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一つ事への執着
今日で無事、田村さんの個展も終了する。


会期中雨の日が多く足下が悪いにも関わらず、沢山の
方にお越しいただいたこと心より感謝いたします。


誠にありがとうございました。


田村さんとの出会いは相当前のBlogで紹介
させていただきましたので、改めてここでは割愛
させていただきますが、田村さんと一緒に仕事を
する意味?二人の中で阿吽として共感している部
分を少し紹介したいと思います。


COMBINEをスタートさせるとき、私の中には
マトリックスがありました。


何のマトリックスかと言えば、作家の枠組みとして
当然表現が偏らないようにという思いはあったの
ですが、年齢のマトリックスというものも大きな
割合として持っていました。


若い人だけでは駄目、私と同世代だけでも駄目
若い人+私と同世代、これでも駄目でした。


そこには私の上の世代、このジェネレーションが
必要に感じていたのです。


何故か?


それは一つ事に執着しコツコツと周りの騒音と
無関係に自分を見つめる、これが出来る人、
また実践している、そんな人が欲しかったので
した。



何の為にそれをやっているのか?





私は現代美術という”タグ”が付いた商品を扱っている
訳ではない。



同時代に生きる鋭い視線を持つ作家
アーティストを自らが選択して紹介している
のであり、そこには表現の材料も年齢も
性別も国籍もまったく要素としては関係が
ない。



表現=生きるために生きる=等価



ギャラリーという機能を運営していると、様々な
事が起こります。



思いも寄らずメディアに取り上ていただき、華やか
な紹介をしていただく事もあれば、色んな方が起こし
くださり購入していただく、又次の展開のお誘いなど


しかし、逆もあります、何の反応もない、お客様の
入りも悪い・・・等々


実際には後者の方が多いのであるが、僅かな良い
事柄が全てを帳消しにしてしまう・・・・



が、、常にこれの繰り返しの現実に変わりはない。。



しかし、基本はなんなのか?



私達の基本は選んだ作家・表現をじっくりご紹介し、
その優れた考えや表現、又成長を広く伝えていく、
これに尽きると考えます。


ビジネス・商売の手法はあるでしょう、しかし
根本的な本質とはこの事だと私は信じています。


当然全て思った通りにはいきません。しかし、時間差
はあると思います。その時間差は待てど結局結論が
でないものも確かに存在します。しかし全て含めてそこ
には我々が選択した、その選択根拠に対しての責務
というものが確実に存在します。


逃げられないと思うのと同時に
終わりはないのです。


一時の華やかな紹介に浮かれていては、本来の
本質的職責を見失う、そんな状況にすぐに陥って
しまうのも又確かな事です。


また先述のように


まったく無反応という逆の状況も同様に
拗ねた虚脱感を無責任に抱く、まさしく
客観性なく自らの立場を見失うのです。


いずれにしても、いつも軸が揺らいでいる・・


そんな時、田村さんのアトリエに伺うと、初期の
思い、本質的な責務がひしひしと沸いてくるのです。


山小屋で一人作品を作る決して若くない、そして
失礼だが無名の田村さん・・・・・・


ただ一点を見つめ


作品を作り続ける。


そんな姿を見ると、、、


自分が選択した仕事の意味を改めて感じるのです。


いつも最初の時と同じ距離でいてくれる・・


そんな田村さんの存在が


私の勝手な思いですが、、、


羅針盤のような・・・



・・・・・



作家もそうであるように


我々も同じだと感じる、ある一点があります。



一つ事を追求する。


それは、、


水に書いた文字のようなものかも
しれません。


ずっと書き続けていなくては
ならないような、実感を得たかと
思うと消え、また書く・・・・


それを続ける


続けるに値するものを見つめないと
いけない。



我々は我々が選択した作家の成長・進化と同じように
我々も成長・進化し、お互いが共感しそこから発生する
大いなる遠心力の渦を生み出す、それこそが幅広く様々
な方へ、その生き方の姿や考え方をご呈示できるように
なれる唯一の方法だと信じています。そしてこの一事へ
の執着が全てのような気がいたします。




田村さんにはいつも多くのことを教えていただきます。



今回は本当にお疲れさまでした。










▲TOP
COMBINE、当月~来月、、諸々
少し報告が遅くなりましたが・・


先日の5月18日(水)より


kappachicken solo exhibition
「silent color」
2011.05.18 (wed) - 2011.06.07 (tue)
at 高松天満屋5階アートギャラリー
〒760-8516
高松市常盤町1丁目3番地1
5階アートギャラリー 
TEL087-812-7549(担当 青野)
営業時間 10:00〜19:30













にて開催いたしております。


3月にBAMI galleryにて展開いたしました
初挑戦の力作である立体はもちろんのこと、
その他近作を交えての展覧です。

是非ご高覧賜りますようご案内申し上げ
ます。



※Gombessa proposal ep1
【I am japanese.】に参加してくれた
京都造形大学2回生 八木佑介くんの
作品もウィンドーにて展示しております
ので是非ご覧下さい!!





