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カロンズネット
COMBINE運営のBAMIgalleryが


カロンズネットさんに取り扱っていただくことに
なりました。


かなり以前にカロンズネットさんという存在をしり
早速メールにて取り扱って欲しいと伝えたのでしたが


採用は審査の上という事で、しかも取材をいたします・・
という事であった。









先月一度来ていただき

先日再度来ていただいた。

そして今回掲載していただくこととなりました。


カロンズネットの平田さん再三に渡りお越しいただき
誠にありがとうございました。


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Kalonsnetの掲げる目標は次の通りです。

若手の評論家たちによる活発な議論が、アーティストや市場、
教育など、業界全域との切磋琢磨を促し、どのような経済状
況、社会状況でも、日本アートが自らの進化を止めることが
ない環境の、磐石な土台を築くことです。

日々同時代に進行している現代アートを長い美術史の延長で
解釈し、歴史化していくことで、国内の現代アートの生産が
決して垂れ流し、あるいは一時の消費物ではなく、体系的か
つ学術的に編纂されていくことです。

Kalonsnetの評論がワールドワイドの論壇で取り上げられ、
日本が自国アートを自ら評し、歴史化できる地位を確立する
ことです。

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我々のBAMIgalleryはこのように取り上げられております!






では早速皆さん覗いてください!
名だたる美術館・ギャラリーが勢ぞろいです!

↓ ↓ ↓ ↓ ↓



▲TOP
ダフ屋
ダフ屋というのがいて、ダフ行為というのがあるが


我々日本人がこの手の人間や行為を目撃するのは


人気芸能人のコンサート会場や野球場、その他そういった


施設なのであるが、今回上海アートフェアに行って感心したのは


アートフェア会場、チケット売場周辺に20人近いダフ屋集団が


毎日いたことである。。。。


絵画のフェアでダフ屋が???ちょっと日本ではあり得ない
光景だ・・


私はアートフェア開催中、たばこを吸うために会場入り口の灰皿
コーナーへ頻繁に行っていたのであるが、そこで毎日彼らの行動
を眺めていた。。


最初は何気なく眺めていたのであるが、そのうち彼らの行動が
おかしく且つ興味深く感じるようになり、最後の方はかなりの
時間彼らの行動を見つめている自分に気づいた!




中国でダフ行為というのは法的にどのように取り扱われている
が知らないが、日本では違法行為であり原則大ぴらには行われ
ていない筈である・・しかし、このアートフェア会場前のダフ屋
たちは大ぴらどころか、チケット売場に並ぶ客にダイレクトに声
をかけ、なかば強引に腕をひっぱり販売行為をしかけている
のであった。。。しかも、その周辺には警備員が複数人うろうろ
しているのだが、警備員も見て見ぬふり、チケット売場の女性も
自然な光景として眺めている様子。。







この売り方なのであるが、そこら中で声をかけまくり手当たり
次第に販売を仕掛けていく、もっとも多いのはチケット売場に向
かう客に声をかける場合なのだが、すでにチケットを買おうと
窓口で並んでいる人間・・・当然この人たちに“安いよぉ!”と
声をかけるのが一番効率的ではあるのだが・・・







面白いのは声をかけるだけではなく、ちょっとでもダフ券に色気
を見せた客には間髪入れず会場入り口まで連れて行き、チケット
をその客に渡すのである・・・



その瞬間を私は見ていたのであるが・・・「あれっ?金は??」



と疑問に感じたのであるが・・つづけてダフ屋の行為の一連を眺め
ているとそのチケットを渡された客が入り口の警備員にチケットを
見せてなんなくゲートをくぐり抜ける・・・・






うん??



そうこうしているとそのお客が出口のゲートまで来て、そこで待ち
かまえていたダフ屋に金を渡したのであった!!



あぁ!そういうことか!



