光琳へ 14
June 24,2009
紅白梅図の現物を見、細部の確認を済ませ
校正の方向性も確認が取れた。
あとは進めるだけである。
このとき2月初め
10月の発売を想定すれば、残り8ヶ月。
美術館からOKをもらい量産化をスタート
させる時期を考えれば6月。実質的には
残り4ヶ月であった。ギリギリのような
気もするが、とにかくなんとかなる所までやってきた。
ここから大きく分けて3ヶ所の問題点が発生
していた。
まず第一点、印刷。
思いがけずの事であったが、実物を見ると画像などの
印象では感じなかったことであるのだが、白梅の白い
花びらが思った以上に“立っている”のである。
立つとは色が前に出てくる感覚を指すのであるが
強烈に白い花びらが目に飛び込んでくるのである。
初期の想定としては紙そのものの白色でその部分は
構成しようと計画していたが、とてもではないが
その手法では白色が前には出てこない。そうなると
選択できる手段はかなり限られてくる。
シルクスクリーンによる“版”を、このためにだけに
作らなければならない。
僅か数枚の花びらのためだけの“版”…
これは避けられない事情であった。問題は想定コストである。
多少のロスは計算化していたが、このためだけの版を製作
するとなると、原価ベースで?十万円の加算となった。。。
第二点は屏風である。
試作品においてクレームが多少出ていた。もっとグレード
を上げるようにという事であった。根本的な作りを再度
検討する課題であり、こちらも想定原価を大幅に狂わす
要素となって大きく圧し掛かってきた。
この2点の問題点は最終的な小売価格の変更に繋がる
要件であり、再度見積もりを組みなおさなければならなかった。
そして第三点目、これはこの時点では問題化されていなかった
が、現物の劣化した部分、絵が落剥した箇所をどのように補い
認証を得るのか?という問題であった。これに関しては、相手との
コミュニケーション如何ではあるが、取り掛かる前のこの時点で
問題箇所の想定範囲として我々は考えていた。
実際、最大の問題点?か?と想像していた“金箔”部分については
さほど問題ではなく、以前紹介させてもらった、ブロンジ技術に関して
大いに評価してもらっていた。
小売価格の変更に関しては通信販売の企画会社との間で調整を図らなければ
ならない。これは大きな障壁であった。
これまで実は何度か腹の探り合いをしてきたのであるが
どうも、私と彼らには大きなギャップが存在しているなぁと感じてはいた。。
彼らは如何に安く仕上げるか…であり
私は、この企画に見合う価格という考えであり、無闇に安くする必要はない
という考え方であった。暴利を貪るということでない、こういうものの持つ
相対的な価格、、その感覚である。。
しかし、、、、基本的には売れる価格ということである…
安いから売れるわけではない。当然高すぎては売れない。ここが難しいの
であるが、価格感というのだろうか、やはり商品が持つ、持たされる雰囲気
や性格によってその値段はかなりの幅を持つこととなる。
美術品の場合、基本は“インフレ商材”でなくてはならない。需給のバランス
で需要が勝つバランスを如何に組み立てるかこれが重要な要素となる。
しかしながら、だからと言ってインフレーションがハイパーにまでなると
価格感が失われることはもちろんだが、特定の人間しか買うことが出来なくなる。
今回の場合、基本は通信販売であり不特定多数とまで広範なターゲットではない
にしてもある程度のインフレ要素を含みながらの“数”を想定しての計画であり、
その数が計画通りの答えを出せるジャストな金額が幾らなのか?という事であった。。。
正直、最初の検討段階で通販側から提示された“指値”は、私の感覚では
安すぎるものであった。これは原価からの積算によって無理という筋の問題
として捉えていたわけではなく、先に述べた“価格感”からしてオカシイと
