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上海Biz 2
つづきですが




上海のオークションハウスのディレクターから
アートマーケットの現況を聞いたところまで
お話させていただきましたが、この後、ディレクター
より上海内の我々が得たい情報を持っているのではないか?
と想像できるギャラリーを紹介していただき訪問する
こととなりました。




最初に訪問したのは



複合的な商業施設が入った建物で、その4階に入居している
ギャラリーでした。












上海アートフェアにも出展していたギャラリーで、陳列して
いる作品群も見覚えがあるものでした。















しばらくギャラリー内を見ていると、オーナーが外出から
戻られて我々との話の場を設けてくれました。


こちらとしては全くどこから聞けばいいのかと悩むところ
でしたが、親切にもオーナー側から自分たちの現状を説明し
てくれました。


このギャラリーは立体が中心で、海外の作家を取り扱う
ギャラリーとして上海のアートマーケットにおいてポジシ
ョニングしているようでした。










我々との関係性においてはどこが接点なのか?と単純に
考えれば、外国人作家を取り扱っているという点が明快
なポイントで、それにそって我々は色々と質問をしたの
でした。


ポートフォリオは広く扱いますとの回答、それをファイルし
様々な案件のプレゼンテーションに使う可能性を示唆して
くれたのですが、確かに我々にとってそれは何の問題もなく
始められる事であり、早速にもとなるのですが・・・・



私は、ここで少し引っかかる部分が自分の中にあるのに
気づきました。


誤解があってはいけないので最初に申し上げたいが
このギャラリーが問題があり引っかかったというのではない。
おそらくこれからも直接間接的に様々なギャラリーの事情を
調べなくてはならないが、それは、、、


何のためなのか?


何がベストなのか?という事の基軸を明確にしておかな
ければ話を様々聞いたところで、肝心な”判断”というもの
ができない。



その為に今一度整理しておくべきことがるのを感じたの
でした。。




私は日本しかギャラリーの事情は把握していない。
それもごく狭小な部分に限定するのかもしれないですが、


ギャラリーには相対的に商売の性格がある。。。


ある筈である・・ごくごく当たり前のことなのだが



上海の地にいるとフッとその土地の状況に飲み込まれ
がちになるのですが、冷静になれば・・・


ギャラリーと一口にいっても、その商売の方法は様々
な形態をとる。これは上海であろうが日本であろうが
同様の筈である。


同じような施設を運営していても、中身は千差万別である。
何を是とし非とするのか・・・
これは国が違うことによって全てに差異があるとは少し考
えにくい。


そうなれば、さほどその形態が特殊なものでない限り
日本を下敷きにして考えても問題はないのではないか?


もっと分かりやすく言えば、まずは日本の類例を
下敷きにし差異を計った方が理解しやすいのでは??
と考えたのでした。。



最終的にはどこも同じであり、お客様という個人か
法人という対象に作品、この場合商品と呼ぶほうが
正確かもしれないが、納品し回収すること、このこと
以外にビジネスの形は存在しないのだが、そこまでの
経路の種類を識別したほうがギャラリーの性格を把握
するためには意味があるかなぁ。。。。と、、、、



もっと言えば、ビジネスを開始しある部分、上海の
ギャラリーという機能を活用する、そのような取引
を行うというような目標を考えた場合、その性格的
な一致不一致は伸張拡大という目標には大きな問題
となる筈である。




その時、一番大事なものというのか、根幹になるのは



作品という”モノ”を中心に扱っている所なのか
作家という”ヒト”を中心に扱っている所なのか



モノは有限
ヒトは無限



この違いは正確に把握すべきだなと感じたのでした。




どちらが良い悪いという問題ではない。商売の方法論
及び考えの方の違いでしかない。



しかし我々の根幹は”ヒト”である。



アーティストという”ヒト”であり、そのヒトの可能性を
商売に転嫁することである。このベクトルは大事にしたい
ところである。


モノが先行すれば確実に収益面は即時目に見えた形で現れ
その為の行動も分かりやすい。モノを持って売り込めば
良いのである。しかし美術品の購買動機というものを考
えればモノがきっかけであることは間違いないが、モノと
はヒトが作るものであり、究極はそのヒトの魅力によると
ころが一番大きいはずである。コレクターと呼ばれるヒト
の本質はモノをたくさん所有しているヒトということでは
ない筈である。



利殖を中心と考えるヒトを例にしても



利殖に耐えうる要素が絶対に必要であることは間違いない。
それがmade in japan・・・・ただそれだけではない筈で
ある。



では、、このヒトは誰が作り出すのか?



