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然れども彼の生涯は男らしき生涯也
毎日帰宅する時間の平均は大体午後8時前後だ、、
帰ると大抵プロ野球=タイガースの試合を観ている。



午後8時前後だと中盤から終盤、試合の帰趨が
見え始める頃合でもある。


毎日見ていると言ったが、かじりつく様に勝敗に
熱くなって観ているのとは違う。ぼぉ~と観てい
るという方が近いかもしれないが、何を毎日観て
いるか?といえば大抵“配球”を見て楽しんでいる。


プロの高いレベルの勝負のやり取りは実に面白い。



1球1球に根拠があり最後打たれるか抑えるかの
ストーリーの連続が面白いのである。



昨日も同じように観ていた。交流戦が始まり、
ソフトバンクとの試合、何時ものように配球を
見ようと眺めたが、、、


瞬間、、、その楽しみを忘れた。。。。



今日(6/11)のスポーツニュースでも取り上げら
れているが、森唯斗、7者連続三振!


6回表タイガースの攻撃、一死一三塁の場面ホークス
は3番手の森唯斗がマウンドへ・・・・・


7者連続の三振。。



素晴らしい記録ではあるが、日本中が騒然と
なるものではない、、


しかし眺めていた私は息を呑んだ・・・似てる!



山口高志に・・



全身を使うダイナミックなフォーム。
威力あるストレートの高めで三振を奪う・・



森唯斗は現代の投手なのでかなりの球種を扱うが、
それでもストレートとカットボールという2種を
中心に組み立てられた配球は見事であった。


ただ不思議なのは、、その素晴らしいストレート
の球速がスピードガンでは145キロ前後??


なのに打者はかすりもしない・・・おそらく、,,


よく言われるスピードガン以上の体感・球速が
存在するのだろう。そして素人の私が偉そうに
言うのもなんだが、、、多分、、初速と終速の
差がないのではないか?と感じた。



このタイプの最高峰が江川卓だが、彼もスピード
ガンでは145キロ前後だが、実際には終速が落
ちることなく逆に勢い良くホップするという類稀
な投手だった。



森唯斗を眺めていた私に重なったのは江川ではない、、



山口高志だ。



山口高志は私にとって憧れの野球選手だ。



誰が最速投手か?というテーマにおいて様々な意見
があるが、必ず1,2位に位置する伝説の投手で


日本プロ野球史上最も速い球を投げた投手だ。



僅か169cmの身長、全投球の8割以上がストレート。


実質活躍したのは4年のみ。


プロの捕手に「球を捕るのを初めて怖いと思った」
と語らせる剛球。



剛球一本のみの勝負。



小さな身体全体を使い切り叩きつけるようなフォーム
は小さい時分の私にとっては衝撃だった。



5年目を迎えるシーズンでケガ。


その後、投球スタイルを変えることなく剛球を追い求
めたが復活することなく引退。



「スタイルを変えてまで生きながらえたくはない。
ボールを曲げたり、落したり、力の限り投げ込まない
姿を受け入れられなかった。「剛速球投手」とのみ呼
ばれたかった。」



僅か4年だが、、その鮮烈さは未だに私の脳裏を離れない。



今、考えるとこの山口高志の考え方はプロとして
どうなのか?と思うことも正直ある。


どんな事をしても勝つ、もしくは生き残るのがプロだと
私は思うのだが、それから言えば、山口高志の選択に
は疑問が残る。


ただ、こんな言葉も残している。


「僕は80パーセントでは投げられない。だから下位打線
だろうが常に全力投球。こんな小さい体(169cm)で
そんなこと続けたんだから、4年でつぶれても当たり前。
後悔は全くない」



彼のプロとしての持ち味、特徴、これを考えた場合、
この選択以外ないのかな?とも思う。つまり元々小さな
身体でプロ入りを躊躇い拒否までした選手が一念発起
体当たりを決意した事からの結論としては十分理解できる。


恐らく端からこの考え方で勝負していたのではないのか?
とも思う。故に、、現役生活は僅かであったが、
今も多くの人を魅了してやまないのはプロとしての仕事
を果たしたという事だとも感じる。


プロはお客があって成り立つ。


その条件から考えれば、20年凡庸に過ごした選手よりも
僅か4年に凝縮された彼の時間は実に見事であるとも思える。


彼の野球人生を考えると


私なりに感じる言葉が浮かんでくる


芥川龍之介の義仲論


彼の一生は失敗の一生也。彼の歴史は蹉跌の歴史也。
彼の一代は薄幸の一代也。


然れども彼の生涯は男らしき生涯也

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COMBINE/BAMI gallery スケジュール報告
当月から8月末まで


