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八木佑介 solo exhibition 【午前2時】@高松天満屋アートギャラリーにてスタート
本日(11/23)より

八木佑介 solo exhibition 【午前2時】





高松天満屋5階アートギャラリーにてスタート

いたしました。

会期:11月23日(水)~12月30日(火)
場所:高松天満屋5階アートギャラリー
直通電話:087(812)7549 担当 青野
※最終日は午後4時閉場


午前二時五十分
60.6×60.6(cm)
2011年制作
画布、水干絵具、岩絵具


午前二時五十八分
65.1×65.1(cm)
2011年制作
麻紙、水干絵具、岩絵具







午前二時五十二分
145.5×145.5(cm)
2011年制作
麻紙、水干絵具、岩絵具




【展覧会ステイトメント】


午前二時、誰もいなくなった街には光が溢れている。

夜が明る過ぎるのではないだろうか、と僕は思う。

無人の街を煌々と照らし続ける光に僕達は麻痺している。

この作品群では画面を真っ暗に塗りつぶした上から

光の粒子を点描として描き重ねている。

この絵にあるのは光と闇だけであり、その光の群れ

により街が形取られている。自然本来のそこにある

べき夜の闇と無人の街を支配する人工の光の関係から、

僕達人間が築いたこの巨大な都市の姿をとらえたい。



-------------------






彼、八木君は京都造形芸術大学の3回生です。

彼と知り合ったのはもう一年位前になるだろうか?

