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阿部瑞樹 solo exhibition 『 from the car 』
本日より阿部 瑞樹 solo exhibition


 『 from the car 』

2010.11.15 (mon) - 2010.12.10 (fri)
gallery close 11/21・27・28・12/4・5
open 11:00~18:00


BAMI galleryでスタートいたしました。


今朝は阿部君が最後の搬入作品として
”お下げ髪のポルシェ”を抱えて


やってきてくれました!!












今回のタイトルは


『 from the car 』


個展に際して彼とスケジュールを含め
何度か話をしました。


その中で私も彼も重要と感じていたことは、
これからの事、すなわち芸術家・アーティスト
としてのテーマ性・・作品に対しての哲学でし
た。


今はまだ何も明確な答えは当然示せない
のですが、しかしながら厳然とここが原点
という意識の元、、、



彼が、

原点として選んだタイトルが



『 from the car 』



車から!でした。








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マウス
2008年1月4日年始


私があるところである種の怒りを
持って書いた個人的な”日記”で
ある。


今から3年近く前



当然今とは状況が違う筈なのであるが
さほど今と感情的に変わらない事に
茫漠とした感覚を覚えた・・・・・・


ほぼ変わってない。。



この時分と今との大きな違いは
政権が自民党であったということ


衆参ねじれの現象の中で


大連立を模索していたということである。


今とは大いに政治状況が違う
筈なのであるが・・・・


さほど違和感を感じないのは


まさしくこの国が未だ


。。。。。。。。。。。



と言う事は”0”ではなく


マイナスということでは??


・・・・・・・・・・






----------------------------------------






年末、週刊文春を久振りに買った。



たいして面白くなかったのであるが、
あるコラムに目がとまった。



何しろ歴史すきなもので!というタイトルで、
各界の著名人が、自らが過去啓発された歴史
書籍から現代を読み解く重要な要素をそれぞ
れがコメントをしていた。

これは慧眼であり、実におもしろかった。

何人かいたのであるが、私がおもしろかった
のは、二人である。


佐藤優が語る「新自由主義下のマルクス」。
今こそ『資本論』を読むべきだ。という文章と、
関川夏央が語る「司馬遼太郎文学の深淵」。
『坂の上の雲』に見る司馬遼太郎の勇気。


佐藤優は言わずと知れた鈴木宗男議員の懐刀
として活躍?した外務官僚であり、現在、起
訴休職外務事務官である。このひと、例の事
件以降結構な著述活動をしており、その内容
が斯界の間で高い評価を得ている。ひところ
外務省のラスプーチンなどという恐ろしげな
異名をとっていたが、最近著作以外のこうい
った週刊誌のコラムなどに自らの考えを示し
ているのだが、これが実に的確で面白い。い
や、かなりの常識人でもあり、くだらない解
説者など足元にも及ばないぐらいの識見があ
る。



実は私、彼の書いた本までは買ったことはな
いが、かれの週刊誌のコラムは結構マメに読
んでいる。案外この人の実相とは?と過去の
捜査から我々が受けた印象、マスコミが作り
上げた人物象と実際の人物象とのギャップが
一番分り易い存在なのではという、一種のア
ビルノ的な見方をしている。マスコミという
恐ろしい怪物に翻弄されたのであるが、実は
そのマスコミを使い、遅ればせながら内部か
ら真実を炙りだしているような気がするのと
同時に、いかにマスコミが単純な表層的な印
象からしか物事を伝えていないか、また大衆
を無暗に扇動し、終わりのない、結論のない
無責任な百姓一揆を誘発しているのかが、こ
の人物の見解をみるにつけ感じるのである。



彼が書いたこの今こそ資本論を読むべきだと
いう記述は、短文なのであるが実に優れてい
る。



彼はマルクスの資本論こそが人間が築く社会・
歴史という物語の構造を深く解明したもので
あると定義する。



そして彼はマルクスの資本論が示す歴史的な
構造を4つの論拠をもって分り易く解説し、
その限界を指し示すと同時に現代社会の壁を
提示し、そして資本論を再読することが、そ
の壁を突破出来得るヒントが隠れていると提
唱しているのである。



4つの論拠とは

1、交換形態から生まれる貨幣が人間を支配
していく過程。

2、貨幣が資本を生み出し、巨大な資本の運
動性が人間を束縛し、思想・生活などの
様式を規定する。

3、モノと金の交換には宗教性が埋め込まれ
ておりそう信じられているが,実は、モノ
  が金に変わるその過程には宗教性とはか
  い離した「命がけの  飛躍」があり、
  通常の宗教観が崩れた途端、恐慌が起き
  る。しかしながら資本主義とは強固であ
  り資本主義が崩壊することはない。

4、マルクスは資本主義という特殊なガン細
  胞を発見はしたが、ガン細胞の増殖?進
  行を、後世に対しての明確な治療の処方
  箋を書き残さなかった。


以上が論拠4点である。しかし、ここからが
彼の慧眼である。



彼が警鐘する最大は、この資本主義とどう付
き合っていくか?ここに新自由主義の危機要
素を嗅ぎ分けている。。



資本を中心とした社会とそれから構築した規範に、
漠然とした宗教観をふんわりとくるんだだけの現
代は、実は現実的な危機に無頓着になり過ぎてい
る。



実相の把握と長期的な展望が著しく欠如し、その
場その時の対応としての資本の論理は整合してい
るが、実はそれらの対処が深層の部分では崩壊が
始まり、恐慌の序章なのではないか?と考えるの
である。


命がけの飛躍をどの部分、どう言った内容にて仮
託し説明を位置づけるのか、信じられた宗教観を
どのように変化させるのか?これは大きな問題が
横たわっているのだが、誰も明確にその姿を示し
切れていない。



具体的には、ローコストオペレーションにて会社
や店を運営する。これは資本の論理としては整合
を果たすのである。しかし、現場の個々からする
とそれらの資本論理の整合を果たした環境は優れ
た仕事の現場とは言いがたくなる。



人数不足やそこからくる、規範、モラルの低下、
最大はその悪環境で一生懸命働いても評価されな
いという個々人の社会性としては最大のモチベー
ションが欠如しつづけ、そして評価をするための
現場を把握する人間すらが資本の論理のためだけ
にしか存在せず、資本の論理以外には的確人材が
不在であり、個々の努力や向上心が人事考課には
まったく反映されない。



