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太田夏紀 『息物』
今週3日(木・祝)から

BAMI galleryでは、太田夏紀 『息物』
を開催いたします。





2016.11.03 (thu) - 2016.11.13 (sun)
OPEN  : 12:00-18:00
期間中無休





約1年近く前、BAMI galleryでは小橋君の個展を
開催していました。その時、ひょっこり現れたのが
太田さんでした。


私は、ギャラリーの企画中、その時々の雰囲気とい
うか空気如何ではあるのですが、出来る限り来てく
れた若い人には声をかけるようにしています。大抵
そのような若者は物づくりをしている確率が高いか
らでもあるからです。


特にその時の企画であった小橋君の作品は焼物に
よる虫を制作しており、同じ道を志す若い人も
沢山来てくれていました。


が、、、、、、


この太田さんは、、、、







一際他の若い人とは違いました。。。


まず、、、その滞在時間・・・・


おそろしく長かったような記憶があります。


凝視している所に声をかけても悪いので、
見終わるまで待っていましたが、、、、


なかなか終わらない。。。


それと、、あっちいったりこっちいったり・・


少なからず、、挙動が不審でした。。。


変わった子だなぁ~と、、、、ギャラリーに来る、
若い女の子も沢山見てきたのですが、、一際異彩を
放っていたようにその時は感じました。


見終わったかな?という頃合で声をかけると、
やはり焼物をやっていて、当方の遠藤君の後輩だと
言う事でした。早速、どんな物を作っているのか
見せてもらったのですが、うん??悪くはない??


年齢を聞くと、、、23歳・・・・


なっ、なんと、、私の娘と同い年ではないか。。。


正直、、、悪くはないのだが、、自分の娘を下敷きに
考えたとき、、作家?もしくは作家になっていく??
というイメージのギャップというのか違和感があった。


うーん、、、確かに作品が良ければ、、、
八木くんとの最初の出会いも彼が19歳かそこらだった
ような記憶がある・・・・


ただ、、私にとって太田さんのその時の最大の印象は
作品もさることながら、、長らく剣道をやっていた
という事もあるのか、比較的何を言っても受け留める、、


つまり、私は若い人に対してはかなりキツイ言葉と内容
をぶつける。ある意味こき下ろす。


ただそれは、私なりの礼儀でもある。せっかく来てくれ
たのだから、彼ら彼女達の甘い部分を粉々に粉砕し、
大学とは違う、私が考える現実と各自の作品の程度の低さを
感受してもらおうと・・・・


まぁ、、どう受け止めるかは其々次第なのだが、、
大抵は嫌われているだろう・・・


戻るが、太田さんにも同じようにキツイ事を言った
筈なのだが、、あれっ??と言うくらい、、強い!


この子のこの強さ・・・


これが私が一番印象に残った事でした。。。


その後、確か何度か?来てくれたように記憶していますが、
毎度の事で記憶が曖昧・・・


ただ何時だったかハッきりとは記憶していないが、、


精華-ESSENCE 展という精華の現役学生と卒業生を対象に
した企画を公募で行おうと立案した時に、良かったら
応募してとだけ告げたのを覚えています。


誘ったのだが、正直忘れていて、、


さて、公募の作品を選ぶという段になり、あっ!
応募してくれたのだと気付きました。


ただ、精華-ESSENCE 展の公募審査は、先ずは
釜くん松本くん遠藤くん宮本くんに任せており
最終で私が判断するという仕組みにしていたので
応募してきたのは分かっていたのですが、黙って
いましたが、、、最初の審査でダントツの選択でした。


さて、そこから私は今回の個展企画をスタートさせた
のです。6月ごろ、、約半年前、、


8月終わりか9月初めに個展の諸々の打ち合わせレジュメを
渡し、何度か打ち合わせを行ったのですが、、、、
当然はじめての個展で戸惑う事も多かったと思いますが、
私にとって、この個展の最大のポイントは、、、、


彼女が何をしたいのか?


