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Think different.





夢は人前で

臆することなく

堂々と語るべきであると思う。

例え笑われようが

恥ずかしがることは何一つない。

誰も見たことない

自分すらもみたことないものに

誰が批判できようか。



私の今の夢は

①朝出勤すると、BAMI galleryの前に行列が出来ていること。

②このホームページをとてつもない数の人間が見にきてサーバーがパンクすること



みんな大笑いするが


私は真剣に夢見ている。。。






Think different.(apple)



クレージーな人たちがいる。


反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。


四角い穴に丸い杭を打ち込むように


物事をまるで違う目で見る人たち


彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。


彼らの言葉に心をうたれる人がいる。


反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。


しかし、彼らを無視することは、誰にも出来ない。


なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。


彼らは人間を前進させた。


彼らはクレージーと言われるが


私たちは彼らを天才だと思う。



自分が世界を変えられると


本気で信じる人たちこそが


本当に世界を変えているのだから...。




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旅がらす-3-Takamatsu 釜匠Debut



4月7日(火)香川県高松市。

釜匠君と合流。


今回の要件は、3月にプレゼンをした釜匠個展企画が本年12月に決定したため先方関係者へのご挨拶と個展を開催する画廊スペースを視察するためであった。

そのために画廊の切り替え日(飾り替え)を選び、個展の作品飾りつけを
見てもらうことにしたのでした。


釜君にとっては我がCOMBINE運営のBAMI galleryに次ぐ2度目の個展
となるのであるが、今回の企画は百貨店の美術画廊ということであり、同じ
個展を開催するにもそこには大きな違いが発生する。

そのため、挨拶も大事な要件ではあるのだが、今回の同行の主眼は“スケール”及び“百貨店美術におけるオペレーション”の教授にあった。



先ずスケールについてであるが、スケールには大きくは二つ意味があり,
一つは実際の物理的容積、もう一つは百貨店の美術という独特の商空間の空気を感じてもらいたかったのである。







当然現在の作品点数や内容、前回のBAMI galleryで行った構成では、この企画は成立しないため、新たな作品を12月までの約8か月で描きおろしてもらわなくてはならず、そのための必要点数、それら点数から見る側に与える画廊空間での構成、そして、それらを包括するテーマ・内容を新鮮に構築する必要があるため、具体的に現場を見てもらい考え感じてもらう必要性を私は強く感じたため今回同行してもらったのでした。


百貨店の美術画廊は路面の画廊やギャラリーのように“その向き”の客のためにだけに存在していない。不特定多数に向け、興味ある人間もそうでない人間とも向き合わなくてはならない空間である。これは路上で歌うパフォーマーと同様の雰囲気がある。


ましてや無名となればその空気は疑うことなく冷たい。売れるものこそが正義であり、いくら評判が良かったといっても売れなければ、何の記録にも記憶にも残りはしない。当然路面の画廊もギャラリーも商売としての結果から得るものは同じなのであるが、圧倒的に訴求する人的な量と不特定多数という状況が比較にならない。



またもう一つの要件である百貨店のオペレーションの教授と確認についてですが



現在、百貨店は流通業界市況においてダウントレンドを描くカテゴリーとしてニュースになることが多いのであるが、美術品を扱う流通業としては国内では現状においても最大手であることは間違いない。冷静に考えていただければ分かるのであるが、どれほどの地方の小さな百貨店においても美術画廊を構えているところで美術品販売の年商が一億円を下るところはそうはない。


大抵、億商を行っている。



これは瞬間風速的な実績ではなく、恒常的な商況である。それから考えれば
最小として月額一千万円以上、週単位になれば250万円以上の商いが恒常的に発生するのである。(あくまで最小の平均的単位として仮定してでであるが)なぜこのような商い状況があるか?


