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グローバルとローカル
ここ最近の流れとしてアートに限らず
世界的に地域固有の文化の独自性を
押し出す傾向があります。

たとえば、日本では日本文化の固有性を
押し出すことで世界に日本の存在を
アピールしています。

このような傾向が強まってきた背景には、
もちろん国際化(グローバリズム)があるといえます。
これは極端な言い方をすれば、
地域間の格差や差異を失くし、
均質化することだと考えられます。

わかりやすい例で言えば、
世界中どこにでもあるマクドナルドや、
コカコーラなどがあります。

もしかしたらトヨタなどの
日本車もそうかもしれません。

つまり、どこに行っても同じような機能を持った
都市が広がる風景になるということではないでしょうか。

機能的に見れば、便利、快適であること
この上ないですが、旅する喜びは無くなりそうですね。

そういう流れに対する、
反動として地域固有の文化の重要性を主張する動きが生まれ、
それが最近の愛国心(ナショナリズム)を強調するような
流れにつながっているのではないかと思います。

たしかに、どこへ行っても同じような風景、
文化が広がっていくことに関しては、
私も危機を感じます。

過去にも欧米の文化の侵略によって滅びた文化、
文明が数多くあります。

それらの滅んだ文明も単に文化的に
劣っていたから滅んだのではなく、
優れた考え方、文化体系を持っていた可能性もあります。
 
しかし、地域の固有の文化をどこに感じるのか、
またその起源をどこにおくのか、
という点においては、
各人各様で異なるのではないでしょうか。

日本の場合だと「マンガ」こそ
日本文化であると主張し、それを押し出す人もいれば、
「もののあはれ」といった自然の感じ方、
自然との接し方こそが日本の独自性なのだと
主張する人もいるということです。


どちらも間違いではないでしょう。


ですが、その先には何があるのでしょうか。

 
昔「日本は単一民族国家だ。」と発言して
アイヌの方などから反感をかった政治家がいました。

日本は平安時代にはすでに国際都市であり、
様々な外国人が訪れています。

この事実から、いろいろな人種の血が混ざって
今の日本人を形作っていると考えるのが妥当なのです。

従いまして、文化も同様さまざまなものが
混じりあいながら形成されたものであると思います。

たしかに、日本には他の地域には見られないものや、
独自の発展を遂げたものは数多くあり、
それは素晴らしいことですが、
純粋に日本だけで出来上がったものなど殆ど無いはずなのです。

固有(地域独自の文化)を突き詰めれば、
誰も理解できないものとなり、

共有(文化の国際化)だけを求めれば
みんな同じに様な格好、思考となり、
それはそれで気持ちの悪い世界が出来上がる。

そのさじ加減をどうするか、
何処で折り合いを付けるのかは、
難しい問題です。

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