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COMBINE/BAMI galleryは8年目を迎えました。
今日12月8日はCOMBINE/BAMI galleryがスタートした日です。



始まりは2008年、今から7年前、京都・寺町通り高辻上ルに
あったビルの3階の一室でスタート致しました。



その日の朝、ビルの入り口に看板を置き、いよいよスタート
だと勢い込んで臨んだのですが、、誰一人来ませんでした。



画像はその頃から3ヶ月程たった頃のギャラリー風景で、
釜君の初めての個展風景です。







あれから7年、色々な方に助けていただいて今があります。
感謝しかありません。



誠にありがとうございます。



至らぬ事の方が圧倒的に多い私どもですが、
今後とも宜しくお願いいたします。

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小橋順明 【生きる土】 制作ポイント
小橋順明 【生きる土】


スタートいたしましたが





初日より


これが焼き物??


この繊細なのはどのように?





という、作品を観ての驚嘆ぶり




残念ながら


画像ではまったくとは言わないまでも・・・・


実物から受ける印象は画像の10倍いやそれ以上の
ものがあります。






ぜひ、沢山の方に見ていただきたい!!!







今回のブログ



小橋君のこの超微細な作品


これが出来るまでのポイントを
彼が残している制作レポートから
紹介させていただきます。



***********




制作のポイント(小橋順明)




〇取材 昆虫館へ出向いて標本をスケッチ


何度も出入りして一日中スケッチしているといると、
標本箱から一つだけ出して見せてくれるようになった 
形の理解を深めながらスケッチ。できるだけ多くの
写真も撮る(許可を得ている) インターネットでの
情報集め。動きのある画像など実際に手に入れられる
ものは手に入れる







〇原寸大×1.15倍の絵を描く


イメージが固まってきたら画像を手に入れたり絵を
描いたりする。原寸大で それを1.15倍に拡
大する。 跳ねの大きさ、足の比率などに注意しながら
1,15倍にするのは土の収縮率を計算に入れるため 
絵の上に重ねながら部品を制作する.








〇関節ごとに部品として作られる


強度を考慮しながら触覚や足の先端なども別パーツ
















〇部品はバラバラに焼成される。


電気窯の場合一度目は1200℃で何もせずに素焼きする。
(一度目に炭などと一緒に入れると表面が反応し過ぎて
ブクブクになったりする)2度目以降、炭や灰に埋めたり、
藁をのせたりする。


炭の大きさ(粉から2cmのものまで粒度を調整したものを
用意している)や配置によって焼成結果が違うので
ピンセットなどを使って丁寧に窯の中で配置する。













〇焼成は狙ったテクスチャーや色が得られるまで繰り返される


高い温度で焼いたり1220℃ 高い温度で焼いた後でも
低い温度で焼くと違う色が出現する冷却時に温度を長時間
保持したり窯内部の様子を想像しながら一回の焼成の温度
の上げ下げを調整する。 

何度も焼くことでより土の内部まで焼成の化学変化を
起こして、深く厚みのある表面、変化を得られる














〇焼成後に接着剤で接着する


接着剤は弾力性のあるものを使用。 部品の焼き物は
薄い所で0.5㎜以下となるので、硬度の高い接着剤
では 衝撃を受けたときに焼き物の部分が損壊するため 
ゴムのような弾力もつ接着剤を関節部分の接着に使用
することで衝撃に対して自然な動きで柔軟に耐えること
ができる。







〇接着組み立ての時は


クリップや練消しゴムなどを駆使して各部品を支持固定
しながら、カタチを確認しながら本体と接する近い部品
(第一関節とか、後羽根とか)から一つずつ付けては乾燥、
固定を待って次へと組み上げていく完全な固着には
半日から一日かかるので一つの作品をくみ上げるのに3日
ほどはかかる。 