要するにこのチケットは偽物ではないという証明のため、一旦客に
ゲートをくぐらせそののち安心した客からお金をもらうというシス
テムなのであった・・・


へぇ~・・・と感心した・・良心的といえば良心的。。。


しかし、中にはゲートの警備員、客、ダフ屋と3人で



「ほら!大丈夫でしょ!」見たいな場面もあり、それをくまなく見
ていた私はおかしくてしょうがなかったのでした。。。



因みに彼らのダフ券の販売価格なのですが、通常のチケット代
は50元、日本円で約750円なのですが、私が彼らの金銭の
やりとりを凝視して分かったのは100元渡して20元2枚とその
他の紙幣を1~2枚・・・となると、あとの1~2枚が10元だった
とした場合、正規の値段より安いわけであるから40元、2枚とも
20元だった場合だと20元、、だがそこまでは安くはないから、
たぶん30元~40元位の販売価格だったような気がしました。。。。


しかし、もっと感心したのは炎天下の中、、開場前から入り口に
陣取り、閉場まで休むことなく声をかけ続けている“勤労意欲と勤勉さ”・・・


日本人はまじめで勤勉という印象が海外では強いが、何を何を!
中国のダフ屋のこの勤労意欲たるや・・・


これにはほとほと感心しきりであったのと同時に、、、中には、
会場の中に入り、作品たちをリサーチしているダフ屋まで・・・
おそらくこれはセールストークに役立てるのだろうか?


いずれにしても熱心であった。。。
そして逞しく生きている人たちなのだなぁ!と・・



改めて感じたのだが


中国は、政治は共産主義、経済は資本主義・・・


しかし、この中国社会の底辺で行われている非合法の経済活動
のどん欲さを見るに付け、、日本のような成熟した資本主義、、


いやぁ


ある種の国家社会主義経済のような雰囲気からすれば・・


資本主義の根幹が蠢いているような中国の現在のエネルギーは


驚異であり脅威であった・・・


私などはこのダフ屋達の行為・・・


いけない行為ではあるのだろうが、、


なにか、、


シンプルな原始資本主義の猛烈なエネルギーを感じるような・・・


彼らダフ屋の行為に、、、なんとなくエネルギーチャージし
てもらったような気がしたのでした!!



「要は売る、これしかないんとちゃうんかいな? にいちゃん!!」




みたいな。。。。

▲TOP
上海アートフェア報告 2
さて、前回はアートフェアに臨む商売的状況を書き
ましたが、、

今回は会場内に所狭しと中国の画廊を中心に展開
されていいた作品たちについて少し触れたいと思います。
予めお断りしておきますが、これはあくまで私個人の
主観であり、独断色が極めて強い内容であることをご
了承ください。

結論から述べれば、残念ながら数多の作品を見ましたが、
どれ一つとっても感心するものはありませんでした。

確かに大きさや、筆致の激しさ、色等、独特の個性を確認
することは出来ましたが、一点一点の内容を見たとき、
いわゆる芸術というレベルにおいて誠優れたものは皆無に
等しかったように感じました。ごく僅か良いなぁ!という
ものはありましたが、しかしながら自分の中にあるゾーン
に放り込めばそれもあまり斬新かつ衝撃的といえるもので
はなく、ただ凡庸なものにしか感じられなかったのでした。

これまで香港で開催されているクリスティーズにおいて
中国のコンテンポラリー作家や、最近日本の美術館でも
展覧された“アバンギャルド・チャイナ”など中国の先
鋭的なアーティストの作品を見てきただけに、会場内の
作品たちには正直がっかりさせられました。

しかしながらよくよく考えれば、ここ最近見てきた中国
人アーティストをもって全体が優れているという判断は
軽率であり、しかも改めて彼らの作品に共通するテーマ
性を考えれば、個人と国家、資本主義と社会主義のシン
クロする社会様相の中における人間性の喪失・没我・唯
物史観に主体性無く変貌する状況に対するアンチテーゼ
と、所謂アーティスト個人の内面性を掘り下げたような
ものや普遍的な美意識に根ざしたもの、また国家を超え
た所に存在する人間創造に対する観念性などというもの
では無かったのではないかと気づくと同時に、それ以外
は?という疑問にも直面する。。

今存在する中国の現代表現とは・・
中国の人が表し中国以外の人が感じるオリジナリティー
溢れる世界観ではなく、自分たちを取り巻く政治経済社
会の風景をシニカルに表現しているというのが大半のよ
うな気がするのである。(まぁ中国に存在する混沌とした
混乱や矛盾を表しているから独創的と言えなくもないが
・・・・・・・)

それらが現在の中国トップ・プレーヤーたちの大半のコ
ンセプトであり、ある意味極端かもしれないがそれ以外
の多様な表現はほとんど存在しないような気がしたの
であった。

極論かもしれないが、上記コンセプト以外でオリジナリ
ティー溢れるこの国の現代における表現はまだほとんど
存在せず、不遜かもしれないが、まだまだ芸術表現とい
意味においては後進国であることは間違いない。日本に
高密度で堆積されてきた芸術的思考からすれば、まだま
だ層は薄いと断じざるを得ない。

