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上海Biz 2
つづきですが




上海のオークションハウスのディレクターから
アートマーケットの現況を聞いたところまで
お話させていただきましたが、この後、ディレクター
より上海内の我々が得たい情報を持っているのではないか?
と想像できるギャラリーを紹介していただき訪問する
こととなりました。




最初に訪問したのは



複合的な商業施設が入った建物で、その4階に入居している
ギャラリーでした。












上海アートフェアにも出展していたギャラリーで、陳列して
いる作品群も見覚えがあるものでした。















しばらくギャラリー内を見ていると、オーナーが外出から
戻られて我々との話の場を設けてくれました。


こちらとしては全くどこから聞けばいいのかと悩むところ
でしたが、親切にもオーナー側から自分たちの現状を説明し
てくれました。


このギャラリーは立体が中心で、海外の作家を取り扱う
ギャラリーとして上海のアートマーケットにおいてポジシ
ョニングしているようでした。










我々との関係性においてはどこが接点なのか?と単純に
考えれば、外国人作家を取り扱っているという点が明快
なポイントで、それにそって我々は色々と質問をしたの
でした。


ポートフォリオは広く扱いますとの回答、それをファイルし
様々な案件のプレゼンテーションに使う可能性を示唆して
くれたのですが、確かに我々にとってそれは何の問題もなく
始められる事であり、早速にもとなるのですが・・・・



私は、ここで少し引っかかる部分が自分の中にあるのに
気づきました。


誤解があってはいけないので最初に申し上げたいが
このギャラリーが問題があり引っかかったというのではない。
おそらくこれからも直接間接的に様々なギャラリーの事情を
調べなくてはならないが、それは、、、


何のためなのか?


何がベストなのか?という事の基軸を明確にしておかな
ければ話を様々聞いたところで、肝心な”判断”というもの
ができない。



その為に今一度整理しておくべきことがるのを感じたの
でした。。




私は日本しかギャラリーの事情は把握していない。
それもごく狭小な部分に限定するのかもしれないですが、


ギャラリーには相対的に商売の性格がある。。。


ある筈である・・ごくごく当たり前のことなのだが



上海の地にいるとフッとその土地の状況に飲み込まれ
がちになるのですが、冷静になれば・・・


ギャラリーと一口にいっても、その商売の方法は様々
な形態をとる。これは上海であろうが日本であろうが
同様の筈である。


同じような施設を運営していても、中身は千差万別である。
何を是とし非とするのか・・・
これは国が違うことによって全てに差異があるとは少し考
えにくい。


そうなれば、さほどその形態が特殊なものでない限り
日本を下敷きにして考えても問題はないのではないか?


もっと分かりやすく言えば、まずは日本の類例を
下敷きにし差異を計った方が理解しやすいのでは??
と考えたのでした。。



最終的にはどこも同じであり、お客様という個人か
法人という対象に作品、この場合商品と呼ぶほうが
正確かもしれないが、納品し回収すること、このこと
以外にビジネスの形は存在しないのだが、そこまでの
経路の種類を識別したほうがギャラリーの性格を把握
するためには意味があるかなぁ。。。。と、、、、



もっと言えば、ビジネスを開始しある部分、上海の
ギャラリーという機能を活用する、そのような取引
を行うというような目標を考えた場合、その性格的
な一致不一致は伸張拡大という目標には大きな問題
となる筈である。




その時、一番大事なものというのか、根幹になるのは



作品という”モノ”を中心に扱っている所なのか
作家という”ヒト”を中心に扱っている所なのか



モノは有限
ヒトは無限



この違いは正確に把握すべきだなと感じたのでした。




どちらが良い悪いという問題ではない。商売の方法論
及び考えの方の違いでしかない。



しかし我々の根幹は”ヒト”である。



アーティストという”ヒト”であり、そのヒトの可能性を
商売に転嫁することである。このベクトルは大事にしたい
ところである。


モノが先行すれば確実に収益面は即時目に見えた形で現れ
その為の行動も分かりやすい。モノを持って売り込めば
良いのである。しかし美術品の購買動機というものを考
えればモノがきっかけであることは間違いないが、モノと
はヒトが作るものであり、究極はそのヒトの魅力によると
ころが一番大きいはずである。コレクターと呼ばれるヒト
の本質はモノをたくさん所有しているヒトということでは
ない筈である。



利殖を中心と考えるヒトを例にしても



利殖に耐えうる要素が絶対に必要であることは間違いない。
それがmade in japan・・・・ただそれだけではない筈で
ある。



では、、このヒトは誰が作り出すのか?



当然アーティスト自身が自己形成するのであるが
これを商品化するのは誰か?という事の問題である。



奈良美智みたいなモノ、村上隆みたいなモノ、、、なのか
奈良美智みたいなヒト、村上隆みたいなヒト、、、なのか


いずれにしても”パチモン”くさい例えにしかなって
いないが、私には大きな違いがあるように思える・・



これは私の個人的な考え方でしかないのですが、中国にて
果たして日本人というメンタリティーを商売にできるのか?
という部分で考えれば、、、、



国が違うという文化差異をモノに反映することによって
それを商売のポイントにした方がお互い分かりやすく
勝負も早いのではないか?と考えた方が現実的には
納得感と成果を上げやすように感じる。



しかし、それで有為性を保って恒常的なビジネスが
できるのだろうか??



COMBINEでないといけない理由がそれで見出せるの
だろうか?



別に他のmade in japanでも良いように感じるのは
私だけだろうか??



基本は中国のヒトは中国の作家を重宝する。これは当
たり前だと思う。しかし、、が、故に



私は端から中国を100%のターゲットとしては見てい
ない。日本ということを意識している部分、これは全体
の100から言えば0コンマ・・・・%という組成しか
ないかもしれないが、、、



しかし、実はその部分のその又0コンマ・・%のCOMBINE
のシェアー、、これこそがもっとも大事だと考えている。



私はこの0コンマ・・・%は隘路かもしれないが、確実
に存在すると確信している。



端から大なる相手に合わそうとする必要性はないし、
安売りする理由もない。



COMBINEの作家は間違いなく優れている!



これは上海アートフェアで実感した私の感覚であり、
上海に来た最大の拠り所でもある。






つづく。。

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