ほぼすべての部品はピンセットでの扱いとなる








〇接着後に接着部分をアクリルカラーで着色


数種類の油性のアクリルカラーを混色、土や石、
炭の粉などと混ぜ、テクスチャーなどを調整しな
がら、焼物部分と違和感がないように接着部分を
着色する








〇支持体の棒と本体はエポキシ系の2色混合接着剤を使用


他素材との接着であることと、本体の重量を支えるために
強力である必要があるため。 


支持体の棒はステンレス。 棒はアクリルミラーの裏側
まで貫通させており裏からも接着している。


展示は360℃可能 移動は天地無用











〇備前焼の技術について


大事なのは土や技術との距離感、素材理解どれだけ土に
触っていたかが大事。関係ないように思えるロクロの
修行や土づくり、窯焚きなど備前焼の職人としての
15年の修行や訓練が全て今の造形技術、表現技術
に生きている。









〇焼き物の焼成による色彩やテクスチャーの複雑さは目
で理解できるレベルではない


手彩色での表現では絶対不可能な素材の複雑さは
私たちの体や自然の生き物の体と同じものまたは
通じるモノです。


私たちは土から生まれたのだし、焼物の色彩は
酸化金属の複雑な化学変化が起源であり、生き物
の体の色彩もまた全く同様なのです目で意識して
理解できないレベルでの変化ですが、目には入って
きていて認識はしているはずであり、この変化が
「素材感」となって焼き物に生命力を与えている
のだと思う。










***********



小橋順明 solo exhibition 【 生きる土 】
2015.12.02 (wed) - 2015.12.14 (mon)
OPEN12:00-18:00
会期中無休
■作家初日(12/2)在廊予定







【 生きる土 】出品作品集


COMBINE 小橋順明 solo exhibition 【生きる土】 作品 by COMBINE





■プレスリリース


COMBINE 小橋順明 solo exhibition 生きる土 プレスリリース by COMBINE





■プロモーションビデオ




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小橋と上山
小橋君の備前の昆虫


これを初見したのは



丁度1年前だ。






ギャラリー移転の改装工事をスタートさせたのが
丁度一年前の12月1日その二日後、12月3日に
小橋君は高松の青野女史と“手弁当”で応援に岡山
から駆けつけてくれた。







その時、見て欲しいと携えてきたのが


昆虫の作品だった。



その作品を披露してくれた時、実は私だけではなかった。

ギャラリーの若い作家も数名いる中、改装工事の昼休み?
というのか休憩時間、馬鹿話で盛り上がっていて話が
途切れた瞬間、その作品を皆が目にした。。。。






瞬間、皆の表情が変わったのが如実に解った。



こ、これは・・・・


作品から確かな“アウラ”が出ていた。


これが焼き物??





これが“備前焼?”



確かにまだプロトタイプぽさはあったが、、、しかし
そんな事は問題にならない精度が見て取れた。



この作品だったら私が扱える!と瞬時に確信した。



私が扱える・・・妙な言い回しだが、そこには意味がある。



先のブログでも紹介したが、彼と出逢ったのは5年ほど
前だった。



コンテンポラリーアーティストを目指す備前焼作家
というスタンスはその時、理解できたのだが、しかし、
私は純然たる備前焼を扱う仕事ではない。



コンテンポラリーアートを扱うので、その部分で彼と
融合できるはずなのだが、しかし当時の彼の
コンセプチャルな作品群は到底その当時?今でもだが、
私の手に負えるシロモノではなかった・・・



程度が低いかと言えば逆でレベルが高すぎ難解、
その上、作品から商品に転化する要素が殆どない、
つまり流通させようのない内容・・・これでは、、、、
と足踏みする事となる。



当面、彼が考えている、それを元にする行動に
対してのアドバイスという程度の助力は行おう
とは考えていた。



彼のレベルの高さは、実際、



BEPPU ART AWARD 2011 Prezentation Planという
別府で開催されたコテンポラリーアートのコンペ
にコンセプトを出品しファイナリストに選出されている。





