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あんたが大賞!






ふざけたタイトルで失礼致します。






皆様にお知らせがございます。


この度、

第29回FUKUIサムホール美術展に出品させていただいた



「青鼻」



という作品が大賞を受賞致しました!







これもひとえにいつも応援して下さる皆様のご指導・ご助言あっての賜物だと心より御礼を申し上げます。



遅筆作家のせいで最近遠のいていた公募展等での力試し。

このままではダメと自分を追い込み、
なんとか描くことが出来た作品です。



数年振りに挑んだ公募展でこのような立派な賞をいただき光栄に思うと共に、とてもいい励みになりました。


心の底から嬉しく思います。








すでに各方面(Twitterやfacebook)でお知らせさせていただいたのですが、


せっかくの自身のブログですので、出品作品の説明をさせていただきたいと思います。

少々長くなりますが、興味のある方はお付き合い下さい。







今回出品させていただいた

「青鼻」

は御覧の通り、“青っぱな”の鼻水を垂らしている子供を描きました。




普段人間を描かない私にとって、久しぶりの人物画となったわけですが、

その理由としてやはり娘の誕生が少なからず関わっています。




娘が産まれると分かったとき、


「やっぱりこれがきっかけで娘描いたりするんやろなぁ」


と思っていました。






しかし、実際に産まれてみると、




これが全く描きたいと思えない。




個人的すぎて…と思う部分もありましたし、

なによりも



「おい!早く描いておくれ!」



と主張するアイデア帳の中のアニマルズの方が、

私にとって惹き付けられる対象でした。






そして娘が育って半年過ぎた辺りから、



私はあるキーワードに夢中になっていきました。



それは、




“共生”です。

個人的には“共棲”の方がしっくりきますが…






今まで、動物をモチーフに描く時に私の根底にあったのが、


“疎外感”


という、どちらかと言うとマイナスのイメージでした。




しかし、どうにか彼らに歩みよってみたいというプラスのイメージが沸き起こった時にこの、


“共棲”


というキーワードにたどり着きました。





共棲について調べていくと、
“寄生”など様々な形で寄り添って生きる生命に出会いました。


更にもっと深めていくと、


やはり細胞内共生というゾーンに到達しました。




ミトコンドリア等が一番馴染みがあるかとは思いますが、

我々人間ですら、沢山の生命の共生によって成り立っているというアレです。


正直、私はこのゾーンまで掘り下げてしまうのはあまり好きではありません。

自分の実感から遠のいてしまい、どこか人任せな感じが否めないからです。


それに私が最も重んじている、

“チープなユーモア”

という要素にもなかなか馴染んではくれませんでした。





しかし、ある出来事がキッカケでその凝りがフッと解消されたんです。




それは、


娘の“風邪”です。






生後8ヶ月を過ぎた辺りから通いだした保育園。

この事がキッカケで、

娘は風邪を頻繁にいただいてくるようになりました。



その頻度は凄まじいもので、通園し始めてからの数ヶ月はキチンと1週間通いきったことが無かった程です…



母親から貰った免疫が消え、自分で菌と闘うことにより免疫を獲得していく過程なのでとても大切な事です。



しかし、共働きのわが家では娘が保育園を休む度に大騒動…


もちろん制作など出来るはずもなく、熱を出して青っぱなを垂らす娘を数日看病するわけです…
(たまに風邪もらったり…)




そうして段々と免疫を獲得していき、おかげさまで今では月に1~2回程度の風邪っぴきで済むようになりました。





このようなやり取りの中、娘をじっと観察していると、

人間という動物がいかに複雑で、幾重にも重なった奇跡の上に成り立っているのだと実感する事が出来ました。



そして、どんな精密機械よりも複雑に成り立っているその脆さに畏怖の念を抱きました。







出てはまた帰ってくる風邪の菌でさえ、また一つ生命であり、
それが複雑に成り立っている生命を生かす為の重要な歯車として存在している。


世の中にはそんなパーツがうようよと溢れているんだと気付くと、
今まで自分が嫌っていたゾーンの生命達も面白可笑しく語りかけてくれるようになりました。





そうして、この

「青鼻」

を制作しました。





出てはまた帰ってくる風邪の菌をアマガエルに見立て、
沢山の生命によって成り立っている現象を面白可笑しく表現しようと試みました。






この作品は連作のうちの一点ですので、また違った形の“共棲”をまた皆さんにお見せしたいと思います。






さて、大変長くなってしまいましたが…

この度は本当にありがとうございました。

生レバーが去った悲しみから、これでなんとか立ち直れそうです。







先程述べさせていただいた“共棲”と同じく、

私が私としてこうやって表現をして生きていけるのは、
沢山の方々との出会いや別れに私自身が鍛えられているからだと感じています。



これからも更に精進して、
こんなふざけた奴が一人くらいは…という人間になれるよう頑張って参りますので、

これからもよろしくお願いいたします。








釜 匠

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