November 30,2016
明後日12月2日(金)より
小橋君の第二回目の個展をBAMI galleryで
開催する。
早いもので、、もう一年が経った・・・・
昨年始めて当ギャラリーで開催したときは
お客様方にかなりの衝撃を与えル事ができ、、、
その後の初夏のあべのハルカス近鉄本店での個展、、
においても驚愕の感想をいただき、、、
そしてその後、長野県の志賀高原ロマン美術館
での企画展に参加と、、、、
ドンドンとその活動は広がりを見せている。
そして今回、、、
実は、この企画というのか小橋君の表現自体は、
もうどのくらい前になるか覚えていないが、、
薄っすらと原型が出だし、、
その後2年前、私がギャラリーを今の京都・島原に
移した頃に作品のプロトタイプが出てきた、、、
その間色々な事を喋り、又メールでやり取り、、
時には罵倒するくらい怒りと、、色々な事があった。
申し分ない技量である。それは解っていた。
しかし、職人的精度の問題とは違う、、
我々が住んでいる世界の問題は少し違う、、、
上手い人選手権ではない・・・
鑑賞者、コレクターという方々と向き合い、
その方々とある意味色々な対決をしなくてはならない。
技量とは誠に大事ではあるが、しかし一つの要素でしか
ない。
最大は感動があるのか?という事である。
幾ら制作に時間・金・論理性を加えようが、そんなものは
感動全体を司る、我々が追いかけるものとの兌換性を持た
ない。
そうなると、、その感動とは如何なるものなのか??
小橋君のこれまでの作品に対して皆間違いなく感動をし
てくれてはいる。しかし未だ何か物足りない、、、
もっともっと何か・・・・
何か?それは何度も言うが技巧の問題ではなく、、
当然技巧の問題はあるかもしれない、しかしそれは
作り手の側だけの問題であり、今、問う問題箇所は違う。。
作品世界には十分含まれている何かが、、今ひとつ
具体的に見えない感覚があった・・・・
もう少し何か・・・・
ある時、そう、今年彼が窯を焚いている時に、、
窯仕事の時、彼はほとんどインターネット上からは
姿を消す・・・当たり前である、相当な時間と労力
をかけて臨む窯焚きである、、、その時、ネットの
世界などには足を踏み入れている時間も余裕もない、、、
しかし、窯焚きが終わったもしくは終了間際になると
ひょっこりネット上に姿を現す・・・
そんな時、ポロッと彼がネット上につぶやいた言葉が
私を掴んで離さなかった、、、
これだぁ!!
『今、備前焼の登り窯を焚いています。
窯の焚き口でカマキリが焼け死んでいました。
ウッカリ乗ってしまったんですね。
前のめりに、突っ伏して、頭から真っ黒に炭化。
火が付く温度ではないので
形はそのままに黒光りしていました。
秋、続々と提供を受け、集まる死骸たち。
動いていた頃そのままの形ながらに
今はもう動かない。
いのちが入ったら動く?訳ないですよね。
それは流れそのものだな。
いのちってなんなんですかね。』
・・・・・・・・・・
この文章を読んだときに、これしかないと感じました。
その後、志賀高原ロマン美術館で彼の作品を観たとき、、
一際、蟻の作品に惹きつけられました。。。
なんと、、これは恐らく美術館という空間の中で展示
される作品としては”最小サイズ”ではないのか?
しかしながら、この作品が持つ意味は、どの作品よりも
最大である!と感動しました。
いのち、、、魂。。。
彼の威力が出始めている!!
展示を一通り見終わり、、、
志賀高原ロマン美術館の学芸員の鈴木さんと
話した時、鈴木さんもこの文章を見ており、
私と同じ感覚を持ったという感想を聞けたとき
には、正直嬉しかったです。。。。
彼の作品の中にあるものの最大がここにある。
いのちのないものを作り出しながらも
魂を浮かび上がらせる。。
魂の所在を我々に突きつける
そんな気がします。
今回は、前回の個展の時のように、細かい指示は一切
出しませんでした。それは前回で慣れたからという事
ではなく、彼の選択を信じました。
故に、タイトルを頼む時も、ステートメントを頼むときも、
全てそのまま、、前回のように何度もやり取りをしません
でした。全て一発OKで行きました。
正直、申し分ない。
彼の中には確実に備わっている
何をしないといけないのか、何を残そうとしているのか!
今回の個展はそんな事が
濃縮されています。
前回とは違います。
タイトルとステートメントが出来てきたとき
ほんの少し涙が滲むような感覚になりまた。
素晴らしい”詩”だとも正直感じました。。。
--------
小橋順明 『いのちなどないのに』
虫が死んでいた
昨日は生きていたのに
前のめりに、突っ伏して
動いていたのに
何も変わってはいない
カタチはそのままなのに
動くことはない
いのちが入ったら動く?