その時から彼はステートメントに記す、、、

*********

午前二時、誰もいなくなった街には光が溢れている。

夜が明る過ぎるのではないだろうか、と僕は思う。

無人の街を煌々と照らし続ける光に僕達は麻痺している。

*********



このことをを語っていた。

本年3.11以前だ・・・・

つまり3.11以降、日本が国の未来を考えるにつけて

焦点となる部分である。



我々がそうも考えなかった部分、疑問もなく享受

していた部分、、、、

それを彼ら若者、とりわけ彼は鋭敏な感受性で

その不条理を嗅ぎとっていたのだ・・・・

彼がポロッと私に語った一言が

恐ろしく心に響き、、唖然とした・・



「映画のセットみたいなんですよねぇ~
深夜の街って・・・・なんか魅かれるんです・・」



そうなのだ、、、、



人が寝静まった街、、そこに煌々と点く灯り

現実であり人が感知しない虚構でもある・・・・




なぜ、なんの為に、、、




彼が描く大半のロケーションを私は知っている

彼と私の家は近い。

この数年前に出来た京都南部の高速のジャンクションだ

確かに何度も深夜このローケーションの中を

車で走った。



人も車もない、、、点滅する信号と只々道を照らす

灯り・・・・


街という生命体の静かな寝息のようにも感じるし、、
彼が言う通り、、、映画のセット・虚構のようにも
感じる・・・・



・・・・・




この深夜2時、無人の街の明かりを彼は


先人達が雄大な自然に寄り添い描いたのと


同様に、、、、


現代の自然たる風景として描こうとしている・・




そこには、、、




我々が目を背けられない




今という同時代を純度高く写す




鏡が存在する・・・・


















▲TOP
死への彷徨
最初の子供ができた時、忘れた事があった。


2番目の子供の時には忘れない様、、、、


そのタイミングを待った。。



それは・・・・・・・



母親のおなかの中に居る時の記憶を聞く
ことである。


ずーと以前に誰かに聞いた事がある。



物心ついて言葉を覚え始めると、それま
での記憶が消えて無くなると。


無くなるというより、消されるという
ほうが近いかもしれない。


消しゴムで誰かが自分のノートを消す
様に。。



しかし、その狭間、記憶が消し去られ
るほんの手前の瞬間には、ひょっとし
て僅かな記憶とそれを表現できる極々
わずかな言葉が残せるのでないだろう
か?と考えた。。


あくまで私の確認でしかないし、本当
にその事を子供が語っているかどうか
の確証は掴めないのだが…


それでもこの興味は抑えがたいものが
あった。。。


2番目の子供が、言葉らしきものを話し
出した時


このタイミングとばかりに聞いた…・


すると、


“暗いところで浮いていた”と答えた。。


正確には浮いている状態を擬態語で表現
しており、言葉では無かったのであるが、
でも間違いなく、記憶にあった。。。


しかし、聞いた後すこし後悔した。。



何かわからないものが物凄い勢いで消し
込んでいる状態に、割り込むことが何ら
かの影響にならないか??と。。。



物心というが、この狭間がなにか還俗す
る瞬間なのか?とも考える。


あるテレビを見ていて関心した。


あかちゃんをプールに放り込むのである。


通常だと無謀にみえる行動だが、しかし、
あかちゃんは泳ぐのである。


そこから色々な説明があったが、基本的
な人間の機能がじつは既に備わっている
らしいのである。


生存本能と言う方が近いかもしれない。


まぁそうなのかもしれない。その潜在的
な能力の覚醒が歩いたり喋ったりという
ことなのであろう。。


しかしこのタイミングで記憶が消えて
無くなる。。


医学的な問題ではなく、私はこの瞬間が
非常に興味がある。


ある種宗教的な解釈を加えた方が理解
しやすいのかもしれない。


そして歩き立ちしゃべり始めるまでの期間、


あかちゃんは全て“かわいい”。。


ここにも潜在的な能力が隠れていると聞く。。


明かに弱者であるということが潜在的な
DNAの中に組み込まれていて、外敵から
の防御として“かわいい”という雰囲気を
醸し出し、極力攻撃を回避するようにして
いるらしいのである。


これも確証たるものはないが、しかし理解
できる。。


父親の精嚢から生れ、何億という競争を
生物として勝ち抜き、そして人体を勝ち
得ていくのである。


その経過を考えてもそれぐらいの戦略性
がDNAに組み込まれていてもおかしく
ないだろう。。


そして、それは死なない為にと言うとこ
ろから生み出された生への攻撃に他なら
ない。


生命を得て世間に出現するのだが、それは
結局積極的な死への彷徨の始まりである。



母親のおなかの中で保持していた記憶は
どこから始まるのであろう?


それは生死の狭間からの記憶のような気
がする。。。。



それが消し込まれる・・生への記憶の
蓄積ばかりが先行していくが、本質は
死へ向かう記憶の蓄積にほかならない。




松下幸之助翁の言葉にある。


「死を恐れるのは人間の本能である。だが、
死を恐れるよりも、死の準備のないことを
恐れたほうがいい。人はいつも死に直面し
ている。それだけに尊い。そしてそれだけ
に、与えられてる生命を最大に生かさなけ
ればならないのである。それを考えるのが
すなわち死の準備である。そしてそれが生
の準備となる。」


死を忘れた人間世界が現在のスタンダード
な社会である。


厚かましくも当然長生きする期待に満ち溢
れている。


かくいう私もそうだ。



しかしそれでも限界、いや、目安は一応
各自もっている。


それは平均寿命という客観的な数値である。



そこまでの人生の計画が全て計算されている。


経済的にも精神的にも。。


しかし、誰もそれを保証されているわけでは
ないのだが。。。。。


平均という確率から外れる可能性を見なくな
る。。。


平均という大部分に何故か自分を適合させる。



どういうわけか本来個人と言う唯一無二の
存在が持つ絶対値であるはずのもの
が、相対的な思考に変化しているのだ。。



これは私も含めてだが、松下翁が言うと
ころの生の準備への不備を逆説的である
が説明しているし、大半が問題としない
事柄になっている。


しかし、なぜ問題としないでいけるの
だろうか???


・・・・・・・・・・・・・





世の中にはそんな問題、生の相対値
とは無縁の人間がいる。。


絶対値で生きていく人間が。。。


よく破滅型とか言うのだが。。



それは我々側からの見方でしかない。。
安穏と計算して暮らしている。。



始まりと終わりを、自分たちの量の
過小と比べているだけで濃度を測って
いないのだ。。



明かに我々から見ると死を恐れない
生きかたとしてしか見えない存在が
ある。



本人の計略でそういう相違を起して
いるわけではなく。



自然と我々社会と乖離する人間がい
る。



我々の考えの範疇を遥かに超すので
ある。


なぜ?そんなことになるのか??



