November 2,2009
田村さんが会社を辞められたことから
他のデザイナーと仕事する機会が徐々に
増えてきていた。
しかし、正直、田村さんほどしっくりくるものは無かった。
確かにデザイナーにも得手不得手というものがあるだろうし、
私自身が感じる仕事のパートナーとしての相性もあった。
だから、たまに田村さんにはチョコチョコ相談を兼ねた
仕事の依頼をしていた・・
それから2,3年、景気もどんどん悪くなり、改装などという
経費のかかることもめっきり減り、デザイナーと仕事をするな
どということがほとんどなくなったころ、何気なく田村さんに
連絡した。
どうしてはるかんなぁ?
ほんのそんな気持ちからで、まったく用件はなかった・・
電話口の田村さんの声はすこぶる元気で溌剌と・・・
こういう言い方をすると問題ではあるが、、会社勤めされて
いるときより活き活きされていた・・
近況を聞くと
工房を借りて、今そこで木工やら、陶芸やら、そんな事をして
楽しんでいるということだった。
いつかお邪魔します、というような事をいってその時は
電話を切った。
それからもチョクチョク電話はしていた。
その都度、今何していますか?と聞くのだが・・・
ある時から、「いやぁ、木で石を作ってて・・・」
と言うような事を語り出された。。
木で石??なんのこっちゃ?
よく分からなかったが、田村さんがやることだから、、、
なんか面白そうな雰囲気は感じていた。。
それから一年後
突然、田村さんから手紙が届いた。。
封をきり、手紙を読むと
「第25回朝日現代クラフト」優秀賞受賞を受賞しました、、、、云々。。。
えぇ-----------------------?
突然、、、、、なに?どういうこと??
慌てて電話を入れた。
少し疎遠になっていた一年位の間に、コツコツと作品製作し
おもいきって出品したら、優秀賞をもらったということだったのだ・・・
はぁ~。。。。一体なにをするやら。。。。それにしてもやっぱりすごいナァ!!
しばらくして新聞で作品の写真を見、その後実物も拝見した。
これは!
と、、、間違いなく私の“琴線”を大きく弾く衝撃があった・・
工芸や木工、、そんな手仕事の範疇ではない。地味ではあるが
迫力ある芸術表現で、しかも沸き立つような作品が持つ独特の
“長い生命感を伝えるような時間軸”が察知できた・・
あたかも古よりあったような・・
当然、作為的にカタチを作り出さなければ作品としての
存在は浮かび上がらない、しかし、その作為的なものと無作為の
境界の皮膜の中に存在するような、少し言葉は悪いが粗野さと
気づかないところで漆やその他の磨きなどで手を加えた繊細な
仕事が、人間の固定観念と常識の狭間に存在する妙な不可視
感を田村さん独特の解釈により自然界の実存として作り上げ
ていた・・
それから一年後、新たな工房を開設したと聞いた。
そこは京都南部の宇治田原という山奥で、宇治茶発祥の地
であった。
いつか行かねばナァ!と思いつつ月日が過ぎていき、様々な
紆余曲折があったが、諸々を具体化すべく、COMBINEを構想
するような事になった。。
この時、アーティストの選定を、それまで付き合い
のあった方、新たに付き合う方を含めて約半年位の
時間をかけて選び出していたのであるが、実は真っ先に
頭に浮かんだのが田村さんだった。。。
これには明確な理由があった。
間違いなく作品とその内容が私の琴線を弾いていたことも
あったが、実は年齢もその大きな要素ではあった。
正直、私は若者だけで固めるということに抵抗があった。
出来れば各年代の男女アーティストをランナップしたかったのだ。
今の時代を表現する作家たち、これは基本的なコンセプトなのだが
今を描くのが若者だけというのには少々の疑問があった。20代
30代、40代、50代、60代・・・それぞれが過ごした時間が
あり、その立ち位置から見た今というのが面白いんじゃないかなぁ?
と感じていたのと、どこか陣容がタイトに尖ったものも、その個性を
鮮明にするには効果的なのかもしれないが、多様さが足りないのでは?
とも感じていた。
私は今もそうなのだが、説明の便宜上として現代美術という言葉は
使うが、自分が取り扱っているのは、あくまで芸術表現だということ
であり、そのコンセプトが示し具現化する意味においては、やはり
この時代に生きている様々な人の多様な考え方をいかに自分が
考えるものと合致させ、如何に面白く提示し、喜んでもらい
関心し感心してもらえるか?ということだと考えている。
そういう意味で、是非、田村さんには参加して欲しかったし、
なにより・・・
ドン!とした、
支柱になってもらいたかったのである。。。。
COMBINEを立ち上げて程なく
新しい工房に伺い参加要請させてもらった。
快く快諾してもらい、、、その流れで約一年後の個展を
了承してもらった。。。
最初から一年経った時には田村さんの個展!と決めていた。
おそらく、、右へ左へとフラフラするであろう一年後
気持ちもひょっとしたら折れかけているかもしれない
一年後。ほとんど可能性は低いが、ちょこっと成功して
るかもしれない一年後・・・・
様々なことがほんの少しだけ見える一年後・・・
そのタイミングで、田村さんには“ドン”と登場してもらいたかった
のである。。。。
その個展が、いよいよ一ヵ月後にせまってきた。。。
最初の出会いから8年
まさか、方やギャラリーのプログラムディレクター
方やアーティストとして再会するなどとは・・・・
こんなワクワクする
邂逅は、、、
初めてかもしれない。。。
他のデザイナーと仕事する機会が徐々に
増えてきていた。
しかし、正直、田村さんほどしっくりくるものは無かった。
確かにデザイナーにも得手不得手というものがあるだろうし、
私自身が感じる仕事のパートナーとしての相性もあった。
だから、たまに田村さんにはチョコチョコ相談を兼ねた
仕事の依頼をしていた・・
それから2,3年、景気もどんどん悪くなり、改装などという
経費のかかることもめっきり減り、デザイナーと仕事をするな
どということがほとんどなくなったころ、何気なく田村さんに
連絡した。
どうしてはるかんなぁ?