これは百貨店美術独特の高回転オペレーションが存在するということと、そのオペレーションが具体化するだけの機会を創出するということです。


年間50本近い企画を開催し、その都度相応の額面実績を恒常的に残す。
これは路面の画廊やギャラリーでは到底ありえないオペレーションが存在するのと同時に、それだけの顧客を抱えているということである。



現在、現代美術のギャラリーや作家などは百貨店美術を馬鹿にする向きもあるようだが、現実的な販売実績から比較すれば、とてもではないが比較対照に成りえない差が存在する。確かに“出し物”に少し時代的に過渡なる状況があることは、私も客観的に見て感じる部分はある。逆に言えば百貨店にあまり先鋭的冒険内容は必要ないし、それは現状として留保している恒常的売上を瑕疵しかねない状況を創出する可能性があるため、先鋭的な取り組みはあえて未踏としている。



まぁ有体に言えば、皆に認知がとれたもの需要の膨らみがMAXを迎えようとしているものを底引き網のように捕獲するほうが効率的であり、百貨店という公器的性格から考えればマイノリティー的嗜好に重心を移せないという部分もある。



また具体的にコストパフォーマンスを考えても実質的にまだそこまで先鋭的である現在の現代アートは成熟していない(商売・流通において)という判断にもなる。


だからといって百貨店美術は古臭い?という判断や先入観は大きな間違いである。商売のシステム及びマネジメントは実に精巧に完成されたものが存在し、それだけの仕組みを維持する販売精度とターゲット・マーケットを管理しているのは紛れもない事実であり、大きく作家を訴求するという意味においては、コレクターという狭小なアナウンス部分を大きく広く超えるポテンシャルを兼ね備えている。


これらのマネジメントを百貨店美術は複数人によりオペレーションしている。


それは明確に職務分掌し、販売に精通するスタッフ、企画を練るスタッフ、販売促進策を構築するスタッフ、そして百貨店と取引する作家作品を持ち込む業者、その業者の販売専門員等、様々な人間が動き、チームとして一つの個展を成功に導く。そこにはそれぞれの人件費から様々なコストが吸収できるような計画が算定され実行に移されるのである。


今回、釜君に見て欲しかったものもこの部分なのであった。


釜君という作家は、今はまだ無名である。若輩。そして百貨店の出し物からすれば少し奇態であることは間違いない。


それは何を意味するか?


“売りにくい”“冒険的”であるということだ。そこに百貨店側も我々も挑戦するということ、そこには自分以外のスタッフが有形無形でどれほど関わって個展が開催されるかという基本的なものを感じて欲しかったのです。


作家は絵を描くことが仕事です。しかしそれがお客様の手に渡るまでには相当の人間が関わり、金銭を使い、時間を使い、汗を流すかということを理解せずして、これを無視したところで作家の仕事が補完する事などは決して存在しない。


そういう意味で百貨店での仕事とは作品が売れていくフローが明確に見えるプロモーションだと感じるのです。


釜君も今回、その緊張感を理解してくれたようでした。
何度も何度も資料としてカメラ・ビデオで画廊空間を撮影し、何度も画廊の中を歩き、その大きさを計っていました。






そして彼の眼を見ると



星飛雄馬のごとく“炎”がメラメラと眼球に浮かんでいました!!




プロモーションには様々な形が存在する。どれが正しいのか私にも正直分からない。オークションや雑誌の広告、海外のアートフェアやそれ以外にも様々存在する。華やかものもあれば地味なものも存在するし、地域的な格差もあるだろう。

しかし私が出来ることは、やはりCOMBINEの作家とその個性を密に理解し、具体的に二人三脚で歩むということ以外ないのと、実際のお客様を一人一人作り出していくということしかない。


それには百貨店だけではもちろんダメであるし、我々のギャラリーだけでもダメである。いろんな事をしていかなくてはならないが、基本はどの環境においても一緒だと考えるのです。



作家を中心としたチーム。


作家はF1のパイロットであり、我々はピットクルーだと思うのです。


過酷なサーキットでのレースで“ハイパフォーマンス”を出してもらう、
この結果を導くために精魂込める、これが我々の真の仕事であり使命だと思います。



今はまだ弱小チームではありますが・・・
こんな我々を信頼して出走してくれる釜君!







我々は精一杯頑張らなくてはならない!



