどを通じて現代日本文化を表す一つの美
意識として「SUSHI」や「TSUNAMI」と同じように「KAWAII」
という世界語となりつつあります。


また「カワイイ」の代表格として「ハローキティ」や
「ピカチュウ」といったキャラクターたちも世界中へ広
まっています。


アメリカも様々なキャラクターを擁する国ですがが、
サッカーや野球といったスポーツチームにも必ずと言って
いいほどマスコットキャラクターが存在し、挙句の果てに
は自衛隊や警視庁のような国家組織においてまでキャラク
ターが活躍している国は世界中を探しても日本くらいなも
のでしょう。


このようなキャラクターたちの活躍の背景には日本人の
自然観が大きく影響していると私は考えています。


日本人にとって自然は豊かな恵みを与えてくれる存在で
あり、同時に地震や台風などのすさまじい被害をもたら
す恐ろしい存在です。


そのような自然環境の下で生活する私たち日本人はその
自然の中に人間を超越する「何か」を見出してきました。
それは人間をはるかに超えた大きな力であり、目には見え
ない不思議な存在です。


日本人は恵みと破壊をもたらす自然そのものを信仰の
対象として、山そのものや大きな樹、岩などには大き
な霊力を感じ、そこに神が降臨し宿る「依代」だと考
えました。


アニミズムというような言葉で例えられるように昔の
日本人は様々な物に神性や霊性を感じ取ってきました。


現代のキャラクターたちの隆盛には、日本人の持つこ
のような精神的土壌が大きく影響しているのではない
かと私は考えています。


本来魂の無いはずのキャラクターを生きている存在
のように捉え、生活を共にしている様は、まさにか
つての日本人が山や樹に向けた眼差しに通じるもの
があります。


今日私たちの生活の中に溢れかえるキャラクターたちは、
日本人の自然観から生れた神や精霊といった存在が姿を
変えて現代に伝わるかたちであり、現代における八百万
の神々と言えるでしょう。


私はこのキャラクターを漆が宿る「依代」として捉え、
日本人の自然観に基づいた、現代的な漆作品に取り組
んでいます。





【釜 匠】

僕にとって単純で明解かつ最も重要なのは、

いかに自分の作品が、見た人の足を止め

その人が予期しなかった世界へと引き込み、

その時間さえも止めてしまえるかにある。



笑い そして ちょっぴり怖くなる



誰でも楽しめるユーモアというのは、

生きていく上でとても重要です。

ユーモアに、いちいち理屈や説明をつけて
なんかいられない。

そんなことをしてしまったらそれこそ笑え
なくなってしまう。

絵を見て、タイトルを見て、それだけでわ
かる人はわかる。



自由に楽しんで 笑ってくれればそれでいい。





【松本 央】

私は、大学入学時から、現在までずっと
自分をモチーフに絵画を制作してきた。
いわゆる自画像だが、個人的感情や内面
を曝け出すための手段として、自画像を
制作しているのではない。また、単なる
自己顕示や自己愛によって制作している
わけでもない。


自分自身の表面に表れる様々な痕跡を見つめ、
それらの痕跡を画面に記録していく作業を通
して、私個人の描かれた絵画というレベルを
超え、人間のありのままの姿や本質、生命体
の持っている根源的な力に触れることができ
るような作品を作ることを試みている。



「何故、自分にこだわるのか。」


それを簡単に説明することは難しい。
ただ、複数の人物やモチーフを短時間見るより
は、一つに絞り、長い時間かけて詳細に見るほ
うが得るものが多いと考えている。





【阿部 瑞樹】

現代社会に於いて工業製品の存在はなくては
ならないものとなっている。


産業革命以降、人類は目覚しい発展をとげてきた。
時代の流れの中で、工業製品は当時の最新技術や
思想などに左右されながらデザインされ、洗練さ
れてくると同時に、人々は物理的価値だけではな
く、情報価値も求めるようになってきた。


それにより工業製品と我々人間との付き合い方に
徐々に変化が生じているのである。


数ある工業製品の中の代表的な物に自動車がある。
これまで自動車を主なモチーフとして作品を制作
してきたが、自動車というものは数ある工業製品
の中でも特に物理的価値と情報価値のバランスが
とれているものであると考えられる。


科学やデザインの発達と共に、自動車が一般の市
民にも手に入れることができるようになるにつれて、
自分の愛車を日々の生活の中で相棒やペットや家族
等のように親密に接する人々が現れてきた。


また、自動車の各部はよく人体に例えられ、ライト
は目、エンジンは心臓、タイヤは足など、無機物で
あるはずの自動車を有機物に見立てて言い表す。


これは我々人間がそれぞれに、単なる工業製品という
無機物の中にどこか自然物のような有機的な部分、
もしくは精神的な何かを感じていると言えるのでは
ないだろうか。


これが現在の私の作品創りの一つの大きなテーマで
ある。





【日隈 愛香】

私は人の形を通して自分の自覚していない内面を探
しています。

そして生きていること、生かされていることについて
考えています。

造るその時々で異なる表情のどれか一つにでも
共感できるところがあったら
新たな自分を発見するきっかけになるかもしれません。





【八木 佑介】

午前二時、無人の街に光が溢れる。
夜が明るすぎると僕は思う。
ただただ人間の安全のため、安心
のために膨大な光が生まれ、人間
そうやって築かれた文明を賛美する。


誰もいないにもかかわらず、煌々と
街を照らし続ける光に僕らは麻痺し
ているのだ。


この作品群では、画面をまず真っ黒
に塗りつぶし本来の闇を作り、その
上から光の粒子を点描として描き重
ねる。


画面の中に描かれているのは、闇と
光だけであり、その光の群れによっ
て街が形取られる。


無人の都市を支配する光を実際に
粒子として描き起こす事によって、
人工の光の意味や必要性、さらには、
種の繁栄へと突き進む中で都市とい
うものを創りあげた人間に対し疑問
を投げかけている。





