June 7,2016
私は"子供の寝かし付け"が大の苦手だ。
育児は嫌いではないし、むしろ子供っぽい人間である私にとって育児は素のままで出来るので好きなくらいだ。
しかし、この"寝かし付け"だけは論外。
私は元々、非常に寝付きが悪い人間で、布団の中でいつも数時間は起きている。
嫌になる程に神経質なので、慣れない場所では特に寝れない。
旅行先等では一睡も出来ない事がよくある。
夜行バスは寝れた試しがないので"徹夜バス"と呼んでいる。
慣れた自宅でさえ、時折不眠症のようになる。
これは小さい頃からだ。
そんな事もあり、いつの日からか私は寝室が嫌いになっていた。
寝付きのいい家族が体感している倍以上の時間、私は寝室で過ごしている事になる。
できれば眠くなるギリギリまで寝室には行きたくない。
寝室で唸っているくらいなら、絵を描いていたい。
絵を描いている時の方こそ眠りに落ちているような状態で心地が良い。
しかし、そうすると平気で朝まで描いてしまう。
まるで麻薬のようだ。
そんなことを続けていれば体調を崩し制作そのものに悪影響だ。
絵と心中してしまう。
独りならそれでもよかっただろう。
しかし、私には家族が居る。
家族は私と社会を繋ぐ貴重な"糸"なのだ。
人としての当たり前を私に与えてくれる。
とても有り難い存在だ。
しかし、時としてそれは自身の"歪さ"を写す鏡にもなってしまう。
生きにくそうにしている自分がよく見えてしまう。
"子供を寝かし付ける"という行為は、そんな自分の"歪さ"を痛感させられる。
突き付けられるような気がする。
だから嫌いだ。
子供を寝かし付ける時、子供と一緒に寝てしまえない私は、子供の横でずっと起きている。
子供が寝なければ何時間であろうとずっと布団に縛り付けられる。
苛ついてくると、子供に「早く寝なさい」と辛くあたってしまう。
しかし、それは逆効果で子供は益々寝れなくなる。
そんな親が隣に居れば寝れるものも寝れないだろう。
当たり前だ。
人には向き不向きがあるのでと、普段はこの寝かし付けは妻がしてくれている。
妻は私と真逆で寝付きが"強烈"に良い。
羨ましい程だ。
寝付きの良い妻は子供と一緒に寝てしまうので、それにつられてなのか子供もすぐに寝てしまう。
しかし、いつもいつも妻が寝かし付けられるわけではなく、仕事の関係で私が寝かし付けないといけない日が時折訪れる。
昨夜もそうだった。
昨夜は特に寝付きが悪く、案の定私は苛立っていた。
私は、嫌いな寝室と暗闇の中で娘が寝るのを今か今かと薄目で睨んでいるのだ。
そんな状態で寝れるわけがない。
我ながら笑ってしまう。
二時間くらい経ち、さすがに「もう寝ただろう」と思い始めた私は、寝たふりを続けながら薄目を開けてそっと娘の様子を見た。
娘は暗闇の中、私を見つめていた。
起きていたのだ。
それを見て、私はいよいよ苛立ちが頂点になった。
「寝なさい」と大目玉を喰らわそうとした瞬間、
娘が"すっ"と動いた。
その瞬間、私の身体に柔らかな感触があった。
娘は寝たふりをしている私にそっと布団をかけてくれたのだ。
その瞬間、私は動けなくなった。
涙が出そうになった。
寝れないのは私だけではなかったのだ。
私が寝れなくて辛かった時間は、一緒に過ごしていた娘にとっても同じなのだ。
私は自分本位になって1人苛立ち、自身の辛い時間を娘にまで強要していたと気付いた。
寝る前の辛さを、寝室が嫌いという思いを、娘にまで植え付けてしまおうとしていたのだ。
しかし、娘はそんな辛い思いの中でも私を気遣ってくれた。
親が子にするように、優しく接してくれたのだ。
私は自分が情けなくなった。
大目玉を喰らわそうとしていたその手で思わず娘を抱き締めた。
「ありがとう」
私がそう言うと、娘は微笑んで、
「おやすみ」
と言った。
その後、呆気ないくらいすぐに娘は眠りについた。
そんなことか。
と、ようやく気付いた。
これからは寝かし付けをする時、もう少しその時間を楽しもうと思う。
すぐには寝なくてもいい。
娘にとっての寝るまでの時間を楽しい時間にしてあげたい。
寝室を好きになって欲しい。
そう思うと嫌いに思えていた寝室も、そんなに悪くないと思えた。
その後、珍しく寝付きが良かった私はすぐに眠る事が出来た。
眠る直前に娘が言った「おやすみ」を思い返していた。