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又、高松では


kappachicken solo exhibition
「silent color」
2011.05.18 (wed) - 2011.06.07 (tue)
at 高松天満屋5階アートギャラリー

のち引き続き、4月にBAMI galleryにて
開催いたしました、、、、

Gombessa proposal ep1
【I am japanese.】

に参加してくれた

高松明日香さんのsolo exhibition
開催いたします。


高松明日香 solo exhibition 【フロンティア】

2011.06.08 (wed) - 2011.06.28 (tue)
at 高松天満屋5階アートギャラリー

地元での展覧となり彼女もひじょうに張りきって
おります。描きおろし中心に約20点の展示予定で
す。

また近づきましたら諸々紹介させていただく
予定ですが、先ずは今回開催告知を記載させて
いただきます。







◆高松明日香

高松明日香profile
1984年 高松市生まれ
2007年 市立尾道大学芸術文化学部美術学科デザインコース卒業
2009年 市立尾道大学 大学院美術研究科美術専攻 修了
現在   倉敷芸術科学大学 芸術学部 非常勤講師

活動歴個展
2010年 『ミラーズ』トーキョーワンダーサイト本郷
2009年 『トリミング』丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 
造形スタジオ (香川県)
受賞歴      
2011年 ワンダーシード2011 入選
2009年 トーキョーワンダーウォール2009 入選
2008年 TURNER ACRYL AWARD 2008 秋山孝賞
2007年 TURNER ACRYL AWARD 2007 美術手帖賞

グループ展/Group Exihibition
2011年 Gombessa proposal ep1 BAMIgallery(京都府)
2011年 Art For Tomorrowトーキョーワンダーサイト渋谷
2011年 ワンダーシード2011トーキョーワンダーサイト渋谷
2010年 神戸アートマルシェ2010神戸ポートピアホテル
2009年 トーキョーワンダーウォール入賞入選作品展
東京都現代美術館(東京都)
2009年 ターナー色彩株式会社ACRYL AWARD2008入賞
2008年 ターナー色彩株式会社ACRYL AWARD2007入賞

コレクション
ターナー色彩株式会社 香川県丸亀市


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そして関西では



雨森一彦くんの作品が

大山崎山荘美術館にて展示されます。




↑↑↑

この写真の椅子が雨森くんの作品です!!!


人はすわって考える? 大山崎山荘にすわろう
かんさいいすなう
2011.06.17 (fri) - 2011.09.25 (sun)
at 大山崎山荘美術館


開館時間:10時~17時(入館は16時半まで)
休館日:月曜休館(祝日の時は翌火曜休)
入館料:大人700円、高大生500円、小中学生無料、
障害者手帳をお持ちの方300円

場所:京都府乙訓郡大山崎町銭原5-3
JR山崎駅または阪急大山崎駅より徒歩約10分


3ヶ月間の長期開催ですので
是非皆様よろしくお願いいたします。



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現在BAMIgalleryにて好評開催中の




田村博文 solo exhibition
STONE+SABI 原風景からの切り貼り

2011.04.27 (wed) - 2011.05.31 (tue)
gallery close 4/29・30・5/1・3・4・5・8・14・15・22・29
open 11:00~18:00


まだ調整中ではありますが
次の展開が決まりつつあります。


●高松天満屋への巡回は
 6月29日~7月19日の予定で調整中です

同時期に

●鳥取大丸にての陶芸家のお嬢様との
 親子展を現在調整中

その他

●6月中旬~末にかけて東京都内の
 百貨店にて実験的にVPゾーンを
 使用しての展開を計画しております。

又少しこれまでとは方向性は違うのですが
7月に倉敷で開催されます

伝統工芸展へ少し参加させていただく
計画を現在調整しております。



端から”アート”でないと・・などという
堅苦しい枠組みを堅持せず、人が集まる場、
特に木工から様々な作品が並ぶ場所に挑戦
しようと考えております。


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そして


孤高の版画家・奥野正人さんが
今年も韓国で開催されます、

空間国際版画ビエンナーレ、
セレクト100に選出されました。




http://www.spaceprintbiennial.org/eng/sub/entry_on_01_Jap.asp



奥野さんは【国展 第85回】

にも出品されておられますので、
こちらもよろしくお願いいたします。


2011.04.24 (sun) - 2011.05.09 (mon)
at 六本木国立新美術館
http://www.kokuten.com/

Open 10:00~18:00
*最終日は14時閉会
 (入場は1時間前まで)

●名古屋展

会場:愛知県美術館ギャラリー
会期:5月24日(火)~5月29日(日)
Open 10:00~18:00
 (金曜日は午後8時まで)
*最終日は16時まで
 入場は30前まで

●大阪展

会場:大阪市立美術館
会期:6月7日(火)~6月12日(日)
Open 9:30~17:00
* 入場は閉館30分前まで



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さて最後になりましたが、、


いよいよ


来月1日(水)よりBAMI galleryでは


COMBINEの核弾頭”松本央”の個展を
開催いたします。








松本央 solo exhibition
Beast Attack!


2011.06.01 (wed) - 2011.07.08 (fri)
at BAMI gallery
http://combine-art.com/html/gallery/ga_schedule.php

gallery close 6/4・5・11・12・18・19・25・26・7/3
open 11:00~18:00



※是非ご高覧賜りますようご案内申し上げます。



▲TOP
ロボトミー
先日松ちゃんのPVを作るのにインタビュー?
というのか彼が独白している場面が欲しくて、
私が有る程度質問し彼がそれに答えるとい
う形を取った時のこと、、

彼が語り出した中で二つのことが”おっ”と
引っかかった!!!