そんなわけがあるものか
いのちなど
ない
もっと違うなにか
呼び名を考えなくては
僕の作る虫たちは
一度も生きていたことがない
----------
僕の作る虫たちは
一度も生きていたことがない
こんな言葉、、、
命がけで作品と向き合わないと
出てこないよ・・・・
-----------
『いのちなどないのに』
小橋 順明 Ceramic works
2016.12.02 (fri) - 2016.12.11 (sun)
OPEN : 12:00-18:00
期間中無休
小橋君の第二回目の個展をBAMI galleryで
開催する。
早いもので、、もう一年が経った・・・・
昨年始めて当ギャラリーで開催したときは
お客様方にかなりの衝撃を与えル事ができ、、、
その後の初夏のあべのハルカス近鉄本店での個展、、
においても驚愕の感想をいただき、、、
そしてその後、長野県の志賀高原ロマン美術館
での企画展に参加と、、、、
ドンドンとその活動は広がりを見せている。
そして今回、、、
実は、この企画というのか小橋君の表現自体は、
もうどのくらい前になるか覚えていないが、、
薄っすらと原型が出だし、、
その後2年前、私がギャラリーを今の京都・島原に
移した頃に作品のプロトタイプが出てきた、、、
その間色々な事を喋り、又メールでやり取り、、
時には罵倒するくらい怒りと、、色々な事があった。
申し分ない技量である。それは解っていた。
しかし、職人的精度の問題とは違う、、
我々が住んでいる世界の問題は少し違う、、、
上手い人選手権ではない・・・
鑑賞者、コレクターという方々と向き合い、
その方々とある意味色々な対決をしなくてはならない。
技量とは誠に大事ではあるが、しかし一つの要素でしか
ない。
最大は感動があるのか?という事である。
幾ら制作に時間・金・論理性を加えようが、そんなものは
感動全体を司る、我々が追いかけるものとの兌換性を持た
ない。
そうなると、、その感動とは如何なるものなのか??
小橋君のこれまでの作品に対して皆間違いなく感動をし
てくれてはいる。しかし未だ何か物足りない、、、
もっともっと何か・・・・
何か?それは何度も言うが技巧の問題ではなく、、
当然技巧の問題はあるかもしれない、しかしそれは
作り手の側だけの問題であり、今、問う問題箇所は違う。。
作品世界には十分含まれている何かが、、今ひとつ
具体的に見えない感覚があった・・・・
もう少し何か・・・・
ある時、そう、今年彼が窯を焚いている時に、、
窯仕事の時、彼はほとんどインターネット上からは
姿を消す・・・当たり前である、相当な時間と労力
をかけて臨む窯焚きである、、、その時、ネットの
世界などには足を踏み入れている時間も余裕もない、、、
しかし、窯焚きが終わったもしくは終了間際になると
ひょっこりネット上に姿を現す・・・
そんな時、ポロッと彼がネット上につぶやいた言葉が
私を掴んで離さなかった、、、
これだぁ!!
『今、備前焼の登り窯を焚いています。
窯の焚き口でカマキリが焼け死んでいました。
ウッカリ乗ってしまったんですね。
前のめりに、突っ伏して、頭から真っ黒に炭化。
火が付く温度ではないので
形はそのままに黒光りしていました。
秋、続々と提供を受け、集まる死骸たち。
動いていた頃そのままの形ながらに
今はもう動かない。
いのちが入ったら動く?訳ないですよね。
それは流れそのものだな。
いのちってなんなんですかね。』
・・・・・・・・・・
この文章を読んだときに、これしかないと感じました。
その後、志賀高原ロマン美術館で彼の作品を観たとき、、
一際、蟻の作品に惹きつけられました。。。
なんと、、これは恐らく美術館という空間の中で展示
される作品としては”最小サイズ”ではないのか?
しかしながら、この作品が持つ意味は、どの作品よりも
最大である!と感動しました。
いのち、、、魂。。。
彼の威力が出始めている!!
展示を一通り見終わり、、、
志賀高原ロマン美術館の学芸員の鈴木さんと
話した時、鈴木さんもこの文章を見ており、
私と同じ感覚を持ったという感想を聞けたとき
には、正直嬉しかったです。。。。
彼の作品の中にあるものの最大がここにある。
いのちのないものを作り出しながらも
魂を浮かび上がらせる。。
魂の所在を我々に突きつける
そんな気がします。
今回は、前回の個展の時のように、細かい指示は一切
出しませんでした。それは前回で慣れたからという事
ではなく、彼の選択を信じました。
故に、タイトルを頼む時も、ステートメントを頼むときも、
全てそのまま、、前回のように何度もやり取りをしません
でした。全て一発OKで行きました。
正直、申し分ない。
彼の中には確実に備わっている
何をしないといけないのか、何を残そうとしているのか!
今回の個展はそんな事が
濃縮されています。
前回とは違います。
タイトルとステートメントが出来てきたとき
ほんの少し涙が滲むような感覚になりまた。
素晴らしい”詩”だとも正直感じました。。。
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小橋順明 『いのちなどないのに』
虫が死んでいた
昨日は生きていたのに
前のめりに、突っ伏して
動いていたのに
何も変わってはいない
カタチはそのままなのに
動くことはない
いのちが入ったら動く?
そんなわけがあるものか
いのちなど
ない
もっと違うなにか
呼び名を考えなくては
僕の作る虫たちは
一度も生きていたことがない
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僕の作る虫たちは
一度も生きていたことがない
こんな言葉、、、
命がけで作品と向き合わないと
出てこないよ・・・・
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『いのちなどないのに』
小橋 順明 Ceramic works
2016.12.02 (fri) - 2016.12.11 (sun)
OPEN : 12:00-18:00
期間中無休
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