。。。。。。。。。。。。。。。


私は常々このコンバインに関わる人たちに言って
いるのであるが、コンバインは現代美術という
言葉の装置を取り扱っているわけではない。


現代を映す優れた芸術表現を取り扱っているのであると・・
これはなにを意味しているのかと言えば、中国のアーテ
ィストに未だ脆弱な部分があるとするならば、この表現
という部分ではないか?と思うのである。


表現という言葉は


表・・・・あらわし(表面)
現・・・・あらわす(現身)



社会状況をシニカルに捉えるのはあくまで表面的な
活写に過ぎずその次の段階である表したものを見る
人たちが感じ、その人たちの目に見えない部分の
“現れる”という感情・情緒を引き出そうとする部
分が著しく脆弱なのではないか?と私は感じたので
ある。

社会状況を分かりやすく可視化するこれだけでは表現
には当たらない。現すという部分に独特のオリジナル
な世界、そのアーティストだけしか有しえない世界観
が必要なのだ。それからすれば絵は違えど訴えるもの
が類似、類推されるというのは・・・我々からすれば
ただのジオラマを同じように説明的に見せられている
ようなものであり、当然そこに感動や感心は沸き立た
ない。数人のトッププレイヤーで完結という事である。
現代中国の世界的アーティストの銘柄を上げれば、
作家の数の割に・・・ある程度簡単に把握できる状況
がそれを物語っているような気がするのである。

これは何も中国の人だけではないかもしれない。
未だ絵画の技術論や既成の美術史観からくる知識を披
瀝することが芸術論のように捉えている日本国内の輩
にも共通する事である。

しかしながら逆説的かつ冷静に判断すれば

うかうか根拠無く優越感に浸ってばかりおれない状況
も見てとれる。。

冷静に考えれば、民主化を叫び、挫折した天安門事件
から僅か20年。だから当然現代表現の多様性には時間的
限界があるという見方もある。


では今後を考えればどうなのだろうか?
相当な勢いで単一的なコンセプトで短時間で世界を席巻
できるパワーは侮れるものではない。そしてその進化
スピードも我々の経験した10年とは比べものにならな
いというのも明白である・・・


その時、日本人の表現の優位性とは一体なにになるの
だろうか?勝ち負けがあるわけではないが、各国の
オリジナリティーは今以上に重要視されるはずであり、
その中でとりわけ“日本”??となった
場合・・・・なにを軸として訴えるのであろうか?




また表面的な“アニメ”?と、、なるのだろうか???


もう”お絵かき”は無しにしたいものである。。



我々ももう少し骨太の表現及び藝術理論のコンテクスト
が必要であり、、、


もっと競争に勝つことを視野に入れる必要があるような
気がしてならない・・・・


いずれにしても東アジアマーケットは今後、今以上の
濃い内容で展開していくことは明白であろう。。。。

▲TOP
上海アートフェア報告 1

















上海アートフェアが終わりました。


このアートフェアを無事に終えることができたのも、様々な
方々のご尽力あってこそ、この場をお借りして御礼申し上げ
ます。


誠にありがとうございました。


帰国したのは今週の月曜日深夜、それから残務等バタバタ
しておりこのブログでの報告が遅くなってしまいました。

遅ればせながら少しアートフェアについて書きたいと思い
ます。

結果を奢ることなく語らせていただけるならば、まずまず
だったのではないかと思います。そして出展して良かったと
素直に言える状況を得られたと思います。しかし当然ながら
足りない、力不足が否めない点、また様々に協力をいただいて
こそ成り立っている部分など、今後において膨大な課題が
あることもまた事実であり、これらの部分を一つ一つ謙虚に
捉え努力を重ねていきたいと素直に思った次第であります。

さて、、

出立前にこのブログにおいて書き記した
“なにをもって成功とするか?”
実にこの事が終始大事な柱であったことを今改めて感じて
おります。

アートフェアというものには様々な可能性の意味が含まれて
います。当然、参加するそれぞれがその可能性をどのように
活用するかによるのですが、その中で我々が参加する意義と
は何か?これを具体化することこそが、一番大きな意味を持
っていたような気がいたしました。

過去参加した方々、それについて報じたマスコミ、そしてそ
れに付随する風聞。様々な実感を得ない情報が錯綜する中で、
なにを見極めるのかこれはやはり実際に参加し行動しないと
分からないものが如何に多いか今回改めて感じました。

正直、今回参加して分かったことは、従来の美術品販売とい
う世の中の狭小な範疇からだけで物事を見ていたのでは
“なにも見えない”“木を見て森を見ず”という例えのごと
き状況しか捉えられないという事でした。

当然参加するには経費がかかり、出来れば最低限そのコスト
を吸収するだけの即売効果を得たいのは当たり前なのですが、
しかしそこを軸にものごとを考えた場合、それで得られるも
のとは一体なんなのか?