ということは、個人個人の資本としては一向に給
料が上がるわけではなく、個人の交換の論理から
言うと、おそろしいデフレ傾向になってしまう。



働くほど自らの労働交換比率が下がるのである。
しかし、資本家からすると最大公約数としての資
本の整合を取り易くなる。ここに恐ろしい乖離点
が生まれ、その一穴をもって崩壊が始まる。すべ
てが資本の論理で貫かれ、金銭で社会の人的構造
が換算可能となってしまったため、個人がバラバ
ラになってしまう。



これは単純に数の論理の頂点でもあるのだが、こ
れが果たしてすべての到着点なのだろうか?数の
論理で解決しないものはこの今進行している資本
の論理で如何様に解決し、整合させるのか?これ
は今新たなテーマではない筈であり、形は変われ
ど、なんども繰り返される人間が作り出した空虚
な資本飽和社会との接触点における問題である。



しかし、今このポイントを整理し、過去から学ぶ
ことが如何に大事か、そしてそれはもう過去の産
物となってしまったかもしれないが、資本の形成
過程を、歴史的物語構造を最も深く解明した資本
論に求めるという佐藤の考え方はひょっとすると
今の我々には至極当たり前でありかつ賢明な選択
肢なのでは?と考えさせられた。。。この人が世
間から批判されたことが仮に真実だったとしても、
それはある種の手段であり、その奥にあった目的
とはいかなるものだったのか?これには大きな興
味を抱いていしまうのと同時に、それが頓挫する
この国のとてつもない稚拙な論理が虚無感を誘う。。



本来的な常識とは一体何なのだろうと?



そしてもうひとつ、関川夏央が語る「司馬遼太郎
文学の深淵」。『坂の上の雲』に見る司馬遼太郎
の勇気。であるが、これも短文なのであるが、こ
の国の現況をするどく論じている。



私は関川某なる作家はまったくしらないのである
が、かれが評する司馬遼太郎の文学史観は素晴ら
しいものがあった。



結論的に司馬遼太郎の志とは、全体小説にあった!
と喝破している。



この全体小説とはなにか?純文学に見られがちな
「個人」の中に閉じこもり、個人の意識の流れを
中心に展開をするのではなく、ある国民のある時
期の運命の全体像、または時代精神そのものを描
く試みのことを示すのである。



ここに司馬遼太郎が晩年こだわった「この国のか
たち」という言葉と考え方に、全体小説によって
訴え続けた志が読み解けるような意図が存在する
ように思える。



この『坂の上の雲』を書いた時代、日本は左翼思
想が社会を席捲しており、決して社会的な思想の
流行に合一したテーマでは無かった。国民国家の
到達点である日露戦争を描くということは、左翼
的思想家たちから歓迎どころか、誤解を招いても
仕方のない、いやそれどころか具体的なテロルも
考えられたところなのだが、あえてこの時代にそ
ういった内容を上梓するということが、この時代
に対しての警鐘であり、流行ということへの反駁
と本質からの逃避する蒙昧無知な指導者への挑戦
状だったと考えられる。



司馬遼太郎が歴史小説を書くきっかけを以前語っ
ているのを見た事がある。端的に、この国はいつ
から“アホ”になったのか?その源流を知りたか
った。



日露戦争を指導した日本人と第二次世界大戦を犯
した日本人は明らかに異質であり、到底この間約
50年の間の変質は理解しがたいと彼は語っていた。
ここに彼の全体小説が持つ最大のコンセプトが存
在したのであり、常に高い次元、過去から学び続
け発展するだけの要素をふんだんに持ち合わせな
がら、凝固しないこの国のかたち、そして本質や
常識を定義・訴求できないこの国の指導者や知識
階層を憂いていた彼の思想が読み解ける。



関川夏央が語る、司馬遼太郎とは反流行というこ
とに敏感な人であり、戦前・戦中・戦後を通じ人
々がこぞって叫ぶものはすべていかがわしい、結
局流行にすぎないと言い続けた人であり、一言で
いって偉大な常識人であったと・・・


そして、国家において、孤立した天才の技術に頼
ることは一代限りでしかないが、傑出した常識人
の技術は教育によって伝達できると確信していた
人でもあったと。。



これら二つの書評は、僅か2ページに書かれていた
ものであり、気を付けなければ読みすごしてしま
う。


しかし、偶然目に留まった。そして僅かな時間で
読み、その慧眼に瞠目した。


この二つの書評には現代に通じ、解決までとはい
かないまでも一つの大きな考え方のテーマが存在
する。そしてこの二つは歴史ということから今の
時代をどう読むのか先人が残した課題と指針を改
めて冷静に引き継ぐ必要性に迫られている状況を
示唆しているように感じたのである。



人口が明らかな減少を示した。これはある程度想
定されていた事象なのであるが、私は同時に、こ
の減少が時間的にいつ落ち着くのかも考えておか
なくてはいけないと思う。そのとき日本の人口は
8000万人なのか6000万人なのかわからないが、単
純に考えても、これらの人口による国家形成は過
去通過してきた筈であり、その時点が一体いつな
のか?これは歴史的時系列として把握しておくこ
とは大きな検証項目だと考えている。人口が飛躍
的に伸びた時点よりも、現在の人口低減がおちつ
く時点が過去のどの時代に合致するのか?ここに
歴史的な問題点が集約しており、その過去の時代
に表出した問題が案外現代の病巣を集約している
ように感じるのである。



社会情勢がまったく違う!や国家の成熟度合いが
違うと言えども、所詮人間の数からくる国家の形
成に違いはない。それよりも大事なのは人口が一
億数千とこの何十年か経験したことのない境地だ
ったのが、この時点で過去経験した人口による国
家形成に逆戻りになるのである。今後は過去の経
緯と比較対照することが可能になり、そこから判
断出来得ることが結構多く存在するのではないか
と考えるのである。私は漠然とでしかないが、な
んとなく諸問題の根源が人口に比例するような気
がしてならないのだ。




歴史とは時間の推移を中心として考えがちである
が、この時間的推移には主観的な判断は存在しな
い。現象をすべて列記したにすぎないような気が
するのである。



しかし人間を中心に歴史を考えた場合、人がその
つど死にそして誕生するというような人間社会の
世代間の入れ替わりが、歴史の大きな連続性を生
み出す波動を示しているような気がするのである。