【高松 明日香】

『 絵画についておもうこと 』
絵を描くことが、当然のように自己
表現になったのは、いつからなので
しょうか。


過去に絵画はすべて宗教画でした。
それは日本でも西洋でも同じでした。
日本の中で絵画が主に画家の自己表
現の場として制作され始めたのは明
治時代あたりで、まだ一世紀ほどし
か経っていません。


ですが、今私たちは、絵画を描いた
画家の生い立ち、感情、物語、表現
したいこと、を抜きにしては絵画を
見ることができません。


絵画は画家の物語を抜きにしては、
鑑賞できなくなってきているのです。
今の時代はもしかしたら、絵画の終
末なのかもしれません。


絵画は、その絵画の中で物語を完結
させることは、できないのでしょうか。


鑑賞にまで画家がかかわらなければ、
絵画として成立しないのでしょうか。


私は絵画にする題材に、インターネット
や雑誌などの写真を使っています。
それは、絵画が、画家を抜きにして独立
するための、1つの方法だと考えている
からです。


自分は、紀元前から人間が描き続けてい
る絵の持っている底知れぬ力を、生きて
いる間に自分の目で確かめたい、その思
いで、日々絵画を制作しています。





【川又 仁奈】

生と死の狭間で破壊と再生を繰り返す生命体の
中での、人間の存在意義とは何かを探求し制作
している。





【鈴木 健吾】

人は食べ物を見る時、様々な感覚が働く。
もし食べ物でない物がおいしそうに見え
たら人はそれをどう見てどう感じるのだ
ろうか?


食べ物には私たちが経験知識として持っ
ている食べ物としてのアイコンのような
ものがある。


例えば茶色いものが銀紙で包まれていた
らチョコを連想する人が多いだろう。そ
してチョコみたいだと気付いた瞬間に
「甘そうだなぁ」と感じたり、舌に甘さ
を感じる人やチョコのパリっとした食感
が想像される人もいるかもしれない。


茶色+銀紙は甘さのアイコンとして様々
な感覚を刺激させる。私は今回そのよう
なアイコンを抽出し、身の回りの物をお
いしそうな形に変換するということを実
験的に行った。

この時、視覚から味覚が刺激されるよう
なまさにおいしいかたちを作ることがで
きるのではないか。


私たちの感覚は経験や知識、環境などと
密接に関係している。しかしそれによっ
て物事が自分の経験や先入観により一方
向から見がちである。


いつもと違う視点からみることでいつも
見ていたはずのものも新鮮な気持ちで見
ることができるのではないか。


私からの何かこれといったメッセージが
あるわけではないが、何か新しい発見を
したり、食べられるような食べられない
ような妙な感覚を楽しんでもらえたら幸
いである。








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Gombessa proposal ep1 I am japanese.がスタートいたします。
明日13日(水)よりBAMI galleryでは

Gombessa proposal ep1
I am japanese.がスタートいたします。


2011.04.13 (wed) - 2011.04.26 (tue)
gallery close 4/16・17・24
open 11:00~18:00


この”ゴンベッサ”という奇異な名前


実は釜君から貰いました。


と、言ってもこの枠組みに対して彼が
ネーミングをしてくれた訳ではなく、たまたま
彼が次回作の話をしているとき、シーラカンス
をモチーフに云々という話の中で、突如、、、


『ゴンベッサ』という名前を持ち出したのでした。。


♪ゴンベッサ♪、、その音感♪を聞いた時


”ピン”と


弾かれたものがありました。


彼が説明してくれたゴンベッサの意味



--------------------------------------------


その存在を昔から知っていたコモロ諸島周辺
の人々からは肉が不味くて「使えない魚」と
の語義をもつ「ゴンベッサ」の名で呼ばれて
いた。その価値が明らかになり高値で取引さ
れるようになった現在、「ゴンベッサ」は一
転、「幸運を呼ぶ魚」との肯定的な語義に変
わっている。


-------------------------------------------


まさしく”これだぁ!”と感じました。


ゴンベッサという何処か”ドン臭い”響き
『ゴ』と『ベ』という常にあまり格好良くは
使われない濁音が続く音感。


『ゴ』と『べ』という
音の繋がりだけで日本人は権兵衛・ごんべぇさん
と連想するだろう・・・・でも、、、


これだと思いました。


COMBINEの時もそうだった。
どちらかというと農作業のトラクターを連想
しがちな音感を含んだ言葉・・・・



言葉、名前の色彩は変わる



行動と内容によって劇的に変わる。


いや正確に言えば多数の人の口に伝われば
伝わるほど不思議にも洗練されてくる。



最初にドン臭くあればあるほど・・



多分それほどに無視できない存在になる、
そういう過程がそういった変化を生むの
かも知れない。



私はこの『ゴンベッサ』、、、真摯で意気に
感じる若者たちにそんな変化があればと切に
願っている。


























































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