感じた事であった。良いモノが安くという状態は平均的な商売の想定では
パフォーマンスが良いと思う。しかし美術品というものの性格は決して
そうではない。言葉は悪いが通念として“安物”という感覚にしかならない
場合が多にしてある。“物”にしてしまうと価格は取れない。。。。
付加価値というものが存在する。これは無闇やたらに乗せていいものではない。
しかし乗せなくてはならないものも存在するのと同時に乗せる資格というものが
ある。
私は今回の企画は、この資格が充分あり、また、その為の営為努力を最大限に
必要とするものであると考えていたのであった。
通販側も美術品を今回始めて扱った訳ではない。
価格感も充分持ち合わせてはいる。
しかし、最大の問題は自社内での過去データーの比較でしかなく、世間全般
の美術市場や感覚をマーケッティングした相対的な価格感ではないのである。
だから、オカシイのであるが、ターゲットが国宝と言えど、“前例主義”の
中から全てを想定してしまうのであった。
この点については数回話し合ったが、なかなか折り合いがつくことなく、そのまま
になっていた。当然その価格近辺という事で私は制作に取り掛かっていたが、結局
最終的な小売価格に関しては、この時点ではなにも決まってはいなかった。。。
丁度良い機会だ!と思った。
再見積もりを詳細に組みなおすと、やはり先方が想定していた小売価格の50%UP
程度になる。この価格感は正直悪くは無かった。
コストが上がる事情も踏まえて、この問題を決着しようと先方へ伺った。
もろもろの説明をし、こちらの考えも述べた。
そこで結論として価格を明示したのであるが、黙って聞いていた担当の顔が見る見る
変わるのが分かった。。
もう今なにを言われたのかは覚えていないが、かなりエキサイトしていた。。
私も先方も・・
しかし私の答えは一つであった。
これ以上は安くならない。
安くするつもりもない!
事実安くは出来ない事情もある、そしてなにより私としては先方の
考える値段はどう考えても納得できるものではなかった。。
強気に出れる条件が私にはあった。
これで駄目ならこの会社とこの仕事はもう進めない!
自分たちでできるものならやってみろ!
という生意気な感情が口元まで出かかっていた。。
相手もそれは充分理解していたと思う。
別れ際に、この価格では再度検討しないといけない。
会社の会議にかけて結論を出します…
場合によっては…
という事であった。。。
当然相手の事情もわかる。仕入れ予算や広告宣伝費等の経費を既にラフながら
組み、その計画をもとに会社の了承を取り付けて進めているわけであるから、それが
全てとは言わないまでも、商品の仕入れ価格が50%も上がるとなると、それは
高すぎるという結論に変更しかねない。という事は計画中止となる可能性が濃くなる
。。。。。。
私としても正直、突如中止となれば困るのは事実であった。
ここまで様々な関係者を動かし、それぞれに実際発生している金銭もあった。
しかし中止となってもこの屏風の製作は続行しようと決意していた。
そして独自に売る方法を考えていこうと勝手に考えていた。それは逆に自信が
あったからだ…
この物件をそうそう何処もが出来るはずは無い!
必ずそう簡単に放棄はしないだろう!と同時に、仮に中止となっても
この物件は必ず活かせる道がある。。と確信していた。
後は先方がどう考えるか次第であった。
が、、、、やはり納得がいかないので
戻り次第、20枚に渡るレポートを書いた。
そこにはこれまでの進捗状況についてや、この仕事における特殊事情
その他、諸々の難題等を時系列にして詳細に説明させてもらった。。
これまで何度も経過報告はしてきたから知った事情ではあるが、再度
書く事にしたのは、この商材は“特別”であるという事を伝えたかった
のである。
国宝!
国民の宝をモチーフにしている!