だから人口の推移が意外と人間の歴史と一番深く
かかわる部分であり、歴史物語性を構成する上で
一番重要な運動法則のような気がするのである。
だからこそ人口減少という事象は過去のある時点、
それも我々が仕出かした大きなブラックホールの
ような過ちの穴に吸引されているような感覚が芽
生えるのである。



これは勘でしかないが、私はなんとなく昭和10年
代前半が実はその人口増減の折り返しポイントの
ような気がしてならない。それぐらいに現代の状
況と合致しているような気がする。その時点から
増加して迎えた戦争という狂気とその時点に減少
して向かう狂気が実は人間社会の構成ドグマとし
ては合致しているのではないか?とうっすらなが
ら感じるのである。



ある意味、この時代、今の社会が突如劇的に政治
状況だけで変わるとは到底思えない。先日若者を
リサーチする番組を見ていると、意外と戦争を期
待する人間が多いのである。彼らの戦争を期待す
る論拠とは“リセット”なのである。これをどの
ように考えるのか?そして先日政治の世界で起き
た大連立!これなどは識者がいろいろと論評を加
えているが、本質はどう考えても大政翼賛会でし
かない。現状国会、ねじれ国会を正し、法案を通
過させることが国民生活にとっての最大利益であ
ると訴えるのであるが、これは本当にそうなのだ
ろうか?このねじれた国会を提案したのは国民で
あり、この国会の形態で国民生活を検証するのが
現状の本質なのだが、これを簡単に回避すること
が、国民生活の最大利益になると考えるのはどう
考えても民主主義のテーゼを逸脱しているとしか
思えない。


自民党は早晩崩壊することは間違いないであろう、
それも国民は察知している。しかしながら民主党
に全幅の信頼を寄せていないのも事実である。な
んらかの政治的な命がけの飛躍を期待しているの
であり、これが本質だと思う。そしてある種の恐
慌も覚悟している。



ここに保守も革新もない同じ目的地が示されてい
るにも関わらず、どうもその空気が読めていない。
これは昭和10年代前半に起きた軍部と官僚主導の
国家指導体制とどうも酷似するような気がするの
である。



現在の一次資源の高騰と物価高騰の兆しは、ロシ
アの資源と中国を中心とした人件費が世界にすべ
て行き渡った結果であり、今後これらは国際的な
投機の激しい対象となる。これにこの国はなんの
対応も施していない。


それどころかどうも戦争に突入する前夜に酷似し
ているような気がするのである。これらの激しい
状況にどのように対応するのか?国家的な戦略が
まったく示されていない。行き詰まりが明確に見
えているにも関わらず・・・



それどころか、国内の安定、国家を支える内需を
盲目的に信じていて恐ろしい搾取を繰り返してい
る。これは第二次大戦以前よりも政治状況として
は、ひょっとするとひどい状態なのかもしれない。



資源と食料の安定確保というこの国が一番脆弱な
側面の需給がすでに崩壊し始めている。



この部分が常にどの時代おいても、この国が抱え
る最大のウィークポイントであることは間違いな
い。ここを他国に抑えられるとこの国はニッチモ
サッチモ行かないのは過去の歴史においても歴然
としており、ここを克服する戦略がないと、いか
に高い思想を掲げても、奇麗な外交を展開しても
何も解決はしない。



あげる方と貰う方という単純な図式は、即ち上下
の関係を肯定するわけであり、これまでは経済力
というか国家の発展を背景にその上下のバランス
を逆転させ保てたのであるが、それが国の価値が
暴落したとき、一体全体どの部分で交渉上のカー
ドを保つのであろうか?実に不安である。



そして人口の減少、これは単純にこの国の国力低
下を意味する。資本の論理を貫徹するならば人間
誕生という個々にとってのコスト高現象は抑止傾
向に向かうのは当然である。しかしそれは逆説的
に国家運営のコストを大きく跳ねあげることに直
結する。



これでは普通の感覚として今まで保ってきたバラ
ンスがそのまま通用するなどとは到底思えない。
日本の国力は客観的な数値においても年々低下し
ており、国際的な国の価値は暴落に等しいが、訳
の分らない関数が混入することによって漠然とし
た景色にしか見せていないのは、今の政治家達・
官僚の大なる国家反逆罪であると考えるのである。



歴史を紐解けば、この国の美しさと強さは厳然と
見えてくる筈だと確信している。



前の総理が“美しい国”などと空虚なことを提言
していたが、かの輩こそが一番分っていなかった
のである。。



一体美しい国とはどういった事をさすのか?いや
具体的にどの時代のどれがそうで、どれが違うの
か?そういった具体性を示せるのは歴史があるか
らであって、またそこから反省と新たな想像・創
造が出来るのであり、それこそが美しい国の最大
であると思うのである。それが突如美しい国など
と言われてもなぁ?悪いがこの国は大戦以降、国
民と会社員が存在した国であり、個々の市民が不
在なのであることを把握しなくてはいけない。



この国はある種、企業が運営してきたようなもの
ではないか!!そういう本質を理解しない政治家
の妄言には



まったく歴史的な背景がない。

戦後レジームの脱却?



戦後レジーム自体がこの国の国民?会社員の歴史
観にない。


周到にアメリカからの煙幕の中に放り込まれただ
けであり、あの大戦以降この国は国家という概念
を放棄し、国民は皆、企業の戦闘員になったので
ある。


ここから問題意識をどのように組み立てるのか?
それがないままキーワードと政治家だけが抱えた
問題にしか見えない定義のありようでは到底具体
的な国家の戦略には見えはしないし、そんな程度
では、それは企業の戦略にすり寄ることしかでき
ない。。せいぜい企業から利を吸い取ることしか
できない。


国益など構築できるとは到底思えない。

もう、そろそろ、おできを治す程度を治療とよび
対処するのではなく、死を賭すかのごとき大手術
をしなくてはいけないのではないのか?



この国はもう暴動が起きないないぐらいに疲弊し
ている・・・


暴動を起こすことによって自らの不満を表現する
ことや、国家の欺瞞に抵抗するということは無く
なった。


その代わりそれと同じような表現行為が、個々が
隠ぺいに走り、状態を平静に保つことを最良とし
ているのである・・・資本の論理?なんだか



ぐちゃぐちゃだ・・・


。。。。。。。。。。。。。




私は今年正月を迎え街に出かけたとき感じたの
であるが、



なぜ皆正月元旦から働くのか?



なんのための行為なのか?誰が幸せになるのか?


これがこの国の中心的な考え方なのか?