私の中の歪さが少し和らいだ気がした。
育児は嫌いではないし、むしろ子供っぽい人間である私にとって育児は素のままで出来るので好きなくらいだ。
しかし、この"寝かし付け"だけは論外。
私は元々、非常に寝付きが悪い人間で、布団の中でいつも数時間は起きている。
嫌になる程に神経質なので、慣れない場所では特に寝れない。
旅行先等では一睡も出来ない事がよくある。
夜行バスは寝れた試しがないので"徹夜バス"と呼んでいる。
慣れた自宅でさえ、時折不眠症のようになる。
これは小さい頃からだ。
そんな事もあり、いつの日からか私は寝室が嫌いになっていた。
寝付きのいい家族が体感している倍以上の時間、私は寝室で過ごしている事になる。
できれば眠くなるギリギリまで寝室には行きたくない。
寝室で唸っているくらいなら、絵を描いていたい。
絵を描いている時の方こそ眠りに落ちているような状態で心地が良い。
しかし、そうすると平気で朝まで描いてしまう。
まるで麻薬のようだ。
そんなことを続けていれば体調を崩し制作そのものに悪影響だ。
絵と心中してしまう。
独りならそれでもよかっただろう。
しかし、私には家族が居る。
家族は私と社会を繋ぐ貴重な"糸"なのだ。
人としての当たり前を私に与えてくれる。
とても有り難い存在だ。
しかし、時としてそれは自身の"歪さ"を写す鏡にもなってしまう。
生きにくそうにしている自分がよく見えてしまう。
"子供を寝かし付ける"という行為は、そんな自分の"歪さ"を痛感させられる。
突き付けられるような気がする。
だから嫌いだ。
子供を寝かし付ける時、子供と一緒に寝てしまえない私は、子供の横でずっと起きている。
子供が寝なければ何時間であろうとずっと布団に縛り付けられる。
苛ついてくると、子供に「早く寝なさい」と辛くあたってしまう。
しかし、それは逆効果で子供は益々寝れなくなる。
そんな親が隣に居れば寝れるものも寝れないだろう。
当たり前だ。
人には向き不向きがあるのでと、普段はこの寝かし付けは妻がしてくれている。
妻は私と真逆で寝付きが"強烈"に良い。
羨ましい程だ。
寝付きの良い妻は子供と一緒に寝てしまうので、それにつられてなのか子供もすぐに寝てしまう。
しかし、いつもいつも妻が寝かし付けられるわけではなく、仕事の関係で私が寝かし付けないといけない日が時折訪れる。
昨夜もそうだった。
昨夜は特に寝付きが悪く、案の定私は苛立っていた。
私は、嫌いな寝室と暗闇の中で娘が寝るのを今か今かと薄目で睨んでいるのだ。
そんな状態で寝れるわけがない。
我ながら笑ってしまう。
二時間くらい経ち、さすがに「もう寝ただろう」と思い始めた私は、寝たふりを続けながら薄目を開けてそっと娘の様子を見た。
娘は暗闇の中、私を見つめていた。
起きていたのだ。
それを見て、私はいよいよ苛立ちが頂点になった。
「寝なさい」と大目玉を喰らわそうとした瞬間、
娘が"すっ"と動いた。
その瞬間、私の身体に柔らかな感触があった。
娘は寝たふりをしている私にそっと布団をかけてくれたのだ。
その瞬間、私は動けなくなった。
涙が出そうになった。
寝れないのは私だけではなかったのだ。
私が寝れなくて辛かった時間は、一緒に過ごしていた娘にとっても同じなのだ。
私は自分本位になって1人苛立ち、自身の辛い時間を娘にまで強要していたと気付いた。
寝る前の辛さを、寝室が嫌いという思いを、娘にまで植え付けてしまおうとしていたのだ。
しかし、娘はそんな辛い思いの中でも私を気遣ってくれた。
親が子にするように、優しく接してくれたのだ。
私は自分が情けなくなった。
大目玉を喰らわそうとしていたその手で思わず娘を抱き締めた。
「ありがとう」
私がそう言うと、娘は微笑んで、
「おやすみ」
と言った。
その後、呆気ないくらいすぐに娘は眠りについた。
そんなことか。
と、ようやく気付いた。
これからは寝かし付けをする時、もう少しその時間を楽しもうと思う。
すぐには寝なくてもいい。
娘にとっての寝るまでの時間を楽しい時間にしてあげたい。
寝室を好きになって欲しい。
そう思うと嫌いに思えていた寝室も、そんなに悪くないと思えた。
その後、珍しく寝付きが良かった私はすぐに眠る事が出来た。
眠る直前に娘が言った「おやすみ」を思い返していた。
私の中の歪さが少し和らいだ気がした。