当然アーティスト自身が自己形成するのであるが
これを商品化するのは誰か?という事の問題である。



奈良美智みたいなモノ、村上隆みたいなモノ、、、なのか
奈良美智みたいなヒト、村上隆みたいなヒト、、、なのか


いずれにしても”パチモン”くさい例えにしかなって
いないが、私には大きな違いがあるように思える・・



これは私の個人的な考え方でしかないのですが、中国にて
果たして日本人というメンタリティーを商売にできるのか?
という部分で考えれば、、、、



国が違うという文化差異をモノに反映することによって
それを商売のポイントにした方がお互い分かりやすく
勝負も早いのではないか?と考えた方が現実的には
納得感と成果を上げやすように感じる。



しかし、それで有為性を保って恒常的なビジネスが
できるのだろうか??



COMBINEでないといけない理由がそれで見出せるの
だろうか?



別に他のmade in japanでも良いように感じるのは
私だけだろうか??



基本は中国のヒトは中国の作家を重宝する。これは当
たり前だと思う。しかし、、が、故に



私は端から中国を100%のターゲットとしては見てい
ない。日本ということを意識している部分、これは全体
の100から言えば0コンマ・・・・%という組成しか
ないかもしれないが、、、



しかし、実はその部分のその又0コンマ・・%のCOMBINE
のシェアー、、これこそがもっとも大事だと考えている。



私はこの0コンマ・・・%は隘路かもしれないが、確実
に存在すると確信している。



端から大なる相手に合わそうとする必要性はないし、
安売りする理由もない。



COMBINEの作家は間違いなく優れている!



これは上海アートフェアで実感した私の感覚であり、
上海に来た最大の拠り所でもある。






つづく。。

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上海Biz 1
上海bizの報告のつづきですが


実は先のblogの契約書調印の風景は


最終日の風景でした。


と言うことで・・・
先ずは結論からご報告させてもらったのですが


実際には最終日までに、様々な人、様々な施設等
をKFLとCOMBINEで視察しました。


その間、其のつど、KFLとCOMBINEは打ち合わせ
を行い、考え方のギャップ、先入観として持っている
お互いの溝の部分を埋めていくようにいたしました。


アートそのもの、アートマーケット、物流、、、
それぞれに横たわるそれぞれの国の特殊事情、
と、慣習や因習、、なによりも成熟から滑り落ちる
手前の我が国と高度な経済成長の途上である中国の
”富の還流形体”と”富の蓄積”及びビジネスイ
ンフラ等々、、、、



これらについて、、



観念として各々が色々と考えをもっている、、、



当然このプロジェクトはクルーそれぞれが得手な分野
を持っておりそれが結集しているわけで、目的は同じ
なのであるが、その方法論と経路には多種に渡る選択
肢がでてくるし・・アイデアも豊富である・・・



それをどのように集約し、何が一番効力を発揮する
突破口となるか、この部分のコミュニケーション、
これが今後を大きく左右することは皆一様に感ずると
ころでもあった。



私が先ず第一に提案したのは



情報収集であった。


当たり前と言えば当たり前なのだが


実は以前から実に気になることがあった。。


今や日本のビジネスに関わるメディアで中国を取り上げない
日はない。。その濁流のように流れ込む情報によるところが
大なのだが、確かに日本の雑誌、インターネット、等にて
中国のアートマーケットについて漏れ伝わる情報は多少知
っていたが、、、



本当はどうなのか?




実は以前の上海アートフェアで私が体感したものとは
日本で知り得る情報とはかなり乖離があった、、、










もっと平明に言えば



今まで自分が得た情報なんて



上澄みを労力なく攫い上げたものでしかないんじゃ
ないか??


オークションでどう・・・アートフェアでどう・・・
と表に出ている結果からの当てずっぽうな考察?