一つは九龍城

もう一つは人間が作り出した思想や哲学
が人間の何を制御しようとしていたのか?
その意味・・・という彼の考察点だった。


九龍城という無法地帯と化した状態
それは人間の制御すべき部分を突破
した先に現出した状況


営々と人間が考え続けている人間という
生き物とそれをとりまく世界に対しての
思想哲学という制御面


このともすれば一見相克・相反する状況を
並列化して考える思考性、同一線上として
考えそこから何か具体的な可視化状況を
生み出そうとする彼の考え方には瞬間的に
有ることを思い出さずにはいられなかった・・



・・・・・・・・・・



かなり以前、何気なく入ったコンビニで


時間つぶしのためマンガを立ち読みしていた。


パラパラと何冊かめくったが特に面白い物がなく
出ようかとした時、ラックの最下段にあった一冊が
目がとまった・・


今、そのマンガのタイトルは思い出せないが、



何かが


目を引いた。




手に取ると表紙が、大阪教育大付属池田小学校
(大阪府池田市)で二〇〇一年、児童八人を殺害、
教師を含む十五人に重軽傷を負わせた事件の宅間
の肖像だった。



この事件、実は今も興味がある。特にこの犯人の人生
の奇異さと、奇異な人生に走らせた異様な指向性、そ
して判決から即行で執行された死刑、どれをとっても通常
の理解を遥かに超えるものであり、なにか結論が出ないまま
抹殺されたような感があり、それが故に心の中で鮮烈かつ、
明確な棘のような引っ掛かりが今も私にはある。。。



その興味からマンガを読むと、なるほどぉ!と当時記事の
文言として読んでいたものがマンガの絵をかりて画像が動
きだし何かしらの窓口がつかみとれたような感じがした。。。
まぁ瞬間的な錯覚も多いにはあるだろうが・・・・・・・・・



この衝撃的な事件をはじめ、このマンガの編集は猟奇的
殺人事件をまとめた内容だった。。



次のストーリーを読もうと表題を見ると



「ロボトミー殺人事件」



・・あっ、このロボトミー・・いつか、何かの記憶がある・・

・・・うーん、思い出せない。。が、なにか覚えがある・・・



なんだったか????

と、モヤモヤしながら読み進めたのだが



驚いた!!




この聞きなれない“ロボトミー”とは


要するに、、脳に外科的手術を行うことにより精神疾患
を治療することなのである。


特に以前で言う精神分裂症、現在で言う統合失調症
を中心に外科的に手術をしたのだ。



ロボットのような人間にするからロボトミーではない。



ギリシア語の「λοβός lobos=葉、この場合は前頭葉、
τέμνω temno→tomy=切断」から作られた造語である。
発音が似ている「ロボット」は、チェコ語のrobota(労働)
という言葉から作られたとされ、語源が全く異なり関連性は
ない。



ロボトミーとは、、



例えば、瞬間的に激高し殺人まで犯す人間が現在も
存在するが、その潜在的な犯罪の可能性を考えれば
相当数の予備軍が存在するという前提に立ち、人間
は誰しもこれに近い感情を内包していると仮説を打ち
立てる。



これに関しては有る程度理解は出来る部分はある・・


しかし、ロボトミーはこの仮説段階を踏み越える・・



精神のバランスが崩れた瞬間、突発的に殺人にまで走
る人間とは所謂精神分裂状態のゾーンにあり、それら
の人間の頭を、メスを使い具体的に神経細胞を取り除
くもしくは切除することにより、事前に精神のバラン
スを人工的に保つ施術、これがロボトミーなのである。





えぇ??こんなことが行われていたのかぁ???

・・・・うーん、しかし、記憶のどこかに・・ある・・・





驚いた点は



この倫理的にかなり問題があると判断できる施術が、
実は1975年、「精神外科を否定する決議」が日本
精神神経学会で可決され、それ以降は行われてい
ないらしいのだが、当時、基本的な法的拘束がかか
っていなかったという点、そしてこの非倫理的な施術
が30年以上前は当然の方法論として肯定されてい
たという事実。




また、この手術を受けた人間が発表では3~12万人
とその数の多さもさることながら、あまりのアバウトな幅
の大きさにも驚嘆する。それはごく一般的な施術として
存在したから、データーとしての根拠がつかめていない
のが現実だと判断できる。。



風邪の患者を具体的にAIDS患者のような特定数値
では表わさないし、表せないだろうし、またその必要もな
いであろう、まさしくそれらと同内容が感じられるのである。



そしてなにより、この手術、手術例の蓄積からより大きな
成果を導きだそうと、一時期、医学会で奨励されていた
時期があったらしい。



施術当時の精神医学界では、精神外科手術が“画期的
な治療法”として脚光をあびており、臨床データをより多く
取るための目的もあって、多くの医師によって積極的にこの
手術が行なわれた。



しかし、この手術は当初より、しばしば、てんかん発作、
人格変化、無気力、抑制の欠如、衝動性などの重大
かつ不可逆的な副作用の報告がなされていたのである
が、抑止することなくかなりの年月継続されていた。。。



さて、マンガの中で紹介されていたロボトミー殺人事件で
あるが、このロボトミー手術の暗部がすべて剥き出しにさ
れた象徴的な事件だったのである。


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もともと暴力性をともなった精神的に問題のある男が
紆余あった末、スポーツライターとして、その才能を活
かすまでに努力するのであるが、些細なことで兄弟を
傷つけ警察に逮捕される。警察で前歴を調べると、
幾度となく繰り返される暴力事件に精神鑑定の必
要性を強いられ、精神病院へ強制的に入院させら
れる。