これは一企業の過去のデーターで捉える対象ではなく、もっと
広義な意味においての価格感を考えるべきで、過去の事例、自社の商材
と並列して考察するべきものではないという私なりの信念であった。
このレポートがどのように受け取られたのかは知らない。
憎憎しげな感情を掻き立てたやもしれない…いや確実に
そうであったであろう…
しかし喧嘩しようが、中止になろうが、私はそれで良かったと
自分なりに結論付けた。
営業的にはあまり良いことではないが、もうこの頃の私にとって
この屏風は、ただの“物”として冷静にシビア-に捉えられるもので
はなかった。本来これでは駄目であることは分かっていた。。
もっと冷徹に利益を直視しなくてはならない、、、
でも、、、それだけではこの屏風は出来ないだろうナァ・・と、、、、
なんとなくではあるが、、そういう想いがあったのも事実であった。。。。
単純な物作りで終わってはいけない、そこに絶対的な情熱、思い入れ、
畏敬…そんなものが大きな割合を成さなければ…
仮にそれらしいものが出来たとしても
絶対に感動は生れない。
それは“売れない”という事でもある。
先方に下駄を預けたような形になったが、
私としては“光琳”に下駄を預けた気持ちであった!
暫くして回答がきた
“続行”
という結論であった。。。
つづく。。
光琳へ 13
June 18,2009
さて、2か月が過ぎ
いよいよ美術館に伺う日がやってきた。
この年は例年と違い、紅白梅図は2月からの公開
ではなく、一月の確か28、29あたりから公開していた。
美術館側に校正の方向性の確認が、この日の重要な仕事であった
のであるが、それと並行して実物の確認、これも重要な仕事であった。
これから具体的に作るにあたり何度も確認できるものではない。
しかもこの伺った日あたりから僅か約40日間の展示。。。
今回見るというのは、この一回で実像を網膜に焼きつけなくては
ならないということであり、それぞれ持ち場ごとに大事な箇所
当然印刷を受け持つ者は細部にわたる色の確認、屏風制作を受け持つ
ものは細部の作り、我々はやはり全体の印象・・・と、、それぞれ
が明確な意識をもって臨んだ。。
この日、伺ったメンバーは、私、私の部下の鳥居、印刷会社からは
営業のNさん他技術者3名、屏風制作会社営業のFくん、美術館への
担当窓口商社の営業Kさん、以上総勢8名であった。。
予定の時間までロビーで雑談をしながら副館長、学芸課長を待った。
30分ほどして事務所に来るようにと取次の女性から言われ、皆一列
に並んで事務所に入っていった。あらかじめ訪問メンバーは伝えていたので
あるが、やはり実際、大の男がゾロゾロと8名、そう大きくない事務所に
入っていくと、なんとも言えない圧迫感がうまれ、美術館の方も一瞬
ひるんだように思えた・・・
早速に東文研のデーターを広げ確認に入る。
美術館側は、驚くこともなく、あっさりと、欠損、破損部分等は
商品として美しく仕上げてください・・という事であった。
一般のお客様がお持ちの美しいイメージを再現してください。
と、言う方向性の指示であった。。。
正直、、私は少し残念であった。
実は、どこまでも忠実に現在を再現するということに、少し
欲求をもっていた。実際その方が“面白い”し付加価値を考えても
いいのではないか?と誰にも特に言わなかったが、そんなことを
考えていた。
実際、、、今でも残念なのである・・・
さて、
今回の問題は、このような答えを得て解決というほど生易しいもの
ではない。現状以外の“美しい紅白梅図”となると、一体どの時点での
経年劣化を再現すれば良いのかという問題が生まれるのである。
傷んでいるものであるのは間違いない、その傷み具合をどの程度にするか?
これは制作側の想像、イメージの世界に託されることになるのであるり、それを
美術館側のイメージとどうチューニングするか?実に難しい作業となる。。
まったく新しい、、それこそ光琳が書上げた当時を想像で再現したとしても
美術館の学術的見解に沿うのかどうかという問題が生まれる。しかし
この場合意外とリセットしてやり直しやすい部分があるが、今回のような
経年劣化のどの時点が“美術館の言う美しさ”になるのか・・・・・・と
言うようなものの場合、、、、改めて校正回数は多い!と腹をくくったので
あった・・・・
一通りの確認が終わろうかという時に、学芸課長から
「では、今の確認事項を踏まえて、紅白梅図を見にいきましょう!