そんな雰囲気を私は昨年の上海で如実に感じた・・・


現実は、、


上海!というだけで売れるわけはない。。
ましてや芸術的に高い評価など・・・





当たり前である。



日本で大した実績もないものが場所が変わった
からといって即時結果が出るはずはない。。
こんなことは普通考えれば誰でも判断つく。


出会いがしらのようなビギナーズラックは別の
話であり取り上げる必要もない・・・



しかし売れている、、恒常的に、、


そういった結果としての情報
が厳然と残っている。。



また、、富の膨大な蓄積があることも又事実である。。



メディアはもっぱら、この売れている、富の蓄積という
後者を紹介するが、実際はそう簡単に売れるものではない

・・・

なのに何故か、、ユートピアのような雰囲気が漠然と
蔓延している。。



この部分、これをまず整理し整地しなくては、とても
アクションプランへと移せないというのが私個人の
考えかたであった。



ここで誤解があってはいけないので申しておきたいが
日本を”おざなり”にして、勇躍上海へなどという気持は
毛頭ない。



上海も日本も地続きであるというのが私の基本的考え方
である。今後も変わらず日本においてもCOMBINEのテーマ
である”今までになかったアートマネジメントの
新しいカタチ”を模索する。そして同次元にて上海にて
も同じ行動をとる、これが上海bizの基本コンセプトである。




付け加えて強調するならば


即物的な感性で



”モノ”を売るためにしているのではない
究極の目的はアーティスト自身及びそのアーティスト
が累々と紡ぎ出す人生を投影し社会を映し出した作品を
売るのであり、、



だからこそ、、KFLとのパートナーシップなのである。



その為には、何かに追随するということをするつもり
はない。KFLとCOMBINEが目指すもの、それは日本と
同じ、”今までになかったアートマネジメントの新しい
カタチ”である。



それを具体的にカタチにする
その手始めは・・・



やはり情報収集が密に必要である。



キーポイントは



我々独自感性による情報収集だ!!



という事で



先ずお会いしたのが




上海のオークションハウスのディレクターでした







※この赤いコートの若い女性がディレクターで
 男性二人は先般紹介させてもらったLAO氏と
 義理の息子さんで物流会社の社長です。

 本当に中国でバリバリ仕事をしている人は
 30代40代前半が中心!特に女性のパワーは
 すごい!!




昼前



上海”ヒルトン”で待ち合わせ!!







と、、、聞くと実に格好いいが、、、分かりやすい
ランドマークなので・・・


ヒルトンを選択しただけで、、、




打ち合わせは




ヒルトンの向かいのレストランでのランチを
交えたものでした。。







なかなか風情のある街並。

可愛いこじんまりとしたレストランで
料理もおいしかったです。。







※中央の女性がオークションハウスディレクターです。
 可愛い女性で学生か?と見紛うほどでした・・






※各所に電話をかけて色々と情報収集のための
 調整を図っていただきました・・





しかし!!!





ここで手始めの情報収集としては実に濃密なものを
いただけたのでした。。。










※しきりにメモを取るLAO氏はじめKFLとCOMBINEクルー
 達です・・・







つづく

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never mind
22日の深夜、無事上海より



帰国いたしました。



出発前のブログで書きました通り



上海の現地法人とプロジェクトチーム
を立ち上げ、上海にてのアートマネジメント
活動を開始する、そのための今回の渡航でした。



プロジェクトチーム名は



KFL です。

(Keep Future Life)



KFLのクルーは
エージェントF氏K氏
現地法人代表LAO氏(ラオ)
LAO氏のお嬢様のご主人(現在物流会社の社長)
新規採用女性スタッフ


以上の5名です。


実は、COMBINEのアートフェアへの出展は、
このチームをベースに出て行きました。



事前にエージェントF氏K氏により
様々な契約内容・活動内容等の調整を
図っていただき、今回無事契約するこ
とができました。











KFL Co.,Ltd.の母体現地法人が入居するビルです。
上海市の西部に位置します。





これがオフィスへ向かうエレベーターです。





KFL Co.,Ltdが活動するオフィスの正面玄関です。






オフィス内部は実に清掃が行き届き綺麗です。





KFL の活動用”ストックルーム”まで
すでに用意されていました。BAMIgalleyのバックヤード
よりも格段に広く、天井も高い!オーバー100号も問題
なし。







高層ビルでオフィスからの眺めは実に壮大です!!










これが契約書調印の風景です。


写真正面の男性


彼が現地法人代表であり
今回のプロジェクトチームの”ボス”


LAO(ラオ)氏です。



中国の市場改革開放前の時代から英語を駆使し国営の
貿易会社で活躍してきたツワモノで、たたき上げの
ビジネスマン。。



昨今の経済発展で跳梁跋扈しているようなイカガワシイ
輩とは違い、節義を重んじ、礼節をなによりも重んじる
中国人。そして、、、


ビジネスとは”アート”だという哲学を堅持する
中国の、、、



頑固”親父”です。。



いつもニコニコ、ビジネスでは厳しい視線



そんな



LAOさんの口癖は



never mind


ネバーマイン!