時代が違う?馬鹿をいっっちゃいけない!!


判然としない怒りが込み上げてきた。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


街に


実験によって生まれ


狂奔した


マウスが


あふれ出しているように見えた。。。。



こんな歴史は過去あったのだろうか??



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少年たちのように
衝撃という言葉がある


言葉の意味を拾うと


おおよそは以下のようである




●意外な出来事などによって強く心を揺り動かされる
 こと。また、その心の動き。ショック。

●思いがけない出来事によって起こる、心の激しい動き。

●激しく突き当たること。また、それによって起こる
 刺激。強い影響や印象。



これは個人的に感じるものと、客観的に短期間における
集団として感じたもの、長期的に集団が時間軸の断面と
として、、などがあると思うのであるが、、、



個人、特に自分自身を振り返って見ると



今の仕事に至るまでにこの衝撃という事象は
なんだったのか?と考えた場合、、



3人の人物に集約されることに気づく。



以前どこかで書いたかも知れないが、、、
私の今の考え方を形成してくれた人物が3人、実際に
細かい部分ではもっと多数いるのだと思うが、あえて
領域の大部分を集約すると3人の人物に突き当たる。。



時系列で並べると


1、北野武(ビートたけし)

2、川久保玲

3、河原温


この3人となる。



この3人の共通点があることを自分なりに分けると


1、その道(評価されている)のアカデミックな教育
  を受けていない。

2、世界的な流通の一角に確実な自歩を固めている
  所謂、世界標準としての評価を得ている。

3、有史以来存在し熟成してきた日本人の研ぎ澄まさ
  れた感性を単純かつ泡沫的なオリエンタリズムと
  して輸出したわけではなく、普遍的な感性として
  その解釈を西洋人に浸透させた。一つのテーマ
  映画、ファッション、美術というものを西洋人
  が厳然と掲げる歴史的解釈の手法とは全く違う
  東洋人その中の独特な感受性を有する日本人と
  しての解釈を論理的にかつ具体的可視化によって
  論証し、認めさせた=戦い勝利した。これは結果
  としてではなく、端からその為の戦いを考えて
  挑戦した結果として得たという点である。
  自らが思わず手にしたという事では決してなく
  確信的に挑戦した結果である。

4、3人共、私が十代に出会った。
  


この4点があるように思うのである。


特に3番目の大きな”衝撃”とは、、


これは、この場合衝撃を受けたのは相手方となる西洋
なのであるが、実は実際には送り出した3人と同胞であ
る我々の方がより大きな衝撃、特に私はそのように感
じたのであった。



相手方に衝撃を与えた筈が、実はその衝撃波とは
実際には放った手元の方が大きかった・・・


この3人の仕事に対しての私の印象であった。



特に、、川久保玲の登場に関しての衝撃波は30年近く
たった今もなお私の中には存在している。



今から30年前、今とは違い情報と言うのは
紙媒体が主役だった。当然テレビ、ラジオ
というのも存在し今と変わらない大きな力
を持っていたが、先端という事で言えば
紙媒体の取材力というのが柱であった。


その時分、それまでの雑誌の概念を変える
媒体が登場した。後に写真週刊誌と呼ばれる
ものであるが、FOCUSという雑誌が発刊され
毎週金曜日に発売された。


それまでも週刊誌というのは存在したが
大きな違いは誌面の訴求部分の大半が
先ず写真で構成されており、しかもそれが
文章の核をなす大事な要素として成り立って
いた。と言う事は文章を読むというよりも
写真を見る、しかもその週及び近々の
出来事を写真を通じ先ず認識するという
形となっており、それから行くと実は現代の
インターネットの要素が含まれていたような
気がする。



後に類似誌が多数発刊されたが、FOCUSが
一番違った点は、



新潮ジャーナリズムと呼ばれる丹念な取材と
張り込み取材を展開。有名人やタレントの密会
写真掲載などで話題を作ったり、政治的な事件
や災害、事故などのスクープも多い。また、従
来の新聞、テレビなどが報道しなかった、複雑
な事件やニュースの裏側に迫る写真も数多く掲
載した。


これが骨格になっており


特に、従来の新聞、テレビなどが報道しなかった、
複雑な事件やニュースの裏側に迫る写真も数多く
掲載した。


この点であった。


16,7歳の当時、正直、色々な情報として
この雑誌はある意味魅力的であった。今なら
インターネットで誰もが自由に即時入手できる
ものも当時は手に入らなかったし、京都という
地方では噂すらなかった。


それはある意味今のインターネットのブログ
やツイッッターが成り立つ重要要件である
”内幕””内輪話”というものが、ほぼ見え
なかった時代に、この雑誌は推測の領域を
持ちつつも、世間に提示、しかも視覚的に
した事は大きかった。



実は私が川久保玲の存在を知ったのは、
この雑誌であった。


1981~1982年ごろ



パリコレクションで日本人が大きな衝撃
を与えた!



黒主体の服装に穴あきセーター



後に”ボロルック””乞食ルック”という
川久保、山本耀司が鮮烈的に発表したコレ
クションであった・・・・




この当時、FOCUSはその事実だけを伝えた
のであるが、私にはそれまでパリコレと言えば
ケンゾーでありイッセイであり、海外コレクション
で有名だったのはカンサイ位は知っていたが


川久保、山本耀司??誰??
何をしたの??


と全くその情報がそれ以上には入らなかったが
そののち日本中のファッションが真っ黒になり
カラス族と呼ばれる位に黒と言う色がファッション
を席捲しつくした・・


それと同時にバブルを迎えDCブランドブームと
言うのが国内で隆盛を極め、私も例にもれず
その流れの中で様々なデザイナーの服をバイトして
買った口だったのであるが、その時王様のように
君臨していたのが


Comme des Garcons


であった。。


Comme des Garcons


意味を調べると


少年たちのように・・


なんてネーミングなんだ、デザイナーの名前
じゃないのか?しかもなんで少年のように・・
なんて形容詞なんだ・・なんでだ・・


実に不思議なブランドであったが


その当時、数多のマンションの一室から
立ちあがった国内のブランドの中にあって
他を決して寄せ付けない凛とし毅然とした
匂いをこのブランドは放っていた。


『分からない人は結構です』


という明確なメッセージがショップからも
匂い立っており、なんとなく犯しがたい
雰囲気を持っていた。それは服からだけの
メッセージではなく、このブランド全体が
持つイメージとしても”ガキ”であった
我々にも通じるものがあった・・・・