という事でした。


当然生き物の造形を陶芸で行うのですが、それよりも
なぜそれが陶芸で生き物でないと自身の必然がうまれ
ないのか?という事でした。勿論明確な文書化などは
必要ありません。しかし、学校の課題のように一点
一点を作り評価を仰ぐのとは個展は訳が違います。





ただ単に台の上に乗せて”良く出来ている?”という
事となど、私のギャラリーでは意味をなさないし、
その程度のことなら私がやる必要もない。






その点をどう理解し、形に現すのか?


何度かその事を集中的に話し合いました。





今回のステートメントが出来上がった時、何となく
ではあるのですが、この子の持っている魅力みたいな
ものが、ほんのりと香って来ました。それと同時に
私が常々考えている事とのリンク箇所が心地よかった。


***********



人に慣れていて危害を加えない生き物と一緒に生活
することは、私たちにとって都合の良いことが多い。


例えば、ペットとして、家畜として…野生ではない
生き物達は、「人間以外の生き物」として所有され、
人間の生活に私達の都合で、強制的に共に生活をする
事となる。生き物達が自分の生きたい様に生きられず
に、不自由な生活に息苦しさを感じているとわかって
いても、人間は生き物に対して一方的に愛情を注ぎ、
利用する。


外で走り回りたいと思っている犬を「逃げた」と言っ
て家の中に連れ戻したり、卵を産むために鶏は狭い
小屋に入れられる。そうして、外敵に襲われる事の無い、
安全で不自由な人間の世界に閉じ込められるのだ。


しかし、そんなことを知りながら悪気も無く、可愛いと
か大切だとか、人間のエゴだとわかっていながら愛おし
いと思ってしまう。 人間に逆らう事無く、静かにしっ
かりと息をしている生き物達を、「息物」として、
焼き物で表現したい。


*********



人間のエゴだとわかっていながら








この生き物との対峙が凄く気に入りました。



北野武の言葉






「よく生きがいっていうんだけど、
生きがいなんてそんな大切なもんかね。」



生きがいとは一般的に



人生の意味や価値など,人の生を鼓舞し,その人の
生を根拠づけるものを広く指す。〈 生きていく上での
はりあい〉といった消極的な生きがいから,〈人生い
かに生くべきか〉といった根源的な問いへの〈解〉と
してのより積極的な生きがいに至るまで,広がりがある。


まぁ恐らく上記の様な意味が通念であり、
ごく普通の社会生活を送ってきたものからすれば
ある意味、金科玉条のように心に張り付いている言葉
だろう。


しかし、生き物、、犬や猫は何のために生きているの
と問えば、、どう答えるのだろうか?








生きがいとは人間独自のモノということだろうが、
もっとも根源的な命という所の線上で考えれば
犬や猫も我々も同じ生き物である。





そう考えたとき、北野武が言っている事の意味が
おぼろげながら感じてくる。


●生きていく上でのはりあい

●人生いかに生くべきか



それよりも、生きるために生きる







生き物は総じてそうじゃないのか?と感じる。


先般、障害者施設に入り大量殺人を犯した輩が


「生きていく価値がない」と言ったと聞きます。


生きていく価値???







生きるために生きる生き物にそんな価値判断が
ある訳がない・・・・



すべて、何か間違ったエゴなのじゃないか?








しかし、そのエゴを抱えているのが人間であり
そして、そのエゴとの距離、埋めることのできない
距離を持っているのが我々の周りの生き物たち
じゃないのか?


人間どうしですら・・・



と考えさせられる・・・・・



-------------


人間のエゴだとわかっていながら・・・・


------------




”息物”と銘打った今回の個展


太田夏紀の作品から



今回そして今後、様々なものをぜひ感じて欲しいと
願うのと同時に、この初個展を最初にドンドン成長
して欲しいと私は念じています。







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岡部 賢亮 ツクモガミのためのギジンカ スタート!



