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宋知宣 BLOG JACK!!



 

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田村さんとの出会い 7
田村さんが会社を辞められたことから


他のデザイナーと仕事する機会が徐々に
増えてきていた。


しかし、正直、田村さんほどしっくりくるものは無かった。
確かにデザイナーにも得手不得手というものがあるだろうし、
私自身が感じる仕事のパートナーとしての相性もあった。


だから、たまに田村さんにはチョコチョコ相談を兼ねた
仕事の依頼をしていた・・


それから2,3年、景気もどんどん悪くなり、改装などという
経費のかかることもめっきり減り、デザイナーと仕事をするな
どということがほとんどなくなったころ、何気なく田村さんに
連絡した。


どうしてはるかんなぁ?


ほんのそんな気持ちからで、まったく用件はなかった・・


電話口の田村さんの声はすこぶる元気で溌剌と・・・
こういう言い方をすると問題ではあるが、、会社勤めされて
いるときより活き活きされていた・・


近況を聞くと


工房を借りて、今そこで木工やら、陶芸やら、そんな事をして
楽しんでいるということだった。


いつかお邪魔します、というような事をいってその時は
電話を切った。


それからもチョクチョク電話はしていた。
その都度、今何していますか?と聞くのだが・・・


ある時から、「いやぁ、木で石を作ってて・・・」


と言うような事を語り出された。。


木で石??なんのこっちゃ?
よく分からなかったが、田村さんがやることだから、、、
なんか面白そうな雰囲気は感じていた。。


それから一年後


突然、田村さんから手紙が届いた。。


封をきり、手紙を読むと


「第25回朝日現代クラフト」優秀賞受賞を受賞しました、、、、云々。。。


えぇ-----------------------?


突然、、、、、なに?どういうこと??


慌てて電話を入れた。


少し疎遠になっていた一年位の間に、コツコツと作品製作し
おもいきって出品したら、優秀賞をもらったということだったのだ・・・


はぁ~。。。。一体なにをするやら。。。。それにしてもやっぱりすごいナァ!!

しばらくして新聞で作品の写真を見、その後実物も拝見した。


これは!


と、、、間違いなく私の“琴線”を大きく弾く衝撃があった・・


工芸や木工、、そんな手仕事の範疇ではない。地味ではあるが
迫力ある芸術表現で、しかも沸き立つような作品が持つ独特の
“長い生命感を伝えるような時間軸”が察知できた・・


あたかも古よりあったような・・


当然、作為的にカタチを作り出さなければ作品としての
存在は浮かび上がらない、しかし、その作為的なものと無作為の
境界の皮膜の中に存在するような、少し言葉は悪いが粗野さと
気づかないところで漆やその他の磨きなどで手を加えた繊細な
仕事が、人間の固定観念と常識の狭間に存在する妙な不可視
感を田村さん独特の解釈により自然界の実存として作り上げ
ていた・・


それから一年後、新たな工房を開設したと聞いた。
そこは京都南部の宇治田原という山奥で、宇治茶発祥の地
であった。


いつか行かねばナァ!と思いつつ月日が過ぎていき、様々な
紆余曲折があったが、諸々を具体化すべく、COMBINEを構想
するような事になった。。


この時、アーティストの選定を、それまで付き合い
のあった方、新たに付き合う方を含めて約半年位の
時間をかけて選び出していたのであるが、実は真っ先に
頭に浮かんだのが田村さんだった。。。


これには明確な理由があった。


間違いなく作品とその内容が私の琴線を弾いていたことも
あったが、実は年齢もその大きな要素ではあった。


正直、私は若者だけで固めるということに抵抗があった。
出来れば各年代の男女アーティストをランナップしたかったのだ。


今の時代を表現する作家たち、これは基本的なコンセプトなのだが
今を描くのが若者だけというのには少々の疑問があった。20代
30代、40代、50代、60代・・・それぞれが過ごした時間が
あり、その立ち位置から見た今というのが面白いんじゃないかなぁ?
と感じていたのと、どこか陣容がタイトに尖ったものも、その個性を
鮮明にするには効果的なのかもしれないが、多様さが足りないのでは?
とも感じていた。


私は今もそうなのだが、説明の便宜上として現代美術という言葉は
使うが、自分が取り扱っているのは、あくまで芸術表現だということ
であり、そのコンセプトが示し具現化する意味においては、やはり
この時代に生きている様々な人の多様な考え方をいかに自分が
考えるものと合致させ、如何に面白く提示し、喜んでもらい
関心し感心してもらえるか?ということだと考えている。