これが1985年から87年位のことだったので
あるが、ボロルック発表から3,4年後の
出来ごとであった。


しかし、世の中のファッション、経済的
にはDCブランドという流れで把握される
のであるが、私個人の感想としてはその
ほとんどの既成服が大半コムデギャルソン
の模倣のようにも思えてならなかった・・
異論は当然あるが私にはそのように思えた
それはアイテムはもちろんブランディング
から、、、、全て模倣していたような気が
する。。


ここまで皆が倣うというのは一体なんなのか
そしてその中でも寡黙に何も語ることも
なく君臨していて、またその中心である
川久保玲なる人物は写真すら見たことがない
どのような人物なのか実に神秘的であった。


それから5年6年後90年代に突入してから
ちらほらと彼女、川久保玲の仕事に対して
の論評が国内でも出始め、目にするように
なって・・・・・


その記事やメディアに出る内容の
あとを追いかけるように


彼女の仕掛けた仕事の一部分、考え方が
霧が晴れるように見えたとき・・・・・


戦慄を覚えた・・


世界で戦うという事は、否応なく自らの
アイデンティティーを切り離すことは出来ない
いやそれ以上に、自らの出自を深く深く考察し
その思想の根を深く突き刺さした上に立脚しな
くてはならない事に気づかされる。


やはり我々は日本人なのだ。


彼らとは違う。先ずこの厳然とした
事実をどれほど理解しているか?



最近ガラパゴスとよく言われるが
功罪はあるが、私は先ず大事な部分が
そこにはあると判断する。しかしそれ以上
に大事なことはそれをどう世界に活かせるか?
ここがガラパゴス論の出口ではないか?と
思うのである。


川久保が仕掛けた戦いも実はガラパゴス的
論理展開と解釈できなくもない。


黒という色は何も日本だけの色ではない。


しかし大きく違うのは黒にも


何色もある!という解釈を日本人は持って
いるのと同時に、黒色が雄弁に語る抒情性
を日本人は色々な生活に向けて応用してきた。


それは感情と合一する部分に活用していた
という歴史的事実が彼の国のカルチャー
とは著しく違うのである。


墨染。


ここには雄弁に何色もの黒が存在し、
感情が折り重なる・・・


何度も言うが黒は西洋にも存在する
しかし彼らの黒と我々の黒の違いは
ない、あるのは文化の歴史的な解釈
の違いであり、それは彼らにはない
部分である。


穴あき、ボロ、=みすぼらしい、汚い


そうなのであろうか?
ボロの墨染を纏い、人間、社会の本質を探る
托鉢に邁進する僧侶に対して我々は何を思う
のであろうか?


美とはなにか?


我々には雄弁に世界に語れ・誇れる
文化の解釈論が存在する。


それは先人達が残し守ってくれた
文化が有る所以であり、それを
駆使しなくてなにを自らの論拠
とするのか?


この時より


ある意味今に至る私の考え方は
決まった!


そう”衝撃”でした!!



少年が素直に


感受する


衝撃。。



確かに



少年のように・・・・でした。。



それが先述した


3の項目であった!

3、有史以来存在し熟成してきた日本人の研ぎ澄まさ
  れた感性を単純かつ泡沫的なオリエンタリズムと
  して輸出したわけではなく、普遍的な感性として
  その解釈を西洋人に浸透させた。一つのテーマ
  映画、ファッション、美術というものを西洋人
  が厳然と掲げる歴史的解釈の手法とは全く違う
  東洋人その中の独特な感受性を有する日本人と
  しての解釈を論理的にかつ具体的可視化によって
  論証し、認めさせた=戦い勝利した。これは結果
  としてではなく、端からその為の戦いを考えて
  挑戦した結果として得たという点である。
  自らが思わず手にしたという事では決してなく
  確信的に挑戦した結果である。



川久保玲・山本耀司の

黒の衝撃から15年後


1997年に発表した


「ボディーミーツドレス ドレスミーツボディ」


以降


彼女が何に戦いを挑み、何を考えてきたのかが
段々と一般において水面下から浮上し始めた・・


そして2002年NHKで特集された
『世界は彼女の何を評価したのか』
で、それが良く解剖されたと私は記憶する。


以下はその中でインタビューに答えていた
西洋のトップデザイナー及びジャーナリスト
の言葉です。


そして


川久保玲の戦いの言葉です。



●カールラガーフェルド

彼女は我々のゲームを壊したのです

全く違ったものを出してきたのです

それは醜く見える恐れがありましたが

新しい美があったのです




●アレキサンダー・マックイーン

私たちデザイナーには分かります、彼女は体をデ
ザインしたのです。

なぜ不恰好な物を作るのか、疑問に思うでしょう

しかし、様々な姿の人達を理解することが、知性
なのです。





●ファッションジャーナリスト
 エリザベス・バイエ

川久保の最初の印象はとにかくショックでした

果たしてファッションなのか、何かのメッセー
ジなのか

正直言って分からなかったんです


その後印象が変わりました


彼女は従来とは違う女性の見方を望んでいたの
です

それは女性の肉体的な美しさとは違う美の提言
でした

今までの先入観をくつがえすのに川久保は長い
時間を


費やしました




●川久保玲


私が思う反骨精神とは


人間が全てに於いて平等であれば素晴らしいけれ
ども

それはあり得ない。そのようなどうしようもない
不条理、

さらにその上にはびこる権威に対しての―戦いと
も言えます。

戦うには自由がないと戦えません。反骨精神=
戦うのに

最高に良い方法はクリエーションの場にあると
思います。

だからこそ、自由と反骨精神が私のエレネルギ
ー源なのです。













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豊島に行ってきました!
瀬戸内国際芸術祭の来場者が


70万人を突破したと聞いた頃の


先日の20日、念願であった豊島に
行ってきました。


さすがに最終日が近づくにつれ
日々来場者が増えている状況・・


果たして船に乗れるのか?という不安を
抱いたままチケット売り場に行くと、、


予想通りの大行列!