岡部 賢亮 ツクモガミのためのギジンカ
2016.10.15 (sat) - 2016.10.28 (fri)
OPEN  : 12:00-18:00
期間中無休







ありとあらゆるものには魂が宿るとよく言われますが、
特別な信仰心があるわけでもない僕はなんの疑いもなく
ごく自然とその事を受け入れて生活しています。神様や
妖怪は、存在するかもしれないし、しないかもしれない、
絶対にわからないということこそが自然と受け入れる
ことができる理由なのではないかと僕は考えています。


僕の実家には床の間があります。そこには大きな水瓶があり、
四季折々の花が生けてあるのですが、不思議と生けられた
花は土に生えているときよりも魅力的に感じます。


それを眺めながら「この花にも魂があるのだろうなぁ」
と考えたとき、ふと「いや、この花は根っこから切られて
もう死んでいるのじゃないだろうか。でも死んでいるよう
にも見えないし、凄く魅力的に見える」と疑問に思い、
自問自答してなんとなく仮説を立てました。



それは、この花は死んでもいるし生きてもいるということです。



いる。いない。という対極にある考えが同時に存在している
からこそ人々の心を惹きつけるのではないでしょうか。
僕は自身の制作において、この対極にある概念が同時に存在
するときにできる魅力を擬人化という手法で表現したいと
思っています。



つくも神という100年経った道具は魂が宿り手足が生え動き
だすという伝説があります。 古くから現在まで神様を人の
形で現したり、対象を人に近づけることで親近感や愛着を
感じさせることは、幅広く取り入れられている表現方法です。 



僕は、今回の作品をこのつくも神的な感性を基底にして制作
しています。端的に言うと花を生けるための器を擬人化する
ことで僕の表現が鑑賞者に対して広く伝わることを願ってい
ます。





It is often said that there is always something
like a spirit or a soul in everything. I live
my everyday life, believing in that idea without
any doubt even though I am not a particularly
religious person. And it seems to me that the
reason why I can accept such idea so naturally
is because there is absolutely no knowing whether
or not things like gods or ghosts really exist.


There is a “Tokonoma” ( a Japanese style alcove)
in my house. And there stands a big water jar
always filled with seasonal flowers. I always find
these flowers much more attractive in the jar,
where they are separated from its surrounding
nature, rather than within the nature. One day,
as I was looking at flowers in the jar, I thought
to myself “there must be some kind of spirits in
these flowers too”. But soon I also wondered
“Or not. These might already be dead with all
the roots cut. Though they don’t seem dead but
rather very beautiful.” Then I came up with one
theory: These flowers are dead and alive at the
same time.


It is such co-existing of two very opposite
concepts that “something is there” and
“nothing is there” that makes these flowers even
more attractive to us. In my works, I try to
express such attractiveness, created when these
bipolar concepts co-exist, by personifying it.


In Japan, it has long been believed that a wide
variety of daily tools, after having been used
for a hundred years, finally come to have a
spirit and become a god called Tsukumogami.
They are even said to gain arms and legs and
start walking around by themselves like a human
being. This is also one kind of personification;
the way to make people feel more intimate with,
affectionate and more connected to certain
objects by making them closer to human beings
or giving gods human forms in art works.


Behind this piece of work is this concept of
Tsukumogami, tools coming to have a sprit.
A vase may be merely a tool for arranging
flowers, but this time I gave it a human
form to turn it into something that people
can feel familiar or even intimate with.
And I hope whoever sees this work gets that
feeling.

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岡部 賢亮 ツクモガミのためのギジンカ
昨年の8月


暑い時だった。


宮本くんのBAMI galleryでの個展開催中


その男はひょっこり???


いや、、、ナンと言うか・・・


飄々と現れた???


違う・・・


気付くと居た。


何者か尋ねると???


宮本くんと大学受験の画塾が一緒だったとのこと・・・


大学は??