しかしこの時期、先述のとおりロボトミー手術が奨励
された時期と符号し、自らの意思とは別に、騙される
ような形で手術をされてしまう。本人はロボトミー手術
の存在も認識しており、その副作用もかなりの具体的
な部分で認識していた。それゆえにロボトミー手術に対
しては拒否を言葉としても行動としても医師に表してい
たのであるが、狡猾な手段により施術されてしまう。


あくまで私見ではあるが、、、、、
この時点での医師の感情は想像でしかないが、人の
人生を助ける仁術という観点ではなく実験としての興
味が強かったのだろうと感じる。



手術結果は医師の想像通りの、いやそれ以上の
成果を上げ、暴力指向性が消滅するのであるが、
その代償として、彼からは人間としての感動や精
神的意欲は極端に減退し、人にスポーツを通じて
感動を伝える仕事であるスポーツライターとしての
人生は停止したのである。



その後も手術の副作用に悩まされながらも真摯に
人生を歩もうとするのであるが、ある時、何を見て
も何も感じない自分に対し絶望を感じ、手術をし
た医師を殺害しようと思い立つ。



しかし乗り込んだ家には医師が不在であり、結局医師
の家族を殺害し捕まる。これがロボトミー殺人事件のあ
らましなのである。。。。



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驚くのはこの事件の結審だが、1996年11月無期刑で
あった。僅か15年前に決着したのである・・・


唖然とする。。。つい近年まで脈々と審理され生き続け
ていた問題なのだ!!決して過去の不条理な問題、歴
史ではないのだ・・・


今、誰が聞いても、精神的な破綻をきたした人間の頭
を開けて、実験のような手術をすることを“是”とい
う人間はいないだろう。



過去、このような事件があったからそう思うのでなく、
何となくでもいけない事と感じるものなのだが、僅か30
年位前は劇的な手術方法として奨励までされていたのであ
る。。



うーん??しかしなにか覚えがある・・・
この、ロボトミー・・・一時ものすごく引っ掛かってい
たような????


その当時、家に帰って早速“ロボトミー”とキーワードを
入力し検索すると、やはりロボトミー殺人事件が上位
に掲示されていた。しかし順にみていくと

あっ!

これだ!

と、突き当たったものがあった!!!!

カッコーの巣の上で!

アメリカンニューシネマの代表作・・・

そうだ、このとき知った言葉だったが、、、、、、



映画を観た当時、20年前、調べる手段がなかったのだ・・
それでも執拗に調べある程度は分かったが、それっきりに
なっていたのだった・・・



確か、主人公のジャックニコルソンがこのロボトミー手術を
強制的に施され、無気力、無感動を超え廃人になるシー
ンが強烈な印象として目に焼きついた。



そのときの興味がこの手術を探る動機になったのであるが、
当初は映画の中の想像的演出だとおもっており、現実に
存在するものだとは感じていなかった。



だから調べるといっても、ロボトミーという臨床医療の存在
をなぞるような事ではなく、類似事象、つまり施術で社会性を
失った事による提訴等の社会問題としての具体性があるのか
を整合させるということの方が強かったような気がする。



だから実際に存在する手術だと、、具体的に認知するまで
には当時到りはしなかった・・(当然インターネットなどと
いう利器も無く・・・である。。)



このカッコーの巣の上でという映画を始め
この当時の、、、



アメリカンニューシネマは私にとってかなり大きな存在であ
り、実は今私が芸術を判断するファクターの一つと呼んでも
おかしくない位置づけがある。



反体制、刹那的、個人の無力さと虚無感、不条理、暴力、
SEX、それらを客観的な世相として活写し包括するのでは
なく、人間個人の内面まで掘り下げる実存主義・・



今、現にここに存在している私・・という具体的なテーマ性
がバックボーンとして存在するこの芸術感性は、私のコアな
部分でもある。。



その中で、とりわけカッコーの巣の上でのロボトミー手術は、
他人は知らないが私にとってはかなり象徴的なシーンに映
り、体制から抹殺される不条理な手段・方法としては衝
撃的な印象が脳天を突き抜けた。。。



まさか・・こんな事??映画の象徴的な演出じゃないのか??
と感じたものの強烈な興味がそれ以降に病的に増幅した・・・



映画は精神病棟と患者、医師、看護婦が中心にストーリー
を展開していくのであるが、私がこの映画を見て感じたのは、


精神病棟の患者は我々常人からみると“異常”“奇異”な人
間なのであるが、逆の患者側から医師や看護婦、ある意味


一般社会と置き換えてもいいのであるが、それらを見た場合、
同じ感覚が生じるのではないかなぁ?というものである。


人間はある意味大多数が精神において小さな振れ幅の中で
生きているのかもしれない。


大きく振れる人間は小さな振れ幅の人間からみれば、驚異で
あり、自分の知らない未知の境地を体得しているという想像
が働くのかもしれない。


それが一種の恐怖と結びついているのか?とも考えてしまう。


例えば認知症というものがあるが、認知症患者自体は認知症
の中には存在しない。


認知症として存在し、苦痛を感じるのはその周辺の介護する
人間なのだ。


大きく振れた精神の、自分の振れ幅を超えるマージン部分は、
振れ幅の小さな人間が被る災厄でしかない。



ある意味、一般社会の精神的バランスは振れ幅の中心がすべ
てであり、ある一定の平均的な枠としての振れ幅が結果とし
て存在し、その枠からはみ出す部分に中心を持っていこうと
する人間は異常、奇異ではなく、一般社会の人間を超越した
存在として、その未来の行動の予測が取れないことが最大の
恐怖に結び付くのかもしれない。