そして、、なんと不幸なことか


私のほんの数人前で乗船拒否・・積み残し
の憂き目にあいました。。。。



警備の方から豊島に渡る他の方法を
聞き、早速別ルートでのチケットを
購入するために窓口に並ぶ・・・


結局、豊島を越えて小豆島まで行き
そこから豊島へ戻るというルートへ
変更、、なんにしてもいける事と
なりました。。



さて島に到着してですが、私の最大の
お目当ては当月17日にオープンした
内藤礼さんの美術館だったのですが、、
ここも大行列、、、整理券を渡された
のですが2時半以降・・・・



他の作品を見る事を考えれば少し
無理がありやむなく断念・・・・



豊島は直島、先日行った女木・男木
とは違い、展示場所が島内の沿岸部分
を一周したような状態に配置されており
バスも東回り西回りと巡回している。
その為すべてを見ようとすると相当
周到な時間配分をしないと無理があり、
また周回バスも1ポイント40分ごとに
到着という次第で、かなりタイトな
スケジュールが要求される。



大変残念ではあったのだが内藤礼の
美術館はパスし他の作品を見ることに
いたしました。



その後、内藤礼以外にも数点時間的に
あえて見なかったものもありましたが、
展示品ほとんどを見る事が出来、最終的
には満足でした。


豊島は確かに直島に次ぐ人気の島だけは
あり内容的には直島に次ぐものがあると
感じました。


中でも私を捉えたものは


塩田千春さんの作品で


一緒に行った釜君とも話したのですが



映画的な雰囲気があり、何か不思議な
空間、少しタイムスリップ中の時空
トンネルような空間が動きの途中にス
トップしたような瞬間を醸し出してお
り、そこに鑑賞者が入り込むと、時空
間がネジレタような感覚を誘うのであ
る。。


周りを取り囲む古い戸板達がそれぞれ
もっている歴史が重なりあい、その
中に入る今という時間に生きる自分
との不思議な交信が行き来しだす・・



この作品のもう一つの優れた点は


周りの雰囲気と溶け合い


表面的な時間断層が無いのであるが
作品内部に入ると著しく自然の劣化
と人工的な作為が交差して妙な時間
断層が生まれているという点である。




野外インスタレーション、特に特定の
地域においてのものとしてはかなり
優れたものであると判断できる。



周りの雰囲気と断層の無いエレメント
を使用しているのだが、自然に経年劣化
していったエレメントと、それを人工的
に補足するために同じような経年劣化
したエレメントを使用し異空間を作り出
している。この点がこの作品の妙味である。



全体には厳然とした既成の
建物なのだがそこに人工的に手を加え
ることによって特異な形状の建物へ変化
させている。



しかし、作品全体の雰囲気は特別新たに
作り出したというよりは、以前からあった
ものがメタボリズムのように動き出した
瞬間を捉えたような仕上がりになって
いる。


これはかなり優れたものであり
塩田さんの面目躍如ではなかろうか!



























もう一つは



森万里子さんの作品で


沼の中心に浮かぶ?配置された不思議なオブジェ


『トムナフーリ』


宇宙空間にある星が死滅すると
このオブジェとの間に交信が
生まれ光るということらしい・・・


正直原理は良く分からないが


宇宙と言う広大無辺な空間にある
不可視な生命と、この山中にある
1ポイント、人間が作り出した
作品が繋がっている。


それは、作品を通して宇宙と繋が
る人間を表現し、そしてある種の
仏像や偶像を通して不可視な浄土
や天国に対して念じたり祈りを捧げ
たりする行為の抽象化に近似し、

この作品が持つ東洋的な思想を背景
にしたコンセプト、これが強烈に私
を惹きつけた!


そしていつも私が言っている


何世紀も後にこの沼にある
この作品を見た我らの子孫
は、この時代や科学をどの
ように感じ、この作品をな
んだったと解釈するのでし
ょう?


そう思うと何とも言えない
感覚が突き上げてくる・・













以下はその他の作品です。




残念だった内藤礼美術館の入り口・・・










































































▲TOP
2010年代
先週は特別忙しくはなかったのであるが


色々な方がお越し下さり、様々なお話が
できました。


中国から帰ってきて約一ヶ月


その間、釜くんとの名古屋行き、エトリさん
との新潟行き、そして高松でのCOMBINE
グループ展及び瀬戸内国際芸術祭・・



等々、ほとんど京都を空にしていたのですが
先週はほぼ京都に久しぶりにいました。


先週は



松本君、エトリさん、KFLのFさんとKさん
そして東京から奥野さん、そしてライターの
小吹さん、おかけんたさん等々と会い


色んな事を話しました。



作家達とはやはり作品及び今後の展開の
事が中心で、KFLのFさんKさんとは今後
のビジネス展開について、そして小吹さん
おかさんとはアート市場の現況について・・
とそれぞれのチャネルごとに充実した内容で
あったと思います。



しかし、取りまとめて一つ言えることはなにか
と言えば、やはりそれは”出口”の問題でないかな?
ということと、やはり新しい仕組みの問題かな?
併せてここが大事かなとも思うのは先行きに
対しての想像と思いました。




それぞれの領域で感じているのはやはり閉塞感
であり、そこから出て行く為にはどうするのが
良いか?そしてその為の仕組みとは一体なにか?


話はそれらを踏まえたこれからの分析観、、


そういう事に集約していたように感じました。



少し時間を遡り、この20年というスパンを考えれば
少し見えるモノがあるかなと思いました。



それぞれに考え方があるので一概に私が
語ることが正解などとは言わないですが、
私の個人的な感覚としての時系列に沿って
言えば、、、、



今の現代美術マーケットの源流は、おそらく
1990年代辺りがスタートではないか?と思うのである。
諸説あり、当然その前にも現代美術という部分は
存在していたが、国内で国内の人が積極的に消費
しだしたのは1990年代初め頃だったように思います。



この時期私は働き出したのですが、この当時私の
仕事としての主力商品は間違いなく日本画でした。
そこから見た現代美術とは、か細く脆弱、貧弱な
マーケットであり、これは1980年代とそうは変わる
ものでもありませんでしたが、しかし一部がそれまでの
アンダーグランド的な色彩から脱却し、ポップな
感覚でメディアに露出し出したようにも感じました。


実はその僅かな認知が、今から思えば兆しだった
ような気がします。


その後、色んな流れがある中で突如2000年前後を
境に噴出し出したのが、村上、奈良という存在で
この二人を中心とした世界観が日本の現代美術の
メインストリームのようになっていったと思います。


基本的なコンテクストは違うとは思うのですが
その表面的なキャッチーさから”アニメ、おたく”という
分類がなされ、日本独特なサブカルチャーを背景
にしたというようなストーリーが盛り込まれることにより
それまでのアカデミックな障壁をぶち破り、より一般に
流れでたような感覚がありました。