沖縄県立芸術大学


数ヶ月前に大阪に帰ってきたらしい。。。


話していると不思議な空気を持っていた、、、


ある種の魅力


沢山の若い人=芸術の世界を志す??がギャラリーには
来る、、、


しかし、残念ながら、私の記憶に残る人間はほとんどい
ない。


キツイ言い方をすれば興味が湧かない。それは作品を
見る前の段階での話である。


逆に言えば、大半はロクデモないという強烈な先入観で向き
合っている。


私は大学の先生でもなければ、NPOを運営している訳でも
ない。


商人である。


だから当然そのような見方になる。


ただ、、この男は、別段強烈な個性がにじみ出てという
風でもなければ、ごくごく普通、、普通の中の普通という
位、、普通だった。。


でも、会話が心地よかった記憶が残った。。。


ある意味、、私の強烈な先入観=ロクデモない、、、という
壁をどういう訳か・・スルスルと入り込んできた・・・・


その時は、それで終わったが、、、


何時だったか、ある調べモノ


FRPについてなのだが、、


ネットを彷徨っている時、偶然彼の作品に遭遇した。


あれっ!これは・・・


最初の出会いのとき携帯の画像をチラッと見て、素材を
聞いた記憶はあった。確かFRPだったが・・・・


ただ記憶にある作品の印象と少し違った


悪くない・・・


あいつ、、、特段用もないが、連絡してみようと
宮本君に連絡先を聞き電話した、、、


すると、今何かを作っているらしく、出来上がったら
見せにこようと思っていたとの事、、、


これも何かの縁?かなと思い、、、


新しく仕上げているのも勿論見たいが、その前に、、


今ある作品を持ってこい!見たいからという事を伝えた。


・・・・・実物を見た。。


正直、悪くはないが、、、、


全般に仕事が”甘い””


私は、嫌いなのである。


徹底的な技術探求が欠けた作品は・・・


何か甘いところで着地している作品は大嫌いなのである。



達成感のみを求めるアマチュアのシュガーコート
された匂い・・・私はそれが臭くて大嫌いだ・・・



故に、可哀想であったが、、、、


徹底的にボロクソに論った!!


これで、、二度と来ないかな???


とも感じながらだが・・・



ある意味試した。




が、、、


数ヵ月後


やって来た。。。


作品を携えて。


出来は、、


良かった。


まだまだな部分は確かにある


しかし、明らかに

仕事の密度と層化が比べ物にならない・・・



「くやしかったんです。。。。」







挑戦的な眼をこちらに向けながら語った彼・・





この日から


今回の個展は始まった!!!








2016.10.15 (sat) - 2016.10.28 (fri)
OPEN  : 12:00-18:00
期間中無休



ありとあらゆるものには魂が宿るとよく言われますが、特別な
信仰心があるわけでもない僕はなんの疑いもなくごく自然と
その事を受け入れて生活しています。神様や妖怪は、存在する
かもしれないし、しないかもしれない、絶対にわからないと
いうことこそが自然と受け入れることができる理由なのでは
ないかと僕は考えています。


僕の実家には床の間があります。そこには大きな水瓶があり、
四季折々の花が生けてあるのですが、不思議と生けられた
花は土に生えているときよりも魅力的に感じます。
それを眺めながら「この花にも魂があるのだろうなぁ」と
考えたとき、ふと「いや、この花は根っこから切られてもう
死んでいるのじゃないだろうか。でも死んでいるようにも見
えないし、凄く魅力的に見える」と疑問に思い、自問自答し
てなんとなく仮説を立てました。

それは、この花は死んでもいるし生きてもいるということです。


いる。いない。という対極にある考えが同時に存在している
からこそ人々の心を惹きつけるのではないでしょうか。
僕は自身の制作において、この対極にある概念が同時に存在
するときにできる魅力を擬人化という手法で表現したいと
思っています。


つくも神という100年経った道具は魂が宿り手足が生え動き
だすという伝説があります。 古くから現在まで神様を人の
形で現したり、対象を人に近づけることで親近感や愛着を
感じさせることは、幅広く取り入れられている表現方法です。 


僕は、今回の作品をこのつくも神的な感性を基底にして制作
しています。端的に言うと花を生けるための器を擬人化する
ことで僕の表現が鑑賞者に対して広く伝わることを願ってい
ます。



COMBINE 岡部賢亮 ツクモガミのためのギジンカ プレスリリース by COMBINE on Scribd


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