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老犬
もう冬が近いので明け方の5時といえど、まだ外は真っ暗でした。


私は突然奥さんに起こされました。



『なんか声がする』



確かに、耳を澄ましていると一定の間隔で、



『うぅー…』



と、うめき声ともうなり声とも言えない、それを発しているのが人なのかどうかすらわからない声が聞こえました。



『野良猫かなんかちゃうかなぁ…』



そういって再び眠りに入ろうとしたのですが、

一定の感覚で聞こえてくるその声が気になって次第に眠気も覚めてきました。



『ちょっと見てくるわ』



とにかくもう一度安心して眠りたかった私は原因を突き止めに向かいました。

外はとても寒かったのですが、少しだけ様子を見に行くつもりだったので寝間着のままで玄関を出ました。




さっと辺りを見回した所、何の姿も見当たらないの安心して引き返そうとしたその時、




『うぅー』




近い!

声の主はすぐ側にいる…


先程よりも近くで声を聞いたおかげで、声と共にかすかに水音がしたのに気づきました。



『もしかして』



私は自宅の隣へと向かいました。



私の家は袋小路の中に建ち並ぶ住宅の端にあります。

自宅の隣には大きな排水溝があり、夏になるとよく子供が水遊びをしています。

田植えのために設けられたであろうその水路は、今は冬ということもあり水深は20cmほどでしたが、排水溝自体の深さは1m程あります。






まだ日も昇らない暗闇の中、私はおそるおそる排水溝を覗き込みました。






『おった』






街灯の灯りもない真っ暗闇の中に、ポウっと浮かび上がりながら揺らめく白い影…




私はすぐに自宅に引き返しました。




とりあえず上着を着て長靴に履き替え、改めて外へ。

その間に奥さんは警察に電話をかけてもらいました。




『ばしゃ』という水音を立てて排水溝に飛び降りた私に、“それ”は全く気づく様子もありません。





『耳が聞こえへんのかな』





おそるおそる近づき、持ってきたタオルで“それ”を掴み上げました。

“それ”は大きさから予測していたよりも遥かに軽く、そのギャップに私は少し恐怖を感じました。




排水溝から上がり、玄関からの灯りでようやく“それ”の姿がハッキリ見えました。








それは痩せ細った老犬でした。








犬種を判断するのも困難な程全身の毛が抜け落ち、恐怖すら感じる程痩せた身体。


黒目は真っ白になっていて、視力がないのは見るからに明らかでした。


首にはボロボロに擦り切れた首輪。


冬の冷たい水に体温を奪われ、震えているその犬をタオルでくるみとにかく撫で続けました。



奥さんも心配そうに家から出てきたのですが、生後間もない娘がいるために戻ってもらいました。







空が白み始めた頃ようやく警察が到着。







老犬は、拾得物として警察が預かることになりました。


その際、


『首輪をしているので飼い主が見つかるとは思いますが、もし見つからなかった場合…すみませんが保健所に送ります。』




私は頷くしかできず、目の前の老犬を撫で続けました。




我が家ではすでに犬を飼っています。

生後間もない娘もいます。

私は自身の感情だけで決断することが出来ませんでした。





ようやく昇った朝日に照らされる中、車に乗せられていく老犬を見送りました。





目の前の小さな命でさえ守れないのが辛く、言いようのない気持ちで自宅へと帰っていきました。





暖かい部屋の中に戻り、すやすや眠る娘と愛犬を見て、出来ることだけはきちんとやらないといけないと思いました。

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