RECENT POSTS
九龍城砦
九龍城砦というものをご存知だろうか?

九龍城砦(クーロンじょうさい)とは、

現在の香港・九龍の九龍城地区に、

建てられていた高密度に立てられた高層ビル群からなる
巨大なスラム街のことである。

現在では一部を残し解体されてしまっている。
九龍城と呼ばれることも多い。

正式名称は『九龍寨城』と言い、
これは1994年に当時のイギリス・香港政庁が行った
構造物解体時に廃棄物の中から発見された
石製の大きな表札から判明した。

そう、元はその名のとおり、砦だったのだ。

その起源は宋の時代にまで遡り、
その当時付近で産出される塩や香木及び
それらを輸出する際の積出港を海賊や
諸外国の攻撃から守るために作られた砦であったのである。

これを証明するように解体時に
砦時代の大砲の砲身なども見つかっている。
現在では貴重な文化財として
九龍寨城公園内の資料館に保管されている。

九龍城砦は一目見てもわかるとおり特異な建築物である。

日本でもよく見られる集合団地が
隣のビルと隙間を空けずにびっしりと建てられている。
下手をすると隣のビルと壁を共有しているものまでもある。

その外観は美しい建築物とはお世辞にもいえないのだが、
その廃墟のような姿に魅力を感じてしまう人も多いようだ。

かくいう私もその一人である。
また、その特殊な構造物を研究している人も多い。





さて、そんな九龍城砦なのだが、
世間一般ではあまりよく思われていなかったらしい。

いわく、麻薬や賭博、
人身売買がはびこる悪の巣窟であるとか、
無法地帯であるとか。

たしかに、1950年代から60年代にかけて
そのようなことがあったのは事実らしい。

実際、九龍城砦は無法地帯であった。

先ほども書いたが、
かつては本物の城砦があり、
清朝の役人や兵隊が駐屯していた。

1899年にこの一帯が中国から英国へ租借された時、
九龍城砦だけはいわば飛び地の中の飛び地のような存在として、

香港の中にあってここだけが中国領として残されたのである。

だから香港=英国の法律はここには及ばず、
香港警察も内部に立ち入ることができなかった。

一方で、まわりを英国軍に囲まれた清朝の兵隊は
ほどなくここから逃げ出してしまい、

国民党政権も戦後の共産党政権も九龍城砦に役人を派遣せず、
中国の法律も及ばなかったため、

どこの国の法律も適用されない

「無法地帯」

となったのである。

そして、戦後、
大陸からの難民が香港へ殺到すると、
城砦内の建物も次々と高層ビルに建て替えられ、
多くの人によく知られる高密度高層スラムへと変貌をとげたのである。




上記で見たように九龍城砦は無法地帯であった。
このことと建物の構造は非常に関係がある。

なぜなら、建築法がないため、
ここの住民たちは好き勝手にこの建物を改築、
増築、建て増しすることができたからだ。

その結果として、超過密な構造物が出来あがった。

日照権を無視するかのように、
昼間なのにまったく日が差さないところや、

日の差さない部屋、
窓のない部屋というのは当たり前であったし、

電気や上下水道なども整備されていなかったため
住民たちはあちらこちらから水道や電気を引いてきていて、
それらのパイプ類は隠されることもなく
建物内の廊下の天井を伝っている。

建物と建物の間に隙間がないので、
水道管や下水管、電線や電話線、
テレビの共同ケーブルはこうやって配線するしかないようだ。

もちろん正しく機能しているものばかりではなく、
水や汚水が漏れて通行不能になっていたところもあったようである。

また九龍城砦の近くには空港があり、
その一帯の建物は最大五階までという
高さ規制を受けていたのだが、
無法地帯である九龍城砦の住民がその法律を守るわけもなく
最大で十五階層からなる巨大建築郡となってしまった。

その天井にはテレビのアンテナが所狭しと並べられており、
またその構造上きわめて隣接しているため、
構造物から構造物へと移動する通路としても利用されたようだ。

こんなあまり住むのに快適とは思われない九龍城砦だが、
多くの人が住んでいた。

最大時には約3ヘクタールの敷地に
5万人もの人が住んでいたといわれている。

1平方キロメートルあたりの人口密度に直せば
約160万人で、

畳1枚分の土地に
5人が暮らすという超過密エリアだった。

また、ここに住む住人たちの結束は強かった。
警察が介入できないため
自分たちで自警団を作り治安を守っていた。

住民の話によると
黒社会の連中も住民には悪さをしなかったらしい。
世間で思われていたよりは治安は良かったようだ。

これまで見てきたことから考えるに、

九龍城砦はそこに住む住民たちが
自らの手で自分たちの住みよいように
構造物を変化させていった結果できあがった構造物であり、

法が及ばないことによって、
(それによって生じる不自由や不便はあるものの)
独自の形態を持つにいたったのだと考えられる。

それは人間の本来持っている
原始的な欲求や欲望を感じさせる。

使っている素材や方法は違うものの、
自分たちの手で居住君間を作り、
住みよい形に変貌させていこうとするさまは、
そこで生活していこうとする
人間たちの本能的な欲求が建物全体
からにじみ出ているような気さえする。

この無法状態という
現在の世界情勢では考えられない特殊状況下における
人間が作った建造物として非常に価値がある建造物である。

現在、実際にこの目で見ることがかなわないのが残念である。

▲TOP