そういう意味では



数年前、松井みどりさんが分析した手法
マイクロポップ論は分かりやすく類別したものと
言える。

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*「マイクロポップ」
仏哲学者ジル・ドゥルーズが著書『カフカ:マイナー
文学のために』において明らかにした、新しい時代の
芸術のモデル。 メジャーな言語を使って表現すること
を余儀なくされながら、そのなかで独自の脱線や言い
換え、表現コードの組み替えを行い、既存の表現の
限界を超えて新しい表現を作っている想像力のありか
たを指している。それは、子どものような想像力によ
って、しばしば使い捨てられる日常の事物や「とるに
足らない」出来事をシンプルな工夫によって再構成し、
忘れられた場所や、時代遅れの物や、用途が限定され
ている消費財に新たな使い道を与え、人を自らの隠れ
た可能性に目覚めさせる。



「90年代という、日本の社会が長い不況や社会不安に
あえいだ時代に成人し芸術家活動を始めた、60年代後
半から70年代にかけて生まれたアーティストたちに強
く見られる特徴」だと説明している。なるほど、未成
年的なものの重視は、日本的かもしれない。しかし、
マイクロポップの作家は、上の世代よりも日本的な特
殊性を強調せず、それが「国境を越えて有効な、難し
い時代を生き抜くための方法」を示しており、海外の
状況にも広がっていくという


マイクロポップ世代(60年後半以降生まれ)とは、
物質的な成功から距離を置く考えの人たち。そして
超個人的な出来事や思い出を記憶のまま出すんじゃ
なくて、自分視点を上乗せして作品にしたり、他の人
や一般的にはゴミだったり、どーでもいいようなこと
だったり、ダサかったりすることにも自分視点を上乗
せして作品にしたり、そのこと自体をみんなにどうな
のって投げかけてみたりする手法をアートとして使っ
ている人たちのことを指しているみたいです。



50年代から続いてきた日本の前衛芸術、つまり、
「具体」や「もの派」も「ハイレッドセンター」も、
それぞれアーティストが自分の住んでいる時代や環境へ
の答えとして出した表現であり、海外の前衛芸術とも
連動していました。ただそれを評価したのは日本ではなく
海外の人でした。


また、そういった前衛運動にかかわっていた人数もと
ても少なく、波のある海のような形ではなく、孤立し
た島のような感じで現れました。
また、評価も遅れていて、60年代~80年代には世界の
目が日本に向けられていなかったので、日本の前衛へ
の認知もむしろ、90年代の新しい日本の芸術への感心
がもたらした結果として、すすめられることになった
のです。



--------------------------------------------------


このマイクロポップ論で松井みどりはこの間
(1990~2006)を第4世代に区分し、それぞれ
の特徴を論じている。その起点は1989年とし
ている。


その内容は又後日として


区分としては


第一世代が杉本博司、宮島達男、森村泰昌に代表される
作家で40年代後半から50年代前半生まれ。


第二世代が村上隆、会田誠、奈良美智、小沢剛、曽根裕
に代表される作家で1960年代前半生まれ。


第三世代が伊藤存、杉戸洋、落合多武、青木陵子
に代表される作家ですが、生まれ的には第二世代と
差違が無く、実は奈良美智に関しては第二第三世代に
渡る作家と捉えられている。


その特徴とは



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奈良さんの登場によって現代美術の見方が変わりました。
小沢さんが出した新しいタイプの介入芸術にしろ、村上さ
んやヤノベさんが出した日本のネオジオにしろ、一種のコン
セプチュアル・アートだったと思うんです。つまり、作品を通
じて社会について語ったり、社会通念を揺さぶったりするの
を目的とした作品だったのですが、そういう言説喚起能力
を持った作品が評価される一方で、具象絵画というのは
軽視されていたんですね。

第三世代の特徴は、同じ具象表現を使っていても、奈良
さんの表現とははっきり違います。どこが違うかといいますと、
奈良さんの作品は、ひとつの大きなイメージを中心として
感情世界が作られる、シンボリックな表現なんですね。
ところが、伊藤さん、杉戸さん、落合さんの作品というのは、
小さなイメージを組み合わせたり、線や点の動きによって、
ある構造から別の構造に自由に移動していくような、連想
ゲームのような作品なんです。それはつまり、第二世代の、
物語性、社会性、ドラマ性志向から、第三世代の表現の
中心が「知覚」へとシフトしていき、それと同時に表現自体
もより流動的になってきたということなのです。


-------------------------------------------------------




第四世代とは実はさほど明確な定義づける作家は
存在していないと私個人は思いました。


この部分を時系列に照らせば


2005年以降だと私は思います。


そういう意味では第三世代2005年まではある程度
論拠としての合理性を感じると同時に、全てではない
にしても区分としての論理的包括割合は高いのでは
ないかと思います。


完璧な整合か否かは、論拠によるところであり、
必ずしも他の論拠からこの時代を読み解いた場合
不整合になる部分が多々あることも事実だと思います。


しかしながらくどいようですが、大きくこの時代を分析した
人間がいるわけでなく、そういう意味では中心的論理
と考えても差し支えないように思います。


ただ、、


このマイクロポップ論に依拠するモノとはなにかと
自分なりに考えた場合、、、



そこに存在するのは



第一世代を除く第二・第三世代の特徴とは

”日常”というモノではないか?と私は以前から
考えていました。



幻想的な安全保障に守られているという錯覚
のもとに肥大化した、日本国内における隔絶的
日常・・・・



全てを日本という国の中でのみ自己完結してきた
日常・・・




上記説明に記載した

-----------------------------------------------------


物質的な成功
から距離を置く考えの人たち。そして超個人的な出来事
や思い出を記憶のまま出すんじゃなくて、自分視点を上
乗せして作品にしたり、他の人や一般的にはゴミだったり、
どーでもいいようなことだったり、ダサかったりすること
にも自分視点を上乗せして作品にしたり、そのこと自体を
みんなにどうなのって投げかけてみたりする手法をアート
として使っている人たちのことを指しているみたいです。


---------------------------------------------------




と言うのが実は一番如実にこれらの形態を物語って
いるような気がします。


そしてもう一つの大きな特徴とは


世界、グローバールな中で胎動するアートの潮流とは
隔絶した世界観が存在する。積極的にコミットするので
はなく




---------------------------------------------------



上の世代よりも日本的な特
殊性を強調せず、それが「国境を越えて有効な、難しい
時代を生き抜くための方法」を示しており、海外の状況
にも広がっていくという,,



---------------------------------------------------




世界的な基準から見た時、特異な風景として存在する日常と
世界からの隔絶しきった日本人の内省的な感覚の醸成。。


この二つが大きな特徴のような気がいたしました。


そしてアートビジネス的に考えた場合、実はこの第一~
第三世代の作品や考え方が1995年から2005年まで現代美術
というアートマーケットを支えていたのものであることは
間違いではなく、そのバックボーンはそれまでの国内マー
ケットではなくグローバルマーケットに広がった事であっ
たと思います。




なぜグローバルマーケットに広がったか?