もし、もっと人間の精神の振れ幅が大きなものであったら、
相対的な観点から人間の正常という幅は現在とは大きく相違
し簡単に変化する。


それをある種具体的な例として捉えられるのは“戦争”じゃ
ないかと思う。



現代で戦争を志向すると、間違いなく精神破綻者側の人間に
入れられる。


しかし、全員が戦争状態の時は、戦争を反対する者が精神破
綻者の側に組み込まれるのである。。。



それほど、あいまいであり、中心などと考えている物は外的
要因によっても簡単に変質するものなのである。。


だから人間は常にどこが中心なのか?日本人だと平均なのか
を模索する。



明らかに最初からそれらの中心や平均にとらわれない人間が
出現すると、精神破綻などというレッテルを貼る。


その方が自分達で導きだした結論を瓦解せずにすむからであ
る。



しかし、くどいが、中心や平均をもたない者からみると、
中心や平均に対して常にアンテナを張り巡らす人間は異常
に見えるのではないだろうか???



それに対する対抗手段としてロボトミーとは具体的戦術と
して編み出された方法論かもしれない。


しかしこの時点で、このロボトミーを肯定する側は果たし
て精神バランスの振れ幅は一般社会の人間の振れ幅に合致
するのだろうか?


場合によっては精神異常者と呼んでいる人間の振れ幅を遥
か超えているのではないだろうか?


これらカオス状態を抑止するために人間は“神の領域”
なる言葉を編み出したのではないだろうか??でもロ
ボトミーは明らかに神の領域を土足で侵入し、皆、侵入
したことすら気付かなかった事に最大の不思議が存在す
る。


そして今もって不思議なのは、ロボトミーに対する怒
りが社会にないのである。。

だから、ロボトミー、イコール、ロボトミー殺人事件
だけが取り上げられている。。

しかし、それすらも実は社会の中で末梢寸前であり、
知っている人間の方が少ないのである。



明らかに何かの手順を飛び越えた結論に思える、ロボトミーは・・・・


脳の構造を理解し、それに対して機械を修理するように
思考することは拙速過ぎるし、人間の智慧に対しての大
いなる欠落を感じる・・・


まぁいずれにしても、人間の脳を解剖することで、日常
生活は送れても、人間の感情はいとも簡単に変質・崩壊
するという、いかにも単純な行為が、実は人間の本質的
な軸を容易に歪めるものなのかと改めて感嘆してしまう
のである。。



逆に言うとそれほど精密にできているのかとも考え、
すこしナーバスにもなってしまう。。



外科的手術なしで崩壊する人間の感情の主要因はストレ
スなどと呼んでいる。これは誰しもに存在し、これによ
り人間は外科的手術を超える崩壊を始めるのも確かであ
る。


そういう意味では人間は誰しも眼前に精神バランスを崩
すものと対峙しているのかもしれないし、今、ある姿は
偶然の結果なのかもしれない・・・



そしてこのロボトミーで総合的に分かったのは、人間の
“怒り”の部分、これは暴力や凌辱という人間社会を崩
壊させる主要因であり、また逆にそれらに対抗する原動
力にもなるものなのだが、この部分を取り除くと、人間
は無気力無感動の廃人に近づくのだと。



人間の行動原理の根幹が実は様々な感情の種類があるに
も関わらず“怒り”というものにかなり深く依存してい
るということがなんとなく分った。



それは、、怒りのない人間は人間ではないという事に
もつながり、社会の構成要件としてはかなり重要な部
分となり、何に怒りをもつかによって人間の行動は明
らかな表現主体とその見え方が変わり、怒りの持続が
ある種人間と社会を律動させ行動し続ける原動力にな
るのである。。



カオスの中に身を置き、具体性のない平和を専行して
など到底夢想できはしない、必ずカウンターが必要で
あり、そのカウンターに対する原動力としての怒りが
エネルギーの条件となる。



戦いが存在するから平和という概念が存立し、平和の
概念があるから戦いの概念もまた存在する。


そのどちらかにおいても、それらを具体的にしようと
する怒りが生じ人間を動かす。


蛮行が存在してしまうのは思慮の欠如ではなく、興奮
を求めてやまない精神の所産なのである。しかしなが
らそれらを如何に抑制・覚醒させるか人間がもった性
(さが)との葛藤であり、ある意味怒りの根本となり得、
行動の根幹なのではないだろうか??


何もなければ、赤ん坊が母親の胎内の羊水の中で浮遊
しているだけでしかない。。


しかし、そのままでいるわけにはいかないし、摂理として
もありえない・・・



ではなぜ出現するのか人間は??