釜君の本年12月の出走

彼もドキドキだろうが、我々もドキドキである。




しかし、この緊張感がたまらなく好きだし


私は、やめられない。。

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旅がらす-2-Matsuyama まだ見ぬ大器
4月6日(月)愛媛県松山市へ

COMBINE特派員・青野さんの車を拝借、彼女も同乗し
一路松山市内へ。





当然運転は全行程、、私なのであるが…
特派員様は隣で大いにリラックスし、咲き誇る桜を満足げ
に眺めつつ、私めの運転に対し“乱暴運転”であるとか、ヘタクソとか
「貴方の運転は何か人を不安に落し入れる!」と散々文句を言い放ちつつ
愛媛出身である彼女は長時間に渡り文句の合間に“愛媛自慢”を朗々と
唸っておられました…・


正直、松山に着いたところで“ぼっちゃん列車”が元気よく汽笛をならし
力強く走り出す風景を眺めながら、、その前向きな光景と反比例するがごとく

私の“電池”は完全に切れかけていました…・


はぁ~。。。







まぁ、、それはさておき、、


今回、松山へ行く目的は、ある作家に会いに行く事であった。
以前、COMBINE参加のアーティスト、早崎雅巳さんから
紹介され、7月に行なう企画の打ち合わせにいったのでした。。



その名も Blue Bear Art Project !!!



作家に会いに行くのに、、この名前、、プロジェクト??ってと
なるが、実はこれが作家名である。。そうTMレボリューション
がバンドの名前のようで実は一人みたいな。。。。


彼のアートワークスは“インスタレーション”。
現在36歳、松山在住、みかん農家で働きながら芸術活動をしている。

そう平生はみかん農家で働いており、朝から晩までみかん畑で
一人モクモクと作業に勤しんでいるのであった。。







「みかん畑で仕事してると、何日も人と全然話さないこととか結構ない??」


「えぇ、あります、3週間くらい人と話さないことありますよ…」


「………・・」


「その、みかん農園ってさ、実家?」


「いや違います。。老夫婦が経営してます。そこにアルバイトという
かたちでお世話になってます。」


「へぇ、老夫婦、、じゃ息子みたいなもんかぁ!」


「いや、そういう感じじゃないですけど、ただおじいさんが体調壊されて
入院されたんですよ、それでおばあさんが介護につきっきりで…」


「えっ?じゃなに??君一人で農園してるの??」


「えぇ、、そうなんですよ、ほぼ一人で。。。しかも、今、みかんの値段が暴落してて伊予柑なんかだけでは駄目で、デコポンとかも作ってて、、でもこれがまた手間がかかる代物でして、結局今年の1月から3月までで休んだのは元旦とあと数日ですぅ。。おじいさんの復帰は絶望的ですし、おばあさんもおじいさんの介護で忙しくて・・なんと言うのか、、私どうも“抜き差しなら無い”状況に今あるようです。。。」


「そっ、そうか、、君がもし無邪気に“辞めますわ!”なんて言ったら…」

「そうなんですよ、とんでもない事態というか、、パニックが巻き起こります。。」



うーん…・・冷静に聞けば滑稽なのだが…、、笑えない。。



ある意味、現代日本が背負っている社会問題、高齢社会
を体感している“すごいアーティスト”である。。。。。。






と、いうようなBlue Bear Art Project 君なのだが、彼は愛媛大学教育学部を卒業後、先の話にあるようにみかん農家で働きつつ、コツコツと地元でインスタレーション作品を発表、そして現在に至っている。

今ここで彼の作品はまだ紹介できないのですが

彼の作品の特徴は、作り手と見る人とが一体となり、体感できるインスタレーションであり、芸術とかという鋳型から鋳造されたものではなく、本当に楽しいものです。

彼のインスタレーション作品のコンセプト文章の中で一際目に付いた言葉がありました。



“大人は「見て、考えて」世界を理解する”
“子供は「触れて、感じて」世界を理解する”



今回彼に依頼したのは彼の過去作品の中にあった“ココロのかたち”というテーマを取り扱ったものでした。ただ過去の作品の焼き直しではなく、新たなコンセプトでCOMBINEプロジェクトとして敢行していける内容に新構築を依頼いたしました。


7月には皆様にお披露目できると思いますので、ご期待ください。




ところで

帰路の特派員様のご様子ですが…




フッと横目で見るとグゥ~と寝ておられたようですが、
私が除き見るその気配に対し、敏感な野生の勘で気付くと



“カッ”と目を開き!


