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勇気と冒険
10月5日に無事

コンテンポラリーアートの扉終了いたしました。
会期中には沢山の方に足を運んでいただき
色んなご意見を賜りました事この場を借りて
御礼申し上げます。

誠にありがとうございました。


今回はじめて我々が直接運営するBAMIgallery
を離れて百貨店という商業施設でCOMBINE
アーティストのグループ展を行ったことは非常に意味
のあることであったと思います。


ギャラリーというある種興味を持って足を運んでいた
だくという特定の機能性をもった空間ではなく、特段
興味の無い方もご覧頂くという場は、ともすれば
内向きになりつつあるコンテンポラリーアートにとっては
非常に良い修行の場のように感じました。


途中の報告でも書かせていただきましたが、決して
好意的にご覧頂く方ばかりではなく、辛辣なご意見
批判も頂戴いたしました。


しかしながら、私はこの空間にはこれが向くとか
これは向かないという、ある意味の常識を持って
臨んだつもりではなく、こういった事もある程度想定
した上で行ったつもりでありました。


我々のような名も無き力のない存在が
時間をかけて相応な環境を得るなどとは
現時点では大変おこがましい限りであり、
今は、間違っていようとも準備不足であろうと
も僅かなチャンスに挑戦していくことが大変
重要であると私は感じています。


コンテンポラリーアートに向く予定調和の空間など
所詮あり得ないというのが私の考え方で、ある意味、
どこであろうが勇気をもって”物議を醸す”くらいの意
気込みで臨まないのであるならば止めるべきだと常
々感じています。


極端に言えば、魚屋さんであっても八百屋さん
であっても”面白い可能性が生まれる”のであるならば
それも是かと思います。


物議を醸すということは様々な方にご迷惑や
不快の念を抱かせてしまうということもそこには
あると思います。


しかし、物議を醸すということは
議論が生まれるということでもあり
そこにコンテンポラリーアート本来の
意義があることも忘れてはいけない
と思います。


是非ではなく無視できないという
ポイントがなによりも重要である
と感じます。


あの時代、馬鹿は馬鹿なりに
何かをやっていた・・・こういう
無視できない時点が、どんな
高名な作家にも存在すると
私は思うのです。。。


ましてや規格外の作家はそういう
事の連続性が大事だとも思います。


大半嘲笑や憐憫をさそったりするのだが・・



また、グループという包括の中に入れ込むこと
で本来さほど問題とならない作家・作品までもが
一蓮托生に取り扱われるという作家にとっては危険、
迷惑な印象までも作り出す可能性があることも否定
はできないとも思います。いくら理念を語ろうとも・・
コンテンポラリーアートの意義を訴えようとも・・・・



しかし、



その時本当の意味で重要なのはなにか?と
考えた場合、それは作家作品の個々ではなく
やはりそれはオーガナイズする人間



私自身だと改めて感じました。



私の存在が中途半端で何かの影に隠れて
指示を出していたのではいくら言葉で説明
や言い訳をしても通用しないと思いました。



今回、改めて思ったのは、やはりディレクターで
ありCOMBINEを運営する自分の力をもっと
もっと蓄え広く説得力を持つような存在にしない
とこのグループ展はもとより今後においても
作家達又様々に応援していただいている方々
に対して申し訳ないと改めて自戒したのと同時に
先述した勇気ある行動はままならないと感じた
次第であります。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



という事を催事終了と同時に反芻していた
わけですが・・・



会期終了翌日



昨年末の釜くんの個展で作品を購入していただいた
お客様と釜君、私、青野女史で懸案であった
瀬戸内国際芸術祭に出かけたのでした。。。。。。


現在、瀬戸内国際は当初予定を遙かに超える
来場者を迎え大成功だと聞き及びます。


確かに乗船券を購入する港は
それぞれの島に向けて出かける人が老若問わず
長蛇の列をなしていました・・・・

オスカールの事件もありましたが、それもこのビッグイベント
にとってある意味大事な事であったようにも感じます。


これほどかぁ・・・と改めて感心しました。
噂に違わない盛況ぶり・・



結果から皆凄い凄いと感心し、そこから相乗的に
人が群がる、、、確かにそういった現象もあるでしょう



しかし、私が乗船を並んでまっていたとき


前におられた初老の紳士が話しかけてこられ
お話した内容は・・



仕事で高松まで来たのであるが、ホテルの人に
進められて豊島に一昨日行ったのですが、
面白くて面白くて、、、実は昨日は直島、今日は
女木島男木島に行くんですよ!とにこやかに
語られていた・・・・・・



このイベントは本物なんだ、、ただ宣伝効果だけで
人が集まったわけではなく、行った人々の口コミが
かなり大きな効果を与えていると実感したのと同時に、
失礼だが日常でアートを感じたり、考えたりしていない
人々までを虜にしていることに正直身震いするくらいに
うらやましさと憧れを抱いたのでした。。



冷静に考えれば


瀬戸内海に浮かぶ小さな島で


誰が現代美術を・・・などと考えよう



福武さんが最初に思い描いた絵を考えたとき
皆笑ったんじゃないかと正直思うのである。。



何年も前から直島で実践し


そして時を経て今に至っている。



しかし当初を考えると



やはりそこからスタートしたんだと思わずには
いられない。



あれは金があるからだ!などと言う人が
いると思うが、金がある人は東京にも
大阪にもいる。そんな珍しいことでも無いはず
である。


しかし福武さんのような発想を持てた人が
いたか?と問い直したい。。



直島がなければ



正直、私は生涯瀬戸内海の島々など行くことも
なかった。大半がそうであろう・・・


だから瀬戸内海の島は不向きだと考えるのが
普通だが、福武さんは逆なんだろうなと思う。



だから行きたがるんじゃないか?
素晴らしい感動するモノがあれば人は万里を越える
そこにはモノを見る以外の感動が生まれる・・・・


実際、女木島男木島と今回行ったのであるが
普通に考えれば船に乗って面倒であるが、今回
感じたのは逆で、、、、、


船に乗る度に日常が切り離され、島を離れる
旅に次の展開に”ワクワク”感が生まれる・・・



これはなんということか?アクセスが悪い方が
心地よかったりするのである・。。。。。



そして予定調和のない島々の従来あった施設を
利用した展示、、ここにミュージアムやギャラリーに
ない外向きの挑戦的実験的共感を生む機能が
満載されていて、見るというよりも”感じる”という
ことが如何に大事かを教えられるのです・・・・・




そして




この瀬戸内国際のイベントを




現代美術



コンテンポラリーアート



のイベントと限定しているか?



正直誰も




そんな限定的な印象は持っていない。




あるのは




瀬戸内国際芸術祭という




「アートと海を巡る百日間の冒険」




そう




皆島々に渡る”冒険”をしているのだと
感じたのでした・・・



これがある程度予想のつくものであった
ならば、これほどの盛況はなかったと思う。



帰り港で船を待っているとき



瀬戸内海の海を眺めながら




一つ一つの島を




アートの島と夢想した



福武さんの最初の思いと勇気に




魅せられたのでした・・








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※女木島男木島画像報告
























































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