逆によく売れた!という即売状況があったとして、これが
アートフェア参加において最大の意義を発揮したというこ
とになるのだろうか?

当然よく売れたということは最大限のインパクトを与えら
れたことにも通じ、決して悲観するべき内容でないことは
事実なのであるが、しかし再度同じ事が生まれる根拠が
あったのかどうか?そこを得なければ逆に悲観的状況と言
えなくもない。

当然翌年同じ状況が高い確率で発生するなどとは断
言は出来ないのだから。(それが綯い交ぜ状況がバブルじ
ゃないか?とも思う・・・・)それから考えればやはり
“継続性”という事が大事であり,それを如何に掴むかが
重要なことだと思ったのでした。言ってしまえば簡単
であり、だれもが連想にそう難しくない事象なのであるが、
これが見ず知らずの国で・・・そしてアートフェアという
僅かな時間の制限の中でとなると容易ならざる事情である
ことは間違いない。が故に、アートフェアをどう活用する
かとは偉そうに大言いたしましたが、実のところ相当な壁
として今回認識できたのでした。

売るという行為の本質は中国であろうが日本であろうが
変わることではない。


ではなぜわざわざ高いコストをかけて他国にまで赴く
必要性があるのか?そこには単純にかの国の発展に依存し、
その状況から得る商売の欲望が存在するからでは無いのだ
ろうか?

その欲望とは果たして一体なんなのか?それがビジネス
としての妥当性、継続性を持っているのであろうか?
はたまた発展を望む公益性に適うのであろうか?

これが中国に出て行く上では非常に大事だなと感じたの
と同時に、ある意味受容する側とのコミュニケーション
を考えた場合、出来る限り明確であることが望ましいと
も考えられました。

しかしながら当然急速に発展する状況から生まれる妙味
は自国民(中国人)がまず享受する。それは美術であろ
うがその他の商売であろうが同じである。

そう考えた場合その間隙をつく、もしくは圧倒的な資本
と内容をもって交流するような状況がなければ商売的な
思惑など貫徹できはしない。

それらの誰もが想像できうる状況を知った上で、わざわ
ざ赴く戦略性とはいかなるもので、勝算がどこに存在す
るのか?この次元で物事を見なければ、、、、、、、

“ただの出稼ぎ”でしかなくなる。

しかしこの出稼ぎ、出稼ぎと言えどそれほど甘いもので
はない。バブルだった、そうでなかったという事で結論
づけられるものでもないと思う。

アートフェアの会場、その会場で発生するマーケット性
が中国の美術品(あえて書くが、ここ数年加熱した現代
美術市場)のマーケットなのだろうか?

会場を一歩でれば昼夜を問わずそこかしこで工事の音が
鳴り響き、街が毎日増殖していくような発展の経過・・・
これとアートフェアの会場をどのようにリンクし見るのか?
それが大事なのではないかと思うのである。アートフェア
は極小なコスモスでしかない。しかしそれを取り囲むこの
国というコスモスは異常なスピードと拡大性をもって律動
している。だからあえて言いたいが、美術誌などが報じて
いる内容が如何に稚拙な状況説明で、相対感を著しく欠如
しているか身をもって知ることが出来たのでした。

当然、アートフェア参加の全社が潤うなどという状況は
存在しないし、来場客数にも比例などしない。それはこ
れから先ずっと同じ状況であることは間違いないでしょう。


しかし現実には、中国の発展を体現している多様なジャンル
の人間が会場に足を運んでおり、その人間たちが考える
アートに対する嗜好性というものが確実に存在し、そして
それを取引したいという要望の条件も存在する。それを的確
に把握出来るか否かがアートフェアの大きな意味に変化し
ていってるのではないか?そして仮に某かの兆しを掴むこと
ができれば、それを時間かけてコツコツと形作る決意が必要
なのではないか?と思った次第です。

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上海へ
ただいまより出発いたします。


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