出現とは一種の怒りの肉体言語表現だと思う。。





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松本央 solo exhibition
【Beast Attack!】
2011.06.01 (wed) - 2011.07.08 (fri)
gallery close 6/4・5・11・12・18・19・25・26・7/3
open 11:00~18:00



▲TOP
黄金の茶室



黄金の茶室というのがある。





一般には豊臣秀吉がその権勢を誇示するために作ったものと
の認識があり、侘びや寂びという利休が確立した茶の世界の
対極に位置している。




当時そして現代においてもその印象は、成り上がりの露悪
趣味として捉えられており、利休から流れを汲む茶室に比
べ醜悪至極であると断罪されている。その歴史的位置づけ
は、天皇に献茶を行なうという権勢誇示の一大イベントの
ために造作されたパビリオンのようなものであり、また別
の解釈としては利休の推進する侘茶の世界に対するアンチ
テーゼとも捉えられている傾向がある。




自分が現世のあらゆるヒエラルキーの頂点であり、全ての
行いは権力者である自分の懐の中で起きるはずなのに、利
休が作り上げた芸術の世界においては、時の権力者すら歯
牙にかけない状態に大きな憤り?嫉妬を感じ、その対極を
具現化、侘び寂びに対する煌びやかな空間を現出し、侘び
寂びという芸術性を飛び越え、表面的な印象からくる“貧
乏臭い世界観に対する罵倒、嘲笑を投げかけたような感情
を黄金の茶室は性格として持たされた。



現在、この茶室を文献から考察し復元されたものが各所に
存在する。


純然たる歴史的検証とその来歴を帯びた茶室という興味で
はなく、秀吉が掴んだ天下というものに対する想像をかき
立てる代物として、展覧場では鑑賞する人間の興味を引き
付けている。



私は、茶はしない。そして現代の茶道界にも興味はない。
しかし戦国期に花開いたこの文化自体には興味がある。こ
の文化を飛躍的に発展させる素地を築き上たのは間違いな
く利休であろう。しかしそれは、創作、芸術家としてであ
る。全体的な文化のプロデューサーとしてはやはり織田信
長だったのではないかと私は思う。



信長なくしては利休を初めとする茶人と呼ばれる芸術家は
大成しなかったと思う。信長以降、いや彼以前の大名も含
め、幕末までそうなのだが、大名は彼らに茶頭というポジ
ションを与え、芸術家として庇護しつづける。しかし、信
長のプロデュースは、後の大名が行なった庇護とは明らか
に一線を画する。



信長が後年の大名と違う最大のポイントは、“価値”を発
見したのである。



信長は重商主義である。基本的な国家形成概念は、商業
を軸としてとらえていたように思う。



それは貨幣を初めとする流通などを国家の中心に置き、
兵隊軍人すらも専業という職業性を打ち出したのも信長
が最初である。そして情緒的な上下の関係ではなく、信
賞必罰、成果主義も彼の組織運営の柱であった。



その彼が新たに発見した価値とは、等価性のない芸術と
いう無限の価値を生み出す行為と、それを作り出すアー
ティスト、そして彼らが直接的間接的に関与する“作品”
と呼ばれるものであった。そこにはそれまで流通してい
た商品という概念ではなく、物としての相対的価値判断
が整然としない“作品”という新たな価値が含まれてお
り、それを自分の国家形成上有益な概念としてプロデュ
ースしたのである。



極端には、茶壷一つが一国に値するという価値形成は、
信長が最初に公論として最大規模に確立したと考えられ
る。茶会の開催も許可(この場合恩賞に値する)を与え、
許可をもらう為に皆が争ったなどという価値観は信長以
前の大名には皆無であり、また茶会許可という価値観そ
のものは、戦争して一国を奪うそして与えることからす
るとかなりのローコストとしての恩賞が生み出せるので
ある。費用対効果から考えてもかなりの即効性を発揮す
る。




プロデューサーとしてその概念を具体的に形成する上で、
利休と言う不世出のアーティストは必要不可欠な存在と
なった。また、利休にしても、茶及び自身の芸術発展に
は信長というパトロンは絶好の存在として映ったに違い
ない。



目的は違えども、お互いの手段が合致したことに疑問を
挟む余地はなかったのではないだろうか?そして目的は
相違するが最終的結論から考えても相互に不都合が生ま
れる部分も少ないように感じられる。現代に至る芸術と
いう世界は、所詮金持ち権力者が介在してこそはじめて
成立する側面を持っている。流通という経済が備わらな
いでは成立しないし、芸術家が芸術家たる位置を世の中
では確立できない。経済と無縁の立場で芸術家と言って
も、それは趣味人としてしか客観的には捉えられない。




利休という芸術家の存在の新しさは、それまで完全に家
来的技術者であった、それぞれの技巧分野を、フリーな
立場で契約的な形を持って表現したところにある。そし
てそれを信長という希代のプロデューサーに見出され世
の中に表出していった事に、茶という文化の発展側面が
ある。お抱え!という概念で家中の宝などという狭小な
概念でないことは一目瞭然であろう。



ここまで利休は良かったと思う。セルフプロデュースに
も大成功を納めた。




しかし、この後イレギュラーな権力交替劇が発生する。
本能寺である。




秀吉権勢初期、利休は理想を持ちつつも権力者の良き
アートディレクターとして秀吉を支えたであろう。
関係も良好であったはずである。しかし、最大に相違
していったのは、信長と共に作った価値観、それはあ
る種協同作業のようなものであったと思うが、秀吉は
利休という存在の正当な価値を理解できなかった。利
休の存在そのものも、信長から自分への権力が移乗し
た時に相続したとしてしか理解していなかったのでは
ないだろうか??




