September 19,2009


上海アートフェアが終わりました。
このアートフェアを無事に終えることができたのも、様々な
方々のご尽力あってこそ、この場をお借りして御礼申し上げ
ます。
誠にありがとうございました。
帰国したのは今週の月曜日深夜、それから残務等バタバタ
しておりこのブログでの報告が遅くなってしまいました。
遅ればせながら少しアートフェアについて書きたいと思い
ます。
結果を奢ることなく語らせていただけるならば、まずまず
だったのではないかと思います。そして出展して良かったと
素直に言える状況を得られたと思います。しかし当然ながら
足りない、力不足が否めない点、また様々に協力をいただいて
こそ成り立っている部分など、今後において膨大な課題が
あることもまた事実であり、これらの部分を一つ一つ謙虚に
捉え努力を重ねていきたいと素直に思った次第であります。
さて、、
出立前にこのブログにおいて書き記した
“なにをもって成功とするか?”
実にこの事が終始大事な柱であったことを今改めて感じて
おります。
アートフェアというものには様々な可能性の意味が含まれて
います。当然、参加するそれぞれがその可能性をどのように
活用するかによるのですが、その中で我々が参加する意義と
は何か?これを具体化することこそが、一番大きな意味を持
っていたような気がいたしました。
過去参加した方々、それについて報じたマスコミ、そしてそ
れに付随する風聞。様々な実感を得ない情報が錯綜する中で、
なにを見極めるのかこれはやはり実際に参加し行動しないと
分からないものが如何に多いか今回改めて感じました。
正直、今回参加して分かったことは、従来の美術品販売とい
う世の中の狭小な範疇からだけで物事を見ていたのでは
“なにも見えない”“木を見て森を見ず”という例えのごと
き状況しか捉えられないという事でした。
当然参加するには経費がかかり、出来れば最低限そのコスト
を吸収するだけの即売効果を得たいのは当たり前なのですが、
しかしそこを軸にものごとを考えた場合、それで得られるも
のとは一体なんなのか?
逆によく売れた!という即売状況があったとして、これが
アートフェア参加において最大の意義を発揮したというこ
とになるのだろうか?
当然よく売れたということは最大限のインパクトを与えら
れたことにも通じ、決して悲観するべき内容でないことは
事実なのであるが、しかし再度同じ事が生まれる根拠が
あったのかどうか?そこを得なければ逆に悲観的状況と言
えなくもない。
当然翌年同じ状況が高い確率で発生するなどとは断
言は出来ないのだから。(それが綯い交ぜ状況がバブルじ
ゃないか?とも思う・・・・)それから考えればやはり
“継続性”という事が大事であり,それを如何に掴むかが
重要なことだと思ったのでした。言ってしまえば簡単
であり、だれもが連想にそう難しくない事象なのであるが、
これが見ず知らずの国で・・・そしてアートフェアという
僅かな時間の制限の中でとなると容易ならざる事情である
ことは間違いない。が故に、アートフェアをどう活用する
かとは偉そうに大言いたしましたが、実のところ相当な壁
として今回認識できたのでした。
売るという行為の本質は中国であろうが日本であろうが
変わることではない。
ではなぜわざわざ高いコストをかけて他国にまで赴く
必要性があるのか?そこには単純にかの国の発展に依存し、
その状況から得る商売の欲望が存在するからでは無いのだ
ろうか?
その欲望とは果たして一体なんなのか?それがビジネス
としての妥当性、継続性を持っているのであろうか?
はたまた発展を望む公益性に適うのであろうか?
これが中国に出て行く上では非常に大事だなと感じたの
と同時に、ある意味受容する側とのコミュニケーション
を考えた場合、出来る限り明確であることが望ましいと
も考えられました。
しかしながら当然急速に発展する状況から生まれる妙味
は自国民(中国人)がまず享受する。それは美術であろ
うがその他の商売であろうが同じである。
そう考えた場合その間隙をつく、もしくは圧倒的な資本
と内容をもって交流するような状況がなければ商売的な
思惑など貫徹できはしない。
それらの誰もが想像できうる状況を知った上で、わざわ
ざ赴く戦略性とはいかなるもので、勝算がどこに存在す
るのか?この次元で物事を見なければ、、、、、、、
“ただの出稼ぎ”でしかなくなる。
しかしこの出稼ぎ、出稼ぎと言えどそれほど甘いもので
はない。バブルだった、そうでなかったという事で結論
づけられるものでもないと思う。
アートフェアの会場、その会場で発生するマーケット性
が中国の美術品(あえて書くが、ここ数年加熱した現代
美術市場)のマーケットなのだろうか?
会場を一歩でれば昼夜を問わずそこかしこで工事の音が
鳴り響き、街が毎日増殖していくような発展の経過・・・
これとアートフェアの会場をどのようにリンクし見るのか?
それが大事なのではないかと思うのである。アートフェア
は極小なコスモスでしかない。しかしそれを取り囲むこの
国というコスモスは異常なスピードと拡大性をもって律動
している。だからあえて言いたいが、美術誌などが報じて
いる内容が如何に稚拙な状況説明で、相対感を著しく欠如
しているか身をもって知ることが出来たのでした。
当然、アートフェア参加の全社が潤うなどという状況は
存在しないし、来場客数にも比例などしない。それはこ
れから先ずっと同じ状況であることは間違いないでしょう。
しかし現実には、中国の発展を体現している多様なジャンル
の人間が会場に足を運んでおり、その人間たちが考える
アートに対する嗜好性というものが確実に存在し、そして
それを取引したいという要望の条件も存在する。それを的確
に把握出来るか否かがアートフェアの大きな意味に変化し
ていってるのではないか?そして仮に某かの兆しを掴むこと
ができれば、それを時間かけてコツコツと形作る決意が必要
なのではないか?と思った次第です。