心配するな!!!




です。。




あっ!




忘れていました!!




KFL の新規採用スタッフ


彭博


ポン・ヒロちゃんです。





今後COMBINEのホームページ、スタッフのブログにも
たびたび登場すると思いますので、、



お見知りおきくださいませ。




つづく。。

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明日から上海




いよいよ明日から3日間の


上海出張である。。



エージェントのFさんからスケジュール
が先週メールで来たが



なかなか充実した内容で



結構3日間とも忙しく成りそうである。



今回は以前にも少し触れたかもしれないが



昨年の上海アートフェア出展で



様々な可能性を得たモノを如何に具体的に
活かしていくかといことがテーマであり



この数ヶ月間、エージェントのFさんが現地を
数回行き来し得た情報と各関係先への調整を
図っていただいた事の具体化になる。



帰国後にはもう少し具体的な内容をご報告
できると思いますが、少しだけお話すると



現地法人と私ども、その間を取り持つFさん
Kさんとにおいて上海の市場で活動するための
新たなプロジェクトチームを立ち上げる、その
具体的な打合せになります。



それぞれのノウハウを持ち寄り”COMBINE”するこ
とにより新たな切り口と活動の展開を企画したい
と考えております。



本来、もっと具体的になってからの報告の方が
良いのかもしれませんが、、、



このブログに記載すること



是すなわち



私自身へのノルマと課したく思いました。







・・・・・・・・・・・・・・


と言うことで



先週末から資料やら企画書やら
を纏めていたのであるが・・・・





今日最後の企画書を纏めていて









上書き保存するのを忘れて




全て消去してしまう・・・という




PC残酷物語に遭遇してしまった・・・






なんだかなぁ・・・





なんか、、私はこういう事が多い・・




ふぅ~。。。。

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作家との会話
唐突だが



会話をするとき


ある場面において”グッ”と緊張する時が



私にはある。年を重ねるごとに段々と図々しく
なり、緊張の瞬間も減っているのが現状なのだが



こんな私でも細心に言葉を選び、足りない脳漿を
絞り出す瞬間がある・・・



それは作家と作品の事を会話する場面なのだが
一般的な”論理”ではなく、その作家が制作に
関することに触れる瞬間だ。。



作家は様々な”フェーズ(段階)”にその身を
置きながら制作に励んでいるのだが、コンセプト
が決まり、もしくは頑健なコンセプトを堅持して
いる場合は、冷静に話を聞き”応援”するという
立場において会話を成立させるのだが、それ以外・・


次のフェーズに向かおうとしている、、、これは
言葉が的確さを欠いているかもしれないが、、、、


ある意味作家の長い制作活動において過去を振り返った
場合、その瞬間が”谷底”のような場所に身を
置いている、そんな風景が読み取れた場合、こんな
鈍感な私でも少し言葉を選び会話には緊張してしまう。



基本的な私の作家との接し方は


何も言わないというスタンスである。




技術的なことは当然であるし、コンセプトに関しても
言うことは皆無といっていいと思う。それが私の
考え方である。



会話の基本は社会・政治・歴史・経済、、、こういった
ものにできるだけウェートを置きたいと心がけている・・
その方が、私として与えられるものが多いと確信している。



あえてお互いの接点について苦言を呈するとするならば、
流通に関する事であり、基本、制作を生業と成していな
い者達の脆弱な楽観的なる想像と、”掟””商道徳”
というべき、我々の領域に関するものについては口うる
さく言うべきであるとは思っているが、、、、



彼らが生息している領域に踏み込むことは
余程の事がない限り、近寄ろうとは思わない。



思う事は正直”多々ある”。
何度か口をつくような感覚を抑えた事も
否定はしない。


しかし、私はいつも黙ることにしている・・



それによってどのような反応が生まれるのか
正直分からない、、、、、言えば良いのか?



