January 27,2011
ふと自分の作品を振り返り、
本当に何が描きたいのか、
訴えたいのか、
表現したいのかを最近よく考える。
自画像を描いている手前、
アイデンティティの問題や、
私の内面の問題を表現していると思われがちだ。
もちろん、それらも私が作品を制作するうえでは、
無視できないものだ。
かといって、私とは何か?
といった、個の存在、自我を追究する
西洋哲学のような方向性で表現したいかと言うと
それは違う。
何故なら、自我も絶対的な存在では無いからだ。
精神的にも、意識と言うのは移り変わるし、
肉体的にも、一年も経てば細胞が入れ代わる。
だから、自我を揺るぎないものとして捉える、
西洋思想の立場に違和感を覚える。
では、何を表現していくべきなのだろう。
それは、東洋思想の立場から自我を捉え直し、
表現していくことではないか。
そうすることで、西洋美術史の文脈とは、また違う作品ができてくるはずだ!
などと考える今日この頃…。
本当に何が描きたいのか、
訴えたいのか、
表現したいのかを最近よく考える。
自画像を描いている手前、
アイデンティティの問題や、
私の内面の問題を表現していると思われがちだ。
もちろん、それらも私が作品を制作するうえでは、
無視できないものだ。
かといって、私とは何か?
といった、個の存在、自我を追究する
西洋哲学のような方向性で表現したいかと言うと
それは違う。
何故なら、自我も絶対的な存在では無いからだ。
精神的にも、意識と言うのは移り変わるし、
肉体的にも、一年も経てば細胞が入れ代わる。
だから、自我を揺るぎないものとして捉える、
西洋思想の立場に違和感を覚える。
では、何を表現していくべきなのだろう。
それは、東洋思想の立場から自我を捉え直し、
表現していくことではないか。
そうすることで、西洋美術史の文脈とは、また違う作品ができてくるはずだ!
などと考える今日この頃…。