考えると、死を常に背中に背負って
いるのだろう…



しかしそれは我々が考える死と果
たして同じなのだろうか??



生命の終焉ではなく、



実際は、



生への実感の消失との闘いのように思える。。。



この場合の”生”とは一体なんなのか?


これが絶対値ではないか・・・・



・・・・・・・・



真剣士・小池重明。。



体じゅうにつけられた酸素吸入器や点滴
の管を引きちぎり、44年の人生を終わ
らせた。


客観的には自殺なのだが、しかしそうは
感じない。。。



彼の生き様にはその事が凝縮している。。



ルポライターの竹中労の言葉にある。



「人は、無力だから群れるのではなく、
群れるから無力になる。」



・・・・・・・・・



遠い物心つく前の生と死の狭間の記憶
を残し、強烈な死への彷徨を突き進む
人間が存在する。



そこには我々が気づかない、生への
準備を示す生きかた、死への彷徨の
本質を語り、教えてくれるものが存
在する。



遠い物心つく前の記憶。。。




姑息に立ちまわる自分が嫌になる
今日この頃だ。。

▲TOP
辻孝文 【transition period】@高松天満屋スタートいたしました!
2012 Saari Residence (フィンランド・Koneen Säätiö )
のレジデンスプログラムに選抜された!

期待のカッティングエッジ
COMBINE・瀬戸内GOMBESSA


辻孝文 solo exhibition 【transition period】

11月2日(水)よりスタートいたしました!




baberu 112×145(㎝)


会期:11月2日(水)~11月22日(火)
場所:高松天満屋5階アートギャラリー
直通電話:087(812)7549 担当 青野
※最終日は午後4時閉場









【ステートメント】


僕は、大きなテーマとして『営み』があり、
そこから見えて来る出来事を作品として形
にしている。3.11以降僕は、連日流れてく
る悲惨な情報を前に以前の様に絵を描く事
が出来なくなった。


自然の猛威、自分達が作り上げた手に負え
ない産物によって僕達は今自分達の生活
(営み)を考え直さないといけない所に立
っているのではないか?


そんな思いが込み上げて来ると同時にもっと
社会にコミットした作品を描かなくてはなら
ないと言う気持ちが溢れ出て来る。


半分が崩れ落ち半分は、生きている。どちら
に転ぶか分からないその真ん中に僕らはいる
んじゃないか?


そんな転換期と呼べる場所に。(辻孝文)



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私はこの1,2年かなりの数の20代の若者と
接触して来ました。そのほとんどが芸術家を志す
若者なのですが、辻君とあった時の印象は他の若者
とは比較にならないほどの新鮮さを感じたのでした。


ほとんどの若者がある意味知識豊かに語る、、、、
しかし、その大半がバーチャルなしかも受け売りに
すぎない、キツイ言いかをすれば寡聞浅学に過ぎない
後味の悪い印象を残す中、、、、、、


彼は自らの足りない部分をあからさまに私の前に
ドンと提示してきたのでした!