だからと言って我々の放つ言葉によって本質が進捗
するというような”稚拙な”変化によって変貌を遂げた
などという方が元来オカシイと私は考えているのと同時に
その程度の紆余曲折の中に身を置き悩んでいる程度では



どうなのか?とその本質すら疑ってしまう・・・



それよりも我々の仕事の本質は、彼らが得られない環境
の提示であり、その環境から受ける刺激を如何に与える
かの方がずっと大事であると思う。


その最大はやはり、バーチャルではなく実存としての
作品を多くの人に見せる、、、



これに尽きると思う。



私は何度もこのブログで書いてきたが、現代美術や
コンテンポラリーアートという総枠を商売の対象
としているわけではない。あくまで比類なき個人の
制作による”表現を”商売の対象としている。



現代美術やコンテンポラリーという言葉は説明上
の便宜としては使用する事はあるが、私個人の
考えを表出する場合にはそういったある種の
”ボタン”や”アイコン”を使用しようと思った
事はない。



そう考えたとき、多くの人に見せるという、この
概念の基本は、何者にも束縛されず制約されない
この時代に生きるものの表現を指しているのであり
現代美術の○○クンの絵画を・・・などと言うよう
な事は一切ない。



例えそれがサブカルチャー的であろうが、メインカル
チャーのエッセンスであろうが、アカアデミックであ
ろうがなんら関係ない。。



もっと言えば文学でも良い、音楽でも良い、舞踏でも
ファッションでも、webデザインでも、、、、、



表現という領域に限界はない。



我々がなにをもって選択したか、それが大事であると
同時に、大勢を前にしてその表現の強度が保つかどうか?



それが何よりも大事なのであり、
ある意味我々はそれを判断する、
もしくは”待つ””探す””試す”という
事なのだ・・・と考えている。。。



が、先に述べたように何らかのフェーズに進む、
その瞬間に立ち会う事も避けられない事情としてあり、
その事を論点に話し合うこともある。。。



この場面・・・



これには瞬時に”グッ”と緊張感が高まる。。



先日そんな瞬間を偶然にも、、久しぶりに迎えた・・



先日の”タムラエビス”の新年会に雨森君が久々に
ギャラリーを訪ねてくれた。


昨年末に電話をくれて伺いたいという事を聞いたが
間の悪い事に私は年末まで出張であり、その機会を
逸したのだが、明けて新年に改めて足を運んでくれた
のである。


昨年末もギャラリーに来るには来てくれたのだが
東京で個展をしたときの新作の画像と現在
取りかかっている小作品の画像を置いて帰った
のだった。


そして今回、、
昨年の東京での個展の報告と、今制作している小作品
、、の感想を聞きにわざわざ足を運んでくれた。。



実は新作画像はそれまでに見ていた。


正直な感想は、彼には悪いが


あまり”前に出てくるものがない”という私の判断
があった。


良くは出来ている、シャープでありクールでもある。
しかし少し前にギャラリー島田さんで賞をもらった
小作品に比べると、何かが足りないような気がして
ならなった・・・


何よりも何か予定調和的な安定感があり、作品から
受けるモノよりも、制作過程ばかりが頭の想像として
浮き立つ、、、そのような感覚ばかりが支配したので
あった。



その事を正直に彼に伝えた。



すると、彼もある種の同意見をもっており



その同意を根拠づけるかのように現在取りかかっている
新作をカバンから取り出し、どうしたいかという事を
説明しだした。。。



その作品は無骨であるが、彼らしいモノに私は感じた。



彼と最初に出会ったとき、そのポートフォリオを見て
感心した。



若いが木工という技術部分においてはかなり高い次元
を有しており何の問題もないように感じたが、少し気
になる部分があったのも確かであった。



それは、技術ばかりが評価の対象にならないか?
これでは?と感じた。技術先行であるならばそれは芸術
表現といよりも職人の技術力ということであり、、これ
では伝えるものの前に皆まず技術部分でその感情が堰き
とめられてしまわないか?と感じたのであった。逆に言
えばそれほど木工の技術が優れていたという証左なのだ
が・・・



その事を正直に指摘したとき、彼も率直に認めた。



だから今こんな事を考えています、、と新作のコンセプトを
説明してくれた。



何も加工しない、無意識化で切る組む刺す、という基本の
ごくシンプルな作業に限定し造形物を作ろうという事で
あった。。



なるほどぉ~へぇ~



と、正直驚いた。これはある意味、勇気のいる行動だ、
今まで築き上げてきたものを一度瓦解させてゼロから
取り組む作業である。言葉にすると簡単であるが、
実際にはかなり勇気がいるのと、今までの自分という
形あるものに対する戦いであり、案外苦戦が予想され
る。ましてや絵画とは違い木工は時間的な拘束が長い
それから考えても、過去の自分と離反する作業はかなり
苦痛が伴うことは”素人”の私にも簡単に想像できた。