そういう意味で、是非、田村さんには参加して欲しかったし、
なにより・・・


ドン!とした、


支柱になってもらいたかったのである。。。。


COMBINEを立ち上げて程なく
新しい工房に伺い参加要請させてもらった。


快く快諾してもらい、、、その流れで約一年後の個展を
了承してもらった。。。


最初から一年経った時には田村さんの個展!と決めていた。


おそらく、、右へ左へとフラフラするであろう一年後
気持ちもひょっとしたら折れかけているかもしれない
一年後。ほとんど可能性は低いが、ちょこっと成功して
るかもしれない一年後・・・・


様々なことがほんの少しだけ見える一年後・・・


そのタイミングで、田村さんには“ドン”と登場してもらいたかった
のである。。。。


その個展が、いよいよ一ヵ月後にせまってきた。。。


最初の出会いから8年


まさか、方やギャラリーのプログラムディレクター
方やアーティストとして再会するなどとは・・・・


こんなワクワクする


邂逅は、、、


初めてかもしれない。。。





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田村さんとの出会い 6
期待値商品という言葉がある。


この30年間で日本の流通業において
変化した点を考えると、やはりコンビニエンスストアー
という存在は大きい。


もちろん営業時間の24時間制もそうだが、多分、日本
独特の商品構成やシステムが多の国のコンビニエンス
ストアーとは違う側面をもっているというのが象徴的な
特徴かな?と思えるのである。


諸説あるが、コンビニの第1号は私の認識では確か昭和49年
1974年、今から35年前に出来たセブンイレブンが最初だった
と思う。


この始まりから、後発ながら他の流通業を押しのけ、今まで順調
に伸びてきた?事は誰しも疑う余地のない事実なのだが、さてここで
面白いのは、果たしてこの一号店がオープンしたとき、一番最初に
売れた商品がなんだったか?ある意味、この商品が日本における
コンビニという流通業のスタートとなり、今に至る過程を形成した
象徴的なものであったのじゃないか?なぁ、、と私は考えている。。


それは何か?


実は“サングラス”だったらしい。。。


当然、この一号店における商品構成は現在とかなり違うであろうが、
本質的な部分がそう違うということはなかった考えられる。


実際オープンして最初の販売物が“サングラス”ということは意外では
ないだろうか?


しかし、実はこの意外さが私は後々のコンビニの発展を支えたような
気がしてならないのである。


ここで最初に申し上げた


期待値商品という概念が出てくる。


この期待値商品というものの象徴は


よく思い出してもらいたいが、コンビニには何故か“ロウソク”などが
必ず隅かもしれないが陳列されている。


基本的にコンビニはデイリーであったり長くてもウィークリー対応の
商品による高回転というのが一般的な認識のような気がするのだが、
ロウソクという商品を考えた場合、平均的に一人の人間がロウソクを
使う頻度など一年のうち何回あるがろうか?


そう考えると、他の商品に比べれば明らかに回転率は落ちるどころか
論外の商品なのであり、商売的にそうも売れないもに陳列棚を占拠させ
て置く事は非常に勿体無いような気がする。


しかし全店とまでは言わないが、ロウソクないしはそれに類似するような
商品が必ずコンビニには陳列してある。


これが所謂、期待値商品と呼ばれるものなのである。


フッと考え直せばわかることなのだが、ほとんど必要ないものとして
コンビニで買うことはないのだが、認識は植え付けられている。


コンビニには“ロウソク”がある・・誰がわざわざコンビニで買うんだろう?
などというような…


これが実は大きい!


もし、自分の中で何かを探し買い求めなくてはならない状況が生まれたとき
当然、その専門店を探し向かうだろうが、そういう環境が明らかになかった
場合はどうだろうか?頭の中でどこにそういった商品があるだろうか?と
思案をめぐらせた場合、このコンビニのロウソクというのが、、、、、


ひょっとして!?


という気持ちを引っ張ってはこないだろうか?


ここが期待値商品の大きなところなのである。


ロウソクという存在が店内にあるだけで、おにぎりや雑誌その他の
商品だけで固定化してしまいがちな商売の印象をより大きく広げ、
より以上の奥行きを持たせてしまうのである。


実はこの期待値商品という概念


私はすごく参考に今もしている。


この、


考え方も実は田村さんと行なった数々の仕事の中で
教えてもらった一つだと私は認識している。


その壁の向こう!そこに何かがある。
そう思わせないと…・そういうことをする“場所”だと・・
思ってもらわないと…




なにがある?という事ばかりを拙速に伝えるのが
大事ではなく、、、、


なにかがあるかも?という部分、、


そういうイメージこそが商売にとっては


一番大事な商品なのではないかなぁ?


と、、、、今日も理想を頭の中で思い描いている…・



つづく。。




次回は一旦会社を辞められた田村さんとの
再会を書きたいと思います。。

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