ほんのそんな気持ちからで、まったく用件はなかった・・
電話口の田村さんの声はすこぶる元気で溌剌と・・・
こういう言い方をすると問題ではあるが、、会社勤めされて
いるときより活き活きされていた・・
近況を聞くと
工房を借りて、今そこで木工やら、陶芸やら、そんな事をして
楽しんでいるということだった。
いつかお邪魔します、というような事をいってその時は
電話を切った。
それからもチョクチョク電話はしていた。
その都度、今何していますか?と聞くのだが・・・
ある時から、「いやぁ、木で石を作ってて・・・」
と言うような事を語り出された。。
木で石??なんのこっちゃ?
よく分からなかったが、田村さんがやることだから、、、
なんか面白そうな雰囲気は感じていた。。
それから一年後
突然、田村さんから手紙が届いた。。
封をきり、手紙を読むと
「第25回朝日現代クラフト」優秀賞受賞を受賞しました、、、、云々。。。
えぇ-----------------------?
突然、、、、、なに?どういうこと??
慌てて電話を入れた。
少し疎遠になっていた一年位の間に、コツコツと作品製作し
おもいきって出品したら、優秀賞をもらったということだったのだ・・・
はぁ~。。。。一体なにをするやら。。。。それにしてもやっぱりすごいナァ!!
しばらくして新聞で作品の写真を見、その後実物も拝見した。
これは!
と、、、間違いなく私の“琴線”を大きく弾く衝撃があった・・
工芸や木工、、そんな手仕事の範疇ではない。地味ではあるが
迫力ある芸術表現で、しかも沸き立つような作品が持つ独特の
“長い生命感を伝えるような時間軸”が察知できた・・
あたかも古よりあったような・・
当然、作為的にカタチを作り出さなければ作品としての
存在は浮かび上がらない、しかし、その作為的なものと無作為の
境界の皮膜の中に存在するような、少し言葉は悪いが粗野さと
気づかないところで漆やその他の磨きなどで手を加えた繊細な
仕事が、人間の固定観念と常識の狭間に存在する妙な不可視
感を田村さん独特の解釈により自然界の実存として作り上げ
ていた・・
それから一年後、新たな工房を開設したと聞いた。
そこは京都南部の宇治田原という山奥で、宇治茶発祥の地
であった。
いつか行かねばナァ!と思いつつ月日が過ぎていき、様々な
紆余曲折があったが、諸々を具体化すべく、COMBINEを構想
するような事になった。。
この時、アーティストの選定を、それまで付き合い
のあった方、新たに付き合う方を含めて約半年位の
時間をかけて選び出していたのであるが、実は真っ先に
頭に浮かんだのが田村さんだった。。。
これには明確な理由があった。
間違いなく作品とその内容が私の琴線を弾いていたことも
あったが、実は年齢もその大きな要素ではあった。
正直、私は若者だけで固めるということに抵抗があった。
出来れば各年代の男女アーティストをランナップしたかったのだ。
今の時代を表現する作家たち、これは基本的なコンセプトなのだが
今を描くのが若者だけというのには少々の疑問があった。20代
30代、40代、50代、60代・・・それぞれが過ごした時間が
あり、その立ち位置から見た今というのが面白いんじゃないかなぁ?
と感じていたのと、どこか陣容がタイトに尖ったものも、その個性を
鮮明にするには効果的なのかもしれないが、多様さが足りないのでは?
とも感じていた。
私は今もそうなのだが、説明の便宜上として現代美術という言葉は
使うが、自分が取り扱っているのは、あくまで芸術表現だということ
であり、そのコンセプトが示し具現化する意味においては、やはり
この時代に生きている様々な人の多様な考え方をいかに自分が
考えるものと合致させ、如何に面白く提示し、喜んでもらい
関心し感心してもらえるか?ということだと考えている。
そういう意味で、是非、田村さんには参加して欲しかったし、
なにより・・・
ドン!とした、
支柱になってもらいたかったのである。。。。
COMBINEを立ち上げて程なく
新しい工房に伺い参加要請させてもらった。
快く快諾してもらい、、、その流れで約一年後の個展を
了承してもらった。。。
最初から一年経った時には田村さんの個展!と決めていた。
おそらく、、右へ左へとフラフラするであろう一年後
気持ちもひょっとしたら折れかけているかもしれない
一年後。ほとんど可能性は低いが、ちょこっと成功して
るかもしれない一年後・・・・
様々なことがほんの少しだけ見える一年後・・・
そのタイミングで、田村さんには“ドン”と登場してもらいたかった
のである。。。。
その個展が、いよいよ一ヵ月後にせまってきた。。。
最初の出会いから8年
まさか、方やギャラリーのプログラムディレクター
方やアーティストとして再会するなどとは・・・・
こんなワクワクする
邂逅は、、、
初めてかもしれない。。。
