RECENT POSTS
Mega Death
現代美術
現代アート
コンテンポラリーアート


まずもって現代とは?何時からの事を指すのであろか。
商売人に惑わされていけない。


現代とコンテンポラリーという語の間には
途方もないくらいの開きがあることを知らなければならない。


コンテンポラリーとは“同時代”という意味が正確であり
正確な時系列の配置から考察すると、現代という語と同義で
はない。


もっと切なくも追い込まれた瞬発力であり
十字架に磔にされた直後の苦悶だ・・・・


あくまで同時代。これが大事なのだ。



時間、
時間に見つめられる
時間


個人と集団の見た時間
時間が見た個人と集団
時間とは?

----------------------------------------

By:Mega Death 1999 tatsuomiyajima.com

私の、カウンター・ガジェット(LED)は人間
の生命の輝きを象徴している。


そのカウンター・ガジェットは9~1をカント
ダウンして、"0"は表示せず、暗闇になり、また、
9へ戻ってそれを繰り返す。数字が変化し輝いて
いる様は人間の「生」を象徴し、"0"の暗闇は
「死」を象徴している。


仏教哲学において、人間の生命は「生」と「死」
を繰り返すと説かれている。


つまり、「死」は終 わりではなく、「次の生」
を準備する睡眠のようなものであると言うので
ある。


しかも、その「生」 から「死」、「死」から
「次の生」へのリズム(Life Time)は個々人
の生命にもともと備わって いて、個別性があり、
一人として同じリズムはないとも言われている。


あらゆる人間は、このような「生と死」の荘厳
なドラマを何億年ものあいだ営み続けてきた。


地球 上のいたるところで、このような「生と死」
が生まれては消え、消えては生まれてきた。


それは満天に輝く星の煌きを見るように美しい。
一人一人の「生」が違うように、「死」もまた 
ひとつと して同じではない。それゆえ、一人一人
の「生」も「死」も輝き、お互いの「生」と「死」
に響き 合いながら、まるで壮大な宇宙の交響曲を
奏でるかのようである。 私は、これが「通常の生死」
(Natural Life Time)の美しさであると考える。


しかし、その荘厳な「通常の生死」の営みは時とし
て破壊され分断させられた。


魔性に犯された人為による仕業である。


元カーター大統領の特別補佐官であるブレジンスキー
試算によれば、20世紀で戦争や革命、紛争などにより、
人為的に奪われた人命の数は一億六千七百万人に上ると
言う。この数は1997年時のイタリアとフランス、イギリ
スの人口を合計した数に匹敵する恐るべき数字である。


このように、ある意味で、今世紀は「人為的大量死」
(Artificial Mega Death)がもたらされた時代だった
といえよう。。。。。。


-------------------------------------------


20世紀、もっとも影響力のあったアート作品
というのが少し前にあった。。


1位 デュシャン「泉」1917
2位 ピカソ「アヴィニョンの娘たち」1907
3位 アンディー・ウォーホル「Marilyn Diptych」1962
4位 ピカソ「ゲルニカ」1937
5位 マティス「赤いアトリエ」1911


描いたものでもなければ、彫ったものでもない。


そこらに売られているもの
しかも“便器”が


1位だった。


それは、選んだものだった・・・


現代という広義の時間軸
の中のアートはある意味,,,,,


デュシャンが示したものがどうあがいても代表であり
蹂躙されたのだ。。


しかも悔しいが、彼はシニカルに
これをアートと定義していない・・・





アートにしたのは彼以外だ。。





しかし・・


デュシャンにはもっとも正確な“同時代”
の時間が存在する。。


今進行する同時代はデュシャンに対しての
ロジックの戦闘であり国境を越えた世界大戦だ!


植民地に知らないうちになっていないか?


えぇ?おい??
金を儲けているのか?儲けさせているのか?

。。。。。。。。。。



デュシャンの墓碑銘に刻まれた



---------------------------------------------------

“死ぬのはいつも他人ばかり”

---------------------------------------------------



ここに、大いなる同時代性と

コンテンポラリーアートの大いなるカギが潜んでいる?


いや、それは、人類誕生からずっと同じ場所に居続ける
課題であり,,,



一人目の人間誕生ではなく
二人目の人間が誕生し、同空間を共有し律動が始まった
瞬間から


生まれ、延々と続いてきたような気がする。


私は、、毎秒・・
アートをもっと理解したいと思っている。。


それは同時代の構成員であるがゆえの興味であり


責務でもある。



そして芸術家の責務は



超然とした客観性から冷徹に見つめる
同時代の風景を、誤解を恐れず、、、
我々に鏡となり提示する事ではないかと、、


考える。。。



Twitterボタン
Twitterブログパーツ

▲TOP