秀吉からすると自分を飛び越えた価値の創出者など、
存在として理解できよう筈も無い。



このポイントから利休と秀吉は解離していったと思う。



そして利休にしても秀吉に対する悪感情がなかったな
どとは言い切れない。それは言葉悪いが“成り上がり
者”“百姓上り”という感情が心の奥底にあったので
はないだろうか?信長という存在とのコントラストと
して秀吉を常に比較していたのは間違いないであろう
し、将来的な茶の世界観についてもすくなからず悲観
的になったであろう。



どこかの時点でそれら悲観要素に対する防波堤が必要
になると言うことは感じていたであろう。



私の考える利休と秀吉の対峙した関係とはそういった
ものであり、その形の表れとして黄金の茶室というも
のが出来たと考えていた。



しかし、以前この復元茶室を見た。




正直な印象として、あれっ??と思った。。




露悪趣味でもなければ醜悪さもない。。
それどころか静かで凛としたものを感じた。



もちろんライティングの関係もあるのだろう。
少し薄暗い環境の中にあった。しかし当時の
ライト、光量を考えるとまず間違いなく薄暗
い環境であったであろうし、そんなにこの見
え方に大差はなかったと判断できる。



そうなると??うーん??



秀吉の権勢誇示の象徴であることは間違いないが、
一体誰がこの意匠を考えたのか??



ひょっとして利休??



という感想が胸を突き上げた。。そしてなぜか
自分の中でこれは間違いなく利休が作ったと確信した。。




金という素材は、“金ピカ”という言葉が示すとおり、
なぜかチャラチャラし印象を持つ。しかし金の素材自
体は実は深い印象をもったものであり、これだけ科学
が進んだ世の中にあって印刷技術の世界では、その再
現がまだ確立されていないのである。それは、金は色
では無いのである。




細かい粒子から構成される物質であり、見る角度によっ
て光の反射が異なり、色の陰影が変化するのである。だ
からインクによる再現が現在でも不可能なのである。例
えばカメラで撮影したとしても正面から撮影したものと、
斜め、もしくは横ではその陰の出来方がマチマチであり、
全体の正確な色彩は掴み取れないのである。



この金という不可解な色彩が占拠した空間である黄金の
茶室には、不思議な印象が体を支配する。



ましてや文献から分かるのであるが、この茶室の障子、
畳は全て朱色なのである。金と赤のコントラスト…すご
いゴテゴテ感があるようだが、実際にはなんともいえな
い緊迫した空気が生まれるのである。。



侘びの茶室と明らかに空間の色彩構成は違うのだが、
しかし空間が訴えかける意味という点では少し類似
するものを感じなくはない。それよりも強烈な拘束
感を黄金の茶室は感じ、頭よりも体に響くような感
覚が生まれてくる。



ただの金箔を貼り付けただけの“箱”では無いのである。
そこには赤とのコントラスト、金という素材の放つ色彩
の微妙さが、かなり精密に計算されたものが見受けられ
るのである。。



こうなるとただの建築職人の技ではないのは明らかで、
確実にアーティストの感性が計算として盛り込まれてい
ると考えても不思議ではない。ここまでの計算が出来る
次元の高い芸術家と言えば間違いなく利休であろう。



利休は最初から侘びや寂びの世界観だけの人だったの
だろうか?



私は違うと思う。侘びや寂びへの方向性に突き進んだ
のは自身の表現結論だったような気がする。



その結論がでるまでは、たぶん利休が表現する茶の世界
観は大きく触れていたのではないだろうか。そして秀吉
という権力者との距離も具体的には出来なかったのでは
ないだろうか??



利休の“好み”や“名物”という概念は、明らかに唐物
というそれまでの絶対的価値に対する新たな価値創出の
挑戦であり、これからも新たな茶の世界の創造的行為が
読み取れる。



それまでの価値を打ち壊し、新たに創造するアナーキー的、
パンクな行動。。



侘び寂びの対極にある雅やかな空間世界への可能性も
もちろん視野にはあったと思う。また、茶の日常性、
インテリアという事についても考察したであろう。



以前利休の作る茶室の図面を見たことがある。平面図で
はないのである。飛び出す絵本のように組み立て式であ
り、現在の建築設計士が手掛ける模型のようなものなの
である。



これから考えても視覚的な効果だけではなく、空間表現
の可能性をかなり模索していたのではないだろうか?そ
の中にあって秀吉が天皇に対して行なう献茶のイベント
にこの黄金の茶室プランをプレゼンテーションしたとし
てもおかしくない。



実際、この茶室の色彩コントラストについてはある方が
述べられているが、ある種海外、異文化の影響を取り込
んだ部分が見受けられる。それこそが新しい茶文化に対
する挑戦だったのではないか?




金と赤という色彩からただちに連想されるのはカトリック
教の司祭の礼装である。



当時の堺の町にはフロイス以下の宣教師たちが盛んに
布教活動を続けていた。その強い影響があったと考え
るべきなのであろう。 



ついでにいえば、茶の湯の基本作法の一つである一碗の
濃茶を主客飲みまわす行為には、カトリック教の重要な
聖体拝領の儀式で、キリストの血に見立てた赤ワインを
金や銀のカップで飲みまわすことの、濃い投影があると
も考えられるのである。



事実、時系列で見ても、利休が追放という具体的疎外を
うけるのは、切腹10ヶ月前である。それまで燻った火種
がそれぞれの心の奥にあったかもしれないが、表面的な
反抗や対立はなかったはずである。



この時間的側面を考えても、黄金茶室製作時分、利休の
気持ちの中に最終局面的感情はなかったかもしれないし、
ひょっとすると茶の新たな世界観の模索の実例として黄
金茶室の製作をプレゼンしたという可能性は相当な確率
で存在すると判断できる。