「上山さん!コンセプトってなんですか?」


「コンセプトってどういう意味なんですか?
 それはなんなんですか?」


「東京でもそういうことを言われたんですよ!」



大半の若者に



「君のコンセプトは?」と聞くと



滔々と、、、、、、、


幼稚な聞くに堪えないものを自慢げに語る・・・・


それから比べると、、この明け透けな態度には
正直、好感が持てた。


人との出会いなどはこいうもののような気がした。



その飾らない”素の”第一印象、これがどれほどの
ものか?という事に尽きると思う。


彼とは出逢ってから数カ月


たまに行く高松で語り合った。


一度呑みに行ったこともある。


素直ないい子だ。


26歳。


私がこの年齢のときには結婚し最初の子供がいた。


今から19年前。


1992年。


バブル崩壊という結論が顕著に出始めた頃でもある。


この前後の社会の空気は


バブル景気とペレストロイカの真っ只中にあった
1989年には、ベルリンの壁崩壊に代表される東欧
民主化革命が起こり、44年間続いてきた冷戦が終
結した。


そう私が彼の年齢に至るまでの社会・世界は東西対極
の冷戦時代であり、イデオロギーの闘いでもあった。


今では滑稽?かもしれないが


「鉄のカーテン」と呼ばれるモノが存在し
仮想敵としての東の世界はまったく分からなかった。。


かくいう私も大学では比較経済体制論などという
ものを専攻したのだが、、これなども簡単に言えば
資本主義は社会主義よりも優位にありそのベースを
もった国家は優れているというような事を論理的に
研究する・・・・という今からでは噴飯ものであり


もう今の現実的感覚で言えば当時の感覚の社会共産
主義などは雲散霧消と化した・・・・


国家体制は共産主義を標榜し実利の経済は資本主義
という今の中国などはとても当時想像できなかった。


テロとの戦いへの突入も想像だにしなかった。
具体的な仮想的が必ず存在し、それに対抗する
というのが原則であり、見えない敵に対して
武器を使うなどという狂気に近い感情は知らぬ間に
人間を追い越した?かのような怒涛の感覚である。


私が大学で専攻したものはなんだったのか?
と未だに良く分からないのであるが、、


しかし、まったく無意味に見えるもの
でも、歴史の一つの現実的過程に接した
という実感は多少なりとも感じているの
と同時に、間違いなく当時はそういった
ある意味単純な構造のもと厭世的な雰囲
気からの脱出への闘争があったような
気がする。


彼、辻君と喋っていて


そうかぁ~と感心させられる部分がある。


私たちは良いか悪いかは別にして
分かりやすい対立構造が常に社会の中にあった。


しかし、今の若者は?と考えれば、、、、、


そういう単純な社会構造ではない、、、し


なによりも問題は、、、、、


これまでの経緯や文脈を若者の大半はまったく知らない。


これは驚くほどである。大半の若者において
近現代史の知識はない。。。。。


ましてや思想的背景などは皆無である。


必要としない、、、今の社会は何を積み重ねて
今なのか?という限りなく素朴なものへの興味が
まったくない・・・・


あるのはwebに代表される


人類共有の情報倉庫、電脳世界。


ここにいつでも同期すれば自らの感情をベースに
したものなどとても追いつかないほどの情報とあ
りとあらゆる解釈を引っ張りだせる。


なにも個人の思想を頼りに社会を見る
必要がないのだろう。ましてや仲間のなかで


擦れ、傷つく、諍い


そんな事で自分を形づける必要を感じない
し求めないだろう・・・



しかし、2011.3.11


全ては変革しはじめた。


否、覚醒せざるお得なくなる・・・



安穏たる拝金主義をベースに繁栄してきた
国家の国家たる根本の喪失箇所の現実的露見。



その国家の現実的苦境、、、、


国家観。


人間観。



それらを肌で感じた時、一人一人はどう考え
選択していくのか?




なぜ?





どうするのか?



これは今までの



あんな風なこんな風な、、、、



という感覚では決して解決できない



欺瞞は許されない、、、、



先延ばししてきたことへ


必ず決定を求められる。



そういう、、、、



追いつめらる形となった。





彼、辻君が今回の展覧につけたテーマは


【transition period】、転換期。


そのステートメントとして彼は


”半分が崩れ落ち半分は、生きている。どちら
に転ぶか分からないその真ん中に僕らはいる
んじゃないか?”、、、、、、、、、と語る。



そこには、、、



形・状況は違えど



我々が感じてきた二項対立に近い
何か?


社会に横たわる不条理を、、、


これまでのような虚脱感で
眺めるのではなく、しっかりと
見据えようとしているのか?



彼ら若者は新しい形で感じ始める、
そういう胎動・・・・・




具体的ななにかを求めているのか?