まだ閉館時間ではないですが、今年は例外的なスケジュールで一月から
公開してまして、実は案外ご存じない方が多く、今は閑散としてます、
ちょうど良い機会に来られた。」
と声をかけていただき、課長のあとについて8名がゾロゾロ紅白梅図
の展示場へ向かった。
薄暗い展示場の一番奥
ぼぉ----と浮かび上がる
紅白梅図・・・
国宝。
美しい・・・
中学時分に教科書で見た、あの紅梅の根元、、人の足のような
間違いなく本物だ・・・・
しかも、、
頭の中に入っていたサイズより、、数段大きく感じる。。。
風格と威厳。
これほどまでに・・・・・“ 凛 ”としている絵画は
そうは、ない!
ある意味驚愕であった。
写真、書籍、ポスター
まったく別物だ。
これを1/2で複製するのか・・我々は。。
と、、しばらく8名は展示ガラスの前で立ち尽くしていた。。。
ぼぉ----と見ていたのであるが、気づくと
印刷会社の4名はカラーサンプルを取り出し屏風正面に陣取り
ああでもないこうでもないと打ち合わせを始めた・・・
立ったり座ったり、寝転んで下から眺めたり
顔をガラスにくっつけ・・・・・
学芸課長から
まだ完全な閉館ではないですから・・お客様のご迷惑にならな
いように!
と、注意されるぐらいのハイテンションで4名がガヤガヤと大声
でやりだした。最初は其のつど注意していた学芸課長も半ば呆れ
たように、、、諦めて見守ってくれた・・・
まるで子供がおもちゃ屋のウィンドウの前で、騒ぎはしゃぎ見ている
風景であった・・
閉館を約30分超えても我々はその場を離れようとはしなかった。
気づくと展示場に入ってからゆうに一時間は過ぎていた。。。。。。。
私も同じく、じっと何度も様々な箇所を見つめ続けていた。
あることに気づく・・・
あきない・・・
この絵は相当な時間見続けてもあきない。。。
そして、一番大事なのは、この威風堂々とした佇まい。。
これを果たしてどれほど・・・
と、ぼ------と考えていると、、、学芸課長から
「本当は絶対にダメなんですが、皆さんの熱意、これに
少し応えさせてもらいます。。」
「??」
「お一人“5秒”以内」
「??」
「この隅からガラスケースを開けますので、ガラス越しではない
実物の色を見て下さい。何度も言いますが一人5秒です。それ以上は
コンディションが変わりますので・・・」
皆、、、“えっ”とお互いの顔を見合わせた!
慌てて、それぞれ、ハンケチを口に当て、学芸課長が立つ
ガラス開口部に一列になって並んだ・・
それでは、と順番に5秒づつ学芸課長がガラスを開け閉め
という作業を開始した。。
この場合、技術者からの順である。
当然私や私の部下は一番最後。
なんとも言えない嬉しい待ち遠しい気持ち・・・・
が、、、、、技術者の執念!
