RECENT POSTS
昆虫と焼物と私


どうして昆虫なんですか?
と聞かれます。

なぜ焼き物で?
とも聞かれます。

うーん、いつも言葉に詰まります。

経緯もあるし、文脈もある。はっきりいって必然です。
でも
それがはたして、納得できる正しい「答え」になるだろうか

「話せば長くなりますよ」と
終わりのないあまりに私的な長話を始めることもできますし、
「好きだからです」と
ぷっつり話を終わらせることもできます。
「素材感が。。。」と
小理屈をこねることだってできます。


全部本当のことなのですが、その答えに「僕自身が」納得できないのです。


だから答えに詰まるのです。
「なんでですかね~」
と。

実は、正直、結局、僕には作品のことなんてわからないのです。

もちろん
僕は作ります。それはもう、考えて考えて考えて考えて、考えて考えて考えて考えて、


焼物でしかできないけれど、焼物かどうかなんてどうでもいいようなもの。
焼物に埋もれて埋もれて埋もれて埋もれて作品を作っってきたその彼岸で
僕が作る、焼物でつくる、昆虫、だからこそ表現できることがあったとして
僕が作ったことも、焼き物だということも、昆虫だということも関係なくなってしまうようなもの。

感情的な、文脈としての、物理的な、
私と、焼き物と、モチーフが
作品の中から消えて、そうして始めてそこに新しい命が生まれる。そんなもの。


実は、うまれる、も、いのち、も本当にはどういうことか何もわかっていないのです。
わからないから作るのですけど。


わからないもので、わからないことして、わからないものつくって、わからないものを
わかってもらおうとして、

自分でもわかってないようなものを
わかってもらえたとしたら、それは、もう既にわかっていたということで
同じ人間なのです。
本当はもうみんな初めから全部わかっているのではないかとさえ思えてくるのです。


じゃあ、わざわざ作る必要はあるのか、分かってもらうことの意味はあるのか
などとぐるぐるぐるぐるぐるぐるしているうちに

作品が目の前にできている。
あなたがわからないものはこれですよと。


さまざまな、思いと、流れと、素材が一つの点で結ばれたところに目に見える何かができて
その何かが、見る人を巻き込みながら、思いも、流れも、素材も無視して独り歩きを始める。

作品はそういうものであってほしいと思います。

▲TOP