とある種の期待と興味を持って




私は、彼、辻君の絵を眺めている。。。




▲TOP
本日よりスタート佐野 曉 URUSHI exhibition
本日(11/1)より

佐野 曉 URUSHI exhibition
Hello ♡ Kumasan
2011.11.01 (tue) - 2011.11.30 (wed)
gallery close 11/3・5・6・12・13・20・27
open 12:00~18:00

スタートいたします。




【ステートメント】

はるか縄文の時代から現代まで日本人を貫き通す天恵の素材
「うるし;漆」。

未完なもの、未熟なものを肯定的にとらえ、愛でる日本人の
美意識、古くから存在し、今世紀に入って一躍注目を浴びる
「かわいい」。

万物にカミを見出す日本人の自然観に立戻った時、一見関わ
りあうことの無い二つの軸は静かに交わりあう。漆という名
の魂を身に宿し、キャラクターたちは毅然と、そして
「かわいく」立ち現れる。


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ギャラリーの中を


くま、かえる、おたまじゃくし、いもむし・・・


ごきぶり・・・・


駆け回っております!!


ぜひご高覧ください!





















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佐野 曉(さの・あきら)

1981年 滋賀県生まれ
2011年 京都市立芸術大学大学院後期博士 課程 漆工研究領域
    修了学位 博士(美術)取得

個展

2011 「くまさん 於 祇をん小西」
2009 「森の魂」(ギャラリーはねうさぎ京都)
2006 「神代に奏でる天音滴」(ギャラリーはねうさぎ 京都)
2005 「ほしみちるあまのかみやど」
   (ギャラリーはねうさぎ 京都)

グループ展

2011 「会津 漆の芸術祭2011 東北へのエール」
   (会津若松市、喜多方市)
   「漆展 -新しい漆のかたち-」
    (伊丹市立工芸センター 兵庫)
   「FLAWLESS: ContemporaryJapanese lacquer」
   ( Cavin-MorrisGallery,ニューヨーク アメリカ)
   「Gombessa. proposal ep 1 I am Japanese.」
   (BAMI gallery 京都)
   「漆芸の未来を拓く -生新の時2011-」
    (輪島漆芸美術館 石川)
2010 「京都市立芸術大学大学院美術研究科
    後期博士課程展 第1期」@kcuagallery 京都)
2009 「漆ミーティング2009」
   (ギャラリーマロニエ 京都)
   「 Comtenporary Japanese lacquer」
    ( KEIKOGallery ボストン アメリカ)
2008 「MVInspirietJapan-Kuehlungsborn」
    (キュールングスボルン美術館ドイツ)
   「Gallerism2008」(大阪府立現代美術センター大阪)
   「ゆうゆう展」(西応寺  滋賀)09’10’
   「ニョッキニョッキ 佐野曉 公庄直樹 二人展」
    (恵文社  京都)
2007 「THEROSTOCK-KYOTOART RAINBOW PROJECT」
(ロストック美術館ドイツ)
「皐月の荘厳」(京都芸術センター 京都)
「芽吹 佐野曉 公庄直樹 二人展」
(石田大成社ホール 京都)
2006 「日中交流展」(北京中央美術学院 中国)
   「京都発漆粘土の可能性」(ギャラリーにしかわ京都)
   「京の職人仕事いろいろ展」
   (京都クラフトセンター 京都)
   「ART UNIV 2006」(コンソーシアム京都 京都)
2005 「漆工展in清水」(京都美術工芸ギャラリー 京都)
2004 「六つの月」(クラフトギャラリー集  京都)
2003 「俺タチ脳ミソ漆ヌリ」(ギャラリー○△□京都)

公募展、受賞など

2009 「京展 」入選(同10')

2007〜2008ドイツにて滞在制作

2007 「THE ROSTOCK-KYOTOART RAINBOW PROJECT」 大賞受賞
2006 「京都市立芸術大学作品展」 同窓会賞受賞
   「音の彫刻コンクール2006」 入選
2004 「第22回朝日現代クラフト展」 入選 (同09’)
2003 「京都市立芸術大学作品展」平館賞受賞
2001 「佐藤太晴公募美術展」特選受賞

コレクション

京都銀行(京都)
ロストック美術館(ドイツ)
HotelAMWESTSTRAND(ドイツ)
ホテル オークラ (マカオ)


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