学芸課長が“ちょ、、ちょっとぉ!もうその位に!”と言う位
食らいつき時間を引き延ばし見つめたのである・・・
そしてイヨイヨ私、、であったが、、、最初からの技術者の引き延ばし
にイライラしていたのか、、私は本当に5秒以内、、3秒くらいであった。。
。。。。。。。。。。
でも、、わずか開いたガラスから覗き見た
紅白梅図は
とんでもなく
大きく見えた。。。
つづく。。
光琳へ 12
June 17,2009
東文研の最強データーを目の当たりにして
急ぎ校正の方向性を確認しようと美術館との
接触を図ったが、先方の繁忙により2か月先まで
スケジュールが延期したというところまで前回お話
したのであるが、ここで光琳について少し触れたい。
今、インターネットを叩けば“ゴマン”と情報が出てくる時
代であり、専門家でもない私が光琳について説明したところで
なんの役にも立たないが、個人的に光琳について思っている
部分を書いてみたい。
実は様々な絵画をこれまで見てきたのであるが、光琳に関しては
どの絵画よりも見ていたのじゃないかなぁ?という記憶がある。
それは確か私が中学生時分、教科書の表紙及びかなりのスペース
でこの紅白梅図が載っていたからである。僅かづつ絵画に興味を
覚えた時分、雑誌など買うこともなかった当時、絵画に触れる
唯一簡便なメディアが教科書であった。その表紙に採用されてい
た絵が紅白梅図であり、興味があるなしに関わらず毎週見ていた。
この絵が好き嫌いという感情は特になかったのであるが、妙に
気になりそれ以降も頭を離れない絵の箇所があった。それは
紅白梅図 (右隻)の紅梅が描かれている根元部分、この部分が、
人が足を踏んばっている姿に見えてしょうがなかったのである。
しかも、、なというのかサンダルというか草履のようなものを
吐いた人の足元に見えたのである。
不思議な絵だなぁ・・と、その当時から気になっていた。
もう一つの関心事は、近現代の日本の絵画を除いて見た場合、
大半がどのような革新性を踏まえていたとしても、どこか
中国からの絵画の流れを拭えないのに比べ、光琳をはじめと
する琳派の絵師は、まったくそれらとは一線を画す別物に
私は見えた。唯一無比と言って良いくらいの激的な違いを
感じとれた。
後年様々な意味がこの絵には存在するということを知った。
後年の解釈であり実際にそうなのかどうかは分からないが、
紅白の梅は人であり、男女であり、老若であり、その間に
流れる川は時の経過を暗示する。そこには戻れない時の
経過や盛者必衰の寂寥感や、生々しい人間社会のありよう
が見てとれるというものである。その当時に感じていた人
の足型という見え方が決して意味なく見えていたものでは
ないことに整合したとき、なぜかものすごく嬉しかったのを
覚えている。それと同時にこの絵とこの作者について少し
調べたような記憶があるのと同時に、実は今も断続的に調
べたりすることがある。。
今回偶然に巡り合った仕事でこの絵と関わることになった時、
妙な親近感と、自分勝手な都合による解釈ではあるが因縁を
感じたのは紛れもない私の正直な感情であった。もっと大層
に言えば、なんか絵が手招きで呼んだような気さえしていた。
それに付け加え、その数年前に研究された金箔の件、
その放映を偶然見たことも邂逅の感情をさらに増幅させたの
であった。
現在、研究結果を肯定するという流れで光琳の金は解釈され
ているが、実際は反論も多数存在する。一応は公的な研究
機関が出した結論が解釈の中心をなし、その結論からこの
屏風には金箔が使われていなかったというのが現在の解釈であ
る。
私はこの件に関して私なりに結論を持っている。
私の考えもやはり金箔ではないというものである。
東文研の研究室の壁にあった拡大接写の図版も見た、
当然現物も間じかに見たしかし結局は私などでは判別
できるものではない。また偉そうに書いているが
東文研の報告書を見ても、なにがなんやらさっぱり分
からないというのが実際でる。しかし私の金箔でない
という結論にはある一点が中心をなしているのである。
これはNHKの放映の中でも重要な要素として紹介され
ていた部分であり、独自のオリジナル解釈では決してな
いのであるが、この部分こそが金箔でないという
事の最大論拠にもなり得ると確信を持てたのであった。
戯作!
これである!