このとき私は、特になにも言わなかった・・


それから一年半


昨年の個展はある意味彼の新コンセプトの一つの
区切りであったのだ。



確かに、それまでの技術先行の作品からすれば
格段の変化と表現部分への表出は成功している
が、表現という肝心な部分への到達感が少し
希薄、、いや正直、辿りつかないような気がした
のであった・・



その事を伝え、先ほど言ったカバンから取り出した
作品へと話は移行したのである・・・




さすがに私がいちいち指摘するまでもなく、彼も
充分感じていて、カバンから出てきた作品は先にも
述べたが、武骨ではあるが、間違いなく表現という
ものの顔が僅かではあるが顔を覗かしていた・・



この日の話は



表現ということに執着した・・・



仕事の上で何気なくよく使う言葉ではあったが
こんな瞬間のこの言葉は私の頭と体を結構緊張させる。



そして何よりも



作家の領域に踏み込むことへの正直な躊躇と
緊張感・・・・・



彼の新作コンセプトは過去の作品への回帰的部分を
兼ね備えていた。これはその前の昨年の個展の新作
から逃避して回帰したという事ではなく、間違いなく
無意識化で創作するというコンセプトに基づいた
挑戦の栄養素を存分に含んだ上での回帰であった。



だから以前の作品と被る部分があるにしても
それは似て非なるものであることは瞬時に理解できた
のと同時に、



作家とはこのような長旅を続けて




僅かに前に進むのか・・・と、、改めて物を生み出す
苦しみを感じたのであった。。。。



今の彼は



表現という、人が感受する部分に恐ろしく集中している。
ただ出来た、道具としての要素を完備する事により人との
接点を保つなどという事から大きな一歩を踏み出し、、、



ある意味もがいていた・・



この日、一番のクライマックスとなったのは



なぜ雨森くんの表現は”木”でないといけないか?
その必然性と、、自分の表現で木を木として活かせてい
るのか、その理由が見当たらない・・・という部分に突
き刺さった。



確かに樹脂でも石膏でもFRPでもそれ以外の素材でも出
来なくはない。


そういった選択肢があるにも関わらずなぜ木である必
要が・・



単純ながらも”実に重要な部分”に感じた。。




確かにそれまでの彼は木の固定的な観念として持たされて
いるフォルムの限界を飛び越えることを一つのコンセプト
として据えていたのは間違いない。だから大胆な曲線を強
調した作品や、もっとシンプルに組む刺す継ぐという木に
持たされた特徴を強調するようなやり方を選択肢の中軸に
据えた筈だったのであるが、、それが今や大きな問題のポ
イントへと導いたのである・・・



この日こんな他人が聞いたら”堂々めぐり”のような会話
を2~3時間彼と二人でしていた。。



そんな時私の脳裏をかすめるものがあった。。



木の根本的なイメージってなに?
もっと集約して言えば、固定観念や先入観を改めてまと
めて見ると、、そこには



温かさ、優しさ、柔らかさ、、生命感、、有機質、、・・・



しかし、それを作家があえて強調する必要性が果たして
あるのか?そんなものは固定的に観念化されている筈で
あり見れば記号化している筈でもあった。。。



実は逆なんじゃないの?という事に気づく。



木である必要には木の持っている固定観念と逆質のものとの
対比があって初めて木の意味が強まるのではないか?と感じた
のであった。



単純に言えば、金属と合体した木材を見た瞬間
木の意味というのか、、木の存在の意味を人は探り出す。



これが実は重要なような気がした。



そしてもっと言えば



木は緩やかな曲線や鋭角な造形を生み出せることが
木の最大特徴だと、誰しもが固定的観念を抱いているが
それも本来、本当の木の最大特徴的部分ではないのでは
ないか?と感じたのである・・・





木をへし折ると




その折られた箇所



他の材質にない”ささくれ立った”造詣が出現する




ここに生まれる無意識化の造形



これこそが本当の木の特質を象徴しているので
はないのか?




等々・・・・



・・・・・・・・・・・・・・・・




どれも解決策では決してない。



アイデアとも言い難いかもしれない。。



しかし、、




こんな様々な材料をこの日は



かなり二人して積み上げた。。。








3時間後



私は緊張から戻ってきたが




雨森君は今だあの場所に居続けている・・・
作家の生息領域・・・






後は




私は待つのみだ・・





彼の展覧会を用意しようと決心した。。

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