COMBINE/BAMI galleryのスケジュールを
時系列で報告させていただきます。


最近ホームページの検索ワードも、この
”スケジュール”という文字がかなり多く
なって来ました。


基本当方は自前のギャラリーでの活動そのものを
BAMI galleryのメニューとし、、、


様々な外部企画をCOMBINEのメニューとしております。


つまり、COMBINEという名称はマネジメント内容に
なります。


ここでは、自前ギャラリーのBAMI galleryメニューと
COMBINEメニューを時系列順にご報告させていただきます。



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現在開催中

BAMI gallery

松本央 光と陰 
2015.06.01 (mon) - 2015.06.13 (sat)
OPEN  : 12:00-18:00
CLOSE : 会期中無休




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6月16日(火)からBAMI gallryは

卵の惑星
遠藤良太郎 忘れられた宇宙遊泳記
2015.06.16 (tue) - 2015.06.29 (mon)
OPEN  : 12:00-18:00
CLOSE : 会期中無休




COMBINE 遠藤良太郎 Ceramic Works 忘れられた宇宙遊泳記 -卵の惑星- プレスリリース by COMBINE





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6月25日(木)からはCOMBINEメニュー

『漆楽園』
佐野 曉 うるし展
2015.06.25 (thu) - 2015.07.01 (wed)
at 一畑百貨店松江店
http://www.ichibata.co.jp/dept/saiji/top.html

27日(土)28日(日)佐野君には在廊してもらいます!




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7月9日(木)からCOMBINEメニュー

八木佑介 日本画展 午前二時


at あべのハルカス近鉄本店
  タワー館11階 アートギャラリー

会期/2015年7月9日(木)→7月15日(水)

午前10時~午後8時 
※最終日は午後5時で閉場させていただきます。

※作家来場7月9日(木)~7月15日(水)

全日、八木君在廊体制で臨みます!!






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7月10日(金)からはCOMBINEメニュー


「―コンポラサーカス― 京都若手現代美術作家展」


会期・場所

2015年7月10日(金)-16日(木)

倉敷天満屋 4階 美術画廊

最終日は午後4時閉場
直通電話(086)-426-2145

参加作家

釜匠 八木佑介 佐野 曉 公庄直樹 松本央 
遠藤良太郎 宮本大地

7月10日(金) 佐野くん宮本くん在廊
7月11日(土) 釜くん佐野くん在廊
7月12日(日) 釜くん佐野くん在廊




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7月16日(木)からBAMI galleryメニューは

釜匠 solo exhibition 「箱家 ーハコイエー」
2015.07.16 (thu) - 2015.07.28 (tue)
OPEN  : 12:00-18:00
CLOSE : 会期中無休





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7月29日(水)からBAMI galleryメニューは

宮本大地 solo exhibition ヒミツ基地ノヒミツ
2015.07.29 (wed) - 2015.08.10 (mon)
OPEN  : 12:00-18:00
CLOSE : 会期中無休




COMBINE 宮本大地 ヒミツ基地ノヒミツ プレスリリース by COMBINE





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8月12日(水)からのCOMBINEメニューは

佐野曉・公庄直樹 二人展 POWAN POWAN

at 天満屋福山店

8月12日(水)-8月17日(月)

両名とも全日在廊体制予定






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以上です!

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light and shade
丁度一年前だった。


以前のBAMI galleryで個展を開催するにあたり展覧会
のタイトルを求めた。


これで行こうと思います、、


「光と陰」


“ひかりとかげ”


ある意味、良く使われる響きだ

言葉は悪いが“ありきたり”だ・・・・・



自らの作品を情緒的に詩篇化するにはうってつけの
言葉でありメタとしての領域も広いから、、、


大抵のものは内包できる・・・・・


少しニュアンスは違うが“癒し”という大嫌いな言葉も
同様な作動があるような気がする・・・・・・


問題は自らの中から濃縮したものか?どうかだが・・・


ひかりとかげ



この場合大抵“光りと影”が多いのではないだろうか?



実際の光りとそこに出来る影という事に仮託した状況を
この言葉で表すのが常のような気がする。



格差、、成功と失敗、不条理、、、、


挙げればきりがない。。。



逆に考えれば、、全てがそうではないか?


必ずといって社会、人間と人間、



その人間が形にしてきた、又これからするであろう、
目に見えるもの、目には見えないが風のように感じ
るもの全てがそうなのではないか?



そう考えれば、妙な臭気がしなくもない・・・
30歳そこそこの“ガキ”が使う言葉なのか?



つまり格好つけたわりには稚拙。。。



しかし、



光と影ではなく



光と陰。


選んだ言葉が違うと意味は違う



なによりもその選択の意思が大きい。



light and shadow

light and shade



【影】

光が遮られてできるもの。光。姿。身代わり。


【陰】

光の当たらない場所。目の届かない場所。



物体や人などが、光の進行を遮る結果、壁や地面
にできる暗い領域とは違うのが“陰”というものだ。



この差を明らかに提示してきた松本君に関して



これまでの彼の制作の苦悶から、、、
又、レンブラントを私淑する彼を知るからこそ



丁度一年前の私は理解できた。



“光の当たらない場所。目の届かない場所。”


つまり、厳然とした存在を認知した上で生まれる
差異ではなく在るのにその存在を無視もしくは
感知されない、、、



見えないもの・・・



それが陰だ



実は、そこにこそ



我々凡夫には及びもつかない



本来、芸術家の鋭い視線
芸術家にしか見えない



美しい世界がある筈だと私は思う。




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