「よそ見をしない!」



と、お叱りを受けました。。。。


トホホ…

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旅がらす-1-kurashiki





4月5日(日)

商用で岡山県倉敷市に行く。




2年ぶりである。

11時に待ち合わせ、14時打ち合わせが終了、その後特に予定はなかったのだが、久しぶりに大原美術館へ行こうと一人テクテクと倉敷美観地区へ


美観地区へ入ると桜の季節もあり大勢の観光客・・・・

当然であるがスーツにネクタイなどという”いでたち”は

我のみ・・・・


。。。。。。。。。



しかし、桜満開!実に気持ちが良い!




大原美術館




今回もともと商談終了後には訪れたいという気持ちがあった。

この美術館は

倉敷の実業家大原孫三郎(1880年–1943年)が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎(1881年–1929年)に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館した。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものであり、第二次大戦後、日本にも西洋近代美術を主体とした美術館が数多く誕生したが、日本に美術館というもの自体が数えるほどしか存在しなかった昭和初期、一地方都市にすぎなかった倉敷にこのような美術館が開館したのは画期的なことであり、ニューヨーク近代美術館の開館が1929年であったことを考えれば、創設者大原孫三郎の先見性は特筆すべき・・・・


と言うのが一般的であり、誰も疑うことのない大原美術館の説明となろう。


しかし、、私にとってこの美術館の特筆すべき点とは、その歴史的なものもさるこながら、現代美術の館臓品の秀逸さが群を抜いているという点を強く推したい!


特に1950年代から1980年代にかけての日本の現代美術史にとって欠かすことのできないないアーティストの作品、及びそれら作家の現代美術史におけるエポックメーキングな作品の数々には瞠目する。


数年前、大原美術館も見とかないとな・・・っていう程度で訪れ、一般によく知られたエルグレコや民芸運動の作品群(棟方等)を見てへぇーっと当たり前に関心していたのであるが、ある空間に入った途端・・・・心臓がとまるほどの驚きを覚えた・・・・・・・


河原温 斎藤義重 荒川修作 吉原治良 季禹煥・・・・



なっ、、なんと。。。


河原温 黒人兵 1955年 油彩,画布 164×201


などは私が20歳頃、雑誌の小さなカットで何度も
何度も見つめていた作品ではないか・・



これほどの作家と作品を、、と息を飲んだ。。



そう今でこそ現代美術マーケットやオークションなどをにぎわす作家たちであり、ともすれば銘柄としてすこし時代を踏んだものになりつつあるが、高い人気で許容されている。

しかし、当時大半が見向きもしないこれらの作品を体系的にしかも密に収集してきたという事実、この冒険心、その当時(70年代前後)のこれら作家の国内での評価と”美術館として見せる”ということを前提として考えた場合の当時の入館者の反応は想像に難しくない・・・またビジネス的に考えてもこれらのコレクションを当時の日本の、しかも私立美術館が行うというのは、、二の足どころか・・・


それをよくここまでと驚愕した。。



何度も言うが今なら当たり前として考えられるし、許容もできる
しかし、ほんの数年前の現代美術の取り扱われ方を知る者からして
ましてやその何年も前のこととして考えた場合、、、





・・・・・・・・・・・・・・




今、国内有数の美術館として存在する大原美術館。
しかし、開館当初は一日の来館者ゼロという日もあったほど注目度は低かったらしい・・





創設者大原孫三郎の先見性とは、過去の事績だけのことではなく、死して尚そのスピリットが後進に何年にもわたり受け継がれていること、そこに信念の最大が存在すると改めて考えさせられた。。。













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