その後、何度も折を見て色んな話を繰り返してきた。
ある時は百貨店の売場、ある時は喫茶店、ある時は酒場・・
・・京都、高松、岡山、、それぞれの拠点で。。。






そんな事が5年ほど続いてきたのである。



正直、当然その間、私以上に彼がこのテーマ性についての
閉塞感を増していったのは見て取れた。







2度ほど、試験的に私がサラリーマン時代、営業企画を
任されていた高松天満屋のアートギャラリーや画廊企画
に彼の作品を実際に投入した事がある。



反応、結果、確かに悪くはない。しかし如何せん、
難しいという部分が綺麗に払拭されるわけではなかった。



ただ、その僅かな機会に私なりの妙な突破口が感じられた
事も確かであった。



コンセプチャルな精度、概念性、は高いが、それ以上に、、、



彼が作る具象的形態には魅力がある。そこには、
既に、彼が何時もコンテンポラリーという刀を
大上段に振りかざし常に対決を挑むエッセンス
が含まれているのじゃないのか?と何となく
私なりに感じた。



つまり、敢えて、大仰に彼がよく使う言葉としての
“焼成とは?”などという観念性が、彼が意識し
なく日常で作る具象物に内在し、それを見た人が
普通に十分感じるんじゃないの?



この方向から攻める事の方が重要じゃないのか?と感じた。



しかし、問題がある。



それは何を作るべきなのか?と言う事である。



すべての作品、作家に共通する事だが、この何を作るのか
という単純な問いは、本来問いであってはならないのである。



つまり、作家として生きている人間の根源になるから
であり、貴方はなぜそのようなモノを作るのか?と
聞かれても言葉として正確に答えられるものではない。



故に創り続けるという逆説的真理があるはずだからである。
もっと平易にくくると“好きだから”という程度しかない
のではないか?と考えられる。



どの人間でもそうだが、なぜ好きか?と聞かれ、
自身が納得する言葉があるだろうか?それは言葉を
遙か越えたエモーショナルな世界でしかないと私は考える。



そのごくごく当たり前の部分をある意味独自のメソッドに
沿ってアウトプット=具現化する、もしくは出来るのが
芸術家だ!



では、、、小橋くんの場合



テンプレート化された備前の伝統はできる。


しかし、基本となる個性的基礎は?何??


私にとっての小橋マターの蓋然性は、、



それがなければ・・・



ある時、酒場で、話の流れから、
感情的になっていたのを覚えている・・・



【結局、お前の好きなものはなんだ?】



上述の内容と真逆の問いではあるが・・・
この言葉を投げるしかない・・・そんな場面だった。



かなり強く、張り倒すような勢いで聞いた事を覚えている・・



その時、彼は黙った。









その後??というかその酒場での会話が何時だったのか?
覚えていないが、



先述の1年前の



備前の昆虫を初見する場面に戻る。



これならば。



妙な縁



丁度その一年後に彼の個展を開催する




小橋順明 solo exhibition 【 生きる土 】は、




そんな時間経過と会話の中で生まれた
展覧会であり、私と彼のこれからである。



***********


小橋順明 solo exhibition 【 生きる土 】
2015.12.02 (wed) - 2015.12.14 (mon)
OPEN12:00-18:00
会期中無休
■作家初日(12/2)在廊予定







【 生きる土 】出品作品集


COMBINE 小橋順明 solo exhibition 【生きる土】 作品 by COMBINE





■プレスリリース


COMBINE 小橋順明 solo exhibition 生きる土 プレスリリース by COMBINE





■プロモーションビデオ




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小橋順明 【生きる土】 彼との出会い
来週の水曜日(12/2)から


BAMI galleryは


小橋順明 solo exhibition 【 生きる土 】を
開催させていただく。



先ずは展覧会告知をさせていただきますが、
それ以外に、彼との出会いについて
纏めさせてもらいました。


現在、岡山に居る彼と京都に居る私。
出会って約5年になります。備前焼作家
の彼と、コンテンポラリーギャラリーの
ギャラリストの私。本来あまり交差する
ことのない我々が、何故か奇妙な縁で
5年間つながってきたのは、それなりの
理由があります。