松井みどりがあるところで語ったものを取り上げると






---------------------------------------------------

1989年以降に出てきた日本のコンテンポラリーアートでは、
まず、間を空けずに、次々と才能を持ったアーティストが、
集団で、波のように出てくるようになったのです。また、
グローバリゼーションということもあり、そうした新傾向
の認知も早かったんですね。海外の人が日本にやってきて、
日本にも自国の芸術の新傾向と似たようなものがあること
を発見し、たまたまこの人たちは日本人だからこういう表
現をしているのかもしれないけれども、これは自分たち
の国のアーティストたちと同じ精神でやっているのではな
いかと認められるような状況が昔よりも出てきたんです。


---------------------------------------------------



と言うような事であるが、


私は単純に


江戸後期から明治期にあった日本各地の特産品の
輸出に近かったのじゃないか?と考えている。


有田、九谷、薩摩、ノリタケ、、、等々・・・


浮世絵は少し別の次元での海外の受け入れ方であった
と思うが、上記産品は


●日本にも自国の芸術の新傾向と似たよ
 うなものがあることを発見し、


と言う文脈に合致するような気がするのと同時に、
そういう現象の背景が鎖国という、対外的な環境
との隔絶状況が実は2005年の日本の現代美術
マーケットと合致していたように思うのである。


結局、リーマンショックまでの日本の現代美術
マーケットを支えていたものとは、、


●日常と世界からの隔絶した日本人の内省的な感覚の
 醸成。。


であり、そういう意味ではリーマンショック以降に
世界的な価値基準に適う作品がない、、というのが
現実的に現れた現象なのではないか?と私は思うの
である。


付け加えて言うならば


世界の緊迫した状況を理解した
現代美術がないという事かもしれない。



1990年から2005年までの間、自身で発展を
遂げたというような錯覚が蔓延していただけで、
実際には鎖国された国の珍しい産品を金に余裕
のある海外の富者たちが一時の投資として買って
いただけではないか?



そういった鎖国的な感覚の背景から輸出されたのが
マイクロポップの第二・第三世代の作品であり、この
時分の隆盛とは実は明治期の特産品の輸出と
類似するものであり、世界的なアートの文脈とは
かけ離れた現象でしかなかったと理解して差し支
えないと思う。



極論すれば



例えば村上隆というのはこの独特な内省的な
日本的感覚を背景に最大輸出した特産品であり、
2000年から2005年にかけて一番人気があった
日本産品だと判断できる。


しかし最大の問題は今どうであるか?



と言うことである。


このマイクロポップという理論を背景にして
世界的な市場で日本の”産品”はどうか?



リーマンショック以降の全体市場から見た
場合どうなのか?



国内は焼け跡に近いと言うのが嘘偽りの
ない現状ではないか?



経済金融で言えば少なからず海外資本が
引き上げた跡という状況と合致するような
気がするのは私だけであろうか?



ここでもっとも考察すべき点が私はあると思う。


それは2000年から2010年までの日本と
世界の関係と2010年今からの世情は何が
違うか?という点である。



正直2000年から昨年までを考えるよりも
今年に起こっている状況を徹底的に把握
した方が早いような気がします。


為替の状況、食料・資源及び国家の
安全保障における状況、これらがこれま
でこの国で語られはしてきたが、より現実的
な決断を矢継ぎ早に迫られてはいないだろうか?


そしてその決断はすなわち世界における日本
という立場に具体的に直結している。


そして今現在の中国との関係を考えても
分かるが、現実的な領土問題や安全保障
日米安保の具体的な姿や顔かたちが表われ
て来ています。



この世情は正直2000年から2009年までとは
まったく違った状況であり、それまでの内省的な
日本、その中の日常的思考がまったく許されない
状況であることは間違いないと判断できます。



これらから類推して言えることは、全て今までの
ものが破壊され新たな論理が必要となっている
と言うことではないか?と思うのである。


それは芸術とりわけ現代美術などはその感性が
時代との同化、同時代性を求められることを思えば
一番その感受性を高めなくてはならないような気が
します。


有り体に言えば、もうマイクロポップなどという論理は
通用しない、開かれた世界の中の一つという側面から
モノを訴え出なくてはならないというのが政治経済及び
社会とリンクした日本の芸術家達の差し迫った問題
のような気がします。


これは本質的な日本のアイデンティティーが試されて
いることであり、その論拠をアニメおたくなどという
概念で結論づけは出来ないという証左であると
私は思います。



世界的な基準から見た時、特異な風景として存在する日常と
世界からの隔絶しきった日本人の内省的な感覚の醸成。。



ここからマーケット形成は出来ないし、作家の創意も
ここを基準として考えてはいけないと言う結論だと思います。



物事は10年というサイクルで考えられます。



すべて体系化された時系列とはある意味10年周期
にて語られています。


1990年代


2000年代


そして今日は?と考えた場合


それは2010年代なのだと気付くべきであり、



もっと言えば、マイクロポップに代表されてきたもの
とは、2000年代であると言う事への結論を明確
に持つべきだと私は思う。



しかるに、奈良、村上というアーティストとは2000年代
を代表する作家であることは間違いないが、2010年代
の日本を代表するアーティストでありアートマーケットの
先進的なアイテムであるかというとそれは甚だ疑問なので
ある。



今、2010年代が始まったばかりではあるが



本来はこの2010年代を標榜する作家、作品、マーケット
が如何なるモノなのかという議論がもっと活発にあるべきで
あり、それは確実に世界を中心として考えられる人間社会
とリンクしているところでの論理性が求められると私は思
います。




それほど世情は激変していて



緊張が高まっていると思うのです・・・

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