だからこの時点で黄金の茶室の創意は後世伝わるような
形のものではなく、利休自らが設計意匠を考えたのでは
ないだろうか???権力者に寄り添うアーティストとし
てこの時点では立場を保持していたのであろう。。



私は復元茶室の実物を見たときそのように実感した。



歴史の中で両者が迎えた結末の象徴的な産物としての印象
に摩り替り、実際の製作時点にあった両者の思惑が変質し
たのだろうと考える。



しかし、ここまで後世に象徴的に印象付けられた背景
には、やはり、利休の終焉があまりにも強烈であった
からなのだろう。最高の芸術家という称号から一転罪
人に変化するという。。



茶人であり切腹というのも奇異な感じを受ける。明らか
に侍としての処遇であり、罪過を問う側の作為を感じる。
自分達の次元であくまで一介の家来として処断したよう
な印象すらある。



先に述べた秀吉との解離は早い段階から心底にはあった、
そして、いつか自分の芸術と茶世界の防波堤の必要性を
感じつつ、それでも具体的な自らの世界の防御を行なう
事無く、権勢に追随し、後世、秀吉の露悪趣味の権化と
なした黄金茶室まで製作していた利休が、突如反抗に転
じたのは何故だったのであろう???頑なな。。。



取り成す大名は多かったはずであるし、間違いなく七哲
は奔走したであろう。。



だが、利休が秀吉に謝する事はなかった。。



しかし、その反抗があったからこそ現代に伝わる利休の
“侘び”と言う世界観は具体化し得たし、この反抗が無
ければおそらく茶は、現代において違った形の文化にな
っていたのでは無いかと考えられる。



このキッカケはというか、決断は間違いなく




路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ
、亭主ヲ敬ヒ畏ベシ



所謂、一期一会の言葉を残した



山上宗二の死がキッカケだったと思う。



宗二は利休の弟子であり、秀吉は信長の茶頭であった
今井宗久・津田宗及・千利休の3名を召し抱え、さら
に山上宗二ら5人を加えて「御茶頭八人衆」とした。
序列においても4番目という高位に位置していた。



しかし、性格に難あり。



権力に結びついた高級サロンの文化になった茶道は
「茶道のための茶道ではない」と批判、自分の信念
を曲げない人物であり、さらに嘘をつけない、思っ
たことをすぐ口にする性格だったことも手伝い、秀
吉の怒りを買った。



そして師匠に対しても「山を谷、西を東と 茶湯の法
度を破り、物を自由にす。但宗易(利休)一人の事
は目聞なるに依て、何事も面白し。平人 宗易を其
尽似たらは、邪道と云々。茶湯にては有間敷者也。」
などと苛烈な批判を展開している。



純粋な茶人・アーティスト宗二は、茶頭としては、
速い段階で秀吉の元を出奔?追放の処分を受けている。



しかし秀吉小田原御陣の時、北条家茶頭を務めていた
宗二は秘密裏に利休に面会した。



弟子を思う利休は秀吉への取り成しをし、一旦は許
しをもらうのだが…



「秀吉公にさへ、御耳にあたる事申し、その罪に、
耳鼻そがせ給せし」



と、後の文献が書き残すように、秀吉の逆鱗に触
れるようなことを再度言い、残虐な殺され方をした。。



この場面に間違いなく利休はいた。直接殺害現場にい
たとは思えないが、同じ時間、同じ場所には間違いな
くいたのである。。



利休は宗二の死から10ヶ月後の天正19年2月13日、
同年2月28日 切腹した。



この10ヶ月間に茶の世界の本質は完成し、黄金の
茶室は秀吉露悪趣味の象徴的造作物と変質したの
だと私は思う。それほどこの10ヶ月は利休の茶の
完成には大きな意味がある。



ある意味それまでの目利きや芸術的創作行為など、
この死して完成させたものに比べれば如何程のこ
とも無い。




信長から始まる利休の茶という芸術構想はかなりの
スピードで上り詰め、秀吉時代に大きな価値観の変
質を余儀なくされる。芸術の域から、宗二曰くの社
交を中心にした高級サロンへ。。



信長が許容した独立性は閉塞する。。。。



それまで目をつぶってきた事が…



宗二に対する残虐な刑死が、自らの大きな防波堤
になってしまうようでは、面目が廃るだけに留ま
らず、茶という芸術が壊滅してしまうとかんがえ
たのではないだろうか??。。



あくまで権力者に媚び諂う事を拒む、頑強な茶人
・アーティストである弟子・宗二の生き様は、
利休をある場所へ追い詰め、具体的な行為に走ら
せた。



それこそ“死”であり、自身の茶の完成である。
今の自分の茶に対する完成を変質変形させること
なく不朽の芸術として後世に残す、一種の作品創
造の行為として積極的な“死”を選択したのでは
ないだろうか???



秀吉という人間と決別するため、権力者の庇護の
もと高級サロンと弟子に批判され続けた状況から
抜け出し、確固たる自分の考えで突き詰めた極限
の茶の世界に修正するため。。。



そのための秀吉に対する具体的な反抗行為だった
のではないだろうか??



黄金の茶室を利休が作ったかどうか分からない
現代の認識、秀吉が作ったという認識こそが、




利休が最後に死を持って貫徹し表現した茶の世界の、
蓋のように私は感じる。。




そして



黄金の茶室は利休が作ったと思う。。。。



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