少し懐かしさも手伝い
私自身振り返って見たくなりました。



2015.12.02 (wed) - 2015.12.14 (mon)
OPEN12:00-18:00
会期中無休
■作家初日(12/2)在廊予定





COMBINE 小橋順明 solo exhibition 生きる土 プレスリリース by COMBINE











小橋君と出逢ったのは何時だったか?多分5年くらい前の
ような気がする。


ある時、高松の青野女史から逢って欲しい若い作家がいる
と連絡を貰い、次回出張時だったか?とにかく高松に行く
機会に逢う事にした。


事前にどんな作家かと聞くと、、備前焼の・・・・


正直興味が湧かなかった。


西日本の百貨店(岡山広島間)が独自に販売する、、
特に岡山界隈では独壇場ではないか・・・・


いくら良い作品でも私の守備範囲外だし、なにより純然
たる焼き物は仕事としては門外漢だと自覚していた。


しかし、少し違うという返答。違う?何が違うのかよく
分からなかったが、まぁ逢って何か被害を蒙る事もないし、
別段逢うだけなら普段知らない焼き物の世界のことも多少
知れるからいいかと言う程度の気持ちでその時は終わり、
逢わなければならないことすら正直忘れたような気がする。


改まって逢った記憶がない。


先述した出張中に、彼が居て、逢った。。偉そうだが、、
逢うために行った訳ではなく、忘れていた事も手伝い、
あーそうだったという程度だったと記憶している。


立ち話だった。


逢うと、若い?という事もさることながら、、、
焼き物作家??という匂いが正直あまりしない・・・
ごくごく普通の青年。


この青年の何が他と違うのか??


当然聞いた事も見たこともない。
備前は草臥れるほど似たような作品・作家が多い。
そんな悪印象しか私にはなかった。


挨拶もそこそこに、携えていたポートフォリオを
見せてもらったのだが、、、、


あっ!となった


確かに違う。


ステロタイプの備前焼作家と違うのは一目で分かった。





作品画像以外の文章も慌てて目を走らせる!





少ししつこく観念的帰来が強く、、
読む相手をねじ伏せようとする匂いがぷんぷんしていた、、
しかしかなりの論理性と着目点が見て取れ、


間違いなく優れていた。





ただ、、この優れたものを、、、、



どこで具現化していくのだろう??そう簡単に探し出せる
出口がないじゃないか??と瞬間的に頭を過ぎった。


ある意味、、切れすぎていて、とにかく何でも良いからと
適当な出口に行くと、完全な際物扱いにしかならないし、
我々でも相当苦労するのだが、その作家の芸術性を純度高
く紹介できる場面などそうそうはない。





ましてや、、評価など・・・






このレベルを理解するというのは・・・・





その時彼は35歳くらいだったと思うが、、何時からこんな
事を考えていたのか?普通の備前焼を人前で発表できるよ
うになるだけでも10年はかかる、、、その後これを考えた
というのでは辻褄が合わない。。そんな薄っぺらい錬度で
はない。。そうなると、、、土をひねり出した頃、20代
前半から考えていたのか?と、、改めて彼の顔を見た。



普通の青年だが、、、



彼の大志・・・



これはその時の私には十分“響いた!”



この青年は、、、、決して器や伝統的な備前だけを
やりたいのではない・・・・



出身・備前焼という名のコンテンポラリーアーティスト
を目指している。。。というのがその瞬間わかったが、、



このままでは無理かな??と・・・


不遜だが、その時の私は強く感じた・・・


その日から


彼との付き合いが始まった。






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玩具の賦-中也-  遠藤良太郎 連鎖する形態に寄せて







玩具の賦
      昇平に

中原中也



  