そのように見せかける、しかし種は明かさないという
“粋”と気概・・
反論の中には“なぜわざわざそんな意味のないことをする
必要があるのか?”という意見がある。実際金箔で良いで
はないかと思うのが普通であろう。
しかし、ここに光琳が歩んだ人生とその時代の社会の空気が
私は如実に見てとれるような気がしてならないのである。
逆に、金箔であるほうが“おかしい”のである。
もともと裕福な家のおぼちゃまとして生まれ、散財の限り
をつくし、人生晩年に仕方なく?絵描きになった人物。
アカデミックな流れの中で技術を磨くことなく、市井の中
に存在する洗練された瀟洒な感性を他の追随を許すことな
く具現化したした人物。この特異な人物像から考えても、
戯作という近世日本の文学演劇の中心をなす概念を、
市井の粋人として吸収し、絵描きになった後如何なく表出
していたとしても決しておかしくはないし、その方が実に
おさまりがよい。
この屏風の来歴は判然としないところが多いのであるが、
津軽伝というのが一般的である。ということは安易な想像
かもしれないが、津軽藩もしくはそれ相応の大名からの
オーダーであった可能性が実に濃い作品である。
そして二曲一双という式典や部屋の間仕切りに利用する
には小さすぎる形状を考えても、観賞用としてしか当初
から目的をもたされていない作品であったことは間違い
ないであろう。
ということは、もともと現在のような不特定多数に展覧
するために描かれたものではなく大名という富裕な個人
に向けて描かれたものであり、それを披露するとしても
大名家の縁故者程度であり、もっと現代風に考えれば、
大名家間に存在した社交界のみであったと私は想像する
のである。この限定的な想像の中で考えられるものとは
なにか?現代の社交界でも現代アートは彼らのコレク
ションの中心をなしているのであるが、そのコレクション
上の質・内容とは、やはり新進の革新的な芸術品であり、
その青田買い的な要素が彼らの射幸心を煽る。
普通のものではダメなのである!
なにか劇的に違いが存在し、他にないもの・・・
当然光琳の紅白梅図はその絵画性だけとっても革新的琳派
の内容を兼ね備えているが、それ以上ということを
クライアントに渡すとするならば、金箔に見えて金箔では
なく、すべて手書きで作りましたよ!というのは実に洒落
た発想であり、大名というコレクターからすれば当意即妙
であったことは間違いないであろう。
現代でも、なぜ村上隆なのか?という部分を考察する場合、
この部分は大変重要であることは間違いない。ニューヨーク
のサザビーズで何億という価格で落札された。これは誰が
落札するのであろうか?
富裕者であることは間違いない。もっと絞ればこういった
先進的なものを持つ意味を感じる人及びその人が形成する
集団ということになる。
同じコレクションでも既成と化した価値のトレードと、
これから価値を創造するであろうという事を中心とした
コレクションは似て非なるものであり、現代アートが
現代アートとして商品化される最大はこの進取に敏感な
コレクターの存在なくしてその価値形成が得難いのも
また事実である。。。。
そこから考えても私は光琳という人物が軽々と金箔にみせ
て戯作を施したというのは無理のない論理のような気がす
るのと同時に、彼が若年から絵師を志し大成した人物なら
そういった事をしなかったであろうという想像も持って
いる。やはり、おぼちゃまとして贅の限りをつくして遊び
呆けた人物ならではの柔軟な思考と、どこか絵に対する
客観性が彼をこのような仕事に向けたのではないか?と
考えるのであった。
実に稚拙な論理で笑われるかもしれないが、平明に言えば、
お金持ちにはお金持ちの感性が存在し、それらに向けての
その時代のマーケッティングがあったのではないか?
という事である。
この戯作・・・私は現代日本のアートにまで一直線で
繋がるDNAだと常々考えるところがある。実にこれらの
感性から無意識に意を得ていると思わざるを得ないよう
な現代アートがこの国には多く存在する。この国に
シュールレアリズムがそうは根づかなかったのも実は
この戯作という感性が存在したためではないか?
と考える部分がある。。。。
また一般に琳派と呼ばれるものがあるが、宗達も光琳も
抱一も我々は琳派だと!と自己主張した集団であったわ
けではない。後世、これらの作柄を集約したにすぎない
呼称であり、元来は市井に突如現れた革新的な芸術であり、
それまでの絵画を踏破したアバンギャルドな存在であった。
これらの出現の背景を考えても現代アートに通じる感性を
私は感じるのである・・
まぁいずれにしても、、、
これが本当に光琳快心の“戯作”であったと
したならば
何百年も経た、今の我々でも解明できない
強固な洒落であり
これこそが
光琳の光琳たるものの真骨頂であり
光琳の面目躍如の
痛快事ではなかろうか!!
つづく。。