どうともなれだ



俺には何がどうでも構わない



どうせスキだらけじゃないか



スキの方を減(へら)そうなんて
チャンチャラ可笑(おか)しい



俺はスキの方なぞ減らそうとは思わぬ



スキでない所をいっそ放りっぱなしにしている



それで何がわるかろう



俺にはおもちゃが要るんだ






おもちゃで遊ばなくちゃならないんだ



利得(りとく)と幸福とは大体は混(まざ)る



だが究極では混りはしない



俺は混らないとこばっかり感じていなきゃ
ならなくなってるんだ







月給が増えるからといっておもちゃが投げ
出したくはないんだ



俺にはおもちゃがよく分ってるんだ



おもちゃのつまらないとこも



おもちゃがつまらなくもそれを
弄(もてあそ)べることはつまらなくはないことも



俺にはおもちゃが投げ出せないんだ



こっそり弄べもしないんだ



つまり余技ではないんだ






おれはおもちゃで遊ぶぞ



おまえは月給で遊び給(たま)えだ



おもちゃで俺が遊んでいる時



あのおもちゃは俺の月給の何分の一の
値段だなぞと云(い)うはよいが



それでおれがおもちゃで遊ぶことの
値段まで決まったつもりでいるのは



滑稽(こっけい)だぞ



俺はおもちゃで遊ぶぞ



一生懸命おもちゃで遊ぶぞ



贅沢(ぜいたく)なぞとは云いめさるなよ



おれ程おまえもおもちゃが見えたら



おまえもおもちゃで遊ぶに決っているのだから



文句なぞを云うなよ



それどころか



おまえはおもちゃを知ってないから



おもちゃでないことも分りはしない



おもちゃでないことをただそらんじて



それで月給の種なんぞにしてやがるんだ



それゆえもしも此(こ)の俺がおもちゃも買えなくなった時には



写字器械奴(め)!



云わずと知れたこと乍(なが)ら



おまえが月給を取ることが贅沢だと云ってやるぞ







行ったり来たりしか出来ないくせに



行っても行ってもまだ行こうおもちゃ遊びに



何とか云えるがものはないぞ



おもちゃが面白くもないくせに



おもちゃを商うことしか出来ないくせに



おもちゃを面白い心があるから成立っているくせに



おもちゃで遊んでいらあとは何事だ



おもちゃで遊べることだけが美徳であるぞ



おもちゃで遊べたら遊んでみてくれ



おまえに遊べる筈はないのだ



おまえにはおもちゃがどんなに見えるか



おもちゃとしか見えないだろう



俺にはあのおもちゃこのおもちゃと、
おもちゃおもちゃで面白いんぞ







おれはおもちゃ以外のことは考えてみたこともないぞ



おれはおもちゃが面白かったんだ



しかしそれかと云っておまえにはおもちゃ以外の何か
面白いことというのがあるのか



ありそうな顔はしとらんぞ



あると思うのはそりゃ間違いだ



北叟笑(にやあッ)とするのと面白いのとは違うんぞ







ではおもちゃを面白くしてくれなんぞと云うんだろう



面白くなりゃ儲かるんだというんでな



では、ああ、それでは



やっぱり面白くはならない写字器械奴!



――こんどは此(こ)のおもちゃの
此処(ここ)ンところをこう改良(なお)して来い!



トットといって云ったようにして来い!





**********




遠藤の世界は大きい







未だその全容は見えない



ただ何かを追いかけている



その息遣い



その視線



その前に向かう姿を



私は見ている



司馬遼太郎は、ある芸術家について



「自分のどうしようもないもので
センチメントを実現していた。。。」



遠藤が、、


出来上がった土の塊を


バイクに載せて


窯に向かう



後姿が



私の憧れと重なる











************



遠藤良太郎 連鎖する形態
2015.11.16 (mon) - 2015.11.29 (sun)
OPEN12:00-18:00
会期中無休


過去から現在に至る全ての点は、


決して途切れることなく今に繋がっている。


いつの時代も朝と夜を繰り返し、


受け継がれる細胞の記憶。


私達の細胞には40億年分の記憶が刻まれている。


決して断ち切ることのできない、宿命ともいえる


この連鎖には必ず意味がある。


連鎖する形態は、細胞の記憶を呼び覚ます。




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COMBINE 遠藤良太郎 Ceramic Works 連鎖する形態 プレスリリース by COMBINE


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